2006/11/10

「偽伝、樋口一葉」交流会~久々の那須組

先日「偽伝、樋口一葉」の稽古がうちのそばであった。
帰り、数人と夕食をとりながら交流会を開こうということになった。
場所は僕の家。
いつもならしている鍋の用意もなんにもしていなかった。
あわててコンビニでいろいろ買い込み飲み会。
メイキングの新生璃人さんが先日誕生日を迎えていたので
機転を利かせた安川祐香がケーキを買ってくる。

ちなみに交流会。
今回、主演の満島ひかりちゃんをはじめ
「アロッタ」に参加するのが初めての人が多く
また、役者20人と大所帯なので、ほっておくと
なんの交流も無く本番に突入しかねない。
映画などは、もうちょっとドライで
プライベートな付き合いはむしろ無いほうがよく
現場の瞬発力が重要だったりする場合もあるのだが
芝居は経験的に言って、団体的な結束が重要であったりする。
つまり、今回はなるべく僕のほうからも
みんなと交流を持ちたい。
良い作品を作るためには、
アイディアや不満いろいろと吸い上げる必要があるしね
というのが僕の運営スタンスだからだ。

交流会だから、別にまじめに芝居の話をするだけではなく
馬鹿話を含めてして、「ああ、こいつこんなこと考えてんだな」とか
お互い思うようになってくれればいいという風な感じで飲む。

いろいろメンバーがいるが
今回、僕の勝手な思い入れでメンバーに加わってもらった人が何人かいる。
とくに俊藤光利くんについては彼のデビュー作品が
那須博之監督「新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3」
というのが僕にとっては胸キュンだ(笑)。
彼のお父さんの六本木にあるお店も那須監督の行きつけで
僕は那須さんに連れられてしょっちゅう行ってたし
俊藤くん自身が働いているときにも一回ぐらい行ったことがあるような気がする。
那須さんが亡くなった時も、僕はすぐに俊藤くんのお店に電話をして訃報を伝えた。
東映「デビルマン」にも俊藤くんは出演している。
那須さんも、押尾学と俊藤光利の二人については
思い入れがありよく楽しそうに思い出を話していた。

で、その日の練習後の交流会も、
そもそもは僕が俊藤くんと那須さんの話をしたかった
というのもあって開かれたのであった。

当然みんなで俊藤くんのデビュー作
「新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3」
をみる。
本人は照れていやがっていたが皆で笑いながら見た。
俊藤くんは総長の木原役をやっているのだが
木原が単身敵地に乗り込み返り討ちに会いぼこぼこにされるシーンでは
なかば俊藤くん(23歳!)は本気で殴られていたと言うことを笑いながら教えてくれた。

那須さんはなんでも「本気」が好きで中途半端な嘘は大きらいだから
たとえば日活時代の名作「美少女プロレス」にしても
山本奈津子さんら女優達に本気でプロレスを習わせたりする。
「代打教師。秋葉真剣です」のラストのラグビーシーンでもそうだけど、那須さんの作品を見るものは、ストーリーとは別に、ただひたすら何事かに真剣に「本気」で取り組む人間と言うのもに感動できる。見るものは、那須さんの映画には、「本気」で生きる人に対する優しく熱いまなざしが満ちているのを知るだろう。
「本気」それが那須博之の作品と人生のキーワードのひとつであるのは間違いが無い。

で、「新・湘南爆走族 荒くれKNIGHT3」だが、「本気」につくるべく、那須さんは本当の暴走族たちを東映は撮影所に招いた。で、族の方々は「本気」なものだから、本気で東映撮影所の敷地内で暴走族を演じ、その騒音たるやすごくて周囲から苦情が入って謝ることになったというようなこともあり、まあ、那須さんはそれを笑いながら楽しそうに話すんだけど、俊藤くんから聞く那須さんの姿もまさにそれで、那須組名物のオーディションマラソンなんかの話は俊藤くんの達者な那須監督の物まねもあってほんとに笑えた。あとやっぱりテストの多さに辟易して、ようやく本番だろうと思ったところ、那須さんが「じゃ、次、本テス行こうか」とあのダミ声で言ったという様な話は那須さんを知っていればもう大爆笑である。

