2009/09/04

あそぶ魚

お盆は過ぎているのですが、那須監督のお墓参りに行ってきました。

仕事が目白押しで暇がないので、これ以上後延ばしにしているとお墓参りにいけないと思い、決して時間があったわけではないのですが、行くことにしました。

結果、行ってよかった。

那須真知子さんと二人で行ってきました。

花と水を取り換え

ビールとワインをささげてきました。

本当はお墓で那須監督と一緒に飲みたかったのですが、そういう雰囲気でもなく、とりあえずささげるだけささげて、そのあとは、真知子さんと海まで歩いて、ぴょんぴょん飛び跳ねる魚を眺めた。

飛び跳ねている魚は、トビウオじゃなく、いろんな種類の魚が飛び跳ねていた。

あれはなんでだろうか?なんのために飛び跳ねるのか?海鳥が狙って水面すれすれを飛ぶ。ジャンプする魚は自分の場所を海鳥に知らせるために飛ぶようなもので、なぜジャンプをするのか生物学的な意味がわからない。魚のえさが、空中にあるのか?そうとは思えない。自分の命の危険を顧みずにジャンプする。ほんと、ダンスのように大小様々な魚がジャンプをする。あれ魚にとっての「遊び」なのではないかと、僕が言うと、真知子さんいわく「魚には痛覚がないらしい。痛覚のないやつらが遊んだりはしないんじゃないの?」とのこと。

魚って痛覚がないのか。

ググったら、そういう意見もあるし反対意見もある。

定説がないということか?

というか「痛み」という考え方自体が、非常に哲学的な問題をはらんでいるようだ。

しかし、魚がぴょんぴょん海の上を飛ぶのはなんでなんだろうか。求愛行動か?

考えてもわからない問題だ。いつか僕がその答えを知る日は来るのか。

とりあえず、日が暮れてきたので、海の見える居酒屋に入る。

真知子さんと二人、那須監督の思い出を語りあった。

あらためて那須監督って素敵だなあと思わずにいられない。

那須さんがどうステキだったかを語ることはできる、いくらでも。

だが、どんなに言葉を尽くしても、あの素敵な人を実際に知らない人は、これからも永遠に那須博之の素敵を実感できることはないだろう。

あの人を超える人はこの世にいない。

本当に那須さんの素敵さをみんなに教えたかった。

安川とかみんな会ってないんだよね。

会ってたらなんて言ってるだろうか。

あるいは那須さんになんて言われているかな。

興味あるけど、一生答えを知ることはないことだな。これも。

Umi2

写真は僕が撮ったもんじゃなくてここから拝借してきました。

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2009/06/21

舞台「わたしは真悟」の思い出

だいぶ前に津川さやかさんから質問があった。

話がちょっと昔のことになるのですが、ずっと気になってたことがあるんで、思い切って聞きます。
2004年の舞台「わたしは真悟」ラスト、マリンのオリジナルの台詞、
「君の言葉はきっと伝わる」

…素晴らしい言葉です。この言葉、その一撃で、それまでの諸々の事件が全て愛へと昇華される…そういう言葉のように思います。

なぜ、この言葉にしようとお考えになったのでしょうか。
過去のブログみましたら、那須監督・楳図氏より、脚本について助言もあったとありますが…

実はもう一度あの舞台のDVDを見ようと思ってまして。
舞台当時の秘話のようなものがありましたら、宜しければ聞かせていただけませんか。

まず、知らない人のために

「わたしは真悟」というのは楳図かずお先生が書いた純愛大傑作である。
楳図 かずお: わたしは真悟 (Volume1) (小学館文庫)(←原作、絶対読んでよ)
楳図 かずお: わたしは真悟 (Volume1) (小学館文庫)

楳図先生と言うとホラー漫画家的なイメージが強いかと思うが

この「わたしは真悟」というのはホラーではなく、

これ以上ない純愛の物語である。

で、これを僕は劇団旗揚げした2004年に舞台化しているのである。

しかも、楳図先生にも出演していただいたという驚き。

もしよろしければDVDをみていただきたい。

Shingo_jac(←詳細は画像をクリック)
DVD「わたしは真悟」(演劇版)

で、これだが、原作はかなり膨大である上に、

映画にするならかなりCGとかを使わねばならないほどに

アクロバティックなシーンがたくさんある。

上演当時は、あれをどうやって舞台化するんだ!?と騒がれたものだ。

これ、僕の書いた第一稿が残っている。

第一稿とは最初に書いた本である。

これはこういう風に舞台化するとの許可をもらうためのものでもある。

IKKI編集長の江上さんに読んでもらった。

返信のメールには

感動して泣いた。あらためて楳図作品のすごさを思い知らされた。

というようなことが書かれていた。

この第一稿は、ほぼ原作通りで、それを2時間にうまくまとめた・・・というのが第一稿であった。

しかし、そこで問題が発生した。

こちらのキャスティング、はじめて芸能事務所と渡り合い、アイドルの上野未来をマリンという女の子役でキャスティングしたのだが、原作「わたしは真悟」の後半1/3はサトルという男の子の話であり、このマリンという少女は出てこないのだ。

僕はそれでもいい。原作通りに行きたいという気持であったが、僕の芸能の父である那須博之監督は、集客のために上野未来をキャスティングし、多くの観客が上野未来を見に来るのであれば、彼女をフル活用しないのは、観客のためにも間違っている。原作の良さも当然踏まえ生かしながら、上野未来という素材を生かした作品にしなくてはいけない・・・というような趣旨であった。

僕は原作のファンでもあり、那須監督の意見といえども反対したい気持ちがあったが、楳図先生に相談すると、那須監督の言う通りだとの考え。

ということで、原作とは異なり、サトルではなく、上野未来演じるマリンを主軸に、あらためて脚本を書き直すことになった。

前半2/3は原作通りで良い。

原作で言うとエルサレムまでのあたり。

しかし、残り1/3の佐渡島の部分が問題である。

僕は、ここを原作の意味も十分踏まえながら、マリンを登場させるという荒業をやった。

その部分は完全オリジナルである。

そして、しかも、作品の中に楳図かずお先生を登場させた。

僕自身、原作ファンとして最初はアレンジに反対していたが、那須監督や楳図さんのアドバイスの通りに、マリンを主軸に書きなおしたことによって、楳図さんの「わたしは真悟」という作品がより分かりやすくなったのではないかと僕は思っている。

書きあがって自分で驚いた。

楳図ファンの方々にもたくさんの支持をいただいた。

ちなみに、楳図さんの話すセリフやマリンの話すセリフは、ぜんぶ僕の考えたオリジナルである。

もちろん、楳図さんが話しそうな内容と言うことで書いたのだけど。

見にきた楳図ファンの人たちは、楳図さんのオリジナルのセリフだと信じて疑わなかったが、あれは僕の書いたものである。

そして最初の津川さんの質問に戻ると

「君の言葉はきっと伝わる」

というセリフ、残念ながらというか僕が書いたセリフです。

「わたしは真悟」という楳図さんの作品を僕なりに表現すると、このセリフになった。

そして、この「きっと伝わる」と言う言葉、そこにある信念は僕の作家としての信念でもあり、きっと楳図かずお先生の、那須博之監督の・・・いやあらゆる表現者すべての、人間の、みんなの信念なんじゃないかと思っている。

「きっと伝わる」という言葉には悲しみも含まれている。

「きっと」と言わなければならない。

つまり「伝わらない」可能性など十分承知なのだ。

それでもあきらめない。

そこで「きっと伝わる」という表現になる。

それは僕から君への、僕から僕自身への励まし、祈りの言葉でもある。

伝われ、伝われ、伝われ、という。

僕はそこに「わたしは真悟」の切ない真実があると思っていて

だからあの作品はとても好きなのである。

引いていえば、僕の作品は全部祈りだと言ってもいい。

無理を承知など分かっている。

でも無理を突破してその先に、奇蹟が起こるかもしれない。

そう信じて祈る。

それが僕の作品なのだと思っている。

-------------

7月23日から27日まで新宿タイニイアリスでえれぇ芝居をします。

「溺れる家族」

Photo

詳細は次をクリック。

PC携帯

松枝佳紀インタビュー

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2009/01/28

那須監督誕生会

那須さんの誕生会を真知子さん家でしてきました。那須さんが生きていれば57歳。亡くなられたから那須さんは53歳のままのはずなのですが、なぜか誕生会。命日に冥福を祈るというのよりも何か誕生会を祝いたかったし、そのほうが那須さんらしい気がしたので無理を言って真知子さんに開いてもらいました。しかし那須さんが生きていたら「せっかく歳とらねぇ体になったのに、余計なことするんじゃねぇよ、なーんてな(笑)」とか笑いながら言いそうです。ま、命日に偲ぶ会なんてやったら大々的になりすぎでしょうから逆に良かったのかもしれません。那須さんの誕生日を祝おうというプライベートな仲間があつまりました。大学時代のご友人たちのお時間の都合のつく何人かと金子監督と。真知子さんを入れて総勢9名。みんな博識でおもしろすぎる。僕は那須さんに「ダークナイト」のDVDをプレゼントしました。でも那須さんはたぶん霊界で初日に見ているだろうから「んなもん、初日にみちゃったよ」と言いそうだけど、まぁいいや、自己満足なんで。もし那須さんが生きていたら、絶対「ダークナイト」は一緒に見に行ってたと思うから。那須さんといつまでも映画を作っていたかったし見に行きたかった僕の自己満足なんで、と思って、遺影にささげてきました。僕の名刺には、那須さんと立ち上げるはずだった那須フィイルムズのロゴが印刷されていて、渡した人に「なにこれ」とよく聞かれるんだけど、あれも僕の自己満足です。那須さんが亡くなる寸前、ガンとわかる前に、立ち上げるはずの映画会社でした。ある投資家がかなりの額のお金を投資してくれて那須さんはそこでがんがん映画を作る予定でした。いまとなっては本当にそんなことあったのかなと夢かと思うようなことですが、事務所となる場所を探すために赤坂近辺を不動産屋さんに紹介されてたくさんビルを回ったな。で、その時、たくさん作品を作ろうねと話した那須監督との思いをいつも持っていたい。そういう思いで、名刺には「NasuFilms」のロゴを入れています。デザインはナカヤマミチコがやってくれました。フイルムが無限マークのようになっていて、あれは永遠に映画を作っていくことの誓いでした。。。ってなんか俺ウェット?気持ち悪い?まあいいや。昨日1月27日は、僕の原点をあらためて確認した大事な1日でした。那須真知子さんの料理はほんとうにおいしいし、昨日は真知子さんの弟で、乃木太郎のお父さんも料理の腕を披露してくれました。お酒もひさしぶりに飲み過ぎた感がありましたが、那須さんが生きていたら「何言ってんだよ、これからだよ(笑)」と飲みにつれて行かれ朝までコースになり朝始発が動き出すと「ナベカツ、いまから温泉に行こうぜ」「えー、今からですか?もう僕無理ですよ」なんて話してたでしょうけど。

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2008/12/21

仲村トオルさん

「ウチくる!?」みました。

仲村トオルさんの回でした。

最後、那須真知子さんがゲストで出てこられて

仲村トオルさんのデビュー時の思い出の話を。

那須監督、トオルさんのこと好きだったからなあ。

いろいろトオルさんの話をしていた那須さんを思い出し泣けました。

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M2MUSIC忘年会

MOKUさんところの忘年会に「今日も、ふつう。」メンバーとともに行ってきました。

すでに参加者のみんなのブログにそのときの様子が書かれています。

金子修介監督のブログ

MOKUさんご本人のブログ

佐藤太監督のブログ

徳山秀典さんのブログ

安川結花のブログ

MOKUさんは、金子監督のブログに書かれているように、テレビドラマ「ホーリーランド」の選曲を担当されていて、金子監督、僕脚本、渋谷飛鳥ちゃん、木下ほうかさん主演の「希望の党☆」という明るい選挙推進委員会の短編ムービーの音楽を付けていただき、そのときの音楽が、素敵過ぎたので、ぜひ僕も芝居で使う音楽はMOKUさんにと思っていて、まず舞台「1999.9年の夏休み」の劇中曲を1曲作成していただき、つづいて舞台「ルドンの黙示」では、Psalmさんの歌を編曲などした音楽、オリジナル曲など楽曲全般を作曲していただき、そして先日終わった「今日も、ふつう。」では僕の初作詞の歌「女は秘密」の作曲をしていただきました。

「女は秘密」は作詞はあっちゅうまに書いたのですが、音楽も、1週間であっちゅうまに作っていただきました。が、ぜんぜんあっちゅうまでないというか、素敵な名曲なんですよ。これが。僕は、これで味をしめちゃって、そんな遠くない将来にミュージカルをやる予定(!?)です。

そんなわけで浅からぬ仲のMOKUさん主宰の忘年会、参加してきたわけです。

ものすごい人数の熱気ムンムンの忘年会でした。

僕の私設秘書(笑)安川結花のおかげで沢山の人たちとお話しすることが出来ました。那須さんのお話なども偶然出来てうれしかったです。それから穂花さん。美しく可愛い。ちょっとこんな可愛い人いないよ。お話できて光栄です。

音楽畑の人が多くて、今後どういう形でつながるのか未知数ですが、これを機会に、よろしくお付き合いください。

で、忘年会は、必然的に即興の演奏会の様相を呈し、楽譜も無くコラボル面々に驚嘆。素敵。音楽ってやっぱ素敵だなあ。という時間をすごし、中でも、素敵なのは、MOKUさんが奥さんと生まれてくる子供にささげるために熱唱したオリジナル曲。素敵感動。泣かせていただきました。

とても素敵な曲で、MOKUさんにこの歌は表に出さないの?と聞くと、その予定は無いそうで、冗談で、この歌、芝居に使わせてくださいよ、と言うと、ぜひとうれしいお言葉。いつか舞台でお聞かせするときが来るかもしれませんよ。ほんと素敵な歌なんです。

歌が終わると、サプライズで「おめでとう、ありがとう」のケーキを徳山秀典さんがもってきました。

Moku01

そして、歌は歌われ、佐藤太監督が素敵な演奏者、歌い手であることをはじめて知り、三元くんの素敵歌を初めて聞き(カラオケはなんどもあるけど)、そして、金子二郎さんのギターに酔いしれ、徳山秀典くんの歌などなど素敵なセッションに心躍らせ・・・すると、いきなりご指名があり、あの名曲「女は秘密」が歌われることに。忘年会に参加していた三坂知絵子さん、橋本愛実ん、青木ナナ、安川結花、井川千尋が素敵に歌ってくれました。これも素敵でした。

そして延長された忘年会の最後には、忘年会にいらしていた及川眠子さん作詞のあの有名楽曲「残酷な天使のテーゼ」が大熱唱されました。この歌はカラオケに行ったら安川が必ず歌う唄で、その作詞家さんご本人の前であの名曲を歌うことになるとは安川感激な様子でした。あの山下達郎さんに芝居を褒められたり、今年安川色々感激だね。

んなわけで、2008年もカウントダウンに入ってますよ。

遣り残しがないように最後まで気を抜くことなくがんばろ。

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2008/10/09

緒形拳さん

何のつながりも無いが大好きな俳優の1人だった。

今村昇平監督作品「復習するは我にあり」での演技はすごかった。

演技というより、この人、榎津そのものなんじゃないかという疑念さえ持った。

役者とは罪深い存在だと思う。

神から1つしか人生を与えられてないのに、いくつもの人生を生きるのだから。

だから緒形さんは演じることにたいして真摯でピュアな人なのだ・・・と会ったこともないのに勝手に思っていた。

2002年シアターコクーンの倉庫でやった「ゴドーを待ちながら」を見たとき、その意を強く持った。

緒形さんが65歳のときにだ。

すでに名を成した俳優が、何のセットもない、しかも舞台でさえない倉庫で、しかも「ゴドーを待ちながら」をやる。

僕はそのチャレンジをみたくて足を運んだ。

芝居をすることに真摯で、芝居をすることが大好きで、芝居をすることに打たれてなければ、そうでなくては、あんなチャレンジはできない。僕もそんなチャレンジをする老人になりたい。

金子修介監督のブログで、金子さんが昔「咬みつきたい」という映画で、緒形さんを使っていることを書かれていた。うらやましい。緒形さんと一緒に仕事が出来たなんて。どんなスゴイ人だったのだろう。今度話を聞かせてもらおう。

津川雅彦さんのブログに行ったら、緒形拳さんの最期をみとったということを書かれていた。

南無妙法蓮華経!名優緒形拳が10月5日23時53分に亡くなった!

これを読むと、やはり緒形拳さんは僕の思ったとおりカッコいい人だったのだということがわかる。那須さんの最期を思い出し泣きそうになった。

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2008/08/21

初日御礼

初日ご来場いただきました皆様ありがとうございました。

「ルドンの黙示」

ますますヒートアップしていきます。

ぜひもう一度ご観劇ください。

 

昨日は、初日開幕前

那須監督のお墓参りに行っている那須真知子さんからメールがあった。

墓前で公演の成功を祈ってきてくれたそうだ。

とてもテンションがあがる。

というか熱くなった。

「がんばりますよ、那須さん」

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2008/07/11

乃木太郎誕生日

「ルドンの黙示」の稽古も2日経過。

ただし、芝居の稽古ではなく

純粋に殺陣の稽古だ。

あと1日殺陣だけの稽古をやり

そして、顔合わせ。

で、本格的な稽古の開始となる。

今回、稽古初日に台本があがっている・・・

というのを目標にしたが

現時点でみんなに配ったのは半分だ。

残り半分、がんばる。

ところで

昨日は乃木太郎の誕生日だった。

26歳。

Msワールドという事務所に所属しているが

アロッタファジャイナにも所属している。

先日、オーディションに合格し

アクエリアス・スポーツゼリーのCMへの出演を決めた。

http://www.aquarius-sports.jp/product/jelly_cm_01_01.html

また、8月1日に放映となる金子監督の「ヒットメーカー 阿久悠物語(仮題)」(日本テレビ系列金曜ロードショー(21:00~23:30))にも出演。

これから撮影予定の金子監督の「ケータイ捜査官7」にも出演予定。

乃木とは2004年那須監督に連れられてうちの芝居を見に来てくれてからだから5年目の付き合いになる。

乃木組の単独公演もこなし男っぷりをあげている乃木だが今回「ルドンの黙示」ではまた一役者として出演してもらう。

演技的にも、人間的にどれほどの成長があるのか。見せてもらおうと思っている。

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2008/06/04

山田太一脚本「早春スケッチブック」

那須さんの死に出会って、僕は自分がこんなにも悲しむことのできる人間なんだということを知った。

それまでは、誰の死に出会っても、表面上は悲しいというふりをしたが、本当に悲しいということがどういうことなのか僕にはわかっていなかった。

那須さんの死の前年には大好きなおじいちゃんが死んでいるが、そのときでさえも、死を悲しむことはできなかった。どこか他人事だった。

齢30を過ぎて、当然人間だから「悲しい」ということを知っているつもりでいたが、本当には知らなかったのだ。那須さんの死に出会うまでは。

 

昨日、山田太一さん脚本のドラマ「早春スケッチブック」全12話を一気見した。泣きながら一気見した。泣きつかれて…恥ずかしいことに本当に泣きつかれたのだが…今は虚脱状況だ。

泣いたのは・・・そこに…ドラマの中に…那須さんがいたからだ。

いや、正確には山崎努さん演じる沢田という男なのだが、彼をみて僕は那須さんを本当の意味で、久しぶりに思い出した。このドラマをみなければ僕はあの「悲しみ」でさえ忘れるところだった。

1983年にフジテレビで放送されたこのドラマは、大学受験を控える少年(若き日の鶴見辰吾が演じる)が、死んだはずの実の父親の沢田(山崎努が演じる)に出会うことによって起こる濃い3ヵ月を描いた作品なのだが、僕はその描かれる3カ月に、僕と那須さんが過ごした時間を重ねてしまった。

内容をとやかく言うつもりは無い。

ただこんなすばらしいドラマがフジテレビというところでかつて流れていたということがかなり衝撃でもある。80年代の前半は、まだテレビドラマが、娯楽ではなく、何かの対抗軸でありえたのだなと思った。このようなドラマにでも出会えなければ、現代において、人は「悲しみ」のことを本当には知りえないのだ。だから、このようなドラマを作る「義務」がテレビや映画にはある気がする。というか、10時間かかるドラマをつくれるのは連続ドラマという形式しかないのだから、テレビドラマがこのようなドラマを作る「義務」がある。

しかし、あらためて思う。山田太一さん、あんたはすごいよ。

那須さんを知らなくても、このドラマをみた人は、少しだけ那須さんを感じることができるだろう。

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2008/05/29

松井良彦監督「追悼のざわめき」

結局、寝なかった。

もうすぐチラシの色校正が家に届くし

昼には劇場見学に新国立に行かねばならないし。

「ルドンの黙示」の台本も書かなきゃならないんで、結局、寝なかった。

 

昨日は、渋谷アップリンクで映画を見た。

松井良彦監督の「追悼のざわめき~デジタル・リマスター・バージョン」

安川、藤沢、峯尾、新平と見に行った。

 

この映画すごいんだわ。

ウィキペディアにはこうある。

1988年に『追悼のざわめき』を発表。製作は困難を極め、1983年のクランクインから5年という長い年月を経ての公開となった。ちなみに松井の最大の理解者であった寺山修司は『追悼のざわめき』クランクインの時期に他界している。寺山は松井が書いた『追悼のざわめき』の脚本を読み「やっと映画がわかってきたよね」と松井を認める発言をしたという。中野武蔵野ホール(2004年5月8日閉館)で公開され、同館開設以来の観客動員数を打ち出す。その内容の過激さから、1985年のトリノ国際映画祭に出品を予定されながらイタリア税関でストップされるなど、 数カ国の映画祭に出品が決まっていたにも拘らず、その全てで上映が禁止となるという事件がおきた(試写を担当した映写技師が嘔吐するということまでおきたという)。日本のアンダーグランド・シネマの頂点とも言われる同作品は一部から熱狂的な支持を受け、現在まで繰り返し上映され、2007年12月21日にはついにDVDが発売される予定である。

じつは僕は不勉強で知らなかったんだけど、金子修介監督に聞いて、それであわてて見に行ったというわけ。

そして金子監督から聞いたのだけど、なんと、「高校大パニック」では、那須博之監督、金子修介監督、松井良彦監督は、演出部で一緒だったのだとか。金子監督はたぶん日活に入りたてだ。

那須博之、金子修介・・・と聞けば、見に行かないわけにはいかない。

で、見に行った。

感想は・・・すげぇ。

映画の感想について、見終わった後に結花と話そうと思ったけど、結花、気持ち悪くなって帰ってしまったからね。まあ、内臓に来るような映画であったと。そういうことです。日常に安住したい人は見ないほうがいいかも。

ということで、僕は寝ずに「ルドンの黙示」の台本を書いていると。

今現在は朝マック中なんだけどね。

そろそろ家に帰んないとだな。

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2008/02/27

きょうは何の日!?

昼にやってる日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」のコーナーに「きょうは何の日」ってのがある。

本日、わが最愛の師匠那須博之の命日にして、「映画監督那須博之の亡くなった日」というのをやるらしい。

番組表にはこうある。

「東大出てポルノで当てて・・・生き急いだ映画監督の生涯・・・」

金子監督も那須真知子さんも出演します。

ぜひ見てみてください!

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2008/01/27

那須暦でいうところの元旦

今日は誕生日です♪

誰のって・・・

それはオイラの師匠、那須博之監督の誕生日!

那須暦では今日が元旦。今日こそ元旦。

つうことで今日は誕生会をしてきます。

那須さんが祀られている那須神社で。

って那須家に遊びに行くってことなんですけどね。

那須真知子さん、金子監督、野木太郎、峯尾晶、僕。

5人で誕生会をしてきます。

イケメン峯尾との付き合いは去年からなんで、

当然那須さんのことはイケメン峯尾は知らないんだけど

僕とやっていくからには

那須さんのことを知らなきゃなんねぇべ

ってことで、連れて行きます、イケメン峯尾。

ついに那須教の洗礼を受けるわけです、イケメン峯尾(笑)。

しかし、那須さんはほんとうに稀有な人でした。

後にも先にも、あんな人はいないね。

男が必ず男惚れする男。

って那須さんのことを検索していたら

素敵な文章を発見。

僕と同じように那須監督を師匠にいただく1人。

押尾学さん。

ブログで「この世界に入り今に至るまでの話」ってのを書いていて

那須さんのことが愛ある言葉で書いてある。

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive20-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive14-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive9-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive6-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive4-1-200705.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive8-1-200705.html

押尾さんが那須さんのことを書いていてくれて感動。

思えば

那須さんは飲むと、

よく押尾さんと俊藤くんのことを楽しそうに話してた。

俊藤くんはその後僕の芝居「偽伝、樋口一葉」に出てくれた。

押尾さんはその芝居を見に来てくれたんだけど

僕はどたばたしていて会えなかった。

いつか押尾さんと那須さんの話をしたいな。

押尾さんも那須さんと会わなかったら役者を続けてなかったと、さっきリンクを張った文章に書いてあるけど、僕も那須さんが居なかったら劇団も続けてなかったし、シナリオも書き続けてなかった。楳図さんにも会ってなかったし、木村俊樹プロデューサーや成田さん、平田さん、大木監督や金子監督とも会ってなかったし、飛鳥ちゃんとか、小笠原さんとかいぐっちとか、うちのナカヤマとか藤澤、新津とか皆みんなに会ってなかった。すげぇ、俺の今は那須監督で出来ている。

いまでもたまにだけど那須さんの声が聞こえる。

渡来ブーは那須さんの声が聞こえるなんて僕が嘘言っているというけど、ほんとうなんだからしかたあるめぇ。でも、ほんとうにたまになんだよ。

いつまでも那須さんの声が聞こえますように。

だから、今日は真知子さん、金子監督と話して、那須さんをたくさん補給してきます♪

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2008/01/14

新年会2008!!