お酒も回って那須さんの話もして気分が良くなった僕らはそのまま深夜に近所の焼肉屋にいったりして朝まで語り合ったのだけど、乗りに乗った俊藤くんが笑いながら「じゃ、うちらの芝居にしのぶ呼びますか?」と言ったときには「え?誰?しのぶって」となったが、そう俊藤くん寺島しのぶさんのイトコなのだ。忘れていたが僕が尊敬してやまない名プロデューサー俊藤浩二さんのお孫さんなのだ。ていうかおばさんが富司純子さんだし、いや、忘れてたけど、あなたサラブレッドなのね・・・。しかも、寺島さん、よく考えれば(よく考えなくても)「書く女」で一葉を演じてる・・・。聞くと俊藤くんは見に行きたかったけど「書く女」を見に行かなかったらしい。俊藤くんは僕らの芝居「偽伝、樋口一葉」では一葉の師匠であり恋人?の半井桃水を演じるのだが、「書く女」を見に行ったら、筒井道隆さんの半井桃水像が刷り込まれてしまう。純粋に自分の桃水像を作りたかった俊藤くんいわく「寺島しのぶの一葉は見たかったけど、筒井さんの桃水をみてしまわないように「書く女」は見に行くのをやめました」と。なるほど。

焼肉屋を出て、またいったん僕んちに戻る。
で、僕が出したのが「デビルマン」のロケハンのビデオ。
東映制作部の木次谷さんが那須さんと二人で廃墟めぐりなどしていたときに撮ったビデオである。
皆が眠いのはわかっていたのだけども、どうしても僕の大好きな那須さんを見せたくて半ば強引に見せてしまった。
那須さんを知っている俊藤くんが、「那須さんだぁ!」と大笑い。
画面向こうの那須さんが色々話しているが
これはいわゆる那須語で、なかなか素人には分かるものじゃない。
しかし、那須さんの「本気」は伝わるんじゃないかな。画面の中の那須さんは小さなビデオカメラを片手に廃墟の中を歩く。那須さんが空を撮る。廃墟の壁を撮る。階段を撮る。木々の間に潜む何かを追いかける。そのまなざし。少しも楽をしたり、こなしたり、中途半端だったり、なめたりしない「本気」のまなざし。久しぶりに見て僕は、ああ、やっぱり僕はこの人が大好きなんだという気持ちで一杯になった。血のつながらない息子の僕としては彼の「本気」これを受け継いで行きたい。だから今は「偽伝、樋口一葉」に本気でぶつかっていきたい。きっと那須さんは今の僕らのこともどっかから「本気」で鼻息荒く見ているだろうから。役者のみんなにも「本気」でぶつかってもらいたい。きっとその「本気」は観客に伝わるだろうから。「本気」それが僕らのテーマだ。

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2005/10/01

那須映画再考の契機

8月の終わり、金子監督と成田プロデューサーとで那須監督の家に行った。正式に「神の左手悪魔の右手」がインすることを那須監督に報告するためである。

ぼくらは真知子さんの手料理でもてなされながら那須さんが生前に大事にしまっていたテキーラを開けて飲んだりした。

懐かしみながら那須さんの残した品々をいじっていると、その中にあった小さなDVD再生機が突然動き出し、その画面に、パッと鮮やかな映像が映し出された。

それはなんと那須監督自身の姿だった。

突如画面に大写しになった那須さんが僕らに語りかける。

「この映像を見る頃には、すでに私はこの世にはいない。
 だがキミたちに伝えなければいけないことがある・・・」

そのまるで飛鳥教授のような言葉に続いて那須監督がぼくらに語り始めた真実は僕たちを震えるほど驚かすことになった。。。

なぁんていうことは無かったわけですが
小さなDVD再生機にある映像が鮮やかに映し出された・・というのは本当。

その映像は映画「デビルマン」の映像で、けれどもそれは一切表に出されることの無かった映像。思わず金子さんとその那須さんの撮った美しい映像に見とれてしまった。そして「どうしてこの映像が本編で使われていないんだろう?」と首をかしげることしきり。あの一連の編集をめぐる騒動の中で、那須さんが大切に思っていながらも切られてしまったシーンの数々である。那須さんはそういうシーンばかりを大切にDVDに保存していた。

飛鳥ちゃんに「デビルマン撮影で一番大変だった思い出はなに?」聞くと、彼女は雪山の撮影を挙げる。

しかしちょっと待ってくれ
雪山の撮影って・・・?

ていうか本編で雪山のシーンなんて無いですから!
そのシーンも公開バージョンではカットされていますです。僕も見たことが無い。しかし、那須さんのDVDを全部調べたら、あるのかな雪山のシーン。実際那須さんは雪山のシーン、いい物が撮れたと僕に自慢していた。これはぜひとも見たい!のである。

百合族、百合族2、美少女プロレスとか日活時代の作品もなんど見返しても面白い。ビーバップシリーズも面白い。代打教師も面白い。湘南爆走族も見逃せない。下世話かもしれないし、その映像は芸術からは離れていたかもしれないけど、確実に時代に楔を打つ映像を撮ってきたのが那須さんだった。というか芸術なんてナマッチョロイことを良しとしなかった那須さんだが、しかしその映像は道化に徹しながら裏返って確実に芸術的ですらあったのだけど。ピンチランナーの最初のシーンも会社からは要らないシーンと言われたらしいけど
あの廃墟船となっちのシーンがなくてピンチランナーが始まるワケが無いのだ。