昨日はアロッタファジャイナの新年会だった。

とある新宿の中華料理屋のワンフロアを貸切。

最初に会場に入ったとき、

広い・・・

ここが埋まるんだろうか?

(ゆったり50人ぐらい入る広さ)

十数人しか来なかったら恥ずかしいなあ・・・

司会・幹事は、藤澤よしはる。

いろいろ考えてくれていて、マイクも手配しているらしい・・

が、十数人だったらマイクも何もないでしょ・・・という。

が、蓋をあけると、満杯だった。

結局、二次会に合流した人も考えると50人以上いたのではないか。

 

一応、2007年に芝居や映画でご一緒した人ということで

役者と、あと金子監督などお世話になった人に集まっていただいた新年会だった。

 

昔、

「ベジタリアン・サマー」という芝居をやったときも、

打ち上げではなかったけど、

芝居の中日の終演後に、

那須監督や新津プロデューサーたちと、

この中華料理屋の同じフロアに来たことがある。

劇団旗揚げをした2004年。

あの時は10人ぐらいだった。

それがいつの間に膨れ上がって

50人を越える感じに。

なんか他人事のようにすげぇなあと思った。

 

金子監督が挨拶で言ってたけど、

非力な僕のことを

みんなが支えようとしてくれている。

それがいつの間にか、

こんな規模になったんだと思う。

感謝。

みんなに、皆さんに。

さて、そして2008年、

今年も皆々様方に頼りまっせ!

よろしくお願いいたします。

 

新年会の宴は、人数も大して減らずに2次会に、これまた別の中華料理屋に移って行われ、終電を過ぎても続き、居酒屋に移って3次会は朝まで行われた。

その後、明け方のマックで、ごくごく身内の数人でコーヒー。

うつらうつら眠る者にいたずらをしながら、

いわゆる朝のハイテンションで

腹がよじれるほど笑った。

 

僕的には、

今回の新年会は、

結構、これから携わるだろう作品の話などを突っ込んで出来たので、

まことに非常に有意義なものになった。

揺れていた僕の中の不安も消えた。

進む道が見えてきた。

意欲がわいてきた。

なんだかかなり素敵な夜だった。

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2007/12/07

三池崇史演出「座頭市」

三池崇史監督演出

「座頭市」

初日をみてきました。

with 金子修介監督

 

主演は、今回がなんと初舞台になる

哀川 翔 さん

共演が、阿部サダヲさん、遠藤憲一さん、長門裕之さんほか。

 

やっぱりあの世界の三池の演出などなどあるためでしょう。

初日の客席の顔ぶれは豪華でした。

(コマ劇の入り口では演劇ぶっく社の坂口さんにばったり出会ったり、坂口さんはべつに座頭市をみにきたわけではなく、単に通りすがりだったみたい(笑))

が、

そんなのを見に来ているわけではないのです。

 

やっぱり、見所は・・・

(1)世界の三池の舞台演出(2度目)がどうなるか?

(2)哀川翔さんの初舞台がどうなるか?

(3)あの「座頭市」をこのメンツがどう舞台作品として料理するか?

の三点だと思います。

 

ちなみに、僕は三池作品が好きですが、それは必ずしも世界的に評価されているからと言うわけではなく、あたりまえですが、作品が好きで、その作品の何がいいかと言うと、「哀愁がある」ってことですかね。「」がある。もちろん全部の作品がそうではなく、また全部の作品を手放しに好きなわけではないですが、僕の好きな三池作品の肝要は「哀愁」なのです。人間の哀しみから目をそらさない作劇が三池さんの作品の魅力なのです。

たとえば、

「極道黒社会 RAINY DOG」

「喧嘩の花道 大阪最強伝説」

「極道戦国志 不動」

「DEAD OR ALIVE 犯罪者」につづくDOAシリーズ

先日偶然WOWOWでみた「鬼哭 KIKOKU 」

物語の奥底に、重く流れる悲しみの音。

それが三池作品の魅力

だと思っているわけです。

 

そして、三池さんは、自分の魂の奥にある「哀しみ」に共鳴する同志を得た。それが脚本家のNAKA雅MURAさん

「喧嘩の花道 大阪最強伝説」で、木村俊樹プロデューサーに引き合わされて以来のコンビです。(ちなみに、最近、ヴィジョンファクトリーで配信した携帯ドラマの制作はぼくが木村プロデューサーにお願いしました)

NAKA雅MURAさんは、この名前がウザイ(笑)そしてこの子供のようなウザさにこそ、NAKA雅MURAさんの脚本の面白さがあり、そしてそここそが三池さんが共鳴している部分なのだということが、2人の関係を良くは知らないけれども伝わってくる。NAKA雅MURAさんが書いた三池監督の映画「46億年の恋」のシナリオを見たことがあるのですが、そのウザさったらない。三池さん以外の監督なら、これをどうやって撮れっちゅうんじゃと怒りだしそうなウザいシナリオ。しかしそこに三池さんNAKA雅MURAさんの心意気とロマンを見るんだと思う。

 

脚本家と演出家(監督)はビジネスパートナーであるが、単なるビジネスパートナー以上の何者かなのだ。それは恋人や夫婦に近い。もちろん、ビジネスライクにさくさくやる仕事もあるが、魂の共鳴があって燃える恋のように作品に向かう。そんな時もある。ぼくはきっと三池さんNAKA雅MURAさんはそういう幸せな関係なのだと夢想する。

で、そのNAKA雅MURAさん脚本で三池さんが舞台をやるという。

これだけで見ないわけには行かないでしょう。

 

で、初日

これから観る人も多いと思うので、あんまりネタバレをしたくない。

簡単に言うと、すごい部分すごくない部分が混在している。

すごい部分の一番は殺陣である。舞台上で長廻しノンストップ、ワンカットの殺陣を披露している。これはすごい。初日こそ、ぎこちない部分もあったが、後半になればなるほど演者たちは上達し殺陣のすごさはアップするはずだ。三池さんらしいシーンである。

すごくない部分の一番はコマ劇場という舞台に似合い過ぎたベタな大衆演劇的な表現である。かなりベタで、いくら確信犯だと言っても、ちょっとなぁと思うシーンがないではない。客層がかなりコマ劇場系のおばさまも多いことを考えると、きっとそのベタさは物語理解のたすけになるんだろうが、小劇場出身者の僕的にはちょっとベタすぎだろと思う点が多かった。

そして、何よりの問題は、物語がすっきりしていないことだ。沢山の魅力的な登場人物が居るのだが、それぞれの話が濃すぎて盛りだくさん。ごちゃごちゃしている。映像ならば、表情のアップも取れるし場面転換もバンバンできる。ごちゃごちゃした情報をもう少し整理することが出来る。しかし、演劇はアップできないし場面転換に関しても不自由だ。観客に届く情報量が少ないから、ごちゃごちゃしている情報は整理されずに観客に届けられることになり、結果良くわからないことになっている。

「演劇」を良く解っていないんじゃないかと思う。
(僕が解っているような言い方でえらそうですが)

最低でも最近の蜷川さんの演劇とかを見ていれば勉強できるのだろうが、良く知られているように三池さんはそんな時間もないほど忙しい人だ。だから、理想の高い脚本、演出にも関わらず、「演劇」という異物の前に四苦八苦してしまう。三池さんの「座頭市」はそんな感じの作品に見えてしまった。ベタな演出場面が多々あることも、現代の「演劇」に対する理解の不足、これが影響しているように見えてならない。三池さんNAKA雅MURAさんならば、もっと驚くものを作れるはずなので、そこがちょっと残念であった。

 

とは言うものの、さすがだと思う点もある。

それは遠藤憲一さんの演じる竜之介のエピソードである。たぶん本作品の中で一番観客の胸を打ち、そして一番、三池・NAKA雅MURA的なエピソードである。「哀しみ」が溢れている遠憲さんは、殺陣についても、腕前を見せている。遠憲さんの声は低く男らしく地を這う。かっこいい。ぶっちゃけ今回の芝居は遠憲さんのためにあった舞台とさえ言えるかもしれない。

 

遠憲さんといえば、僕らの劇団が旗揚げのときに、木村俊樹プロデューサーが作ったVシネマ「集団殺人クラブ 最後の殺戮」(石川均監督、遠藤憲一さん主演)で、うちの劇団の新津藤澤がお世話になっており、また先日の金子監督の作品「結婚詐欺師」では、井川千尋が遠憲さんの愛人役でお世話になったという浅からぬ縁がある。

哀川翔さんといえば、僕がサード助監督をつとめた那須監督作品「真説タイガーマスク」では主演で、僕は沢山哀川さんに粗相をしていたりする(>_<)。

三池崇史監督といえば、12月11日に幕を開けるうちの劇団の番外公演「クリスマス、愛の演劇祭」の中の僕が作・演出する作品スノーグレーズに出演する原田健二さんの映画デビュー作「アンドロメディア」(Speed主演)の監督であったりする。

今回「座頭市」に出演している青山草太くんといえば、金子修介監督がシリーズ総監督をつとめたウルトラマンマックスで主演を務めているし、僕らの芝居も偽伝、樋口一葉農業少女と見に来てくれた。偽伝、樋口一葉ではアフタートークにも出演してもらったっけ。

なんだか、たとえ無理やり感があろうとも、うちの劇団と関係浅くない舞台「座頭市」なのであった。

何が言いたいかと言うと、

そんなうちの劇団、アロッタファジャイナが、もうまもなく渋谷のギャラリー、ル・デコ4Fで、番外公演

クリスマス、愛の演劇

を開催するってことなのである。

我田引水と呼べば呼べ。

今回、この番外公演、なにがすごいかと言うと、1週間毎日、6つの異なる芝居を連続6時間ぶっつづけで公演するって言うことだ。毎日である。毎日6時間ぶっつづけで芝居をやるのである。

観客は1日6公演連続で芝居を見てぐったりするのもいいし、見たい1本を見てうっとりするのもいい。

1公演だけみるなら1500円、6公演連続で見るなら1公演550円という格安値段でお芝居が見れるのも素敵だ。だまされたと思ってぜひ見に来ていただきたい。今日からシアターコクーンで始まる野田秀樹さん作演出、妻夫木聡くん主演舞台「キル」を見るついでに渋谷でふらりとよってみてください。JR渋谷駅から徒歩5分です。

 ■番外公演詳細(パソコンの人用)

 ■番外公演詳細(携帯の人用)

 ■番外公演ブログ

「スノーグレーズ」チラシ

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2007/09/12

蔵出し写真館2

前の記事「女太某亭日乗」の読みはなにかと問い合わせがあった。

めたぼですよ。

め・た・ぼ

めたぼ亭日乗ね。

もちろん、永井荷風「断腸亭日乗」からの借用。

ところで、1個書き終わったのでナチュラルハイな状況になっている。

だから、なんとなく、蔵出し写真館パート2!

いってみようか。

前回は、第三回公演「ベジタリアン・サマー」まで行った。

今回も、ベジサマからはじめよう。

まずレイヨナ。

Reiyona01





彼女は破天荒なキャラで那須監督もお気に入りだった。

レースクイーンらしくないレースクイーンと言おうか。

歯に衣着せずズケズケと本当のことを口にする子で

ちょっとだけ、満島ひかりちゃんに似ている。

その辛口コメント具合がね。

で、この写真は、

レイヨナの家の焼肉屋さんで稽古をしたときの写真。

休みだったのでぞんぶんに使わせてもらった。

で、最期は↓こんなかんじになった。

Keikoato






お酒も入って、どんどん撃沈されていった。

手前の水色の背中は新津君。

真ん中はサヤピコ。

向こうはだれだろ?

新津くんは朝まで元気だったけど

電車に乗ったとたん。

Niitsu01





爆睡する新津君。

次の写真は・・・

これはベジサマの楽屋だな。

Gakuya





左が吉野響子で右がナカヤマミチコ。

で、そのころ飲みに行った時の那須監督。

Nasusan02





このときはデビルマンの舞台裏のすったもんだの話をしてくれた。

ほんとうに苦しそうだったのを思い出す。

でベジサマの打ち上げのとき。

Haru03





酔っ払い、新宿の路上で意識を失う藤澤よしはる。

そして、しばらくして

楳図かずおさん原作「わたしは真悟」を舞台化させてもらうことが決まった。

監修は那須博之監督である。

で、稽古写真。

Shingo01






左から根岸絵美と上野未来、そして谷口大介。

はじめて芸能事務所に足を運び

出演交渉をして出演となったのが上野未来。

この子は普通のアイドルに無い輝きと才能を持っている。

現在、潜伏中だが、なんとか女優として花開いてほしいものだ。

いきなり飛んで、「わたしは真悟」の打ち上げ二次会にてかな?

Shingo02




 ↓時間経過
Shingo03





Shingo04





しかし、主演の上野未来は元気。

ココだけの話だけど

上野未来は歌が本当にうまい。

このときも彼女の歌声に胸がキュンキュンしていた(笑)。

そして、第四回公演「わたしは真悟」が終われば

僕はすぐに那須監督作品「真説タイガーマスク」の助監督に。

Tiger01









初代タイガーと主演タイガー。

これが終わると僕は

1月に予定されている第五回公演の準備と

映画「神の左手悪魔の右手」のシナリオ執筆に入った。

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2007/09/09

押井守監督「真・女立喰師列伝」

完成披露試写があったそうです。

僕はまだ見ていません。

が、面白そうです。

予告編を見るとわくわくします。

公式HPでぜひ予告編を見てください。

つーか、川井憲次さんの音楽聞くと鳥肌立つよね。

映画「デスノート」の音楽も川井さんが担当。

ところで我らが金子修介監督。

(映画「デスノート」監督、ぼくらの舞台「偽伝、樋口一葉」では監修を、4月の舞台「1999.9年の夏休み」ではスーパーバイザーをしていただいています)。

小学校時代は野田秀樹さんや鈴木和道さんと親友で

大学時代では一年先輩の押井守監督とあともう一人の方と三人で映画研究会をやっていた。金子修介と押井守がいる映研ってどうよ。豪華過ぎじゃん。

すごいよね。

やっぱり偉くなる人同士は近くにいて刺激しあって偉くなるもんなんだよね。

エンターテイメントを作る人間がさ、たとえ普段の会話だとしても詰まんない会話で満足できるわけがなくて、そうなると友人も特殊で面白い人間が多くなる。それが相互作用を及ぼして、それぞれのクリエイティビティを作っていく。その典型のような友人関係なわけですよ。金子修介監督の周辺は。日活の新人時代も、那須博之という特殊な才能とものすごく近くなるわけだし、自然とそういう人物と絡むようになるわけなんだなあと。もし、僕らも彼らのようになりたいなら友人を選ばないといけないよね。なんつって。

ていうか、この映画「真・女立喰師列伝」

前も言ったかもしれないけど、うちの子供たちが出ています。

予告編を見ても、五人確認できちゃいました(笑)

この映画はオムニバスなんだけど、うちの劇団員たちが出ているのは、ゆうこりん小倉優子ちゃん主演の「クレープのマミ」。

これに、野木太郎、新津勇樹、安川結花、青木ナナ、未來、坂井理会、国吉梨奈が出てい・・・るのかな?ちょっと全貌を把握してないんだけど、ていうか忘れちゃったんだけど、出ています。たぶん。しかもかなり重要な役で、とりあえず予告編の青木ナナと坂井理会には笑わせてもらいました。野木と新津ははまり役です。

公開になったら、ぜひぜひミンナ観に行ってください。

渋谷シネクイントにて、11/10(土)~11/30(金) 特別限定レイトロードショー 。特別限定レイトロードショー

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蔵出し写真館

締め切りは昨日でした。

が、まだ終わってません。

土日は休みなので月曜日までにってことで許してください。

ってことで、また煮詰まっちゃったので

何気なく、過去の写真とか眺めてたら

ナカヤマミチコや藤澤よしはるや新津勇樹の最初の出会いの日の写真がありました。

笑えます。

ちょっと秘蔵写真の蔵出しです。

Fujisawa_first





↑藤澤よしはる(通称ハル)

若い。

若すぎる。

笑えます。

大学を卒業し上京したてでした。

はじめてあって面接をした日のものです(2003年10月2日17時01分)。

Niitsu_first





↑新津勇樹(通称ユウ、いまはニイツくん)

多少若い。

でも基本変わってないよね。

芝居経験はまったくなしでした。

吉本の学校を出たところだったのかな。

お笑いを目指していたんだけど

演技力を磨きたいからとか言って面接に。

このときやってもらったネタは失笑物でしたが(2003年10月24日11時28分)

Nakayama_first





↑ナカヤマミチコ(通称みっちー)

これも入団面接(2003年10月18日16時43分)。

若い。

しかもちょっと美形。

いまの怪物状態になる前。

使用前という感じ。

しかし女優としては今のほうがいい。

いい具合に発酵してきましたな。

他人ばかりさらすのもなんなので、その頃の僕。

コメントはなしで。。。

で、その頃からずうっと僕らの支援者であった那須さん。

↓映画監督那須博之。

Nasusan01





それで旗揚げ公演には、那須さんは、佛田さんと一緒に来てくれました。

↓ルデコでやった「ナツヨイの恋歌」のときの旗揚げ祝いのお酒。

Iwai









第二回公演も同じルデコでやりました。

「ダンス・ダンス・ベイビーダンス」

ヒロインがトリプルキャストでしたっけ。

メインのヒロインは、根岸絵美。

いまは、ひょっとこ乱舞の子だね。

Negi








↑狭い楽屋で化粧中。

この第二回公演では、早くも外部からキャストを呼ぶということをやりました。

那須監督から紹介されて使ったのが片瀬まひろ。

Mahiro







↑この子はレースクィーンで芝居は初めてだったのに

天才的にうまかったなあ。

そして第三回公演。

ルデコから卒業して

今は無き新宿パンプルムスでやったのが

「ベジタリアン・サマー」

そこで出会ったのが広澤葵。

Bejisama01





横の怪物は置いておいて

可愛らしいねえ。

今はずいぶん大人っぽくなったけど。

この頃はぽっちゃりあどけない感じだった。

彼女とは「わたしは真悟」「錆びた少女」「偽伝、樋口一葉」と芝居を重ねることになる。

であったときはそうなるとは思っていなかったなあ。

芝居はぜんぜんうまくなかった。

でも女優をやりたいという根性が違った。

いまアロッタのファンをしてくれている猫さんやネギ星人さんや今回の番外公演に出演してくれたはじめちゃんさんとかとも知り合わせてくれたのが彼女。

今でも僕のよき相談相手だ。保母さん気質なんだろうね。

今回は、蔵出し写真館でした。

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2007/09/04

振り出しにもどる

9月2日「君といた夏」最終日。

朝11時入り。

「振り出しにもどる」

ちゃんとできたろうか、そう考えながらルデコ入り。




「振り出しにもどる」とは、

みんなには言ったのだけど、初日の朝、ルデコに持ち込んだ那須さんの遺影と向き合っているときに僕の耳元で聞こえた那須さんの言葉だ。

那須さんの声が聞こえた、なんていうと渡来くんは「またまたぁ(笑)」と言うが、ほんとなんだから仕方が無い。

その日の朝も、がらんとしたギャラリーで那須さんはこういったのだ。

「ナベカツ、振り出しにもどったな」

アロッタは創設4年目だ。

「振り出しにもどる」っていうのはあまりいい意味じゃない。

なんだか4年が水泡に帰した・・・そんな意味に聞こえる。

確かに、旗揚げと同じ場所で予算的にもかなり小さな芝居をやる。一番料金の高い農業少女だって旗揚げ公演と同じ値段だ。動員だって、ギャラリーのキャパもあるし、旗揚げ公演レベルのはずだ。今回は宣伝にぜんぜんお金をかけていない。

だから僕の心のどこかに今回の番外公演は悪い意味で「振り出しにもどってるんじゃないか」そういう危惧があって、そういう僕の思いが那須さんの言葉として、僕の耳に聞こえたのかもしれない。僕には映画の仕事があって、こんなところで「振り出し」にもどってる場合じゃないんじゃないのか?そう、どこかで僕自身が思っていたのかもしれない。それが那須さんの声となって聞こえた・・・。

しかし、そうじゃない。振り出しにもどったわけじゃないんだ。

そう信じたい。

そういう気持ちが僕の中にある。

なので、僕は聞こえた那須さんの声に向かって即座に反論した。

「そういうことでも無いんじゃないかと・・・思います・・・」

だが、その返事は強く主張できるようなものではなかった。

僕自身、心が揺らいでいるのだから。

ほんとうに振り出しにもどってしまっているのかもしれない・・・

そう、どこかでおびえている・・・

しかし、那須さんがその動揺する僕に返した言葉は僕の想像を超えた言葉だった。

那須さんは次にこう耳元でささやいたのだ。

「人間てのはな、なかなか振り出しにもどれねえもんなんだな」

その言葉、那須さんの言葉は僕の中で僕が勝手に作った言葉かもしれないが、それでも僕は那須さんの言葉に、目からうろこが落ちたような気がした。

「人間なかなか振り出しにはもどれない。なのにもどれるお前らは偉いよ」

そういう意味で、那須さんは、那須さんが生きていた時と同じように僕と僕らをほめてくれたのだ。

その朝の那須さんの言葉を聞いて、大いに胸を張って「振り出しにもどる」それが僕の、僕らの、今回番外公演のテーマになった。

それから5日の公演が終わり、最終日の朝。

ちゃんと「振り出し」に戻れただろうか、僕は自問自答しながらルデコに入った。

「おはようございます!」

みんなが時間にそろっている。

受付の準備をしている。

会場を掃除している。

発声練習をするもの。

コントの掛け合いの確認を最後の最後までするもの。

芝居の台詞を最後まで直すもの。

今回公演ではじめてやった音響や照明のプラン確認に最終日まで血眼なもの。

客入れ客出しのスムーズで失礼の無い段取りを考えているもの。

芝居に出ながらも音響やったり照明やったり会場整理をやったり物販をやったり・・・普通役者は役者に専念したいからスタッフワークを任せると不満を抱くのがパターンなんだけど、誰もそれに不満を抱かないでやっている。不満を抱かないどころか、楽しんでいやっている。

スタッフキャストみんながみんな連日のハードなスケジュールにもかかわらず生き生きと目を輝かせている。

楽しい。

「芝居が大好き」

ただそれだけ。

そこに戻ってきた。

僕たちはそこに戻ってきた。

「芝居なんかをやってる人間は狂っている。

あれは一種の治らない病気だ。」

日本銀行を辞めるときに上司にそういわれて止められた。

その通りです。

その狂気に罹患した者だけが映画を作り演劇を作る。

僕らはそんなところに立っていたのだ。

そこに戻ってきた。

僕らはちゃんと「振り出し」に戻ってきたのだ。

そして僕は微笑む那須監督の遺影に向かって言った。


















イェイ!(遺影)


・・・・駄洒落かよ!

不謹慎で申し訳ないm(_ _)m

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2007/07/21

「出会う」才能

自分には才能がある。
しょっぱなからヘンテコリンな始まりで申し訳ないが
正直な話、ほんとうにそうなのである。

なかでもすぐれているのは
「出会う」
才能である。

僕のことを親身に考えてくれる先輩、
ひきたててくれる先輩、
一緒に悩んでくれる仲間、
慕ってきてくれる後輩、
仕事上の関係でも
仕事を超えて家族のような関係になることが多い。

しかも、そういう先輩や仲間、後輩に出会う確率が高いのだ。
よそよそしい仕事だけの関係にあまり出会わない。
僕はよく仕事とプライベートの分け目は無いと言っているのだが
それは実感で、
人生がすべて仕事とも言えるし
プライベートとも言えるし、そんな生活をしている。

日本銀行にいるときにもその片鱗があったが
芸能の世界に身を置く今となっては
それが如実に開花しており
僕の周りはほんとうに素敵な人でいっぱいだ。

そして、
ぼくのその「出会う」才能は
人生においての「出会い」だけでなく
町で偶然「出会う」系の「出会い」も劇的に演出する。

那須さんが生きておられる頃、
やっぱり那須さんは芸能階級的に偉い人なので
会いたくても、簡単に電話して「会いましょう」みたいに言える間柄じゃなかった。
言えたのかも知れないけど、
僕的には、なにか会うための新ネタが無い限り
友達みたいに会いましょうとはなかなか言えなかったのだ。
で、忙しく、新ネタを仕入れることができなくて
那須さんに電話する口実も無く
なかなか会えない時期があった。
けど会って話したい、
というまるで恋人を思うような感じで思いを募らせているときがあった。
(ちなみにわれらはゲイではありませんぞよ)

そんなある日、
人とあって帰ろうと新宿駅のホームにいるときである。

ぼーっと向いのホームの人ごみをみていると
「!」
那須さんが居たのである。
とたん隣のホームに次の電車がやってきた。
乗り込まれたらもう会えない。
思うと僕は走り出していた。
間に合う時間も無い距離を信じられないスピードで走ると
気がついたら僕は那須さんの前に居て
那須さんもびっくりして
「おう!?ナベカツ」
なんて笑われた。

それから、その那須監督つながりで渋谷飛鳥ちゃん。
彼女とは街中で偶然、2回も出会っている。
このだだっぴろくてゴミゴミしている東京でだよ。
ありえない確率でしょ。偶然会うなんて。

1回目は、まだ互いの面識も無い日。
時期はいつか忘れたけど
那須さんが生きておられる頃だと思う。
地下鉄の車内で会った。
面識が無いというか
ぼくは渋谷飛鳥ちゃんのことは
那須さんから聞いていたし、
ちょうどその時飛鳥ちゃん主演で
映画「神の左手悪魔の右手」の脚本を書いているときだったし
顔は知っていたので、
電車に乗ってきた美少女を見つけると
とっさに声をかけてしまった。

飛鳥ちゃんの主演映画のことを
日々考えているとき
ふと顔をあげると、そこに本物の渋谷飛鳥がいたんだよ。
これスゲー驚きじゃない?
シナリオでそんなシーン書いたら、
できすぎだよーと駄目出しされるの確実な展開。

その電車であった数日後に、
渋谷でほんとうの顔合わせがあった。

それから、那須さんの葬儀のとき。
これは偶然僕が会ったということではないけど、
控え室で彼女が座った席のまん前に
楳図かずお先生が座ったのです。
これは案内されたわけではなく偶然で。
とっさに僕は楳図先生に
向いの美少女が飛鳥ちゃんで
「神の左手悪魔の右手」で那須さんが主演させたいとずっと言っていた女の子ですと説明させていただいた。

と、そんな因縁のあるというか、偶然僕の前に現れることが多く、なにか運命の糸を感じる渋谷飛鳥ちゃんなのだが、これまた先日偶然新宿駅でばったり出くわした。

その日、渋谷で用事をすませた僕は家に帰るだけだったのだが、なんとなく新宿によろうと電車の中で決めたのだった。で改札を出ると「!?」目の前に美少女が!渋谷飛鳥ちゃんである。

あ、ちなみにさっきから美少女美少女言ってますが、これ、このひと本当に美少女なんですよ。ぼくも映画や舞台をやっていて美女と接することが、普通よりも多いと思うのだけど、彼女はかなり別格、たとえて言えば、美の女神が本気を出して造形した美女というか、彼女に比べると普通の美女は美の女神が居眠りをしながら作ったんじゃないかと思えるぐらいの、彼女は本気の美少女で、だから美少女というのは渋谷飛鳥ちゃんの代名詞。

その美少女が目の前に。
しかもかなりお疲れのぼーっとした顔で(笑)

「おお!?」

とお互い再会に驚くと涙し、しっかりと抱き合ったのでした(そんなわきゃーない)。

その出会った改札前で近況についてお互い語り合ったのだけど、10分ぐらい?もう目立つ目立つ。来る人、来る人、振り返るから。なんどもいうけど、本当に飛鳥ちゃんは目の覚めるような美人なんだよ。

で、その場で別れた僕は、偶然出会った驚きを誰かに伝えたくて、オスカーのO部長に電話してしまいましたよ。ここまで来ると「運命の人」だね。飛鳥ちゃんは、美人というのだけではなく、芝居もうまいし、声も通るし、度胸もあるし、なんか絶対すごい女優になる。なってほしい。なるしかない。なればいいさ。なればなるときならんことにはならん。那須監督の最後の弟子同志でもあるし、彼女に対してはほんと他人に思えない気持ちを抱いている。えなり君にやるわけにはいかない。彼女の良さをいかせる本を僕ならかけるし、彼女主演で舞台とか映画とかなんか作れないかなあ。

しかし、飛鳥ちゃん最近なにやってんのかなあと思って、ググったら、なんとブログをはじめていたのね。

 → 渋谷飛鳥ブログ『しぶさん家』

お、あ、誕生日だったんだ(^-^;
おめでとうございます。

しかもドラマ出ている・・・。
そういえば、こないだ会った時も
ウルルンみてないと言ったら攻められた。
やばい。
O部長に頼んで見せてもらおうっと。

しかしブログやりたてではしゃいでるのか、一日に三回も更新してるぞ。
ファンへの回答も丁寧でよろしい・・・って俺は先生か。

どんなドラマやってんのかなあ・・・
TBS「肩越しの恋人

とTBSのページにいったら、ここでも飛鳥ちゃんが記事を
肩越しの変人

恋人じゃなくて変人・・・・・・ってお笑いかよっ!

しかし、このイラストうまいなあ。
ぷよぷよ浮かぶ「変人くん」が素敵だ。
絵の才能もあるんだね。

変人くんがカラーになってるし・・・

その調子でがんばってくれ飛鳥くん。

あれ、何の話だっけ?

そうそう、僕には才能があるって話でした。
「出会う」才能ね。
で、渋谷飛鳥ちゃんとは出会いまくっている。
これ何かの運命だと思うんだよね。
ちゃんと面倒見ろよという那須さんからのメッセージかもしれないし。
よし、飛鳥ちゃんとなんか面白いことできたらいいなあ。
舞台とか映画とか。
来年の今頃にはなんかやってたいなあ。

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2007/04/16

小説を書く

ぽつぽつとまたやらなければいけないことが増えてきた。
その中でも一番いまやらなければいけないのは小説を書くことだ。

そもそも僕は小説家になりたかった。
小さい頃の思い出である。

実際、小学生の頃書いていたのは小説で
伝奇小説と政治小説の合体したようなものを書いていた。
どんなものを書いていたかというとちょっと大人びていて「中国での反共産革命を支援しているのが日本の政府で、その政府が第二次関東大震災で瓦解して逆に中国のあやしい呪術師たちの攻撃にあう」というような小説を小学校、中学校と書いていたwww。
あと実は漫画アニメ部で、漫画も描いていた。
いま駒沢大学で教鞭をとっている吉村誠と2人で競作をしていた。
僕がキャラクターとキャラクター設定を作り、吉村がメカのデザインとかをしていたwww。
装甲騎兵ボトムズとか漫画版風の谷のナウシカとか聖戦士ダンバインとかの影響をもろに受けていた。
高校のときは西行法師の話を小説風に書いて授業で発表した思い出がある。
家にあったキャノワードかなんかで書いた。
断片的な思い出で、いまやそれがどんな文脈で生じた事態なのかは忘れてしまったけど。

それが夢の遊眠社・・・野田秀樹さんに会って演劇の方向に変わった。

はじめての戯曲を書いたのは高校一年のときだった。
手書きで書いており、内容といえば、二つの話がオーバーラップして進むと言うもので、その一方の世界が修学旅行の少年たちの世界(遊眠社お得意の)で、彼らはいたずらっ子で、夜に宿舎を抜け出すと、置かれた仏像たちの間であそぶのだが、もう一方の世界は、その仏像たちが生きて動き出す世界で、逆に少年たちは置物として固まるのだけど(これは野田さんのキルみたいだが、ちなみに僕のほうが野田サンよりも先に考えていた(笑))、この仏像たちが演じるのは、義経と頼朝の骨肉の争いの話し、そして義経と静御前の愛の話なのである。それが少年たちの話とシンクロして・・・みたいな話を書いて、「なんだ野田秀樹の芝居って俺でもかけるじゃん」なんて思っていたのが高校一年のときだ。

しかし、話はまた二転三転し、僕は大学に入ると経済学と言う学問が大好きになってしまった。ほんとうは、京都大学に入って、西の野田秀樹になる・・・なんて思っていたわけだが、演劇はどこ吹く風で、まるっきり経済学に打ち込んでしまった。

で、日銀に入る。

理由は、経済学の解くべき問題の中心が、いかにしてモラル=信用を維持するかという問題に集約されると考えたからで、それは端的に、貨幣価値、信用秩序を維持する場所=日本銀行に他ならなかったからだ。そのことには僕の天皇制に関する問題意識も強く絡んでおり、日本銀行以外の就職場所は考えられなかった。ふつう色々と就職活動を行うものであるが、僕はどう考えても日銀以外を受ける理由が見つからなかったので、日銀に採用されるあても無いが受けることにしたのであった。今となってみれば、あれが不採用だったら僕はどうしていたのだろう・・・。とは思うけど、結局やめたので関係はないけどね。

で、日銀に入って、仕事のストレスもあり(楽しくはあったのだけど)、小説を書くことに逃避を始めた。これは小説たるもの「かくあらねばならぬ」的なモノで、あまりにも肩肘を張って書いたものであって、世に出すことにはならなかった。しかし、最初に書いた半分私小説の「貨幣」という、まあ、タイトルも肩肘張っていて笑えるのだが、これはたまに読むけど、僕は好き。だけど、どうも言葉遣いが難しい。それが肩肘張ってる感をかもしだしているのだけど、これをやわらかくすれば何とかなる代物かもしれない。ただし「純文学」を目指したのでめんどくさいと言えばめんどくさい。

その後、日銀をやめ、劇団をはじめるが食えず、流れでNHKハイビジョンサスペンスのプロットを書き、三枝建起さんに褒められ、その気になり、東映デビルマンに参加して那須博之監督と死ぬほど懇意になり、そしてアロッタファジャイナの創設、木村さんとの出会い、楳図さんとの出会い、成田さんや平田さんとの出会い、TBSの大木さんとの出会い、那須監督の死、金子修介監督との出会い、映画「神の左手悪魔の右手」、TBSの短編ドラマ、総務省のネットシネマ、映画「デスノート」・・・・・という流れでいままで歩いてきている。

そんな流れの果てに
「小説を書きませんか?」みたいな話があったのである。

「偽伝、樋口一葉」が終わったあとだったけど。
これは願ってもいないお話。
楽しんで書きたい。
僕のもっとも書きたいと思っていた類の小説がかけそうだ。
それは小学校の頃に書いていたような小説。
小説家とか純文学とか肩肘を張らずに、本人が面白いから書いていた、それだけの小説。

・・・・なんてブログを書かずに、はやく小説書けよ。
そういう声が聞こえてきそうなので、書きます。

ひとまず現在、東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んでいます。
これすごいよ。
前作「動物化するポストモダン」は那須監督と僕の共通の知識となっていたけど、いま那須さんがこれを読んだらなんていうだろうか。なんて考えながら読んでいる。

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2007/02/27

今日は那須監督の命日です。
もう2年もたつんだなあ。

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2007/01/28

誕生日の夜

1月27日は僕が父と慕う故・那須博之監督の誕生日である。

で、金子修介監督、TBS大木ディレクター、東映の菊地プロデューサ、そして野木太郎の5人で、那須真知子さんの待つ那須監督の家に行った。途中から野木太郎の父親で、那須真知子さんの弟野木大介さんも参加。

目的は、那須監督の誕生パーティーとそして今度おこなわれる三回忌「那須博之監督を偲ぶ会」のための打ち合わせである。

真知子さんはライターとしても天才的な才能を見せるのに、実は料理の腕前もプロ級。

那須監督の遺影にそれぞれ挨拶をしビールで乾杯。そして那須真知子さんお手製の料理の数々に舌鼓を打ち、那須監督の思い出話に笑う。

この三回忌は、東映株式会社の社長岡田祐介氏の肝いりで、かなり大々的なものになる予定。 今日は、その会をどうやるかの打ち合わせをし、当日飾り付けたりなんかする那須監督の思い出の写真を選ぶために集まったのである。 那須監督らしい会にしたいと皆が考えている。目玉として金子修介監督編集の「那須監督物語」が上映される予定。

真知子さんの極上手料理、仲村トオルさん銘柄のめちゃうまい日本酒、そして那須博之監督の奇想天外な思い出話。那須監督を思い出す皆が笑顔になる。那須監督ってほんとうに魅力的な人だったのである。だから時を経ても皆ますます那須監督が好きなのだ、そんなことを分かり合える素敵な人たちばかりで、ほんとうに楽しい夜をすごすことが出来た。

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2006/12/26

デスノートとか神の左手とか・・・

少しだけ今年をかえりみます。

結構、ディープでした。
まず昨年作り終えたTBS生命スペシャル内で、
僕の初テレビ作品
短編ドラマ2本「河童」と「まる。」が放映となりました。
同時にデスノートの話が来て
結局デスノート前編後編にびっちりとたずさわりました。

僕の人生いきなりのビッグプロジェクトでした。
脚本ではなく、監督補、脚本協力という立場でしたが
なんだか恐ろしく熱中したというか
関わるものとして必死に
この映画をよりよくしようと力を尽くしました。
いろいろな経験ができ、また努力の甲斐も感じられ
結果として、デスノートは大ヒットもしているし
なんというかほんとうにやり遂げたとの思いの強い仕事になりました。
楽しかったですし。

プロデューサー、監督、脚本・・・と皆が一丸となって本を作り
そして現場では、スタッフキャストがこれまた一丸となって作品を作る。
こんだけ大きな予算をかけている映画なのに
「神の左手悪魔の右手」なみに結束の固いスタッフ現場でした。

またこのデスノートの合間に
僕の初シナリオ映画楳図先生原作「神の左手悪魔の右手」が上映になりました。
僕の父であり師である那須博之監督と企画し作り上げた台本を元に
昨年夏撮影された映画です。
那須監督の通夜で知り合い、
現在、もっとも深く影響を受けている金子修介監督、
那須監督に続く第2の師である金子監督との
記念すべき第1回目の仕事にもなっています。
この仕事が無ければ世に出た映画「デスノート」も違うものになっていたでしょう。

「神の左手悪魔の右手」
についてはメイキング作成の手伝いもして
広澤葵嬢にナレーションをお願いしたりもしました。

ロフトプラスワンでの楳図先生のイベントに
金子監督、成田プロデューサーとともに出演したりもしました。

それから一本、
僕が見つけてきた原作の映画化プロジェクトを動かしました。
これはきっと来年撮影となるでしょう。
プロデューサ見習いとして
はじめて他のライターさんの本直しにつきあったりしました。
右往左往、いろいろありましたが、
結果として、原作のいいところを本当に大事にした
良い本が出来上がったと思っています。
来年の撮影がほんとうに楽しみです。

また1本、王様・木村俊樹プロデューサのもとで、
死ぬような思いをして書いた作品、
映画「ラブレター蒼恋歌」も映画として完成し、
無事上映の運びとなりました。
来年にはDVDになります。

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2006/12/22

やばい発売!!!

今日です。12月22日。
僕の初めての映画脚本執筆作品
神の左手悪魔の右手
原作:楳図かずお先生、監督:金子修介カントク、主演:渋谷飛鳥ちゃん
映画監督那須博之にささげる映画。
そのDVDがついについについに発売です!!!

今回、装丁もかなりかっこいい!!
Kamihidarite









ぜひぜひ買ってください!

『神の左手悪魔の右手』DVDを買うなら・・・パノラマ

で、このDVDにはすげー得点もついているっス!!!

ギョエーッ!!!!!

《特典映像》
●メイキング
別売りDVD『恐怖考察記 [ドキュメント・オブ]神の左手 悪魔の右手』とは違う視点から描く、恐怖の舞台裏。

●プレミア試写会舞台挨拶
渋谷飛鳥のサプライズ・バースデー イベント試写で行われた舞台挨拶模様。

●公開初日舞台挨拶
1回目上映後と2回目上映前の2回行われた原作者、監督、キャストの舞台挨拶。上映前なのに楳図先生がネタばれトークを!!など、同じに見えてもガラリと違う模様を収録。

●楳図かずおインタビュー
●渋谷飛鳥インタビュー
別売りDVD『恐怖考察記 [ドキュメント・オブ]神の左手 悪魔の右手』とは違う新撮取り下ろし。 

●《楳図祭り2006 @ ロフトプラスワン》
新宿・ロフトプラスワンで行われたUMEZZ.com初のイベントの模様を収録。ゲストは金子監督と脚本の松枝佳紀氏。

■品番:DB-0033
■価格:\3,990(税込)
■片面2層/カラー/約150分(本編95分)/16:9BLビスタサイズ
■音声:日本語、2.0chドルビーデジタルサラウンド
※本編の音声は、ドルビーサラウンドSR方式で製作された劇場用音源を収録したものです。
■字幕:なし
※15歳未満の方の視聴は避けてください。
※収録内容は予告なく変更されることがございます。あらかじめご了承ください。
■発売元:東芝エンタテインメント
■販売元:松竹株式会社 ビデオ事業室

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2006/12/13

「偽伝、樋口一葉」閉幕

アロッタファジャイナ第7回公演
「偽伝、樋口一葉」
全8回公演、好評のうちに終了することができました。
ご来場いただいた皆様、スタッフ・キャストの皆様、そのほかご協力いただいた皆様、関係各所、各キャストの所属事務所さま、本当にありがとうございました。お花や、差し入れを届けていただいた皆様、ありがとうございました。
初日は、僕の不手際で開場を30分も遅らせてしまい、並んでいただいた方々に、本当に寒い思いをさせてしまいました。まことに申し訳ありません。その不手際の幾分かを芝居でお返しできていればうれしいです。もちろん2度と同じことのなきように注意します。
監修の金子監督には、練習ばかりではなく、宣伝にご協力いただいたほか、本番公演もほぼ全日程観劇いただき、毎晩、次の日の公演をよくするための本直し、演出直しに、終電ぎりぎりまで協力してもらいました。返しきれないほどのご恩を受けました。本当にありがとうございました。

---------------

今回公演は、故・那須博之監督が映画化を構想していた「樋口一葉の人生」を舞台化してみよう、そういう思いから始まったのですが、那須監督の目指していたものと同じになっていたかどうかは分かりません。というか、確実に、僕の書いた「樋口一葉」になってしまっています。が、天国の那須さんはあのダミ声で「ありだ、あり」そう言ってくれている気がします。那須監督が「ありだ、あり」そう言ってくれる作品となっただろうことは、本当にほっとします。ただ、僕の中で樋口一葉をこれで制覇したという気持ちがあるわけではありません。いつの日か、もう一度、樋口一葉と対決したいと考えています。

今回公演は、アンケートやmixiなどの劇評でも概ね好評で、というか過去の作品の中で一番評価を受けている気がします。僕的にも、今回作品、無茶をしたなという感じがとても強いので、その無茶をした作品が評価を受けていることについては、ほんとう心からうれしいです。

無茶をしながらも、今回公演がこんなにも好評をいただいた理由の大きなものとして、「役者陣がたゆまず努力をしていたこと」があげられると思います。演出家松枝としても、あらためて役者というのものの存在意義を知る良いきっかけになりました。満島ひかり、俊藤光利、渡来敏之という黒船の来航が、他の役者陣を触発し、演出家を触発し、監修を触発し、それがまた皆を刺激しあい、最後の最後までぎりぎりと努力を続けたことが、今回作品を確実に良いものへと変えていった。「たかが小劇場」「たかが1ヶ月半」そう考えれば、妥協し手を抜き首をすくめやり過ごすことも出来たはず。だが監修の金子さんも、僕らスタッフも、ひかりチャンら役者陣も、誰一人、「たかが」そう思わずに、「本気」でこの作品と向き合い、戦ってきた。それが、この作品が高評価を受けたことにつながっている。それは本当に喜ばしいことだと思う。

---------------

いずれにせよ、仲間内の努力はともかく、お客様に見ていただかないことには作品は完成しない。また、たくさんのお客様を前にすると、芝居が不思議と輝きだすというのも事実。確実に今回作品は、スタッフ、キャストのみならず、たくさんのお客様が居て、最高のものに仕上がったのです。お客様のおかげです。ほんとうに多数のご来場ありがとうございました。次回は、4月はじめ、吉祥寺シアターです。今回面白いと思ってくださったお客様は是非お友達を誘ってきてみてください。今回面白いと思えなかったお客様も、あきらめずにもう一回のチャレンジと考えて来てみてください。皆様の声援、叱咤激励があり、はじめて僕らの芝居が完成します。かならずや期待に沿える公演をうちます。今後とも、アロッタファジャイナをどうぞよろしくお願いします。

----------------
p.s.
皆様の今後の公演などにかんするご意見を
mixiのアロッタファジャイナのコミュニティでお聞きしたいと思います。
mixiで会いましょう!
http://mixi.jp/view_community.pl?id=915803

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2006/12/04

それだけが舞台の成否をわける

音響ヨシモトシンヤさんに初めて「通し」を見てもらった。
芝居後、打ち合わせ終わりに

「これ、面白い芝居ですよ」

と真顔で言ってもらった。
役者の完成がまだまだで内心いらいらしていた僕は
音響さんの言葉で少しほっとした。
毎週毎週たくさんの舞台を見ているスタッフさんに
「面白い」といわれることは僕的にはなによりもうれしい。

しかし、役者の演技にむらがあるのは事実。
演技と言うか思うに「本気度」なのだが
「ま、いいか」なんて思いがあるとすぐにヘボイ芝居をする。
今日は良かった役者も気を抜くと明日にはトンでもない芝居をする。
もう稽古の回数は無い。
無いが僕はこのことはプラスに働くと思う。
後は無い。
もう本気を出すしかないのだ。
余裕がある、余裕が無い
経験がある、経験が無い
才能がある、才能が無い
若さがある、若さが無い
・・・
そんなことにはもう関係なく
本気であるかどうか
それだけが舞台の成否を分ける。
僕らはいまそんなところにいる。
「本気を出す」
その後もはや僕らは
すがすがしい思いで観客の、
そして天国の那須さんの審判を仰ぐのみである。

--------------------------------
本日発売のスポニチ芸能欄に
「偽伝、樋口一葉」の記事が出ています。
僕らサイズの小劇団で
こんなところにでっかく記事が載るのは
ちょっと画期的なんじゃないかと思います。
関係各者、スポニチさんありがとうございました。

あと本日夜東京FM「イブニングファイル」では
監修の金子修介監督がゲスト出演。
映画「デスノート」の話、
今回舞台「偽伝、樋口一葉」の話をされる予定です。
ぜひお聞きください!!

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2006/11/15

あ、間違えた!!

前の記事、リンクがバリバリ間違ってました!!

こんなん作ってみました。


「偽伝、樋口一葉」五つのみどころ

 (1)作・演出、松枝佳紀、初めての時代劇!?
  http://www.alotf.com/ex/exp01.html

 (2)監修をあの大ヒット中「デスノート」の金子修介監督が!?
  http://www.alotf.com/ex/exp02.html

 (3)一葉は昼ドラのヒロイン!?
  http://www.alotf.com/ex/exp03.html

 (4)一葉なのに二人!?
  http://www.alotf.com/ex/exp04.html

 (5)そのほかユニークで「おもしろ」な客演陣!?
  http://www.alotf.com/ex/exp05.html

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デスノートから樋口一葉!?