デビルマンがこけたことで那須さんが語られることが多い。とりあえず那須を悪人にしとけばいい的な風潮もあったりする(そんなのは分析の放棄だ)。ひどい言い方かもしれないが、「うまい具合に」那須さんが罪を背負ってあの世にいっちゃったもんだからなおさらである。

そういう風潮にもかかわらず、金子さんとか飛鳥ちゃんとか僕とかが「那須さん、那須さん」と言うから、一部の人は、「那須監督という人は映画はアレだったけど、後輩に慕われる良い先輩だったのだろう」というようなことを言う。たしかに那須博之という人間はこれほど魅力的な人は居ないというほど魅力的な人だった。だが、僕は言いたい。那須映画も魅力的だったと。でなくては、あんなにもスタッフやキャストに慕われるわけが無いのであって、実際、彼の作品はほれぼれとするような魅力的な作品、まさに那須さんの人格が透けて見えるような作品ばかりであった。もちろん、会社のうんぬんや集団でやることだから政治的な何とかで傷もあったかもしれないが、そういう中でも、那須さんの作品はその人間同様に僕らをひきつけていた。だから「映画はあれだったけど・・・」つうことはありえない。ちゃんと彼の過去の作品もたくさんの人たちに見てもらいたい。つーわけで、デビルマン1作で那須さんを評価するのは止めにしてもらいたい。デビルマンのディレクターズエディションを見てから判断してもらいたい。もちろん、那須さんは天国の歌舞伎町に行っているから、デビルマンのディレクターズエディションを作るなんて、もうそれはかなわぬことだし、大体、生きていても、後ろ向きなことはしなかった人なので、そんなことはしなかったかもしれないけど。

ただ那須さんの知ったことではないかもしれないが、金子さん、飛鳥ちゃん、奈津子さん、ぼく・・・那須さんの薫陶を受けたぼくらが良い作品を作っていくことでしか、那須さんへの恩返しというか、那須さんの目指した映画、撮ってきた映画を再評価させるような、そういう道は無いのだろうなと思っている。

そういう意味でも今回の「神の左手悪魔の右手」は大きな役割を担っている。

もちろん、那須監督なんか関係なくひとつの作品として評価されなければならない。
それが那須さんの再評価にもつながっていくのだろうと思っている。多くのスタッフやキャストは那須監督追悼なんていうのとは関係なく良い作品を作るために尽力しているのであって、ぼくらが、那須さん、那須さんと酔っていても仕方が無い。ひとつの作品として良くして行くしかない。とは言うものの、確実に、この作品は、金子さんや飛鳥ちゃんや僕が関わることによって、那須映画を再考してもらうためのひとつの契機になるのだろうとは思っている。

ところで、つい昨日奈津子さんと飲んだときに教えてもらったのだけど、今回のメイクの永江さん。じつは百合族のメイクさんだったのだそうだ。だから何だということではないが、そういうことすらなんとなくうれしい僕なのであった。

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2005/09/04

金子組討ち入り!

昨日は金子組のお祓い&オールスタッフ&楳図先生の誕生日。
ずらりとそろう。
ぼくは遅れて参加。
そうそうたるメンバーである。

特殊造形の藤原カクセイさんと話す。
デビルマンのとき少し関わったことがあるそうな。
知らなかった。
僕の書いたデーモン白書もリアルタイムで読んでいる。
最終的にデビルマンの特殊造形はべつのところに行ったわけだが。
しかし藤原さんの今回の作品に対する気合もすごいものがある。
どんなものになるのか楽しみである。

オールスタッフの後は
僕が集めたメイキング班で打ち合わせ。
毎日現場に行ってだらだらと撮影すればキリが無い。
何をどう撮る、撮るなら何故か。
そこをもっとシャープにしようという会議。
かなり有意義だったと思う。

メイキング班は3人で構成されている。
多すぎという話もあるが
定者(テイジャ)さんが監督。
吉田明義が撮影。
鈴木くんが編集。
という役割分担である。

鈴木くんは、去年、
僕の芝居「ベジタリアンサマー」のメイキングを作ってもらった人だ。
メイキング事態が面白く(まぁ、少々長いけど)
で、今回頼んでみたというわけ。
彼はいま東京藝術大学の大学院生で
いわゆる北野武ゼミとかそういうところにいる。

定者さんはその鈴木くんが連れてきた同じ大学院生で
「ばかのハコ船」などを撮っている山下敦弘監督のところで
撮影とか助監督みたいなことをしていた人だ。
役者になったらいいんじゃないかというような圧倒的面構えをしている。

吉田明義はじつはこれは僕との関係が長い。
2001年11月新宿のタイニィアリスでやった「由紀夫の空」と言う芝居。
その登場人物である森田必勝を彼に演じてもらったのだ。
その後、何作品か彼を役者として使った芝居をやった。
来週から乃木坂でやる「アブレボ、僕たちの純愛革命」で
急遽、怪我して降板となった広澤葵の代わりにA班主役となった畠山佳子と一緒に箱根合宿にも行ったことがある。
(あのときの佳子はかわいらしい19歳の女の子だった・・・いまもかわいらしいですがw)
今回、吉田明義が
映画学校を卒業し助監督としてやっていきたいがなかなか職が無いと
困っているのを知り、急遽、金子組にスカウトしたわけだ。
吉田明義はいまからサードをやるには歳はくってるけど
しかし気がつくし礼儀正しいし、考えもある。
さっそく成田プロデューサーにも「あいつ優秀だな」と言ってもらった。
なにしろ僕と誕生日が同じ5月12日だ。
それはどうでもいいが、
昔から一緒にやってる仲間にはほんとうに頑張って欲しいと思う。
彼とは次の仕事・・・某TV局のドラマの撮影でも一緒にやる予定。

そんなメイキング班と濃い打ち合わせの後
いそぎ新宿に行き、
金子監督、平田さん、成田さん、撮影監督の高間さんらの討ち入りに合流。
那須監督の思い出話などしながら軽く飲む。

金子さんと台本の話になり
その後、他の人は二次会に向かったが
僕と金子さんはまじめにふたりでスターバックス。
甘いものを食べながら、脚本内容について議論を交わす。
飲んだり、なんだかんだも楽しいが
映画のこと、作るべき物語のことを話している時間がとても楽しい。
あの席にはきっと那須監督も一緒にいたのだろう。

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2005/04/04

李相日監督「69」

原作は村上龍の作品の中で一番好きです。
が、かなり前に読んだので内容はうろおぼえ。
映画のほう、かなり話変わっている気がした。
気がしたが、それはそれで、おもしろかった。
「かなり」をつけましょう。かなりおもしろかった。

青春を表現するばかさかげんと
スピーディーな映像がうまくカクテル。
妻夫木くんがまた健康的なわけですよ。
宮藤官九郎の脚本。東映の作品。

デビルマンのスタッフルームに入る初日
東映の東京撮影所で朝
東映のNo.1プロデューサー遠藤茂行さんと待ち合わせをしました。

というのもバトルロワイヤルⅡクランクインのためのお祓いがあったからです。
そこに僕も参列させてくれると言うわけです。
はじめて見ました。深作欣二監督。生です。立体です。おお。
北野武さんは居なかった。藤原竜也くんが居ます。
藤原くんは他のキャストの誰よりもスタッフとコミュニケーションをとろうとする。
お祓いが終わったあと、スタッフひとりひとりに
「よろしくお願いします」と挨拶。
さすが主役を張るだけの事はあるなぁと。

で、その時に、プロデューサーの遠藤さんから69の話を聞かされた。
宮藤官九郎さんの脚本がすごく面白いよってことだった。

映画って監督のものみたいに言われるけど
やっぱ脚本なんだと思うんだよね。
脚本が面白くないといかん。

どこが良いって、全部良いんですよ。
映像もセリフもすべってない。
同じく遠藤プロデューサー企画の「凶気の桜」はすべってた。
原因は脚本(だと思う)。

丸山昇一さん。
「野獣死すべし」とかすっげぇ面白いのいっぱい書いている。
那須さんとも「紳士同盟」一緒にやってる。
でも、「狂気の桜」はだめなんだよね。
クドカンとか流行ってるから真似したんだろうね。
その柔軟性は認めるけど
やっぱオヤジが若ぶってる感じの脚本だった。
仮面ライダーV3が出てきた日には恥ずかしくて見てイランなかった。
老人は老人らしく。
自分の築いてきたものを信頼すれば良いのにね。
変に時代におもねるのはよくない。
あ、大先輩の悪口書いちゃった。

まぁ、そういうことですよ。
何はともあれ脚本。これ大事。
69本編のことあんまり書いてないけど
かなり全編面白いんで見てください。
青春とはこれだ!みたいな。
九州弁きつくて最初入りづらかったけど。

69 sixty nine@映画生活

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2005/03/18

脚本直しの過程(2)

その美人女流漫画家の脚本を直す過程でしたっけ。

問題は明確じゃないけど
いくつかあることを総括せずにつらつらと。

まずライターの彼女は
当然漫画家としては大家なわけだから
自分の作品に自信があるので
「直し」っていうのに耐えられない。

「直し」
シナリオライターは
プロデューサーや監督からの駄目出しを受けて
何度も書き直すことがある。

しかし自分の作品に駄目出しされて気持ちいいわけがない。

「直し」=自分の作家性に対する否定

というように思うと大変なわけです。
だから多くのシナリオライターは
自分のことを芸術家とは思わずに
職人と思うようにしていたりするわけで。

そういう意味で言うと
本来芸術家でありシナリオを始めて書く彼女は
職人に徹することがたぶん辛かったのだと思う。

加えて那須語。

タダでさえ理解するのが難しい上に
芸術家の彼女は職人ではないので
監督の意向を理解して書くというよりも
自分の書きたいように書きたいタイプ。
よりコミュニケーションが難しかった。