こんなん作ってみました。


「偽伝、樋口一葉」五つのみどころ

 (1)作・演出、松枝佳紀、初めての時代劇!?
  http://www.alotf.com/ex/exp01.html

 (2)監修をあの大ヒット中「デスノート」の金子修介監督が!?
  http://www.alotf.com/ex/exp02.html

 (3)一葉は昼ドラのヒロイン!?
  http://www.alotf.com/ex/exp03.html

 (4)一葉なのに二人!?
  http://www.alotf.com/ex/exp04.html

 (5)そのほかユニークで「おもしろ」な客演陣!?
  http://www.alotf.com/ex/exp05.html

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2006/11/10

「偽伝、樋口一葉」交流会~久々の那須組

先日「偽伝、樋口一葉」の稽古がうちのそばであった。
帰り、数人と夕食をとりながら交流会を開こうということになった。
場所は僕の家。
いつもならしている鍋の用意もなんにもしていなかった。
あわててコンビニでいろいろ買い込み飲み会。
メイキングの新生璃人さんが先日誕生日を迎えていたので
機転を利かせた安川祐香がケーキを買ってくる。

ちなみに交流会。
今回、主演の満島ひかりちゃんをはじめ
「アロッタ」に参加するのが初めての人が多く
また、役者20人と大所帯なので、ほっておくと
なんの交流も無く本番に突入しかねない。
映画などは、もうちょっとドライで
プライベートな付き合いはむしろ無いほうがよく
現場の瞬発力が重要だったりする場合もあるのだが
芝居は経験的に言って、団体的な結束が重要であったりする。
つまり、今回はなるべく僕のほうからも
みんなと交流を持ちたい。
良い作品を作るためには、
アイディアや不満いろいろと吸い上げる必要があるしね
というのが僕の運営スタンスだからだ。

交流会だから、別にまじめに芝居の話をするだけではなく
馬鹿話を含めてして、「ああ、こいつこんなこと考えてんだな」とか
お互い思うようになってくれればいいという風な感じで飲む。

いろいろメンバーがいるが
今回、僕の勝手な思い入れでメンバーに加わってもらった人が何人かいる。
とくに俊藤光利くんについては彼のデビュー作品が
那須博之監督「新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3」
というのが僕にとっては胸キュンだ(笑)。
彼のお父さんの六本木にあるお店も那須監督の行きつけで
僕は那須さんに連れられてしょっちゅう行ってたし
俊藤くん自身が働いているときにも一回ぐらい行ったことがあるような気がする。
那須さんが亡くなった時も、僕はすぐに俊藤くんのお店に電話をして訃報を伝えた。
東映「デビルマン」にも俊藤くんは出演している。
那須さんも、押尾学と俊藤光利の二人については
思い入れがありよく楽しそうに思い出を話していた。

で、その日の練習後の交流会も、
そもそもは僕が俊藤くんと那須さんの話をしたかった
というのもあって開かれたのであった。

当然みんなで俊藤くんのデビュー作
「新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3」
をみる。
本人は照れていやがっていたが皆で笑いながら見た。
俊藤くんは総長の木原役をやっているのだが
木原が単身敵地に乗り込み返り討ちに会いぼこぼこにされるシーンでは
なかば俊藤くん(23歳!)は本気で殴られていたと言うことを笑いながら教えてくれた。

那須さんはなんでも「本気」が好きで中途半端な嘘は大きらいだから
たとえば日活時代の名作「美少女プロレス」にしても
山本奈津子さんら女優達に本気でプロレスを習わせたりする。
「代打教師。秋葉真剣です」のラストのラグビーシーンでもそうだけど、那須さんの作品を見るものは、ストーリーとは別に、ただひたすら何事かに真剣に「本気」で取り組む人間と言うのもに感動できる。見るものは、那須さんの映画には、「本気」で生きる人に対する優しく熱いまなざしが満ちているのを知るだろう。
「本気」それが那須博之の作品と人生のキーワードのひとつであるのは間違いが無い。

で、「新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3」だが、「本気」につくるべく、那須さんは本当の暴走族たちを東映は撮影所に招いた。で、族の方々は「本気」なものだから、本気で東映撮影所の敷地内で暴走族を演じ、その騒音たるやすごくて周囲から苦情が入って謝ることになったというようなこともあり、まあ、那須さんはそれを笑いながら楽しそうに話すんだけど、俊藤くんから聞く那須さんの姿もまさにそれで、那須組名物のオーディションマラソンなんかの話は俊藤くんの達者な那須監督の物まねもあってほんとに笑えた。あとやっぱりテストの多さに辟易して、ようやく本番だろうと思ったところ、那須さんが「じゃ、次、本テス行こうか」とあのダミ声で言ったという様な話は那須さんを知っていればもう大爆笑である。

お酒も回って那須さんの話もして気分が良くなった僕らはそのまま深夜に近所の焼肉屋にいったりして朝まで語り合ったのだけど、乗りに乗った俊藤くんが笑いながら「じゃ、うちらの芝居にしのぶ呼びますか?」と言ったときには「え?誰?しのぶって」となったが、そう俊藤くん寺島しのぶさんのイトコなのだ。忘れていたが僕が尊敬してやまない名プロデューサー俊藤浩二さんのお孫さんなのだ。ていうかおばさんが富司純子さんだし、いや、忘れてたけど、あなたサラブレッドなのね・・・。しかも、寺島さん、よく考えれば(よく考えなくても)「書く女」で一葉を演じてる・・・。聞くと俊藤くんは見に行きたかったけど「書く女」を見に行かなかったらしい。俊藤くんは僕らの芝居「偽伝、樋口一葉」では一葉の師匠であり恋人?の半井桃水を演じるのだが、「書く女」を見に行ったら、筒井道隆さんの半井桃水像が刷り込まれてしまう。純粋に自分の桃水像を作りたかった俊藤くんいわく「寺島しのぶの一葉は見たかったけど、筒井さんの桃水をみてしまわないように「書く女」は見に行くのをやめました」と。なるほど。

焼肉屋を出て、またいったん僕んちに戻る。
で、僕が出したのが「デビルマン」のロケハンのビデオ。
東映制作部の木次谷さんが那須さんと二人で廃墟めぐりなどしていたときに撮ったビデオである。
皆が眠いのはわかっていたのだけども、どうしても僕の大好きな那須さんを見せたくて半ば強引に見せてしまった。
那須さんを知っている俊藤くんが、「那須さんだぁ!」と大笑い。
画面向こうの那須さんが色々話しているが
これはいわゆる那須語で、なかなか素人には分かるものじゃない。
しかし、那須さんの「本気」は伝わるんじゃないかな。画面の中の那須さんは小さなビデオカメラを片手に廃墟の中を歩く。那須さんが空を撮る。廃墟の壁を撮る。階段を撮る。木々の間に潜む何かを追いかける。そのまなざし。少しも楽をしたり、こなしたり、中途半端だったり、なめたりしない「本気」のまなざし。久しぶりに見て僕は、ああ、やっぱり僕はこの人が大好きなんだという気持ちで一杯になった。血のつながらない息子の僕としては彼の「本気」これを受け継いで行きたい。だから今は「偽伝、樋口一葉」に本気でぶつかっていきたい。きっと那須さんは今の僕らのこともどっかから「本気」で鼻息荒く見ているだろうから。役者のみんなにも「本気」でぶつかってもらいたい。きっとその「本気」は観客に伝わるだろうから。「本気」それが僕らのテーマだ。

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2006/10/31

一年限定劇団

DEATH NOTE前篇放映の反響冷めやまないなか
舞台の稽古がけっこうな勢いで入っている。
前回公演「錆びた少女」は
同時並行的にいろいろ映画のお仕事があり
休みがちであったが
今回は目指せ皆勤賞の勢いの取り組みである。

ぼくにとって舞台は仕事と言うよりも
原点にある情熱と言うわけだが
ただし収入には結びつかないので生活は苦しくなる。
苦しくなるからって、
この原点を見失い未来に対する種をまかねば
生きる意味も無いのであって、
ここはむしろ生活が苦しくなるのを楽しまねばならない。

舞台をするにあたって僕は毎回自分にハードルを科している。
たとえばそれは集客の面であったり、趣向であったりである。

そして、まずなによりも
劇団アロッタファジャイナを立ち上げるにあたって、
「一年限定劇団」
を掲げていた。

どういうことかというと、
まあ、だらだらと生きたくはないということだった。

一年限定死ぬほど公演をやり(結局、5公演うった)、
「食うこと」、この世界で「食うこと」、
それが見えなければ辞めよう、というのが気持ちであった。

そして現在も続けていると言うのは、なんとか「食うこと」がギリギリはギリギリなりに成立するようになったということで、それは自分的には本当にラッキーなことだなと思っている。劇団を立ち上げて二年目で食えるようになるのは、貧乏とは言っても、バイトせずにやっていけるということは、スゴイことだなあと思うわけで、もちろん、それは劇団の収入から得るものはゼロなので、ほとんどすべて映画の仕事からの還流なのだけども、当初「一年限定劇団」を志としてかかげ、その勢いで公演をこなし、いろいろな人の信頼を勝ち得、映像の仕事につながっていったわけで、つまり、「一年限定劇団」を志としてかかげがむしゃらにやっていなければ、今の今は無いだろうと思う。

そして何よりも那須監督の存在である。
初演から全部を見てくれている。
そして僕が劇団を辞めよう辞めようと言っているのを、叱咤し励ましてくれた。
「続けろ、続けるんだ」

それがもとで映画の仕事にもつながった。
引き続きTVの仕事、金子監督との出会い、いろいろなものが那須さんの存在を契機にして始まった。
ついに僕はこの業界で、なんとかだが食べることができるようになった。
引き換えに僕は那須さんを失ってしまったが。
いや、失ったのではないな。失ってはいない。
おこがましい言い方が許されるなら那須さんは僕に未来をくれたのだ。那須さん自身の未来を。だから僕はいま那須さんとともに未来を生きている。

次回公演「偽伝、樋口一葉」は那須さんと考えていたものだ。
センチメンタルと思われるかもしれないが、僕は那須さんを抜きにしては自分の時間を考えることが出来ない。

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2006/09/27

日経新聞「交遊抄」

今朝の日経新聞。
一番裏面の文化欄。
「交遊抄」というコーナーがあります。
誰か有名人が自身の交遊・交友関係について
粋な短文で紹介するというコーナーなんですが
本日は映画デスノートの監督
金子修介監督が執筆者。
タイトルは「兄貴の宿題」

兄貴とは那須博之監督のこと。

ぼく松枝佳紀と那須監督、そして金子監督のことが書かれてあります。
良かったら新聞を手にとって読んでみてください。

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2006/09/12

高瀬比呂志さんの死

デスノート前編のカメラマン高瀬さんが亡くなられた。
日活入社、那須さんの同期で、まだ50歳だった。

高瀬さんに初めて会ったのは、
デスノート最初の本の打ち合わせかなんかの時で、
金子監督に紹介していただいて挨拶をした。
高瀬さんは本当に優しい人で、
現場とかどこで会っても、ニヤリ笑って握手してくれた。

最初会った日に日活の食堂で那須さんが
僕の芸術における父であることを話すと、
若かりし日の那須さんのエピソードをひとつ教えてくれた。

那須さんがまだ監督になるまえ、
チーフかセカンドの助監督だったころ、
高瀬さんもまだ撮影部の助手で、
なんどか同じ組になったことがあるらしい。

あるとき、同じ組についたとき
監督がどうもおかしなことを言うので、
那須さん高瀬さん同期コンビは止めようとしたらしい。
那須さんが代表して監督の部屋に直訴に行った。
戻ってきた那須さんの頬は腫れていて
「なぐられちゃったよ」と豪快に笑っていた。
そう高瀬さんは笑って話してくれた。

いつか那須さんの話をもっともっと沢山話すはずだった。
高瀬さんの参加はデスノート前編のみで、後編の撮影は高間さんにバトンタッチした。
「間宮兄弟」「ゆれる」「Death Note」とヒット作のつづく売れっ子の高瀬さんは仕事が詰まっていた。
「Death Note」のあともスケジュールがびっしりだったと聞く。
しかしその詰まっていた仕事の過労から結局は亡くなることになった。
脳梗塞で倒れるその日の朝もカメラテストかなんかのために元気で家を出たらしい。
本人も家族も誰も高瀬さんの死を予測などできはしなかった。
元気だったから次が無いとは思わなかった。
高瀬さんとはきっと仲良くなれるだろうと思った。
僕の好きなタイプの大人だった。
いつか那須さんの話を話してくれるはずだった。
疑うわけも無い。元気だったから。

お通夜に行き焼香をした。
高瀬さんの人徳からかあまりに長い会葬者の列。
いまさらのように夏を思い出した蒸し暑い夜。
皆が押し黙ったまま静かに並ぶ。
見るものも何も無く、聞く音も何も無い。
そんな粘ついた夜の中で
優しかった高瀬さんの笑顔ばかりが僕には思い出された。

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2006/08/05

デスノート後編ラッシュとか昨日は沢山あった。

朝、10時から日活撮影所の試写室にて
「デスノート後編」の第1回目ラッシュがあった。

CGも音楽も入ってない。
尺も2時間25分ぐらいあるやつ。
またしてもやられた。
普通に面白いよ、これ。
自分も作業に加わったんだけど
よく原作をこんだけの時間にまとめたなあと思う。

まず何よりも
戸田恵梨香ちゃんのミサミサが可愛すぎる。
前編はほんとうにちょっとしか出てないけど
後編はその可愛らしさと演技の深さできっと
多くの観客を魅了するだろう。これ確信。

そしてL。
後編ではしょっぱなから夜神月とのバトルが繰り広げられる。
推理力によるバトル。心理戦。
しかも、松山ケンイチくんのL、いや竜崎はなんか可愛い。
愛すべきキャラになってる。ちょっとLファン倍増じゃないの?
クールな藤原くん演じる夜神月と対照的で
ラストの対決に向けて、これはもう、俺はどっちの味方じゃ
って感じでちょーワクワクハラハラするわけですよ。

高田清美。
片瀬那奈さん。
・・・エロい。清楚なエロさ。
やっぱり金子さんマジックで清楚エロ爆発でした。
しかも女の嫌な部分もきちんと演じていて
後編の物語を展開する重要な役をどうどうと演じきっている。

それからもちろん鹿賀さん、藤原くん。
言うまでも無くうまい。
この2人の演技でどれだけこの映画がグレードアップしているだろうか。
とくに原作ファンの人にとって
後編、あれがあるのかないのか、
はたまたオリジナルなあれなのか
とても気になるところだろうけれども
いや、すごい。すごいと言わざるを得ない。
どうなるかは言えないけど
いやすごいよ。
そしてそれは藤原くん無しでは成立しない。
ほんとうにこれ以上ないって言うキャスティングだと思う。

そのほか、上原さくらさんも美しいし、マギーさんの出目川も原作と見かけ違うけど思いっきり出目川だったし、おひょいさんはおひょいさんだし、なんとも前編に比して全キャラが立ちまくっているのがおもしろい。

特筆すべきなのはマックス軍団。
松田演じる青山草太くん。
やばい松田こんなに笑えていいのかってぐらい面白い。
天然な感じが笑いを誘う。
緊張感ある怒涛の展開の中でなんというか一服の清涼剤。
そして、満島ひかりちゃん演じる粧裕・・夜神月の妹。
前編でもそのナチュラルな演技に定評があったけど
後編でもそれは健在です。
彼女が普通であればあるほど
他で起きている異常さ・・・ノートに人の名前を書けば人が死ぬとか
その対比が、この話をほんとうに輪郭のはっきりしたものにしています。
重要人物です。

リュークやレム、
これについてはまだCGができていないので
なんともまだわからないけど楽しみだな。

ラッシュを見たあとは
日活撮影所の食堂で昼飯。
ぼくはいっつも茄子とひき肉のカレー。
これね、めっちゃうまいんですよ。
那須さんと金子さんが出会ったころと変わらぬ
日活の食堂で茄子カレーがお気に入り。

そのまま食事の席で
打ち合わせがはじまる。
台本の頭から今見たラッシュについての
意見感想、どう手を入れるか意見出し。
全体として面白かったとは言え
直してほしいところも幾つかある。
意見が通るかどうかはわからないけど
幾つか進言。
プロデューサ陣、撮影の高間さん、スクリプターの治美さん。
かなりの時間を熱く議論。

その意見を持って、さっそく金子さんは編集に向かう。

僕はそのまま熊切監督の家に。
9月にインする予定の映画の台本の直し進行状況を確認しに。

熊切さんの家には始めていくが
なかなかすてきな家だった。
ああいう家はふるいけど住みたくなる。
安心するなんかがあるね。

その映画の脚本は熊切さんと宇治田さんが書いているんだけど
僕が編集者のようにそこにいると逆に作業が中断してしまうし
なんか『邪魔』って雰囲気ばりばりあるので
食べたいアイスも食べずに早々に退散。

この熊切さんの次回作の原作は僕が大好きで
それで映画化しようと動いていた話だから
熊切さんたちにもその面白さを共有してもらいたい。
でも、いろいろ話したし、それは伝わっている(ように思う)。
もうあとはある程度信頼してできあがりを待つしかなさそうだ。

そのままいったん家に帰ってシャワーを浴び
再び外出。

デスノート後編の打ち上げである。
前編以上に盛り上がった。
藤原くんと松山くんの掛け合いは本当に面白い。
上原さくらさんはお姫様のような格好で美しすぎ。
戸田恵梨香ちゃんは、景品があたって喜んでいた。
打ち上げとかで景品があたるのはじめてなんですよ~~と。
2次会では藤原君と短い間だけど、本音トークをする機会を得た。
現在蜷川さんの舞台でしごかれているようだ。
身体に沢山の傷があった。
しかし演技や作品に向かう彼の真剣さは本当に心打たれる。
本音トークの内容については絶対誰にも言わないが
そのことについてはこれから真剣に考えてゆかねばならないだろう。
でなければ藤原くんのスピードに追いつくことはできない。

今日は夜
渋谷アミューズCQNで
神の左手悪魔の右手」上映後に
金子監督、渋谷飛鳥ちゃんとともにトークイベントなるものがある。
本音トーク炸裂!?するかもです。
良かったら遊びに来てください。

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2006/07/23

ついに初日『神の左手悪魔の右手』

ついに昨日、公開と相成りました。
楳図かずお原作金子修介監督ぼく脚本

映画『神の左手悪魔の右手

もとはと言えば、わが師、那須博之と2人して企画した映画です。
那須監督は亡くなられてしまいましたが
那須さんと立ち上げたこの企画をきちんと実現すること
これを那須さんが亡くなったあと何よりの目標としてきましたので
こうして劇場公開の日を迎えられたこと
観に来てくれた皆さん、
楳図ファンの皆さん、
関係者スタッフ出演者のみなさん、
僕を支えてくれた劇団アロッタファジャイナのみんな、
本当に感謝します。皆みんなに感謝します。
ありがとうございました。

少ない予算ながら皆ががんばったこの作品。
見所が沢山あります。
単純なホラーじゃない。
主演の渋谷飛鳥ちゃんが言ってましたが
この映画は
「愛の物語」
本当に、そういうことなんです。
ぜひ見てください。

これから順次、札幌、福岡、京都、青森でも公開になります。
近隣の方々、ぜひ足をお運び劇場でご覧になってください。
僕も何度も見に行こうと思います。
皆さんのご感想ご意見など色々聞かせてもらえたらうれしいです。
コメントかトラックバックいただけるとうれしいです。

ちなみに僕はラストシーンが好きです。
海辺の。
あれは病床の那須さんが考えたシーンなんですよね。
撮影のときは台風が来て、
あのシーンが撮れるとどうか微妙だったのですが
逆に台風のおかげで、
本当にすばらしいシーンになってたと思うんですがどうでしょうか?

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2006/06/23

藤原竜也の眼

デスノート前編から後編へ。
ほぼ同じスタッフが前後編を担当する。

しかし、撮影(と照明)については大きな変更があった。

高瀬比呂史さんから高間賢治さんへ。

変更については、
なにかトラブルがあったわけじゃなく
最初から高瀬さんはスケジュール上、
もともと後編は無理だったが
是非にという話で前編の仕事のみを受けたらしい。

高瀬さんはなんと我が師、那須博之と日活入所同期。
苦楽をともにした仲間である。
面白いエピソードなども聞かせていただいた。
また、「絵」についても大作にふさわしい奥行きと深みのある絵を撮る方で前編ラッシュを見たときに、おおおおおお!と思ったものである。

そして、高間さん
間もなく公開になる脚本の「神の左手悪魔の右手」でも金子さんと組んでいる。
というか、高間さん金子さんの関係は長い。

「ラスト・キャバレー」
「山田村ワルツ」
「1999年の夏休み」
「どっちにするの」
「香港パラダイス」
「就職戦線異状なし」
「クロスファイア」
「神の左手悪魔の右手」
そして
「デスノート後編」

とくに高間さんは、日本ではめづらしいハリウッドじこみの撮影監督システムで撮影をされる。
日本的な方法にこだわる人たちからは、面倒くさがられるタイプのカメラマンである(たぶん(笑))。

ちなみに、金子さんも普通の監督と違い、体育会系的なやり方とかが嫌いで、おそらく監督としては変り種と思う。ちなみにも日本銀行員のときは相当変わり者だった。だから、金子監督高間さんは、日本的なやり方から大きくずれているという意味でなんとなく似ているような気がしている。

その従来的なシステムからずれているということで反発を抱かれたりするものである。高間さんに対する反発も多いのだろうと思う。

しかし、その高間さん金子監督はものすごく評価している。
そして実際、高間さんの構図と明かりは天才的なのである。
かつ長い関係から高間さん金子さんがどう撮りたいかをぱぱっと理解する。
だから真の金子ムービーに高間さんは不可欠な人と言っていいのかもしれない。

とは言うものの、なかなか現場レベルの、つまりモニターレベルじゃ、ほんとうに高間さんの絵がすごいのかどうか理解するのはなかなか至難の業なのだと思う。

そんななか、モニターをじっと見ていた藤原くんがポツリともらしたらしい(金子監督談)

高間さんの絵はすばらしいですね」

やはり、この子、藤原竜也くん。
只者ではない。
金子監督は思ったらしい。
そして、その発言、眼光鋭い藤原君に、夜神月を見たらしい。

すなわち今日の格言

「 英雄は英雄を知る 」

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2006/06/07

後編は順調に始まっている

金子修介監督からメールが来た。

「 後編は順調に始まっている。 」

「後編」とは映画「デスノート後編」のことだ。
僕は監督補だが、現場にはほとんど行かない。
脚本段階でアイディアを出したり、セリフを書いたり
そういうことをしている。

そのあたりのことは詳しく
今度やる芝居「錆びた少女」のカラーパンフに収録された
金子監督と僕マツガエの対談に書かれている。

しかし、この対談、実は80分ぶっ続けで収録した。
テープ起しにして、原稿用紙60枚分の量があった。

さすがにこれをすべて掲載するわけには行かないから
かなりコンパクトにまとめた。

まとめる中でちょっとカットしたけど
カットするにはもったいなかった会話をここで披露します。

------------------------------

マツガエ
:楳図さんの「神の左手悪魔の右手」もそうなんですけど、
 いわゆる悪っていうか、今本当に犯罪とかめちゃくちゃ増えてい
 て、それに対してどうなの?どうかしなくちゃいけないんじゃない
 の?っていう事を真正面から言うような題材であって、すごい難
 題だと思うんですよね。エンターテイメントはエンターテイメントな
 んですけども葛藤もあるかもしれないし・・・

金子監督:現代の問題だよねぇ、大きな。どの時代でもその問題
 は有るわけだけど、やっぱり民主主義が発展してきて結局犯罪
 者にも人権があるといった状態になってきてさ、人を殺した人間
 は、死ぬしか無いんじゃないっていう単純な社会をじゃなくなって
 きているから、犯罪者も普通に生きたり、時にはまじめに生きて
 いる奴よりも人生を謳歌したりしている。それでいいのかと。その
 大きな問題をエンターテイメントにするていうことも面白さと危なさ
 ・・・やみくもにやってる訳じゃないけど、映画の持っている社会性
 とかも考えながらやってますよね。

マツガエ
:本の直し的には面白くするっていうのは当然一本のお
 題目では有るんだけど、監督悩んでるんだなって言うか、戦って
 るんだなぁっていうのは感じますね

金子監督
:そうだね、それも自分の世界を作るって事じゃなくてど
 っかに発信するって事だもんね。一方でチマチマとした自分の
 世界を作るっていうのもあるんだけど。

広澤葵
:そのデスノートに込める監督からのメッセージっていうの
 はなんなんでしょうか?

金子監督
:悪い奴は死ね(笑)

マツガエ・広澤
:えー(笑)

金子監督
:それだけじゃないけど、それをやると危ないというどう
 いう社会にしていったらいいのか皆で考えましょう(笑)。

マツガエ
:うん、うん。ですね。

------------------------------

なんてな話もしたりしています。
那須さんの話も当然してますし
ちょっとコアな人たちには必見なパンフですよ。

で、その芝居「錆びた少女」なんだけども
なんだかんだで公演一週間前を切ってしまいました!

ラストスパート、役者21名とともに走り抜けます。

チケット購入まだの方はお早めにね。
全体的にはぜんぜん買えるんだけど
そのうち何公演かはもうすこしで満席になります。
ぴあチケットならまだ買えるかも知れないけど。

とりあえず面白いものにしたいなと思っています。
お忙しいのに金子さんも見に来てくれるらしいし。

面白い「デスノート」よりも面白く

これ今回の標語です。
阿佐ヶ谷でお待ちしておりますm(_ _)m

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2006/05/23

楳図祭とか秘儀とか

またまたやらなきゃいけないことが山積してきた。
最近は
芝居『錆びた少女』
の稽古や台本書きに時間を多く割いているから
ほかのことをしなきゃ感が強まっている。
デスノート後編の撮影開始もまもなくだ。
台本の修正も急がなくちゃまずい。
現在は、台本の修正とロケハン、キャスティングが同時進行。
前編以上にあわただしい。

「が・・・」

芝居「錆びた少女」の台本、実はこれ
まだ終わりが書けていない。
演出も考えなきゃいけないし
選曲していない。
舞台美術のプランについては昨日おおまかにできた。
なにより今回のメンバーの有能さがある。
美術プラン、衣装プランについても
沢山のアイディアを出してくれる。
無駄打ちだってかまわない。
いろんなアイディアを出したほうがいい。
で、出せるっつうのがまた頼もしい。

今日はパンフレットの作成打ち合わせ。

今回はパンフレット、フルカラーだそうだ!
平気か?ナカヤマ?予算はあるのか?