さらに自分の反省を込めて言うと
デーモン白書が難しい。
那須語が難しいのに
那須さんのイメージする映画の背景を説明する
その案内書である白書自体が難しい。
もう何を理解せよと言うのかと言いたくなるぐらい
わけ判らなかったのだと思う。

だから僕は那須さんに
もっと判りやすく書けと言われていた。
これをサボタージュしたのが
僕の許されない罪のひとつだ。

彼女は何稿まで書いただろうか?
台本になっていないものも数えると
7稿ぐらい書いたのではないかと思う。

ある日など深夜の1時ぐらいにあがった。
車で彼女の家まで行きピックアップ
(僕と彼女の家はすごい近かった)
夜食をコンビニで買って
東撮のスタッフルームまで行き
そこで彼女の書いたものを
僕がシナリオの体裁に直す。
上がったのは3時ぐらいだったか。
シナリオの体裁に直すのは
彼女がシナリオの文法を知らないから。
柱とかないし。

彼女は僕に「すげぇ面白いでしょ?」と聞く。
もちろん最初はすげぇ面白かった。
しかし短くする過程で
かならずしも同意が出来なくなっていった。

彼女も監督がどう直せと指示しているのか
わからなくなっていたのだと思う。
説明できる位置にありながら
おこがましいのではないかと
自分が前に出て説明しようとしなかったのは
僕の大きな罪だと思う。
(本来的に説明すべき人でさえ
 監督が何を考えているのか理解しようとしなかったので
 彼女にちゃんと説明できるのは
 いまさらだけど現実的に言って僕だけだったのだと思う)

とうとう彼女は監督の意図する直しの本質がわからず
ページ数を削ったりキャラをいじくったりするだけの
二次創作的な改変だけを行うようになっていった。
そんな本が面白くなっていくわけがなかった。

はじめてシナリオを書くことを経験する彼女に対する不親切。
那須さんの意図する世界を彼女に対して説明し切れなかったこと。
彼女の作家としてのプライドと那須さんへの不信。

これが最終的に彼女のシナリオ作家デビューを幻のものとしてしまった。

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2005/03/17

那須語

企画開発段階における映画デビルマンの監督助手として
東映東京撮影所のスタッフルームに入って
デーモン白書を書いた・・・というようなことを以前書いている。

今から見ると
当然那須さんと最初ッから意気投合しているような書きぶりだが
実はそうではない。

誰もがそうであるように
最初の頃は那須さんの話す内容を理解するのが苦手だった。
独特の発声をするし、独特のバイアスをかけてしゃべる。
その後、一部のスタッフなんかとの意思の疎通が難しい局面があったのも
ひとつには那須さんの話を理解するのが難しかったから
というのもあるのだと思う。

ある日、監督助手の仕事を請けて
東映本社の近所の喫茶店でメインスタッフが集まり打ち合わせをした。
何の話をしたのか覚えていない。
しかし、この打ち合わせが終わったあと
那須さんと僕の2人で「デーモン白書」をどういう方向で作るかという
打ち合わせがあったのは覚えている。

前段階の打ち合わせが終わり
プロデューサーとかが帰ると
僕と那須さん二人が残された。

(うわぁ、この人の話、僕一人で解読できるかな?)

それが正直そのときの僕の気持ちだった。

このとき具体的に何を話したのかは忘れてしまった。
しかし、最初の不安をよそに
那須さんの言葉がすごく理解でき
これから作られるだろう映画デビルマンの世界観に
すごく興奮したのを覚えている。

ピンチランナー?
見たことないけどアイドル映画だろ?
デビルマンを撮るなら三池さんのほうが良いに決まっている。
そう思う原作デビルマンファンのひとりに過ぎなかった僕が
那須監督に傾倒するまず第一歩がこの日にあった。

このときにデーモン白書を書くに必要な書籍100冊のうち
70冊ぐらいが那須さんから示された。
そのラインナップからだけでも
那須さんの考えているデビルマンの方向性、
原作を超えるかもしれない実写版デビルマンの方向性
を読み取ることが出来た。

僕が興奮してきて那須さんのアイディアに
自分のアイディアを付け加えていく
那須さんの目指す映画が判らないとできない提案。
それが那須さんにもわかったのだと思う。
那須さんもたくさんしゃべり僕もたくさんしゃべった。