とまあ、金のことは心配だが
面白そうなことになりそうな感じではある。

なによりも、あれですよ、皆さん。

「 ザ対談 : 金子修介 × 松枝佳紀 
   那須博之、楳図かずお、デスノート・・・・・・ 」


なんつーもんがあるですよ。
かなり危険でレアな対談なので
芝居見に来た人だけに読んでほしいなあ・・・
袋とじにして、
開いたら30分後に文字が消える・・・
みたいな技術ないかな?
そうすればほかの人に読まれることが無い。
芝居を見に来てくれた人にだけ読んでもらえる。

あと、主演の広澤葵の超レア写真も満載予定。

彼女、モデルとかいろいろやってるから
たくさん写真あるけど、今回の写真たちは
僕らでないと撮れないというチョーレアなアレになっております。たぶん。
猫さん。これは入手せねばいかんですよ♪

あ、楳図祭りに来て黄色い声援あげてくれたみんなありがとう。

井口昇監督岩井志麻子さんとお知り合いになっちゃった!!

あの場で言うことタイミング逃していえなかったけど
楳図さんは僕の作品書きの師匠だ。
舞台「わたしは真悟」に出演していただいたときにも
いろいろと物語の作り方にアドバイスもらったが
これすごいんですよ。
シナリオ教室とかじゃ教えてもらえない秘儀。
そういう秘儀を駆使して現在、舞台「錆びた少女」の台本書いています。
ぜひとも見に来て秘儀を味わってください。

なんて宣伝になってしまいましたが・・・。
これが楳図祭りんときの写真。
 ↓左から
 ↓金子デメリンさん楳図さん成田さんぼく金子修介監督
 ↓撮影は野木太郎。
 ↓那須監督の遺影も僕のてもとにあるんだよ。
Photo_2

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2006/05/01

ついに・・・

芝居『錆(さ)びた少女』のチケットが発売になりました。

わが師那須博之死後、悩んだこと苦しんだことひっくるめ

新生アロッタファジャイナ、新生マツガエヨシノリとして歩き出す。

その第一歩としてふさわしい舞台にすべく

現在鋭意製作中です(悪く言えば台本書けておまへん状態)。

取り扱いは、ぴあ、そしてアロッタショップでも売ってます。

ちなみにアロッタショップでご購入された方には

ちょっと生唾物のおまけがついてきます。

ぜひご購入ください。前売り特典となりますです。

Sasayaka ←これこれ特典。

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2006/03/07

「那須博之監督の思い出を語る会」

乃木坂のコレドで
「那須博之監督の思い出を語る会」を開いた。

那須監督ゆかりのスタッフ、友人、役者、
みんな呼んでしまえば、ものすごいことになってしまうので
本当の内輪の人間だけで開いた。

それでも、40人以上の人に集まっていただけた。

まず東映の菊池プロデューサーと朝ふたりで乗り込み
那須さんの撮った映画のポスターを飾るなど
会場の設営を、簡単だけど行った。

昼2時からは那須監督作品の上映会である。

菊池さんのセレクトで
監督デビュー作「ワイセツ家族」
本邦初公開「山嵐」のPV
名作「ビーバップハイスクール」シリーズから第四作目
の三本を披露させていただいた。

僕は主にブースにいて
音響と光、DVDの操作を担当した。

また「語る会」に違わず
出席者から一人ずつ前に出ていただき
「那須監督の思い出」
を語っていただいた。
その司会は菊池さんだったが
途中サブを僕がやった。
どうもああいう人前でやるのはほんと苦手。
ぜったい役者にはなれない僕なのである。

みなさんが語る
「那須監督の思い出」
は本当にすばらしいものばかりで
那須監督の多面的な知識・興味・ユーモア
人をひきつけてやまない人柄
沢山の人に愛されていたことを再確認することになった。

僕は那須さんと知り合ったメンバーの中では
一番の新参者で、ちょっと肩身が狭かったけど
でも心のどこかでは誰よりも愛されたと言う自負もあるのだが
みんなの話を聞いていると、
みんながどうもそれぞれ
「自分自身が一番那須さんに愛された」
とそう思っている節もあって
死後もなお僕にとっては心騒がせる那須師匠なのである。

途中、遅れて、数人が参加したのだが
その中に仲村トオルさんがいたのには少々おどろいた。
彼だけが名簿に無かったから。
たぶん菊池さんか、
それともビーバップの役者仲間かが知らせたのだと思うが、
那須さんもトオルさんを愛していたから
ほんと来てくれたのはうれしいことだ。

会の途中のブレークタイムに僕が
山本奈津子さん渋谷飛鳥ちゃんとじゃれていると
近くに座っていた仲村トオルさんが
ずんっ
と立ち上がり
僕に向かって

「メールを頂いていたのに
 お返事もせずどうもすみませんでした」

と謝られた。

一瞬何のことか混乱した僕だが
思い出したのは一年前のこと
那須さんが死んだあと
「神の左手悪魔の右手」という映画が
空中分解しそうになっていたときのことである。

僕はこの「神の左手悪魔の右手」という素晴らしい話を
那須さんと僕が病室で書いた脚本を
ぜったい映画にしたかった。
というかする映画にする義務があると思っていた。

さらに、ウエッティなことを言うと
スタッフも出演者もぜーんぶ
那須監督ゆかりの人にしたかった。
みんなで
「那須監督追悼」
そういうあれであれしたかった。
そこで監督として一番ふさわしい金子監督にお願いもしにいった。
思えばあの時のあれが無ければ映画『デスノート』も何も無い。

何人かの人には
ビジネスなんだから
そういうことはそれとして
映画を作ることを優先にしたら
とアドバイスをもらった。

とくに
那須真知子さんからは
「松枝くんがデビューすることのほうが
 那須の願いなのだから
 ほかのことは
 那須博之追悼ということにこだわらずに
 ビジネスとして成立するように
 やるべき」
と一番ウエッティな意見を言ってもいいはずなのに
気丈な、というか映画人として
びしっと腹の据わった意見をもらった。

しかし、とは言うものの
僕の状態は那須さんを失ったことで
パニックと言うか
演劇でさえ僕は那須さんに見てもらうために
作っていたのだから
那須さんがいなくなって
もうなにをどうしていいかわからず
唯一つ僕の勇気を生み出すのは
「那須監督追悼作品」
それだけだったものだから
思わずスケジュール的にも無理とわかっている
仲村トオルさんに衝動的にメールを書いたのだ。

もちろんご本人のメアドは知らないから
事務所宛にである。

ながながと書いた。
「仲村トオルさん、出てください」
そういう気持ちである。

「メールを頂いていたのに
 お返事もせずどうもすみませんでした」

そう頭を下げられた仲村トオルさんの言葉はそのメールについてなのである。

実際、返事は一切来ず
まあ、かなりエキセントリックなメールと思われただろうから返事は無いんだなとも思ったし、事務所宛だから、トオルさんは読んでいないんだろうな、とも思っていた。

なんだかんだとその後あり、
楳図先生、金子監督、成田プロデューサー、平田プロデューサー、東芝エンターテイメントの泉さん、スタッフ・出演者の皆さんら、沢山の人たちの本気によって
映画「神の左手悪魔の右手」は無事クランクインできるようになり
今年の夏には渋谷単館系で公開になる。

そのあとTBSのドラマもあったし、デスノートのこともある。
仲村トオルさんに出していたメールのことも忘れていた。

が、
僕なんかよりも1000倍忙しいはずの
トオルさんは覚えていた。

ずーっと考えていたそうである。
僕の直球のメールにどう返事を出せばよいか
那須さんの恩義にどう報いていけばよいかを。
チャンツイイーの隣に居るときもそのことを考えていたそうである。

「メールを頂いていたのに
 お返事もせずどうもすみませんでした」

その頭を下げる美しい姿に
やはり思ったとおり
まっすぐで真摯でまじめで男らしい男
それが仲村トオルさんなのだなあとおもった。

残念ながら
昨日の僕はひっじょーに具合が悪く。
それは今も続いていて
眩暈はするわ吐き気はするわ頭痛はするわで
とんでもない肉体なので
もっとたくさんのことを話したかったが
途中から記憶を失ってしまった。

次会う機会があったら
もっといろいろ話したいことがある。

とりあえず
一緒に映画作りましょうね
と言ったら
ぜひ
と笑ってくれた。

トオルさんも言っていたが
那須さんに育ててもらった僕らが
映画の第一線に居ること
これが何よりの那須さんへ報いることになるに違いない。
いまや那須博之の人生は僕らの人生なのだ。
新たに強い誇りとやる気をもらった夜であった。

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2006/01/28

やってます『デスノート』

金子監督が発表したので
ぼくも追随。

やってます。
映画版『デスノート』

監督補です。
異例尽くめ話題満載の本作ですが
漫画読んでハマッテいたので
なんと自分がこれをやることになるとは・・・。

撮影はまだ始まっていませんが
金子監督を筆頭にみんなが熱い。
本作りでも深夜まで激論を交わしています。
疲れるけど楽しいです。
期待していてください。

てなわけで
今日は打ち合わせの時間を縫って
NODA・MAP『贋作・罪と罰』を見てきました。
2度目です。

するとなんと・・・・
『罪と罰』って・・・デスノートに通底するテーマが。

「思想や正義や金のために人を殺して良いのか」

飄々とした不謹慎でさえある刑事の
段田安則さん演じる都司之助が
正義の殺人犯
松たか子さん演じる三条英を追い詰めていく。

このスリリングな感じは・・・
ああ、デスノートじゃん。
ふたりの対決がLとライトの心理戦に見えました。

と同時にホリエモンのことも考えた。

人は思想のために生きるのか。
正義のために生きるのか。
金のために生きるのか。
正義のためなら人を殺して良いのか。
本当に人を殺してはいけないのか。
どういう理由があろうとも人を殺してはいけないのか。

ネットが普及し
GDPがどんなに増えても
憲法が変わろうがどうしようが
そんなことは関係無しに
僕ら人間が立ち向かっていかねばならない問題を
立ち向かい続けなければいけない問題を
デスノートは扱っているのだ。
その思いを深くした。

野田さんと金子さんと言う
子供のときの親友が
表現者になって
演劇、映画と媒体は違えども
同時期に似たような問題に取り組んでいる。
この偶然をとても面白いと感じる。

またしてもラストは
松たか子さんの熱演に泣かされてしまったのだが
1回目みたよりも
随分と芝居が深く面白く感じたのは
こっち側の問題か。

芝居の余韻の中
寒空のコクーンを後にする。

そういえば、
今日27日は那須さんの誕生日。
日本酒一献傾け、罪と罰についてなど
色々と那須さんと話してみようか。
面白い話が沢山聞けそうです。

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2006/01/05

もう幾つ寝ると・・・

いつの間にか正月三箇日も過ぎ・・・

ぼくマツガエといえば、
さっそく年明け3日から仕事です♪

ふつう「仕事です」といって「♪」なかんじにならないのでしょうが
ぼくの仕事は好きで選んだ映画演劇の道ですからね。
つらくてもなんでも自ずと「♪」がつくわけです。

こんどの仕事はまだ大きな声ではいえないのですが
某TV局と某映画製作会社のビックプロジェクトです。

3日、4日はその映画の脚本に関わる打ち合わせ。
とくに4日の昨日は演出部、制作部、撮影部、照明部などもいて結構な大所帯に。

そして明日5日は昨年末に撮影した某民放TV局のドラマの編集です。

去年は本当にいろいろなことを経験し、
つらかったこともあったのですが、
楽しかったり有意義だったりする経験も多く、
自分としても悪い年ではなかったと思います。

もちろん、
その時に那須さんの死は
僕にとって大きくマイナスであったわけですが、
それさえもマイナスで終わらないように
那須さんは僕に沢山の贈り物をしてくれたと思うのです。
そういう経験をしました。

今年は去年得たそういう物モノを継承し、
より大きなモノを育てるために、またより多くのことを学び、
映画演劇を作って行きたいと思います。

一昨年は一本の映画を作ることにさえ絶望し
芝居を作り続けて、しかしそれにさえ迷いを感じ
でもやめるなという那須さんの言葉だけを頼りに過ごしていました。

しかし一転昨年は那須さんが引いてくれていたレールのおかげで
映画を1つ、短編TVドラマを2つ、ネットシネマを1つ撮ることができました。
驚くべきことにすべてが那須さんから始まっているのです。

今年はもっとやります。
那須さんがやってきたように
そして多くの映画人、演劇人がやっているように。
ほんと沢山やりたい映画や芝居があるんです。

てなわけで本年も応援よろしくお願いしまっす!!

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2005/12/31

今年の終わりに(5)

那須さんがいなくなり…
すべてが色あせ
せっかく
病室で書き上げた
『神の左手悪魔の右手』のシナリオも行き場が無く。
そんなときに楳図先生が声をかけてくれました。
「この映画化は、
那須監督のためにも、ぜひ松枝さんの手でなしてください」
思い切って僕は金子修介監督に電話しました。
会ってお話がしたい。
新宿の……なぜか過剰にムーディーな居酒屋であった気がします。

那須さんへの思いは金子さんも、ものすごく深い。
ぜひ那須さんがなそうとした仕事を金子さんの手で。
そう思ってお願いしました。
一も二も無く承諾していただけました。

残された者が映画を撮らねばならないのです。
きっと今頃
那須さんは天国で年10本の勢いで映画を撮っているんじゃないかな。
地獄にロケハンしにいってたりして。
天国よりこっちのほうが面白そうだな。
とか行って地獄でロケしてそうです。

皆さん、今年はありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。

というか見ておいて下さいよ。

金子修介監督作品『希望の党☆

それでは良いお年を!!

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2005/12/30

今年の終わりに(4)

ほんとうにあんな暗い気持ちは初めてだった。
那須さんは不思議な人で
もちろん一緒に映画を作りたい
そうは思うのだけども
なんだか
映画を作りたいから一緒にいるのか
一緒にいたいから映画を作るのか
ただ一緒にいたいだけじゃないのか
ひたすら一緒に遊んでいたいだけじゃないのか
それが判らなくなりそうな
そういう魅力的な人でした。
真知子さんや僕だけじゃなく
那須さんと関わった多くの人が
那須さんと言う存在が身近にいることで
人生、5割増しかそれ以上に楽しくなっていたのじゃないか。
つまり、那須さんが死んだら
自分の人生5割減。
それを思うとどんより暗い。
那須さんが死んだことで
比喩ではなく本当に自分の人生の5割が死ぬのだから
それは暗くなろうと言うものである。
仕方の無い話。まじで。

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今年の終わりに(3)

今でも、僕のノートには
病床の那須さんが太いマジックで書いた
『神の左手悪魔の右手』のシナリオ直しの方針が残っています。

直しがあがると那須さんの病室に出かける。
なんだか普通に見舞いに行くのも行けなくなって
正直ちょっと辛かった。
まだ出来てないのか。
そう言われるわけだし
ほんとうに僕にとっての那須さんは
最後まで映画の師匠でした。

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今年の終わりに(2)

芝居の初日があける日
僕は劇団員にはもうしわけなかったけど
那須さん、真知子さんにくっついて病院に行きました。

診察が終わって
那須さん、真知子さん、僕は寿司を食いに行きました。
もうしばらく食べられないかもしれないからな。
笑って、那須さんは最後のビールを飲みました。
真知子さんはニコニコしていましたが
この時には医者に告げられもう知っていたのです。
あと一ヶ月しか持たないかもしれない。
そう聞きながら悟られぬようにしていたのです。
タバコ吸ってくる。
と言って真知子さんは店を出ました。
戻ってくるのが遅く那須さんが探しに行きました。
真知子さんは泣いていたようです。

一週間が経ち
ベッドが空いたとこのとでようやく入院となりました。
那須さんから僕の携帯に電話がありました。
留守電になりました。
その声は消さずに取ってあります。
だから留守電を聞けばいまでも元気な那須さんの声を聞くことが出来ます。

病院前で待ち合わせ
たった一週間あわなかっただけで
那須さんは、見る影もなくやせ細っていました。
病院から言われた食事制限をすべてキッチリ守ったそうです。
入院の手続きのときに、僕は「息子」と書かせてもらいました。
ほんとうに僕と那須さんのキズナは親子に近かったのです。

映画を沢山撮る。
入院しても那須さんの気持ちは変わりませんでした。
スタッフルームが病室になっただけ
そう言う感じで、病室の那須さんと映画の話をしました。
5月には楳図さん原作の『神の左手悪魔の右手』を撮る。
そのための準備を急がなきゃな。
まずは台本。
初稿を書き上げた僕は那須さんの病室で
作者本読みをしました。
目を閉じて聞いている那須さん、そして真知子さん。
三人だけの本読み。
看護婦が途中で入ってきて驚いたりされながら。

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2005/12/29

今年の終わりに(1)

僕の師であり、もはや父ですらあった
那須博之監督から電話があったのは年明けてすぐのこと。
吉祥寺の喫茶店で会いました。
ガンかもしれない。
そう告げられたとき、
はじめは冗談かと思いました。
前年末まで、元気に映画を撮っていたのです。
ナベカツは現場を知る必要がある。
そう言って那須監督は、僕をサード助監督に指名したのです。
ありえない低予算、限られた時間、那須監督はほぼ寝ないで映画を撮りました。
大変だったけど、
やっぱ現場はおもしれぇな
那須さんはそういって笑っていました。
そして2005年。
一緒に「那須フィルムズ」という会社をつくり
沢山たくさん映画を作りましょう。
そう話していました。
年10本は映画を撮るぞ。
え、幾らなんでもそんな無理なんじゃないですか?
そんぐらいの気合でやんなきゃ会社はだめなんだ。
そう話していました。
年末にはオフィスを構えるために不動産屋めぐりをして
赤坂TBSのそばにビルの1フロアを借りることまで決めていました。
年明けてすぐに「那須フィルムズ」会社の登記をするばかり。
だから年明けすぐの那須さんからの電話はそのことかなと思ったものです。

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2005/12/20

見るしかないシネマ

来年こそは来年こそはと思う師走、
皆様、いかがお過ごしでしょうか?
僕は今日『贋作罪と罰』みにいきます。

ぼくが脚本を担当したネットシネマが昨日公開になりました。
よかったら見に行ってやってください。
http://www.y-choice.jp/

この中の
金子修介監督作品
『希望の党☆』
http://www.iiv.ne.jp/choice/m04kaneko.html
がそうです。

総務省と財団法人明るい選挙推進委員会の出資による
政府広報ドラマの実験的な試みです。

金子監督をはじめ
河瀬直美監督、飯田譲二監督ら
5人の映画監督がそれぞれ
「選挙に行こう」
をテーマにショートムービーを撮りました。
いずれの監督作品も
単なる政府広報にとどまらないものとなっています。

『希望の党☆』出演者として
デビルマンの『渋谷飛鳥』ちゃん
セーラー服百合族の『山本奈津子』さん、
そして日本の誇る大漫画家『楳図かずお』先生
の三人が
僕の劇場用映画デビュー作となる
『神の左手悪魔の右手』
http://www.kaminohidarite.com/
(原作:楳図かずお、監督:金子修介、脚本:松枝佳紀)
の公開に先立ち、その姿を披露してくれています。
またアロッタファジャイナ劇団員からは
藤澤よしはる、新津勇樹、畠山佳子、野木太郎も出演しています。
HP作成で中山美智子も参加してくれています。

もし見ることがあれば
後学のためにも
ご感想、アドバイス等いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

ではまたの機会に飲みにでも行きましょう。

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2005/12/17

『神の左手悪魔の右手』初号試写

神の左手悪魔の右手』初号試写の朝。

行くかどうか悩みましたよ。
だって今は撮影中。
某民放局TVドラマ。
短編とは言え、僕脚本の初TVドラマです。
どっちも僕の子供みたいなもんです。
神の左手・・・』も僕の初脚本の劇場用映画だし。

厄介なことに
TVドラマは現場にもAPとして参加しており、
主として演技事務などやっておったわけですが・・・。

初号試写には行きたい。
だけど現場の仕事も放り投げだしたくない。

相談すると、木村俊樹プロデューサーは、

「行ってもいいけど 、MとⅠ本の了解をとっておけよ」

との発言。

で、制作チーフのMさんに言うと

「ライターは行ったほうがいい」

そういうものなのか。

では行こうかな・・・・

でチーフ助監督Ⅰ本氏に言うと

「どっちでもいいけど、
 僕はマツエダさんが
 こっちに残ってくれると信じてます」

と情に訴えてくる発言。

ていうか
マツエダじゃなくマツガエですから!マツガエ! !

仕事していると携帯にメール。

みるとプリティⅠ本氏から。

「信じてます」

そんな・・・情に訴えられても・・・  ○| ̄|_

いろいろ考えたけど
那須さんとやろうとした最後の仕事なんだから
やっぱり見届ける義務がある。

そう思って、初号試写には行くことにしました。
すみませんⅠ本さん。

で仕事はすべてタロに引き継ぎました。
心配だったけど
僕の仕事を引き継ぎ
かつ皿洗いとか雑務を率先してやり
きっちり仕事をこなしたタロは
みんなの評価が上がってました。

僕が東京現像所についたのはぎりぎりでした。

そして始まる『神の左手悪魔の右手』初号試写。

ちょっと部屋の温度が高すぎたけど
映画の温度もめっちゃ高かった!!

鋒山さんの音楽がすげえハマッテいて
なんだか那須さんのことも思い出して
結構泣いてしまいました。

ホラーだけど笑えて泣ける映画。

那須真知子さんいわく

「ダークファンタジー」

そんな感じのすばらしい作品に仕上がっています。
公開が楽しみです。

天国の那須さんは何点をくれるでしょうか。

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2005/11/11

那須真知子という才能

いま乃木坂コレド
昔、シミキンと云うTVプロデューサーがいた
というイベントをやっている。

清水欣也

という名プロデューサーを回顧するイベントで、
1979年から80年に日本テレビで放映された
「ちょっとマイウェイ」というドラマを流している。
(このドラマの主役は桃井かおりさんで、コレドマスターの桃井章さんの妹である)

昨日は、
第18話「私の占い凶と出たのよ」
第19話「女を売りものにしないわよ」
の上映があり、
第19話の脚本家は那須真知子さん。
彼女が27歳のときの作品だ。
で、それをご本人と見るために久しぶりにコレドに向かった。

第18話は鎌田敏夫さん脚本。
こちらも大大脚本家である。
ドラマのほうも
さすがに手馴れた小品で
シナリオの「教科書」を見るような作品だった。
シチュエーションも余り変えずに
話をころころ展開させる。
微妙に先が読めるけど
終わりは終わりで「なるほどな」と締める。
低予算で最大効率を得る。
「うん、さすがにうまいね」
とCMタイムにビールをごくり。

次に第19話。
僕の隣にはご本人・・・真知子さんがいる。

正直、
鎌田さんの回、脚本がうまかったので
真知子さんの回があれだったらどうしようという気持ちで見始めた。

あにはからんや・・・

すごい。
テレビドラマじゃなかった。
映画だった。

説明するのは難しいが
鎌田脚本との違いは
・まったく先が読めないということ。
・絵がバンバン変わると言うこと
 (予算もかかるということだが)
・劇的であると言うこと
などであろうか。

またタイトルでもありテーマでもある
「女を売りものにしないわよ」
ということは、
若き日の真知子さんの言葉でもあるだろうが
この主張に対するドラマの結論も
非常に重層的で唸らせられる。
単純じゃない。

真知子さんはこの仕事をやった後
しばらくテレビドラマを書いたりなどしていたけど
結局は映画の世界に戻っていく。

真知子さんは昔から真知子さんであって
最初っから映画を描いていく「才能」だったのだ。
そのことが今更ながらに確認できた。

またその若き才能にチャンスを与えた
清水欣也
というプロデューサーは、
僕は良くは知らないけれども、
やはりすごい人なのだろうと思った。

上映が終わったあと
飲みながら真知子さんと那須監督の話をした。
久しぶりにあのときの痛みを思い出してちょっとだけ泣けた。

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2005/11/01

最終兵器彼女

先日、金子修介監督と一緒に
東京国際映画祭特別招待作品『最終兵器彼女』を見てきた。

最終兵器彼女については、
実は那須博之監督が好きな漫画で、
僕も那須さんに勧められて読んでほんとうに感動した。
これを映画化できたらなぁと話していた。

今回の映画『最終兵器彼女』のプロデューサーは、
実は、映画『デビルマン』のプロデューサーでもある。

そのほかにもデビルマンのスタッフがちらほらと入っている。
それだけに映像のすごさは感慨もひとしお。
この映像、本当はデビルマンで使いたかった映像。

デビルマン→最終兵器彼女

と着実に進歩する日本の・・というか東映の映像技術。
この映画の最大の見所はそこだろう。

舞台挨拶では、
主演の前田亜季ちゃんにお姉さんの前田愛ちゃんが
花束を贈呈するというようなサプライズな演出もありました。

前田愛ちゃんはうちの映画「神の左手悪魔の右手」にも出演してもらっています♪

上映終了後、
金子監督山口晃二監督と3人で軽く飲みに。
山口監督は、
金子さんが総監督をつとめるホーリーランドで第3話などを監督されており、
また今回、東京国際映画祭ある視点部門に正式出品されている

ベルナのしっぽ

という白石美帆さん主演の映画をも監督されている。

いろいろ面白い制作秘話を聞くことが出来、楽しかった。

また
山口さんは深作欣司監督「バトルロワイヤル2」のチーフ助監督でもあったらしく、
デビルマンの監督助手をしていた僕とは、ほぼ同時期に東映の撮影所に居たことが判明。

きっとニアミスをしているのだろう。

深作組のリアルな現場の話も聞けてこれまた興味深かった。
いろいろ書きたいがここでは書けましぇーん。

しかし「ベルナのしっぽ」は楽しみだなぁ。
白石美帆さんの演技が素晴らしいのだそうだ。
公開されれば必見の映画になること間違い無しですね。

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2005/10/22

海外でも紹介されている。

映画「神の左手 悪魔の右手」の公式HPのアクセス解析を見ると

結構いろんな国からこのサイトを見に来ているんだなぁと。

て、ことは英語版つくらないと!

あとなんだか知らないけど中国から来る人も多いんだ。

やっぱり、紗綾ちゃん効果みたい・・・すごい小学生だ。

で、前の日記に『映画秘宝』の取材日に、アメリカのNo.1ホラー雑誌である『Fangoria』からも取材を受けた・・・って書いたんだけど、ちょうど、そっちのほうも載ったようです。インターネット版に記事があります。

 → October 19: First report on Shusuke Kaneko’s splatter film

小林翼くん演じる山の辺想くんが凛々しく映っています。

翼くんは可愛いだけじゃなくて、決めるところは決める「オトコ」でもあるのです!

いやー、しかし原作ファンはこういう写真を見るたびに戦々恐々だとも思うわけです。

だって、こんなシーン無いもの。原作には。

「俺のUMEZZワールドを壊さないでくれ!」

とか思っているのかも・・・。

やっぱ原作ファンは原作に忠実に作ってほしいのかな?どうなの?

楳図先生ご自身は変更にこだわらないんですよね。

むしろ相談すると自分で新しく話を創造しちゃう。

え、いくらなんでも原作から離れすぎですよー楳図先生!・・・みたいにぼくが思ってしまうみたいな。

でもここは外して欲しくないという点もあるんですよね、楳図先生的に。

で、最初に「ウメズメモ」を渡されました。

ここは外さないように・・・みたいなね。

僕は前に映画じゃなく演劇のほうで楳図先生の『わたしは真悟』を舞台化させてもらっているわけじゃないですか。

そんときにも結構話の最後のほうは、その時の舞台の監修をお願いした那須博之監督の指導の下、いろいろと変更させてもらった(原作では佐渡島のくだりになると、もう一切マリンは出てこないが、舞台版では上野未来扮するマリンが最後の最後まで出ずっぱり)わけですが、もちろん楳図先生も気に入ってくれたし、そして意外にもファンの方々にもウケは悪くなかった・・・・ように思います。たぶん。

だから、いろいろ『神の左手・・・』の写真がちらほら世に出て、原作ファンは「げげっ」とか思っているかもしれないですが、たぶん大丈夫です。楳図先生の本質的な部分は継承している・・・と思うんですよね、それは舞台版『わたしは真悟』の変更のときもそうですが、ぼくが先生の世界をリスペクトしまくりなわけで、そこはぼく自身も外したくない、そう思っているわけで、先生の世界を継承していると言うのは確実です、だから・・・たぶん、原作ファンにも気に入ってもらえるんじゃないかなぁ・・・と思っています。

おお、気付けば金子監督からトラバ受けている!すごい、光栄です~~。

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2005/10/20

映画秘宝に載る。

明日発売の映画秘宝2005年12月号。

6ページ目。

==================

ウエダハジメの地獄の映画観光」vol.54

那須魂を継承する現場に行ってきた!
 『 神の左手 悪魔の右手

==================

楳図かずお先生原作、渋谷飛鳥ちゃん主演、金子修介監督作品!

おいら脚本、劇場用映画初!!

載っちょりまス。

ウエダハジメさんの漫画が楳図タッチです。

いや、しかし取材があると思って行ってなかったから、俺の写真デブなんだよなぁ。

まぁ、取材があると知っていてもデブなんだけどさ( ̄□ ̄;)!!

取材の日には偶然、那須真知子さんも来ていたから、

ちょっとだけ載っているw・・・そうそうこんなかんじで可愛らしかった!

お、隣のページには吉井怜ちん!!

偶然にも木村俊樹兄ぃの映画じゃないですか。

望月六郎監督『 濡れた赫い糸 』

セクシー石川こと石川均監督が脚本なんだよー。

これが衝撃的に面白い脚本でさ。

読んでひじょーに勉強になりましたさ!

ちなみに吉井怜ちんのことは前々からいいなと思っていて

木村さんの制作会社ステアウェイでキャスティングのとき

吉井怜ちん、いいと思いますよ」

と関係ないのに売り込んでいた。(ひそかに優香派ではなく怜派)

そしたら、ヒロインだもの!『濡れた赫い糸

怜ちんの芝居がすげー評判いい。

メイキングも見ごたえのあるメイキング。

今度ぼくの脚本でインする映画、

たぶん11月にインするんですが・・・

その映画を撮ることになる谷洋平監督

この『濡れた赫い糸』のメイキングを撮っているのです。

谷監督は若いのにキッチリ仕事師タイプの監督なのかな。僕はそうにらんでいますw

僕も脚本に関わっている

集団殺人クラブ GROWING

の監督は谷さんなんだけど、

なんかそのキッチリとした作りには本当に感動した。

良い本を撮らせたら本当に素晴らしいと思うんですよね。

若手監督としてチョー有望、間違いない。谷洋平監督、万歳。
( ちょっとチャリチョコの小人に似ている・・・・)

あ、話が脱線した・・・映画秘宝です。なにより。

よかったら見てみてください。

恐怖の真実がそこに・・・・・。

あの優しい金子さんがあんなことに・・・・

ギョエーッ~~!!

hiho0512 明日発売の映画秘宝
ぜひ一家に一冊。
ちなみに2005年の12月号だから
hiho512
ちなみに僕の誕生日は5月12日で512。
こんなんで運命感じる乙女チックジャパン。
以上。

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2005/10/14

ほんとうの撮影最終日

僕の初脚本映画
楳図かずお先生原作
金子修介監督作品「神の左手悪魔の右手

打ち上げは9/28だけど
次の日9/29にも撮影がありました。
これが真の撮影終了日です。

いつもの渋谷パンテオン前で集合。

ロケバスは金子さんの横に座る。
監督の横は楽しい。
やっぱ作品の全体構想を持っているのは
監督だから、聞けば聞くほど、いろいろな情報が聞けて楽しい。

真説タイガーマスクでも那須さんの横に座っていた。

もちろんサードは一番下っ端だから
席が無いときは床に転がっていたときもあるけど、
余裕のあるときは、
那須さんに
「ナベカツ、ここにこい」
って呼ばれて、横に座った。

だいたいロケバスは
睡眠時間の少ないスタッフたちの
貴重な睡眠の場でもあったりする。

みんなグーガー寝るんだが、
タイガーマスクのロケバスでは、
僕と那須さんは
遠足に向かう小学生のように、
楽しく話してぜんぜん寝なかった。

今回の金子さんの横でも同じ。

でも、那須さんは魔神だったけど
金子監督は休みたいのかもしれない。
僕がいるから沢山話すけど
本当はウザイ眠いと思っているのかもしれない。
そう思って聞いたら平気だという。
やっぱり映画監督は体力気力が違う。
なら楽しく映画の話だ。

現場は、千葉県のはずれ。
田舎町のいい感じの黄色い電車を探して
ここにたどり着いたらしい。

「黄色じゃなかったら、電車あったんだよな」

と制作の梶川さんに言われ

「え、黄色じゃなくても良かったんじゃないですか?」

というと

「いや、シナリオに書いてあるからさ」

「誰がそんなことを・・・・」

「キミキミ」

「え?」

・・・・・・俺でした。
書いたの。
すんません。
たしかに 黄色は黄色が良いと思ったんだけどでも、
そこまで探させて・・・なんだか申し訳ないような気にも。

「でも、それが俺たちの仕事だからね、問題はないよ」
と梶川さん、男らしい返事。
rail
そうやって探してくれた
その場所は
とっても素敵な場所でした。


今日の出演キャストは
渋谷飛鳥ちゃんと、小林翼くん。

主人公の姉弟
「山辺イズミ」と「山辺ソウ」を演じます。

ほんと2人が仲がいい。
なのに今日で離れ離れになってしまうなんて・・・。

(↓飛鳥ちゃんと金子監督)
2shot2




(↓よくある駅の人形?から顔を出す可愛い翼くん)
tsubasa01








(↓むっちゃかわいい翼くん)
tsubasa02

とかなんだいっても
とうとうついにすべてのシーンを撮り終え、
そして本当のオールアップとなりました。

スタッフ、キャストみんな疲れていたが
さわやかに笑ってわかれました。
意外にあっけない。

でも、そんなもんなんだろう。

だってこの映画の撮影は今日で終わりだけれど
僕たちの映画人生はこれからもずうっと続いていく。
僕なんかはじまったばかりだし。

なにより
神の左手 悪魔の右手
この作品も、これからなのだ。
編集、音作り、宣伝、まだまだ沢山の仕事がある。

解散すると、僕ら4人は食事に向かう。
金子監督、高間撮影監督、制作の梶川さん、そして僕。
4人はそのまま高間さんの行きつけのイタリアレストランに。
簡単な祝杯を挙げた。

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2005/10/09

金子組打ち上げの夜

打ち上げに出かけようと家の玄関に立ったとき
後のほうから声がしました。
振り向くと那須さんの遺影。
あ、すいません、おいていくとこでした。
那須さんの遺影を大事に額に入れて
打ち上げ会場にもって行きました。

写真はひっそり金子監督の横に置きました。

この映画。
神の左手悪魔の右手
はじまりは那須組だったけどいまや完全に金子組。
僕と那須さんが病室で作った初稿。(厳密には初稿じゃないけど)
吐いた那須さんの血で真っ赤に染まった原稿は
那須さんのお棺の中にいれてもらって火葬場に。
一緒に燃えて暗い空に吸い込まれて。

金子さんが乾杯の挨拶で
「那須さんへの献杯としたいところですが
 いまはスタッフのみなさんキャストのみなさんへのねぎらいと
 映画の成功を祈って乾杯」(僕のおぼろな記憶)
と言われていました。
はじめは那須さんと僕のもの。
でも今は皆のものです。この映画。

で打ち上げはフロア満員。
こんなに人数がいるのに
なんだか一体感のある熱い打ち上げでした。
ビジネスを超えた情熱があふれている。
なんどもこういう打ち上げに参加している
オスカーのOさんも、
こんなに熱い打ち上げはそうないね、
と言ってた。
きっとそうなのだと思う。

人数が多いからあいさつ回りをしていると
自分の席がなくなってしまう。
自席を奪われ、
他人の席、他人のコップで飲んでいたら
僕と同じで自席を奪われた渋谷飛鳥ちゃんがやってきて
僕の隣に座ってもいいですか、と。
「もちろん」
そして話していると、
山本奈津子さんもやってきて
にわかにそこは那須組の様相。

メイキングで僕が送り込んだ吉田明義によると
どうやら飛鳥ちゃんが奈津子さんから演技の技を盗んだようだ。

「盗んだ」というと聞こえが悪いが、
変に自分のプライドやスタイルにこだわるよりも
他人の良い部分を見つけて
すぐに吸収する(「盗む」)、
これは良い女優や良い物書きの条件。
那須さんもそう言っていた。
真似なんてすぐに真似じゃなくなる。
日本は「本歌取り」の国だからね。

だから飛鳥ちゃん
奈津子さんの技を自分のものにしたのだ。

本番直前の集中力を高める方法。

メイキングの吉田明義によると
奈津子さんの演技を見てからというもの
飛鳥ちゃんの演技がぐんぐん深くなっていったと言う。
それでこそ渋谷飛鳥。
那須さんの最後から二番目の弟子。
(飛鳥ちゃんと僕は「那須さん最後の弟子」という称号を奪い合う。
 僕のほうが最後の弟子なの!ってどっちでもいいじゃん>俺)

山本奈津子さん、演技について熱く語り
その姿を見て、渋谷飛鳥ちゃんは
「那須さんと話しているみたい」と。
たしかに奈津子さんの熱く語る姿は
周りに熱を伝え巻き込む那須スタイル。
奈津子さんに言うと、那須さんはいつも近くにいるらしい。
僕のそばにもいるから忙しいな那須さん。

打ち上げ1次会終わり
2次会に1/3ぐらい流れる。
飛鳥ちゃんは17歳、お酒飲めないし遅いので先に帰る。
来年、18になったら飲みに行こうね・・・って18も駄目なんだっけ?

2次会はこれまた山本奈津子さんの独壇場。
セーラー服百合族デビュー、その後の秘話、苦労話を聞かせてもらう。
普通なら朝まで飲むところだが
実は打ち上げの翌日にも撮影がある。
撮りこぼしというよりもスケジュール上の問題なのだが
実は翌日がほんとうのオールアップ。
なので終電のあるうちに解散となる。
奈津子さんと飲むのは本当に楽しい。
飛鳥ちゃんも奈津子さんの「百合族」とか
「濡れて打つ」とか「美少女プロレス」とか
見て欲しいな。感想が聞きたい。
オスカー的には駄目なんだろうか、みせるの。

↓( 那須さんの遺影と金子監督、山本奈津子さん )
3shot2





↓( オスカーのOさんと )
2shot





↓( 憧れの奈津子さん、那須さんと!)
3shot5

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2005/10/08

撮影無事終了にて

すみません。反省。更新怠っていました。
けっこう指摘されるです。更新さぼり。

で、まず報告しなければいけないのは
神の左手 悪魔の右手
無事、撮影終了いたしましたです。はい。

で、ついでに言うと編集もだいたい終わったです。
(終わったで、いいんですよね?金子監督)

で、みました。
ラッシュっつうんですか?
音楽や効果音や合成などがやられる前の映像。
みなさまよりちょいとお先にみました。
いやもうかなり楽しみました。
もうめっちゃ期待していてください!!
今いえるのはこんだけ。
現在は音楽をつける作業に入っています。
これがまた期待大大大大なわけです。
日本1国におさまらない展開なワケで。
金子監督はSkypeでロスの作曲家と日々ディスカッション・・・のようです。
頑張ってください。
いや、もう、はやく音楽出来上がりがたのしみです!!

ほんとね皆に見てもらうのが半年以上後じゃないですか。
もうしわけなくて仕方ありません。
いまんところ脚本家特権で楽しませてもらいます。

打ち上げも楽しかった。
僕は全日程撮影に立ち会ったわけではないので
打ち上げでしか会わなかった俳優さん、女優さんも沢山いました。
そして楳図先生!あいかわらずお元気でした!
 
3shot 金子監督、楳図先生、渋谷飛鳥ちゃん
金子監督、ぐわしができてませんっっ



5shot
小林翼くん、清水萌々子ちゃん
楳図さんの背後霊のように渡来先生が・・・。

と写真を載せたところで私信。
「いぐっち、ごめん」

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2005/10/01

那須映画再考の契機

8月の終わり、金子監督と成田プロデューサーとで那須監督の家に行った。正式に「神の左手悪魔の右手」がインすることを那須監督に報告するためである。

ぼくらは真知子さんの手料理でもてなされながら那須さんが生前に大事にしまっていたテキーラを開けて飲んだりした。

懐かしみながら那須さんの残した品々をいじっていると、その中にあった小さなDVD再生機が突然動き出し、その画面に、パッと鮮やかな映像が映し出された。

それはなんと那須監督自身の姿だった。

突如画面に大写しになった那須さんが僕らに語りかける。

「この映像を見る頃には、すでに私はこの世にはいない。
 だがキミたちに伝えなければいけないことがある・・・」

そのまるで飛鳥教授のような言葉に続いて那須監督がぼくらに語り始めた真実は僕たちを震えるほど驚かすことになった。。。

なぁんていうことは無かったわけですが
小さなDVD再生機にある映像が鮮やかに映し出された・・というのは本当。

その映像は映画「デビルマン」の映像で、けれどもそれは一切表に出されることの無かった映像。思わず金子さんとその那須さんの撮った美しい映像に見とれてしまった。そして「どうしてこの映像が本編で使われていないんだろう?」と首をかしげることしきり。あの一連の編集をめぐる騒動の中で、那須さんが大切に思っていながらも切られてしまったシーンの数々である。那須さんはそういうシーンばかりを大切にDVDに保存していた。

飛鳥ちゃんに「デビルマン撮影で一番大変だった思い出はなに?」聞くと、彼女は雪山の撮影を挙げる。

しかしちょっと待ってくれ
雪山の撮影って・・・?

ていうか本編で雪山のシーンなんて無いですから!
そのシーンも公開バージョンではカットされていますです。僕も見たことが無い。しかし、那須さんのDVDを全部調べたら、あるのかな雪山のシーン。実際那須さんは雪山のシーン、いい物が撮れたと僕に自慢していた。これはぜひとも見たい!のである。

百合族、百合族2、美少女プロレスとか日活時代の作品もなんど見返しても面白い。ビーバップシリーズも面白い。代打教師も面白い。湘南爆走族も見逃せない。下世話かもしれないし、その映像は芸術からは離れていたかもしれないけど、確実に時代に楔を打つ映像を撮ってきたのが那須さんだった。というか芸術なんてナマッチョロイことを良しとしなかった那須さんだが、しかしその映像は道化に徹しながら裏返って確実に芸術的ですらあったのだけど。ピンチランナーの最初のシーンも会社からは要らないシーンと言われたらしいけど
あの廃墟船となっちのシーンがなくてピンチランナーが始まるワケが無いのだ。

デビルマンがこけたことで那須さんが語られることが多い。とりあえず那須を悪人にしとけばいい的な風潮もあったりする(そんなのは分析の放棄だ)。ひどい言い方かもしれないが、「うまい具合に」那須さんが罪を背負ってあの世にいっちゃったもんだからなおさらである。

そういう風潮にもかかわらず、金子さんとか飛鳥ちゃんとか僕とかが「那須さん、那須さん」と言うから、一部の人は、「那須監督という人は映画はアレだったけど、後輩に慕われる良い先輩だったのだろう」というようなことを言う。たしかに那須博之という人間はこれほど魅力的な人は居ないというほど魅力的な人だった。だが、僕は言いたい。那須映画も魅力的だったと。でなくては、あんなにもスタッフやキャストに慕われるわけが無いのであって、実際、彼の作品はほれぼれとするような魅力的な作品、まさに那須さんの人格が透けて見えるような作品ばかりであった。もちろん、会社のうんぬんや集団でやることだから政治的な何とかで傷もあったかもしれないが、そういう中でも、那須さんの作品はその人間同様に僕らをひきつけていた。だから「映画はあれだったけど・・・」つうことはありえない。ちゃんと彼の過去の作品もたくさんの人たちに見てもらいたい。つーわけで、デビルマン1作で那須さんを評価するのは止めにしてもらいたい。デビルマンのディレクターズエディションを見てから判断してもらいたい。もちろん、那須さんは天国の歌舞伎町に行っているから、デビルマンのディレクターズエディションを作るなんて、もうそれはかなわぬことだし、大体、生きていても、後ろ向きなことはしなかった人なので、そんなことはしなかったかもしれないけど。

ただ那須さんの知ったことではないかもしれないが、金子さん、飛鳥ちゃん、奈津子さん、ぼく・・・那須さんの薫陶を受けたぼくらが良い作品を作っていくことでしか、那須さんへの恩返しというか、那須さんの目指した映画、撮ってきた映画を再評価させるような、そういう道は無いのだろうなと思っている。

そういう意味でも今回の「神の左手悪魔の右手」は大きな役割を担っている。

もちろん、那須監督なんか関係なくひとつの作品として評価されなければならない。
それが那須さんの再評価にもつながっていくのだろうと思っている。多くのスタッフやキャストは那須監督追悼なんていうのとは関係なく良い作品を作るために尽力しているのであって、ぼくらが、那須さん、那須さんと酔っていても仕方が無い。ひとつの作品として良くして行くしかない。とは言うものの、確実に、この作品は、金子さんや飛鳥ちゃんや僕が関わることによって、那須映画を再考してもらうためのひとつの契機になるのだろうとは思っている。

ところで、つい昨日奈津子さんと飲んだときに教えてもらったのだけど、今回のメイクの永江さん。じつは百合族のメイクさんだったのだそうだ。だから何だということではないが、そういうことすらなんとなくうれしい僕なのであった。

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2005/09/20

神の左手悪魔の右手

僕が脚本を担当した金子修介監督作品『神の左手悪魔の右手』の公式ホームページがオープンしました。

http://www.kaminohidarite.com/

これから内容充実させていきますので、よろしくお願いします。

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2005/09/19

あした新聞に・・・

金子組いってまいりました。
今日はスタジオでの撮影です。
ああ、とてもすばらしいものをみてしまいました。
でもそれがなにかは言えません。

で、スポニチと報知新聞の記者さんがインタビューに来ました。
なのでたぶん明日載ると思います。
松枝佳紀。のるかな?
金子監督と渋谷飛鳥ちゃんの名前だけかもしれない・・・。
マツエダなんて呼ばれていたし・・・
マツガエですから・・・でも記者さんかなり美人だったから許そう。

で、あした映画の公式HPがオープンします。
だいたい朝の8時を予定しています。
URLここであす発表します。

で、今日は現場見学に
キング萩尾と野木太郎と畠山佳子が来ました。
キング萩ぃはあいかわらず妙で畠山佳子は子供でした。

オスカーのOさんに松枝さん太ったねぇと言われました。
執筆時は太るのです。ああ、やせねば。

インタビューは那須博之監督への
金子監督と渋谷飛鳥ちゃんの思いがほとばしった感じでした。
僕は感無量でうるうる。
それは風邪で熱にうなされているばかりではありません。

詳しい内容は記事に譲るとして
とりあえず、

那須監督の一番の弟である金子修介監督
那須監督の最後に愛した女優である渋谷飛鳥ちゃん
そして最後の弟子の僕。

僕らが一緒になって映画を作っているのを
遠くの那須さんはどんな思い出みているのでしょうか。

とりあえず、今日はこれから那須家に行きます。
太郎と2人で最後の宴会です。
那須さんと真知子さんの17年すんだ家は
明日不動産屋に引き取られ取り壊されます。
だから17年の那須さんの思い出の締めくくりに
僕と太郎はガラーンと何も無い御殿で飲んできます。

asuka_yoshiko (渋谷飛鳥ちゃんとうちの看板女優畠山佳子)

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2005/09/14

行ってきました金子組!