他人としゃべっていても
心が通じ合うって言う感じを抱くことはそうないが
那須さんの言葉を理解するということは
那須さんの言葉が判りにくいだけに
那須さんの「心」を理解することだったのだと思う。
だから、この日の僕は、そしてたぶん那須さんも
心が通じ合う相手がいたことを発見し喜んだんだと思う。
打ち合わせ前の不安がウソのようだった。

この日を機会に
僕は皆が難解と言う那須語がすらすらと判るようになった。

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2005/03/01

遺作

那須博之監督の遺作
劇場用公開映画は「デビルマン」になっています。

しかし「真説タイガーマスク」は完成しており
また「デビルマン」の汚名をすすいで余りある傑作です。

聞くところによると、
主演の哀川翔さんも「おもしろいじゃん!」と言ったらしいです。

ぜひ、みんなで劇場公開にもっていこうじゃありませんか。

ちなみに、デビルマンとうって変わって低予算のこの映画。
けれども那須さんは現場がほんと楽しいと言っていました。
始まりから終わりまで全てそばに居た僕が保証します。
彼はこの作品に魂を込めました。
これを8日間で撮ることのすごさが判るでしょうか?

那須監督はデビルマンで
彼の体内に巣食った悪魔を退治することよりも
この映画を撮ることを選んだのです。

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那須監督の死

僕の師匠である那須博之監督が
27日の夜肝臓がんで帰らぬ人となった。

実は
僕は那須さんの具合がかなり悪いことを
かなり前から知っていた。
知っていたくせに、
これまでの軽々しい自分のblogの内容は何事かと
われながら思う。自責の念に耐えない。
しばらく前より那須さんと音信不通になっていた方々。
ぼくに「もしかして那須さん具合悪いの?」と訊ねられても
「いえ、那須さんはめちゃくちゃ元気です」と答えるしかありませんでした。
ウソでした。ごめんなさい。本当のこと言えませんでした。

「それでも人生は続いていく・・・」

今はただ那須さんの安らかな眠りをいのるだけです。

デビルマンはたくさんの酷評を受けたが
確かに那須博之は僕らを楽しませた。
僕らはあなたの撮った映画が大好きです。
成功も失敗もすべて。
(確実に10年後も語り草になるのは
 せかちゅーではなくデビルマンです)

2日が通夜、3日が告別式となります。

那須監督の映画に
笑った人泣いた人満足だった人不満だった人
衝撃を覚えた人唖然とした人えぐられた人
ひっくるめて那須さんの映画を楽しんだ人だと思うのです。
だから皆で那須さんの冥福を祈りましょう。

稀代の名監督那須博之に敬礼。

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2005/02/23

脚本直しの過程(1)

さる美人女流漫画家が
実写デビルマンの脚本の準備稿初稿を書いたことを以前言った。
その続きである。

まず初稿はほとんど全てのエピソードを網羅していたが
三部作をあきらめ、2時間一本にしなければいけないという
至上命題から、これを削っていかねばならないことになった。

その際の指針としては
「実録」
ということ。

これは前回のデビルマン秘話シリーズで書いたように
僕の作った「図説デーモン白書」を
参照しながら、脚本の中のエピソードの優先順位を決め
削るものは削ると言う作業、
そして説明の足りない部分については
新たにエピソードを加えると言う作業を行うことになった。

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2005/02/12

図説デーモン白書

ぼくが東映東京撮影所の
那須組スタッフルームに入って最初の仕事は
「図説デーモン白書」
なるものを完成させることでした。

そもそもこれがどんな目的でなされた仕事なのか。

まず那須監督が決めたデビルマン映画化の方向性は「実録」。

つまり、デビルマンには
神や悪魔やデーモンやなんかの言葉が出てきますが、
これを子供だましの絵空事としては描きたくない。
実際に存在するものとしてデーモンを描き
実際にあったこととして不動明の、牧村美樹の、人類の悲劇を描く。
それが那須監督の意思でした。

そういうアイディアを聞いたとき
なぜ僕が、10人のライター候補の中で監督助手に選ばれたのか
その理由が少しだけわかったような気がします。

それは僕が他の人たちよりも
デビルマンの映画化の方向性として
「リアル」
を打ち出していたからです。

漫画で悪魔を書くのはいいけど
実写化の場合はやっぱりそのウソが
リアルかどうかがすごく大事になる。
だからスパイダーマンでもハルクでも何でも
蜘蛛のDNAとか放射線による異常とか、
そういうところでリアルな世界観をつくろうとする。
マイノリティ・リポートでも
近未来を描くのに、スピルバーグ監督は
実際の学術関係者にレポートを書かせたらしい。
どんな未来がありうるかの。