芝居も終わり
ようやく金子組の現場に顔を出せた。

あさ渋谷に集合。
意図したわけではないが
僕がはじめて金子組現場に行く日が
楳図先生と野木太郎の出演日だった。

ロケバスは満員だったので
ぼくはメイキング班と一緒に制作車に乗る。
渋谷飛鳥ちゃんとマネージャーさんもこちらに。

制作車の中では
メイキング班の作った
楳図さんへのインタビュー原稿に目を通し
楳図さんへふさわしいインタビュー項目へと作りかえをする。

撮影現場。
すばらしい天候。
夏日がもどってきた。
蝉がガンガン鳴いている。

ひさしぶりに金子監督に会う。
ついでに楳図さんの公式HPの管理人さんの金子さんにも会う。
どうでもいい偶然だが同じ金子。
ふとみると「(株)金子建材」なんて看板も。
050913_121857_M
(写真:ロケ弁を食うumezzドットコムの金子さん)









田口トモロヲさん登場で撮影開始。
シーン44から。

飛鳥ちゃんはここだけでこの現場はアップ。
夜の千駄ヶ谷の撮影でまた再入。

つぎにとうとう我らが太郎の登場。
050913_112514_M


(写真:にこやか太郎)





と思ったら昼飯になる。
050913_121657_M


(写真:もぐもぐ太郎)







昼飯後、太郎のシーン。
太郎、緊張している。
また、いつもの悪い癖で空いている手がぶらぶらする。
そこで金子監督。太郎に物を持たせる。
物を持つと太郎の動きが安定してきた。

さらに芝居がもうすこし出来るようにと
あたらしいセリフをその場でつくり
トモロヲさんと太郎につける。
シーンが少しだけ長くなる。

しかし
これが功を奏してか、太郎の演技がよくなる。
舞台経験で培われたハリのある声が生きるセリフ。
まぁ、かなり身内としての贔屓目かもしれないが。

そして登場。
原作者にして絵本作家役の楳図かずお先生。
050913_122821_M

(写真:楳図せんせいと太郎)


もちろん原作には無いシーンだ。

今回の先生の役回りは
同じく僕脚本の舞台版「わたしは真悟」で
楳図先生を使ったのと同じような役回り。
結構重要なセリフを言っている。

もちろん、
楳図先生のしゃべり方は承知なので、
最初からアテガキでかいた。

予想通り、楳図さんが言うと、
そんなに特殊ではないセリフが、生き生きと屹立する。
そのセリフに反応するトモロヲさんの表情がまたいい。
そこまで脚本には書いていないのに、
ちゃんと行間を読んでくれているんだなぁと感動。

このシーンは、
楳図さんのことを良く知っている僕だからこそ書けるシーンだと自負がある。

ちなみに今回の金子組は僕の知っている他の現場(とくに那須組)と違う。
050913_112652_M


(写真:金子監督と太郎)





一番の違いはカチンコである。

普通は、
監督「つぎ本番」
助監督「つぎ本番いきます!」
監督「本番!」
撮影部「はい、カメラ回りました」
助監督「シーン○○カット○」
監督が「よーい、はい!」
と言った後に、一拍置いて、
助監督がカチンとカチンコを打つ。
そして芝居が始まる。

しかし、金子組では、
監督「つぎ本番」
助監督「つぎ本番いきます!」
撮影部「はい、カメラ回りました」
撮影部助手「シーン○○カット○」
とここでカチンコ。
画面の中に入れるだけ。
それも助監督ではなく撮影部の人。
そして
監督「よーい、はい!」
で芝居が始まる。

しかも、カメラは多くの場合
2台体制である。
1台はトモロヲさん狙い。
もう1台は楳図さん狙い。
とか
1台は寄り。
もう1台は引き。
とか。

まぁ、そんなこんなで撮影は進み・・・
楳図さんの出番はおわり

つぎに楳図さんのメインキング用のインタビュー撮影である。
ぼくはメイキング班を指揮する手前、楳図さんと一緒に近くの神社に移動。

するとなんと
静謐な空間をイメージしていた僕らの期待に反し、
神社は改装工事中なのである。
ガガガガガとうるさいシャベルカー。

しかし、撮影の間、工事を止めてくれないかお願いすると
快くOKをくれる。いい人たちだ。
その代わり、神社にお参りして言ってくれといわれる。
もちろん!お参りしますとも。

楳図さんのインタビューはじつに面白く撮れた。
DVDのメイキングを楽しみにしていて欲しい。

その後、千駄ヶ谷への移動があるが
僕はロケバスには戻らず
楳図さんとともに電車に。
渋谷までご一緒し、ひさしぶりに楽しい話をした。

渋谷で解散すると少し時間のあった僕は
楳図さん公式HPの金子さんとお茶をする。
おちゃというかケーキする。

金子さんと別れ、別件の会合。
途中ではハルの乱入もある。
おごるだけおごらされて、ハル消える。

その後、明け方まで歌舞伎町で過ごす。

○○食堂で朝飯を食べていると
華原朋美っぽい声が聞こえる。

みると店の中に
本当に華原朋美がいた。

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2005/09/04

金子組討ち入り!

昨日は金子組のお祓い&オールスタッフ&楳図先生の誕生日。
ずらりとそろう。
ぼくは遅れて参加。
そうそうたるメンバーである。

特殊造形の藤原カクセイさんと話す。
デビルマンのとき少し関わったことがあるそうな。
知らなかった。
僕の書いたデーモン白書もリアルタイムで読んでいる。
最終的にデビルマンの特殊造形はべつのところに行ったわけだが。
しかし藤原さんの今回の作品に対する気合もすごいものがある。
どんなものになるのか楽しみである。

オールスタッフの後は
僕が集めたメイキング班で打ち合わせ。
毎日現場に行ってだらだらと撮影すればキリが無い。
何をどう撮る、撮るなら何故か。
そこをもっとシャープにしようという会議。
かなり有意義だったと思う。

メイキング班は3人で構成されている。
多すぎという話もあるが
定者(テイジャ)さんが監督。
吉田明義が撮影。
鈴木くんが編集。
という役割分担である。

鈴木くんは、去年、
僕の芝居「ベジタリアンサマー」のメイキングを作ってもらった人だ。
メイキング事態が面白く(まぁ、少々長いけど)
で、今回頼んでみたというわけ。
彼はいま東京藝術大学の大学院生で
いわゆる北野武ゼミとかそういうところにいる。

定者さんはその鈴木くんが連れてきた同じ大学院生で
「ばかのハコ船」などを撮っている山下敦弘監督のところで
撮影とか助監督みたいなことをしていた人だ。
役者になったらいいんじゃないかというような圧倒的面構えをしている。

吉田明義はじつはこれは僕との関係が長い。
2001年11月新宿のタイニィアリスでやった「由紀夫の空」と言う芝居。
その登場人物である森田必勝を彼に演じてもらったのだ。
その後、何作品か彼を役者として使った芝居をやった。
来週から乃木坂でやる「アブレボ、僕たちの純愛革命」で
急遽、怪我して降板となった広澤葵の代わりにA班主役となった畠山佳子と一緒に箱根合宿にも行ったことがある。
(あのときの佳子はかわいらしい19歳の女の子だった・・・いまもかわいらしいですがw)
今回、吉田明義が
映画学校を卒業し助監督としてやっていきたいがなかなか職が無いと
困っているのを知り、急遽、金子組にスカウトしたわけだ。
吉田明義はいまからサードをやるには歳はくってるけど
しかし気がつくし礼儀正しいし、考えもある。
さっそく成田プロデューサーにも「あいつ優秀だな」と言ってもらった。
なにしろ僕と誕生日が同じ5月12日だ。
それはどうでもいいが、
昔から一緒にやってる仲間にはほんとうに頑張って欲しいと思う。
彼とは次の仕事・・・某TV局のドラマの撮影でも一緒にやる予定。

そんなメイキング班と濃い打ち合わせの後
いそぎ新宿に行き、
金子監督、平田さん、成田さん、撮影監督の高間さんらの討ち入りに合流。
那須監督の思い出話などしながら軽く飲む。

金子さんと台本の話になり
その後、他の人は二次会に向かったが
僕と金子さんはまじめにふたりでスターバックス。
甘いものを食べながら、脚本内容について議論を交わす。
飲んだり、なんだかんだも楽しいが
映画のこと、作るべき物語のことを話している時間がとても楽しい。
あの席にはきっと那須監督も一緒にいたのだろう。

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2005/09/02

クランクイン直前

ちょっと金子監督。
フライングですよお!!
同時に発表しようって言ったじゃないですかw

金子修介監督のブログ

ということで、とうとうクランクインします。

那須監督の関わった最後の作品。

劇場用映画で僕がはじめて脚本を書くことになった作品。

今年の正月、那須監督の病室で書き上げた脚本。

最後の最後まで
赤々と燃え続けた那須監督の映画への思い。

その思いは
那須さんが本当の弟のように愛した金子監督に受け継がれ
ようやくというか、ついにというか
クランクインまでこぎつけることになりました。

那須さんと僕が作り上げた台本を元に
金子さん、成田さんと何度も何度も議論し修正を重ね
新しい台本を作り上げました。

もちろん
那須監督が企画立案だったとしても
金子監督がメガホンを取るからには
これはもう完全に

金子修介監督作品

です。

新しい金子さんの作品のひとつとして
この映画が完成されることを天国の那須さんも喜んでくれるでしょう。

とりあえず、
来週から始まる撮影の様子などについては
このblogでもちょくちょく報告させていただきます。

あ、あと金子さんがblogで紹介してくれていますが
来週から芝居やりますんで、そっちのほうも見に来てください。
とりあえず、みといたほうがいい作品になりますよ!
美女15人そろいぶみの
お馬鹿でえっちな
下世話でポップなおもちゃ箱のような芝居になります。
高原秀和監督が演出です。

  劇団HP 、 アブレボblog

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2005/08/29

憧れの人

昨日、すげぇ、人に会いました。
誰だと思います?
山本奈津子さまです!!
うわぁぁ、感動。

みなさん
セーラー服百合族1,2
宇能鴻一郎の濡れて打つ
美少女プロレス失神10秒前
見てください。
傑作ぞろいです。
そしてすべて山本奈津子さまなしでは成立しません。

ちかぢかセレブな山本奈津子さま
スクリーンで見られます。
しかもおいら脚本で!!
うっひょー。すごい。
悶絶。

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2005/08/08

稽古場にいけていない。

書き物が山積していて稽古場にいけていない。
監督にも申し訳ない。
台本は来週はじめまでに何とかする。

真知子さんのお父様がなくなった。
那須さんの死が真知子さんを落ち込ませていたから
お父様もだいぶ具合が悪かったけど
「真知子が元気になるまで死ねない」
と気力で生きておられたらしい。
自分葬というマニュアルを生前につくられていた。
自分の葬儀の段取りを1から10まで書いてある。
自分の命の責任をすべて取ろうという執念があふれている。
真の意味で「自決」というようなことだろうか。
武人の魂を見る思いである。
そして執念だけではない技術者らしい緻密さと文学。
真知子さんという才能が生まれた背景と
真知子さんが那須さんに惚れた理由が分かるような気がした。

とりあえず今日はこれから明日の昼まで
TVドラマの台本を書くことにする。
書き切らねば、どうにも先に進まない。
先人たちが次々と眠りにつく。
着々と僕の時間が近づいている。
だからもうのんびりはしていられない。
やるしかない。やるしかない。やるしかない。

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2005/07/27

めんどくさい女はイイ女

K監督と女優のSちゃんとの顔合わせ昼食会。
電車の中で偶然会ったSちゃんであるが
やはりまともに見ると衝撃を受けるぐらいの美人。

事務所の人いわく
ホントここ最近にきて急に美人度が増しているとのこと。
まさに子供から大人への脱皮の最中なのだろう。

話しているうちに
ああ、と思った。

「ああ、Sちゃんのこと、
 那須さんが好きだった理由がわかりました」

なんというかSちゃん
非常に意見がはっきりしているし
マイペースだし時流に流されている感じがない。
どんな本読んでるの?
1人暮らししたくないの?
とか僕の脚本の感想とか
そんな話への返答から
彼女の輪郭のはっきりした性格がわかってきた。

そして

「ああ、Sちゃんのこと、
 那須さんが好きだった理由がわかりました」

と心で思ったら
耳元で

「だろ?(笑)」

という那須さんの声が聞こえ
正直昨日の会合で泣きそうになりました。

幽霊が出た!

いえ、そういうホラーな意味で泣きたくなったのではなく
ほんとSちゃんが那須さんの心の琴線に触れるタイプ
というのが分かったからで
那須さんが
彼女を主人公に映画を撮りたかった理由が
はじめて本当のレベルでわかったから
なんだか泣けてきたのでした。

ちなみに
那須さんの心の琴線に触れるタイプってのは
ヒトコトで言うと

「めんどくさい女(笑)」

です。
Sちゃん、超美人でしっかりした自分があるし
しかもその自分てものが個性的で面白いけど

「ああ、付き合ったらめんどくさそうだな・・・」

感がかなりしてました。
付き合うなんてことあるはずもないですが(爆)

でも那須さんは真知子さんみたいな
ほんとめんどくさそうな女が好きなんですよね。
同じ感じを非常にSちゃんから受けました。
男より理論的で、女的な情感もあるというか
ある意味超人なワケですが。
こういう人と付き合うのは
結構自分のレベルも高くないと大変そうなわけで。
あるいはいっそのことペットになるとか(笑)
ああ、
でもレベルの高いペットになる必要がありそうで
(なんなんだレベルの高いペットって)
て感じでいずれにしてもめんどくさそうです(笑)。

それはそうと女優としてはきっと優れているのだと思う。
それはK監督やNプロデューサも思ったのだと思うが
非常に大満足な感じで昨日の昼食会は終わって良かった良かった。

そして大雨の中を移動。
僕は芝居の補充人員を面接。
ほんとうはT監督がくるはずだったが
いろいろあり僕とT郎くんで対応。
いや、結構突っ込みましたよ。
で反応のいい子達ばかりでした。
ただすでに役者たくさんいるので
どうするべきか
たぶん役取り競争が激化するだろう。
総じて今回面接などして
初めて会う人のほうが
芝居に対するモチベーションが高い
相応の覚悟もしている。
自分的には従来仲良くして来た人に報いたい気もするが
良いものを作るには、仲良しクラブは良くない。
競争の中で新しいものを作ることがベストだと思う。

面接終了が20時ぐらい。

その後、移動。
Micchiも合流して
写真家のNさんと初顔合わせ。
今回の芝居のblog企画の相談。

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2005/07/20

蜷川幸雄演出「NINAGAWA十二夜」

今日は
七月大歌舞伎NINAGAWA十二夜」を観に行った。
長かったが音楽美術と素晴らしかった。
これぞ蜷川。
蜷川さんはシーン(舞台美術、装置、動き、人の並びなど)で
ガツンと衝撃を食らわせてくれる数少ない演出家の一人だと思う。

それから
蜷川さんはユーモラスなシーンの作り方がうまい。
これは他のシェークスピア作品のときにも思ったことだ。
十二夜なんて題材はぴったりだった。

蜷川さんもすごかったが
演者の皆さんもすごい。
尾上菊之助の演技力は必見。
男女での使い分けがすごい。
頭の中がごちゃごちゃになる
男が男を演じざるを得なくなった女を演じる・・・とか。
そして美しい。
しかも彼がこの企画を蜷川さんに持ちかけた張本人らしい。
28歳。
で菊五郎劇団の団長であり菊之助の父親の菊五郎も二役。
尾上松緑。かれのカワイイ演技はほんと笑える。必見。
市川左團次、市川亀治郎、そのほかみなさん、素晴らしい。
蜷川さんが「この作品は名優がやってこそすばらしい作品になる」と言ったそうだが
蜷川演出の美しさに加えて役者たちの名演、これをぜひ満喫して欲しい。
そして腹のそこから笑って欲しい。楽しくも美しい歌舞伎がそこにあるから。

そんな楽しい歌舞伎であるが
実は行く直前は行けないかもと焦っていた。

というのも
家で某TV局のドラマ脚本を書いていたのだが
いきなりKプロデューサーさんから電話で
とある予算書とプロット、前書きを
五時までにつくれと言われたわけです。

なんとか歌舞伎をみにいきたいし
がんばってヒーコラいってると
K監督からキャスティングの相談メール。
実は今日キャスティング会議あったけど
NINAGAWA行くから欠席にしていたのだ。
僕のキャスティングに関する考えをメール。
これもそれなりに時間がかかった。

などとしていると
歌舞伎に遅刻するんじゃないかの時間。

やばい!!

となったとき
Kプロデューサーから電話。
締め切りが明日まで延びた。
やった!!!!!!!!
急いで地下鉄に乗る。

ふと気付くと目の前に乗っている女の子。
帽子を目深にかぶって寝ているが・・・・
誰かに似ている・・・・
あ、Sちゃんだ!
むちゃくちゃ可愛くなっていた。
しかも若い。中学生か?

声をかける。
久しぶり!!
那須さんが会わせてくれたんだね。
この人が僕の初めて書いた劇場用映画の主人公になる・・・。
思うと感無量である。

その感無量さはそっちのけで
口では「男とデートだろ」とかオヤジ突っ込み。
「こんな格好でデートなわけないじゃないですか」とSちゃん。
ほんとうに仕事らしい。

というような不思議なニアミスもありつつ
すべりこみセーフで歌舞伎座に。

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2005/07/15

機種変とか大変だったとか

携帯、機種変をした。
FOMA SH901iS
に決めた。

まだ使い方が分からない。
田町のドコモショップのお姉さんが
めちゃくちゃ賢そうでいい人だった。

機種変をすることにしたのは
先日、前の携帯のジョグダイヤルが
機能しないことが判明したためである。
修理に出そうと思ったが
電話帳は取り出せるが
音声メッセージは消えてしまうとのこと。

前の携帯には大事な音声メッセージが2つ入っている。

まずひとつは
那須さんが入院するときに
つまり亡くなられる一ヶ月前に
僕の携帯の留守電に入れた那須さんの声が入っている。
病院の入り口で待ち合わせたのだ。
いまだにたびたび聞くが胸が締め付けられる。

もうひとつつは
あと那須さんが亡くなるまさにその時に
僕が病院に間に合わないことを
悲しむ真知子さんの泣き声だ。
これは後悔とともに決して消すことの出来ない音声メッセージだ。
僕は死ぬほど走ったがまにあわなかったのだ。

だから、この携帯を修理に出すことは出来ない。
ということで機種変をし、古い奴は永久保存版にすることにした。

しかし機種変をしようと思ったが
荻窪のドコモショップだけみて
決めるのはどうかという太郎くんのアドバイスで
とりあえずボロ携帯のまま阿佐ヶ谷に移動。

目的地は阿佐ヶ谷のUFJ。
先日財布なくしたといったが見つかったので
ストップしていた銀行カードを復活させるための手続きをしに。
個人カードは復活したが
法人カードは書類不足でまだ復活できない。

その後、渋谷に移動。

鈴木健くんが「はてな」の社長の近藤さんとミーティングをするらしく、
そのオブザーバーとして参加しないかとのメールがあったからだ。

最近は映画や芝居ばかりで
久しくアカデミックな雰囲気にひたっていなかったので
たまには頭を使おうと思って
太郎君を連れて渋谷に。

諸手続きがあったため
昼飯にはまにあわず
ゴールドラッシュのハンバーグが食べられずショック。

しかし近藤さんと健くんの会話は本当に楽しかった。
久々にあたまがぎりぎりとした。
「なめらか」とか「強さ」とかそういうことについての会話。

よくは覚えてないが
僕的には日銀でサラリーマンをしていたときの経験も踏まえて
従来的なヒエラルキーに基づいたコミュニケーションシステムではない
「はてな」やblogやmixiやそういうものについて肯定したと思う。

ただ
あくまでそれは「絶対的」なことではなくて
「時代相対的」なことなんだというような話。
それについては
もちろん
頭の良い2人だから当然のように分かってはいたが。

その後、近藤さんが帰って健君とは別の話を。
これはこれでヒートアップしたが
僕と太郎君が次の用事があり、途中中断。

簡単にメモ的に書くと
「きもい教科書」とかそういう話。

その後、太郎君と田町に移動。
機種変を済ます。

そしてmicchiくんと合流。
芝居制作についての簡単なミーティング。

その後、芝居に出演するキレイどころ7人集めて
(実際のキレイどころはなんちゃってキレイも含めて14名!!の予定)
港区海岸のフォトスタジオに移動。
僕のイメージした写真が取れない。
豊浦さんとの打ち合わせ不足を後悔する。
後悔をしてもしかたない。
雰囲気を見ながら撮影するが
どうもなっとくいかない。
なんどもセッティングを変え
四苦八苦しながら撮影をする。
豊浦さん、スタジオを貸してくれた大沢さん、
その場で画像処理をしてくださったTASKさんには
非常に無理をしていただいてしまった。

次の日
最終的に出来上がったものは
悪くは無いが、しかし、豊浦さんの名前を冠するには
あまりにもな出来。
チラシの入稿時期や労力やいろいろ考えて悩む。
このままでいくか、いかないか。
行かない場合はどうするか?再撮影か?
だとしても豊浦さんにはもう頼めない。
もうしわけなさすぎるし・・・・
どうしてよいかわからない原状について
素直に豊浦さんに相談すると
なんと再撮影してくれるとのこと!!!!!!!!!!

豊浦さんに感謝するしかない展開となった。
もう経堂には足を向けて寝れない。

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2005/06/18

佐藤太監督「ホーリーランド」第12話

最終話一歩前である。
前話がかなり盛り上がったので
とんでもない高いジャンプを期待されてスタート。

僕が徹夜続きであるせいか
物語に入りきれないで焦っていると

最終キャラ・・・宮田大三くん登場。

実は宮田君とは数回会っている。
宮田君の弟君の息子さん4歳ぐらいを
実は「真説タイガーマスク」で使ったからだ。

ちょうど子役を探していたときに
宮田大三君と仲のいい某U嬢が僕に
宮田君の甥にかわいい子供が居ることをおしえてくれた。
で、宮田君に写真をもらい即決。

しかし現場では大変だった。
宮田君と同じ凶暴な血が通っているのだろう
この甥っ子くんがカワイイ顔して超やんちゃ。
大騒ぎをする。
かなり撮影どころじゃない騒ぎだった。
でもご両親と某U嬢のアヤシが功を奏し
なんとか撮影はできたのだが。

宮田大三くん自体も
那須さんに使ってもらおうと思って僕が面接をセッティングした。
ちょうどその時
宮田君はホーリーランドの撮影最中だったような記憶。

で、ホーリーランドに話を戻すと
神代ユウにはいままでにない穏やかな日々が訪れる。

しかし、対照的に伊沢マサキは修羅場の中。
ある意味、マサキのこの事態はユウをかばったが故に
生じてしまった事態で、ユウの能天気な笑顔は
たしかに良かったねとは思うけど
お前、まだ終わっちゃ居ないんだぜと言いたくなる。

最終話に向けてのお膳立てが整い
そして息抜きも終わり・・・・

待つばかりの最終話。

いつの間にか闘いの中に高揚する自分を見つけるユウと僕。
大いにじらされた回であった。

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2005/04/28

ウルトラマンマックス現場見学

那須さんとの思い出話も織り込みつつ
金子監督と脚本の打ち合わせ。
その後、
監督のご好意で
ウルトラマンマックスの現場を覗かせていただく。
向かう途中、円谷プロの門兵を撮影。
ultraman
 
 
 
東宝スタジオに入る。
2ケ所で撮影が同時進行中のようである。
1つはドラマ部分の撮影、
もう1つが特撮の撮影。
まずはドラマ部分の撮影を覗きに。

「お、神代ユウのともだちだ」
見ると主役はホーリーランドにも出演している青山草太くん。
カッコいいだけじゃない何か弱さみたいなものが
にじみ出ていて、とても味のある役者さんだなぁと思う。
僕の子供の頃見ていたウルトラマンは
子供向けではあるんだけど、ドラマとしても深かった気がする。
それは主人公の秘められた苦悩のようなものが
常にとげのようにささっていたからで、
そういう意味で言うと、青山草太くんみたいなのはイイナぁ。
だって1回怪獣に殺されてるんだから
笑顔だって普通の笑顔のわけがない。

(極秘情報)
  金子監督が
  出演者たちに「blogの更新が遅い笑」と責められていた・・・

ドラマ撮影見学を終えると次は特撮の現場に。
その移動途中、打ち合わせ中の三池監督に会う。
ウルトラマンマックスは金子監督が総監督だが
うち何話かは三池さんや実相寺監督も撮られるらしい。

特撮の撮影は第1話?で怪獣が初登場するシーンを撮っていた。
怪獣が山を崩しながら登場するがセットなんだけど
かなりの迫力。取り直しになっていたが
崩れた山を初期状態に戻すのが大変そう。
とんでもなく労力と時間をかけて、このワンシーンを撮っているんだなぁと。

見学を終え
再び金子監督と脚本についての意見交換+ビール。

そのうち、金子監督の奥さん、息子さん、娘さんと合流して夕食をご馳走になる。
金子夫妻と那須夫妻の交流話に興味津々。
那須さんの思い出話をすると
だいたいどんな会でも
那須さんってほんとうに人非人だったよねと大爆笑
めちゃくちゃ話が盛り上がる。
那須博之はほんとうに愛すべき人非人だったと思う。

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2005/04/20

納骨

那須家のお墓は京都にあります。
49日も終わり、とうとう那須さんのお骨が京都に行く日が来ました。
納骨に行くのは那須さんのご両親と真知子さん、そして甥っ子の太郎くん。
僕と菊地さんは東京駅ホームまでの見送りです。
しばらく忘れようと思っていた痛みを思い出してしまいました。

最後に那須さんの骨壷を少しだけ持たせてもらいました。
その重量。

ほんとうに悲しいです。

那須さんがほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、いないってこと。
そして
小さな体で一生懸命那須さんの骨を抱えている真知子さんの気持ち。

いろいろ考えたら泣けてきてしまいました。

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2005/03/24

真説タイガーマスク予告編

4月25日に
GPミュージアムから
那須博之監督作品

哀川翔さん主演「真説タイガーマスク」

がリリースされます。

予告編を見ることが出来ます。
 ↓
 ここ

結構、男の子的にはおもしろそうです(笑)

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キムチ

22日中に上げるはずの劇場用映画のプロットが
23日の朝10時にようやく上がった。
いつもながらぎりぎりで間に合わないのが僕である。
とりあえず送るべき先のプロデューサーに
プロットとイメージ画像をメールで送り電話で送った旨を伝える。
この打ち合わせは24日(って今日だね)。

23日は夕方から
木村俊樹プロデューサーに会うことになっていた
ので4時間ほど睡眠。
起きると雨。寒いし。

木村さんとは、2003年の6月に那須監督の紹介ではじめて会った。
那須さんはデビルマンの現場で僕がばらされないように
いろいろ工作頑張ってくれたが
結局は監督ではないところの判断で僕の首切りが決まった。
那須さんは
「すまんなぁ、がははは」
と笑って僕を木村さんに預けたのである。

那須さんが練習しとけよと僕に買わせたカチンコはとうとう
テスト撮影のときにしか使われなかった。
(その後、木村さんに貸したら返ってこなくなった・・・か、返してください(笑) )