たぶん映画を作るときに
如何にウソっぽくないかというのを考えるのは
思っている以上に重要な気がする。

映画は何でもリアルに映す。
作り物は作り物として映ってしまう。
舞台に関しては、非リアルに寛容な観客も、
映画に関しては不寛容。
想像力でリアルを足してくれない。
ちょっとしたことで、所詮作り話じゃんってそっぽ向かれる。

だから「実録」

デーモンという生命体を架空ではなく
実際にいるものとして考える。
科学的に実在しえる存在として考える。
人類とは別種族の知的生命体として考える。
単に別種族というだけではなく人類に先立って
地球に住んでいた先住知的生命体と考える。
そのような知的生命体が居たとき
どのような行動を取り、
どのような歴史を描いてきたのか、それを考える。
そっから実写デビルマンは始まる。

そう那須監督は考えたのであった。

で、生物学の本やら免疫学の本、進化論の本
悪魔関連の書籍から地球物理学の本
などなど読みました。100冊以上。

そして書いたのが
ぼく著「図説デーモン白書」です。

ハード編ソフト編がある。
ハード編は
デーモンの生物学的な側面についての解説
ソフト編は
デーモンの歴史的な側面についての解説
となっています。

ハード編難しいけど、頑張ったので読んでやってくださいっ。

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2005/02/11

実写デビルマンは三部作!?

2002年12月
東映の東京撮影所の中に
那須組のスタッフルームがこっそりできた。

「こっそり」というのは
まだまだ企画開発段階で
場合によっては立ち消えになる可能性があるということだ。

僕はいきなりそこのメンバーの1人になった。
(経緯については過去のblog参照)

当時のスタッフメンバー表には
僕を含め主要メンバーが11人しか書かれていない。
プロデューサーが3名。
それぞれ東映本社、東映アニメ、東映ビデオのプロデューサーである。
そしてアシスタント・プロデューサーがひとり。
監督は那須博之。
そのほかには撮影監督、美術監督、特撮監督、編集、
キャスティングプロデューサー、そして監督助手の僕というかんじである。
びっくりするのは皆偉い人だと言うことだ。
親分の集まりの中に僕が居るって事。

ちなみに監督助手といっても
いわゆる「助監督」ではない。
まだ現場が立ち上がる前、
「演出部」ができる前の段階のことである。
だから、ぼくは本当の意味で監督の助手として
企画を煮詰めるというのが仕事なのであった。

当初、那須博之監督の構想では
実写デビルマンは
ロードオブザリングのような3部作の一大叙事詩になるはずであった。

もちろん無謀である。
今の日本ではそんな3部作を作るなんていうのは無理だ。
資金も集まらなければ、作る体制も無い。
1本やってみて、あたれば次の1本。
またあたれば、さらに次の1本。
それが日本だ。
実際、那須監督の不朽の名作
ビーバップハイスクールシリーズ
は、そうやって作られた。

ところがデビルマンである。
この世界観とドラマを表現するには
1本2時間では足りない
誰もがそう思うだろう。

噂でしか聞いたこと無いのだが
実はハリウッドがデビルマンの実写化に動いたことがあったそうだ。
で脚本書きの段階まで行った。
出来上がった脚本のラストシーン。
それは、サバトでデーモンと合体した不動明が
デビルマンとなり、周囲のデーモンたちを殺戮する・・・
そこで終わっているらしい。
ハリウッドも三部作を考えたのだろう。
しかし、結果として、それが原因で却下になったそうだ。
そういう意味でも、1本2時間で、
合体からハルマゲドンまで
デビルマン世界をぜーんぶやる
これが僕ら那須組の最初の最初からの命題になった。

ちなみに、ぼくはこれを考えると
オリバー・ストーン「アレキサンダー」を思い出す。
沢山の情報を2時間なり3時間という映画という枠に
無理に押し込めちゃったときには
やっぱりザーッと事実を羅列する・・・
そういう感じになってしまうのじゃないだろうか。

もちろん映画とはそもそもそういうものだ。
人の一生なりあるいは時にはもっと長い歴史を
かいつまんでドラマ化する。
シーンとシーンの間は描かない。
それを付け足すのが観客の常識であったり想像力である。
(もちろん、想像を引き出しやすくするような工夫を
 脚本的にあるいは演出的にするのが脚本家や監督の仕事)

端から2時間では収まりきれない情報を
取捨選択して、無理のぎりぎりのない状態まで
途中情報をカットして羅列する。

パラパラ漫画のようなものである。

人が走っている。
その途中過程を緻密に表現していくと
百ページでそう遠くまでは走っていけない。
途中をある程度カットすると
かなりのスピードで隣の山まで走っていける。
しかし途中カットしすぎると
もう立ったり山登ったり宇宙に行ったり
一貫性のある物語が読めなくなる。