今日の木村さんとの打ち合わせは
具体的に何か案件があるというよりも
人生相談?みたいなもの、というか
那須さんの死もあって心配してもらっている。

那須監督が父ならば
木村さんは兄貴だと思っている。
本人は思われるのが嫌だと思うし
「お前みたいな駄目人間は弟じゃねぇ」
とかなんとか憎まれ口をききそうだが
そういうところも「兄貴ぃ」な感じなのである。

とても優秀なプロデューサーで
その伝え聞くイメージはかなりの年を食った人のイメージだった。
しかし実際あった木村さんは若く一見優しそうに見えた。
いやいや一見じゃなくてとても優しい。

三池 崇史: 監督中毒
三池 崇史: 監督中毒

これとても面白い本なのだが
木村さんのことにも触れられている。
三池さんはその独自の映画スタイルをキッチリ作ってきていて
だからこそ巨匠になっていってるわけだけども
人生の途中で何かブレイクするきっかけというのが
やっぱりあり、それは「D.O.A」がひとつのきっかけになったのだろうと思っている。

で、この破天荒な映画を作ったのが木村俊樹プロデューサー。
また脚本も龍一朗の名前で書いている。

那須さんに紹介してもらってから
木村さん所では修行とも思えるほどの
大量のプロットを書いてきた。
基本的に没。
コテンパンにやられて
木村さんところに行くと思うと鬱な感じになるときさえあった。
木村さんところである打ち合わせを
僕は個人的にキムチと呼んでいるが
かなり激辛のキムチであることは間違いない。
しかし僕は激辛キムチ好きのマゾでもある。

そして辛いだけじゃなく、やめられなくなるほど美味いのがキムチ。

実際、木村さん所では
決して授業なんかじゃ教わらない映画製作の秘訣や
物語創作や脚本作りの実践的な考え方を学んだ。

遠藤憲一さんと小向美奈子さんが主演の「集団殺人クラブGROWING」
遠藤憲一さんと吉野紗香さんが主演の「集団殺人クラブ最後の殺戮」
では、木村さんの事務所に泊まりこみでシナリオを作成した。

木村さんが話の大筋を決め
「じゃ、シーン38からシーン42まで書いてみて」
みたいな感じで言われて僕がパソコンで打つ。
必死で考えながらシナリオを書いていく。
その横で木村さんは腹筋と腕立て伏せとシャドウボクシングを始める。
「できた?」
「ま、まだです」
しばらくカタカタ、そして腹筋・・・
「まだ?」
「もうちょっとです」
「早くしろよ」
と僕の頭の横で今にも当たりそうなシャドウボクシング。。。
「で、できました」
「どれどれ」
とパソコンの前の席を交代。
緊張の時間が流れる。。。
「だめ、ぜんぜん、だめ」
ていうかんじで、もう1回書く・・・

夕方6時をまわると
木村さんはビールを飲み始める。
それが焼酎に代わる。
「よし、飯食いに行くぞ」

居酒屋で、
これから書かれる物語の展開について再検討する。
最後に
「よし、これで書けるな。
 今日は寝て明日一気に書こう」

寝るのは事務所の床。

起きて、木村さんの第一声
「やっぱ、こうしよう」
「え?」
もう、昨日の展開で頭ができあがっていた僕は動揺。
しかし、僕は木村さんの物語創出力というか
映画をプロデュースする能力に憧れを覚える。
決してタレントにペコペコはしない。
良い映画を作ることにおいて
キャスト、スタッフ、監督を集め
必要な資金を集め
脚本を書き
隅から隅まで映画を作るということで充満している。
自分が主体として映画を作る、その意志がある。

海外ではブラッカイマー作品というように
プロデューサーが監督よりも先に立つことが多いような気がする。
というか日本でも脚本の並びではプロデューサーのほうが監督よりも先である。
先にかかれる人間は原作者は別として
出来上がりの映画に影響力をもてるし
また影響力を行使しなければならないし
当然出来上がりについては監督以上に責任を問われねばならないと思う。
そしてその見返りとして
当然、映画があたったときの功績もプロデューサーに多く依存することを認めなきゃいけない。
三池さんもそれを認めているし職業監督としての責任と自負がある。
それが三池さんを芸術家なんて鼻につく存在にはせずにいる。

僕の好きな映画に「ラリー・フリント」があるが
これなんか明らかに監督ミロシュ・フォアマンの映画というよりも
製作者オリバー・ストーンの映画だ。

まぁ、なにはともあれ
那須さんが木村さんを紹介してくれた。
映画製作者たる精神かくあるべし。
そういうことなのだろうと思っている。

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2005/03/19

三島由紀夫「絹と明察」

ほりえもんv.s.日枝会長みたいな戦いの構図を見ると
三島由紀夫の「絹と明察」をちょっと思い出す。

三島 由紀夫: 絹と明察

「絹と明察」は
昭和29年に実際に近江絹糸で起こった労働争議をもとにして書かれている。

欧米流の労働概念を日本に持ち込んで
古き企業概念しか持たない経営者に対して
労働者の権利を主張する若き主人公
v.s.
古い日本的企業概念しか持たないワンマン社長

というような話だった。

結局、労働争議は社長が負け、
社長はその争議の最中に
心臓発作か何かで死ぬわけだけれども
三島はその社長の衰えた姿に
滅び行く天皇の姿を重ねるのである。

現実で言うと
ホリエモンが欧米流の資本主義思想を持った若者で
日枝さんが古い日本型経営思考の持ち主というのは大方間違っていないだろう。

ただ、日枝さんの場合は、
組合出身でもあるし鹿内家への反乱という過去を考えれば、
かつては自分も挑戦者側であったわけで、
かつての挑戦者がいまは体制側に立っている。
そこがなんとも小説以上のひねくりで面白いところではある。

「絹と明察」を読んだのは
日銀金沢支店に居た新人時代の話。

僕はいくつかの企業を担当として持っていた。
守秘義務なんちゃらがあるだろうから
具体的には書けないが
ほんと日本の企業ってすげぇ
というのが感想だった。
まぁ、主に製造業が担当だったわけだが
結構、家族主義的というか
昔の豪族がそのまま企業経営者になったような企業とかがある。
しかも、そういう企業は弱いんじゃなくて
むしろ果敢にどんどん先進的な工法や新製品を発明し
世界に冠たる企業になっている。
そんな例が北陸にはたくさんあった。

「三島甘いな」

というのがそん時の僕の感想。
だって、資本主義化されていない日本的な経営は
絹と明察に描かれるような哀れなものではなかったんだから。
たぶん、三島が日本の伝統や天皇制を
哀れなもの、滅び行くものと思いたかったんじゃないだろうか。
実際のところは、もっとタフなものであったのに。

ただし、これは製造業の場合。
フジテレビをはじめとする非製造業は別だね。

ともあれ「絹と明察」は面白い。
タイトルにも抜群のセンスを感じる。
しかし、どうしても東大生的な
頭でっかちの、理論先行的な物語
というかんじを拭うことは出来なかった。

そして、もちろん「東大生」というと
僕は那須さんを思い出す。
那須さんと三島というのは僕の中では
かなり近い存在だと思っている。
誤解を恐れずに言えば
那須さんは、
三島が三島自身こうありたいと願ったであろう三島だ
と僕は何度も思ったことがある。
そのことについても
いずれ書いていきたいと思っている。

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2005/03/18

脚本直しの過程(2)

その美人女流漫画家の脚本を直す過程でしたっけ。

問題は明確じゃないけど
いくつかあることを総括せずにつらつらと。

まずライターの彼女は
当然漫画家としては大家なわけだから
自分の作品に自信があるので
「直し」っていうのに耐えられない。

「直し」
シナリオライターは
プロデューサーや監督からの駄目出しを受けて
何度も書き直すことがある。

しかし自分の作品に駄目出しされて気持ちいいわけがない。

「直し」=自分の作家性に対する否定

というように思うと大変なわけです。
だから多くのシナリオライターは
自分のことを芸術家とは思わずに
職人と思うようにしていたりするわけで。

そういう意味で言うと
本来芸術家でありシナリオを始めて書く彼女は
職人に徹することがたぶん辛かったのだと思う。

加えて那須語。

タダでさえ理解するのが難しい上に
芸術家の彼女は職人ではないので
監督の意向を理解して書くというよりも
自分の書きたいように書きたいタイプ。
よりコミュニケーションが難しかった。

さらに自分の反省を込めて言うと
デーモン白書が難しい。
那須語が難しいのに
那須さんのイメージする映画の背景を説明する
その案内書である白書自体が難しい。
もう何を理解せよと言うのかと言いたくなるぐらい
わけ判らなかったのだと思う。

だから僕は那須さんに
もっと判りやすく書けと言われていた。
これをサボタージュしたのが
僕の許されない罪のひとつだ。

彼女は何稿まで書いただろうか?
台本になっていないものも数えると
7稿ぐらい書いたのではないかと思う。

ある日など深夜の1時ぐらいにあがった。
車で彼女の家まで行きピックアップ
(僕と彼女の家はすごい近かった)
夜食をコンビニで買って
東撮のスタッフルームまで行き
そこで彼女の書いたものを
僕がシナリオの体裁に直す。
上がったのは3時ぐらいだったか。
シナリオの体裁に直すのは
彼女がシナリオの文法を知らないから。
柱とかないし。

彼女は僕に「すげぇ面白いでしょ?」と聞く。
もちろん最初はすげぇ面白かった。
しかし短くする過程で
かならずしも同意が出来なくなっていった。

彼女も監督がどう直せと指示しているのか
わからなくなっていたのだと思う。
説明できる位置にありながら
おこがましいのではないかと
自分が前に出て説明しようとしなかったのは
僕の大きな罪だと思う。
(本来的に説明すべき人でさえ
 監督が何を考えているのか理解しようとしなかったので
 彼女にちゃんと説明できるのは
 いまさらだけど現実的に言って僕だけだったのだと思う)

とうとう彼女は監督の意図する直しの本質がわからず
ページ数を削ったりキャラをいじくったりするだけの
二次創作的な改変だけを行うようになっていった。
そんな本が面白くなっていくわけがなかった。

はじめてシナリオを書くことを経験する彼女に対する不親切。
那須さんの意図する世界を彼女に対して説明し切れなかったこと。
彼女の作家としてのプライドと那須さんへの不信。

これが最終的に彼女のシナリオ作家デビューを幻のものとしてしまった。

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2005/03/17

那須語

企画開発段階における映画デビルマンの監督助手として
東映東京撮影所のスタッフルームに入って
デーモン白書を書いた・・・というようなことを以前書いている。

今から見ると
当然那須さんと最初ッから意気投合しているような書きぶりだが
実はそうではない。

誰もがそうであるように
最初の頃は那須さんの話す内容を理解するのが苦手だった。
独特の発声をするし、独特のバイアスをかけてしゃべる。
その後、一部のスタッフなんかとの意思の疎通が難しい局面があったのも
ひとつには那須さんの話を理解するのが難しかったから
というのもあるのだと思う。

ある日、監督助手の仕事を請けて
東映本社の近所の喫茶店でメインスタッフが集まり打ち合わせをした。
何の話をしたのか覚えていない。
しかし、この打ち合わせが終わったあと
那須さんと僕の2人で「デーモン白書」をどういう方向で作るかという
打ち合わせがあったのは覚えている。

前段階の打ち合わせが終わり
プロデューサーとかが帰ると
僕と那須さん二人が残された。

(うわぁ、この人の話、僕一人で解読できるかな?)

それが正直そのときの僕の気持ちだった。

このとき具体的に何を話したのかは忘れてしまった。
しかし、最初の不安をよそに
那須さんの言葉がすごく理解でき
これから作られるだろう映画デビルマンの世界観に
すごく興奮したのを覚えている。

ピンチランナー?
見たことないけどアイドル映画だろ?
デビルマンを撮るなら三池さんのほうが良いに決まっている。
そう思う原作デビルマンファンのひとりに過ぎなかった僕が
那須監督に傾倒するまず第一歩がこの日にあった。

このときにデーモン白書を書くに必要な書籍100冊のうち
70冊ぐらいが那須さんから示された。
そのラインナップからだけでも
那須さんの考えているデビルマンの方向性、
原作を超えるかもしれない実写版デビルマンの方向性
を読み取ることが出来た。

僕が興奮してきて那須さんのアイディアに
自分のアイディアを付け加えていく
那須さんの目指す映画が判らないとできない提案。
それが那須さんにもわかったのだと思う。
那須さんもたくさんしゃべり僕もたくさんしゃべった。

他人としゃべっていても
心が通じ合うって言う感じを抱くことはそうないが
那須さんの言葉を理解するということは
那須さんの言葉が判りにくいだけに
那須さんの「心」を理解することだったのだと思う。
だから、この日の僕は、そしてたぶん那須さんも
心が通じ合う相手がいたことを発見し喜んだんだと思う。
打ち合わせ前の不安がウソのようだった。

この日を機会に
僕は皆が難解と言う那須語がすらすらと判るようになった。

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2005/03/15

明るくすること

しばらくまだ那須さんのことを。
だって仕方ないじゃん。

正直、鬱でござった。

もう、かなり、どよーんとしていた。
ついでになぜかかなり食べた。すげー太った。
明るくなれねーって感じだった。
むしろ、明るくしてる奴が憎くすらあった。
てめぇらなんで冗談言ってんだこのやろうって気持ちだった。

ブログも何度も書こうとするけど無理だった。
でも今書いている。
立ち直ったのかというとそういうわけでもないが
ちょっと書いておきたいことがあるので。

かなり浮上が不可能な落ち込みようだったので
締め切りだったが何も書けない状態で。
仕方がないので、なんか映画観ようと
まぁ夜中だったからDVDを見ようと。

「ビーパップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」

ほんの気晴らしに10分かそこいらだけ見ようと思ったんだけど
結局最後まで見ちゃいました。

笑った。感動した。泣いた。
まぁ、泣いたっつうのは、那須さんのことがあるから
割り引くとしても、良い映画です。
ちょっと明るくなった。

そういえば
那須さんはよく言っていた。
「明るくするってのがエンターテイメントなんだな」
って言ってた。
で、うちの劇団員の高橋正倫のことをほめていた。
「あいつの演技は明るい。暗い話を明るく出来る」
って。

今までは判った気になって
「うんうんそうですね」なんて言ってたけど、
昨日「ビーパップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」を
改めてみてなんだか心から判った。

明るくすること。

校内暴力とかたぶん暗く表現することは幾らでも出来る。
でもあんなおちゃめに表現できるって。
暗い時代が少しだけ明るくなる。
こんなに大事なんですね。
明るくすること。

師匠。ちょっとだけ明るくなりました。ぼくも。

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2005/03/07

わたしは真悟の舞台化と那須さん

「わたしは真悟」の舞台化の許諾を楳図先生からいただいたのは去年の八月だった。

那須さんに監修をお願いしたのは、もちろんデビルマンの公開もあったし那須さんの名前があること自体がマスコミ受けしそうだし・・・という広報上の計算もあったし、那須さんと僕はデビルマン以降一緒に絡んだ仕事がなかったから、ここで無理やり、芝居でもいいから一緒に仕事をやったという事実を作ってやろうという気持ちがあったからだ。

ただ、せいぜい300人程度しか集客のない我が劇団である(結果として「わたしは真悟」では600人に迫る観客を動員できたわけだが)。那須さんが監修を引き受けてくれると言っても、名前だけ貸して、あとは自由にやらせてくれるのだろう。そうおもっていた。

が、それは甘かった(笑)

そもそも「わたしは真悟」を読めと僕に教えてくれたのは那須さんである。「わたしは真悟」に対する思い入れもかなりあった。那須さんはまるで自分が監督する映画であるかのように、脚本に駄目出しをし、キャスティングにも意見を言ってくれた。「言ってくれた」と今日の今なら言うけれど、当時は、言ってきやがった、とかそんな荒ぶる魂的な感情だったわけだけれども。

那須さんのキーポイントは上野未来と楳図先生をもっと使えということに付きました。

僕としてはやっぱ原作があるし、原作はサトル中心だから、そういう話にしようと思っていたし、那須さんが書き直しを命じたときにはすでに練習も始まっており本番前一ヶ月を切っていたから、正直このまま直さずにいきたいなと思っていたし、なにより楳図先生もサトル中心は譲らないだろうと思っていた。

しかし、結果は、楳図先生と那須さんの言うことはかなり似通っていた。

で、那須さんの指摘する方向で直したのが最終的には完成稿になったわけだけれども、とくに「佐渡島」のシーンは原作と違う趣になっている。しかし、その変わり方には、多くの原作ファンも納得してくれたし、かつ新解釈を生むことが可能なストーリーになったとも思う。

僕自身、那須監督の「デビルマン」については正直感動したとは言いづらい。
もちろん、あの映画が良かったと言ってくれる人もいて、実際、那須さんから貸してもらって家で見たビデオは3時間近くあったしCG部分がなかったが、かなり味わいのある人間ドラマになっていた。

とは言うものの、なにはともあれ結果である。

やっぱり那須さんが「デビルマン」でデビルな烙印を押されるのはいたしかたないような気もする。那須さん本人もそのことはわかっているから、しかもいろいろな利権がある映画であって、その操作が難しいのは承知の上で請けた仕事でもあるから、もはや他人のせいにするつもりはなかったのだと思う。ただ早く次の良い作品をとって、デビルマンはあれだったけど、那須の作品そんなにわるくないね、とか言われたかったのだと思う。早く言われたいがために、無理をして真説タイガーマスクの撮影をし、映画の企画をたて続けに立ち上げて・・・・・病院に行くのが遅れた。遅れたっつうか、判ってていかなかったというようなフシもあり・・・。

まぁ、いつまでも繰言を言っていても仕方ない。

とりあえず、僕らの芝居「わたしは真悟」のDVDを見てください。
那須さんが直したからこそ(+僕の才能があればこそ+すばらしき原作があればこそ)のラスト30分です。
DVDはHPで売っています(って宣伝かよ!)

   →ここでうってます

いまんところ、これが那須さんと僕の最新共同作品です。
真説タイガーマスクも近いうち出るみたいですが・・・。

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2005/03/06

未来のことを

那須さんは過去のことを振り返るのが好きではありませんでした。
だから病室でも最後の最後まで未来のことを話していました。
だから僕も未来のことについて考えていこうと思います。

那須さんと最後の最後まで病室で話していたのは
那須さんが復帰後の映画製作についてでした。

そういう意味では僕はとても恵まれた環境にありました。
デビルマンで映画作りの企画開発がどういうものなのかを教えてもらい、タイガーマスクで現場を教えてもらい、立ち消えた那須さんのいくつかの映画の企画において映画の企画の作り方や原作映像化権の取得の仕方を教えてもらい、神の左手悪魔の右手で企画の立ち上げから脚本書きを教えてもらいました。

那須さんは3月中旬に退院し
3月後半に体力を回復し
4月にロケハンなど撮影準備に入り
5月に撮影に入る予定でした。

那須さんはそれを励みに病気と闘っていたのだと思います。
悲痛な感じは一切なかったし
たしかにかなり痩せてはいたけれど気力は十分あったし
声もしっかりしていて、
だから那須さんの入院を知っていた少数の人間も
寸前まで那須さんの復活を信じて疑わなかった。

もちろん結果としては
53歳の誕生日を病院で向かえ
その誕生日のきっかり一ヶ月後に亡くなってしまった。

禅林寺での通夜、告別式にはほんとうに沢山の人に来ていただいた。

那須さんが沢山の人に愛されていたのがわかった。
告別式で流れた那須さんの映像。
映画を撮るのに夢中になっている姿がとてもかわいい。
哀しい気持ちにもなるけどちょっと笑いたくなる映像。

そして告別式には楳図先生も来られていた。
もちろんシマシマじゃないけど。

楳図さんと那須さんは
僕の芝居「わたしは真悟」で2回ほど顔をあわせている。
芝居の打ち上げのときと、映画企画始動のとき。
那須さんのしゃべくりは判る人にしか判らないものだが
楳図さんには良くわかるらしい。

告別式に来られた楳図さんは那須さんの柩に花を入れると
しずかに冷たくなった那須さんの額に手を当て瞑想されていた。
それを見てぼくは、楳図さんが那須さんと何か会話をしているんだなと思った。
2回しかあっていないけど、楳図さんと那須さんは同じような何かを持っていたのかもしれない。

告別式の最後、
「那須さんのためにも『神の左手悪魔の右手』映画化は松枝さんが果たしてください」
と楳図さんは僕に言ってくれた。

僕の前向きな戦いは『神の左手悪魔の右手』の映画化を実現させるところから始まる。
それこそが師匠那須博之のもっとも望んでいることだろうから。

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2005/03/05

那須さんとの闘病生活

僕と那須さんの時間は短く濃いものだった。
いつしか仕事上の付き合いをはみ出し僕らは親子になった。
1月20日。
那須さんが入院するときに付き添ったのは真知子さんと僕。
入院記録の親族欄に真知子さんはもちろん妻。
僕も「息子」と名前を書いてもらった。
「苗字は違うけど、わけありの息子ということだ」
と那須さんは笑った。

那須さんの闘病生活は普通のがん患者と比べて苦痛は少なかったと思いたい。
急遽するぎりぎりまで苦しいと口には出さなかったから。
那須さんのことだから周囲に気兼ねして、あるいは格好付けるために
苦しいとか痛いとか言わなかっただけかもしれないが
僕も真知子さんもあまり那須さんの口から苦痛を訴える言葉を聞かなかった。

病室での那須さんと僕の関係はふつうじゃなかった。
ちょうど年末から実現しつつあった映画の企画があり
この脚本を僕が手がけることになっていたからだ。

僕としてはもっと息子として病室に足しげく行きたかったのだが
行くたびに「本はどうしてる?」と訊かれるものだから
脚本関係で進展があるときにしかお見舞いにいけない状態になっていた。

入院してすぐに那須さんは脳に血がたまって
視力が衰えてしまった。
だから脚本の第2稿があがったときには
すでに脚本を独自に読むのは難しいことになっていた。

「じゃ、作者本読みします」

と冗談ぽく言うと、「うん、うん」とうなづく。
それから僕は少々の恥ずかしさもあったけれども
自分の書いてきた台本を下手な演技交じりで読むことにした。
途中で看護婦さんが何度かやってきたが何事かと思っただろう。
けれども那須さんは耳を済ませて
僕の本読みをじっと聞いてくれていた。

2時間。

那須さんの感想は
「面白い。だが後半ながい」
そして那須さんは修正の方針を僕に説明しはじめた。

那須さんと僕の最後の時間は病室の時間じゃなかった。
会ったときと同じスタッフルームだった。
那須さんは15キロもやせまるで僧侶のようだったが
その痩せてなお映画を撮り続けようと言う目は
らんらんと輝いていた。

見舞いに来た誰もが那須博之の余命が1ヶ月であることを信じなかった。
医者からの言葉を聞いている僕や真知子さんでさえ信じなかった。
那須博之は人間じゃない。
それを僕らは信じてた。信じていたかった。
最後の最後まで映画を撮ろうとする姿勢は
僕らを勇気付け、そして那須さんの復活を皆が信じた。

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2005/03/01

遺作

那須博之監督の遺作
劇場用公開映画は「デビルマン」になっています。

しかし「真説タイガーマスク」は完成しており
また「デビルマン」の汚名をすすいで余りある傑作です。

聞くところによると、
主演の哀川翔さんも「おもしろいじゃん!」と言ったらしいです。

ぜひ、みんなで劇場公開にもっていこうじゃありませんか。

ちなみに、デビルマンとうって変わって低予算のこの映画。
けれども那須さんは現場がほんと楽しいと言っていました。
始まりから終わりまで全てそばに居た僕が保証します。
彼はこの作品に魂を込めました。
これを8日間で撮ることのすごさが判るでしょうか?

那須監督はデビルマンで
彼の体内に巣食った悪魔を退治することよりも
この映画を撮ることを選んだのです。

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那須監督の死

僕の師匠である那須博之監督が
27日の夜肝臓がんで帰らぬ人となった。

実は
僕は那須さんの具合がかなり悪いことを
かなり前から知っていた。
知っていたくせに、
これまでの軽々しい自分のblogの内容は何事かと
われながら思う。自責の念に耐えない。
しばらく前より那須さんと音信不通になっていた方々。
ぼくに「もしかして那須さん具合悪いの?」と訊ねられても
「いえ、那須さんはめちゃくちゃ元気です」と答えるしかありませんでした。
ウソでした。ごめんなさい。本当のこと言えませんでした。

「それでも人生は続いていく・・・」

今はただ那須さんの安らかな眠りをいのるだけです。

デビルマンはたくさんの酷評を受けたが
確かに那須博之は僕らを楽しませた。
僕らはあなたの撮った映画が大好きです。
成功も失敗もすべて。
(確実に10年後も語り草になるのは
 せかちゅーではなくデビルマンです)

2日が通夜、3日が告別式となります。

那須監督の映画に
笑った人泣いた人満足だった人不満だった人
衝撃を覚えた人唖然とした人えぐられた人
ひっくるめて那須さんの映画を楽しんだ人だと思うのです。
だから皆で那須さんの冥福を祈りましょう。

稀代の名監督那須博之に敬礼。

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