1本2時間の枠で表現しえない量の情報を
1本2時間で表現すると約束したこと
これが僕らの敗因の1つの大きなものである
そう思えるのである。

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2005/02/03

デビルマン脚本候補から落ちて(続き)

電話に出る僕は寝ていた。
しばらく何を話されているのか分からなかった。
「監督助手にならないか?」
電話の向こうのプロデューサーはそう言っているようだった。
理由は良くわからなかったが監督のご指名らしい。
寝ぼけていたし、事の重大性がにわかに理解できなかった僕は、
「興味ありません。僕は脚本家になりたいので」
と答えてしまった。
すると電話の向こうのプロデューサーいわく
「せっかくのチャンスを無駄にするべきではない」。
混乱していた僕は、とりあえず即答できないと答えて電話を切った。

しばらくたって少し目が覚めてきた。
監督助手か・・・何をするか分からないけど
とりあえず、ほかにチャンスがあるわけでもなんでもない。
受けてみるか。そう思った。
プロデューサーに電話し監督助手のオファーを受ける旨つたえた。
イタリア行きの旅券は半額パーになってしまった。

そして3日後。
ぼくは大泉学園にある東映東京撮影所にいた。

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2005/01/30

デビルマン脚本候補から落ちて

ぼくら若手ライターが全て落とされ、
さる新進美人女性漫画家がライターとなり初稿をあげた。

しかし、その時僕はそれを知らなかった。

というのも当然で
落ちた僕はもうデビルマンの実写化企画とは
なんの接点ももっていないのだから。

数回のミーティングを経て、
なんとなーく
(うぬぼれもふくめてだが
 どう考えても他の人の企画で決まるような気がしなかったので)
これは俺に決まりだな・・・と思っていた僕としては
落選という事実に大ショックで
地の底を這うような暗い時をすごしていた。

日本にいるとデビルマンのことを思い出す。
あの愛してやまない、というか
僕自身がそれをやる為に生まれてきたとさえ思えるような
「デビルマンの実写化」という企画に参加できなかったことが悔やまれる。
というか、単に参加できなかったというよりも
参加できそうだったのに、結果として参加できなかったことが
とても悔やまれ、寝ても冷めても残念で心苦しく
僕は、もう日本には居られないとイタリア行きを決めたのであった。

そして格安航空券も手に入れ金も払い
あと一週間で、苦しみだけの日本からオサラバという時
携帯に電話が入った。

「?」

出てみると、それは
あのデビルマンのプロデューサーからの電話だった。
2002年の12月に入ったばかりの時のことである。

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2005/01/21

デビルマンのライター候補として(さらに続き)

1ヶ月以上に渡る都合4回のディスカッションがあって
結局、10人の候補全員が落ちた。
突然浮上したのが、ある新進の若き女流漫画家である。
僕ら10人のライターの提出作品がすべて
永井豪デビルマンのアナザーストーリーであったのに比べ
彼女は永井豪デビルマンをそのまま映画にするという案だった。
もっともと言えばもっとも。
僕らはいかに永井豪デビルマンを現代化するか
ということばかりに気をとられていたが
あのままでいいじゃん、ていうかあのままで凄くない?というのが
彼女のスタンスだった。
それは今思うと実に正しい。
誰よりも熱狂的なデビルマンファンを自認してやまない僕が
どうしてそのことに気がつかなかったのだろうと悔やまれるぐらい。

それにもうひとつ
ライターの僕らは、プロット提出が当たり前と思っていたが
彼女はプロットでは自分の書きたい内容が伝わらないと
最初っからシナリオで作品を提出してきた。
これも正しいスタンスだと思う。
僕らはプロデューサーからプロット提出と言われた時点で
もうそのことを前提にしていた。
しかし、プロットを作成する要約能力と
脚本を書く能力は別物だと思う。
そう思いながらもシナリオを書かなかったのは怠惰だからだ。
もし落ちたらシナリオを書いた労力は無駄になると思って
プロットで済ませるものなら済ましてしまおうという怠惰。
だから僕ら10人は彼女に敗れるべくして敗れたのだと思う。

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2005/01/18

デビルマンのライター候補として(続き)

ライターを10人も集めてディスカッションする。
自分の企画がいかにデビルマンの映画化にふさわしい企画であり
他の人の企画がそうではないということをディスカッションする。
その競争の中から、監督やプロデューサーがアイディアを拾い
また競争の中から、ぼくらの企画が進化していく。
そういうことを狙ったプロジェクトだった。
従来の映画作成手法を離れて
本当に良い映画を模索する、そういった那須博之監督の発案からスタートしている。

ちなみに僕の企画。
「デビルマン・ネクスト(仮)」(最終更新日付が2002年9月4日になっている)の企画書の出だしは次のようなもの。

新時代のデビルマンは、不動明少年がウィルスD(ディー)に罹患することによって誕生する。時は西暦2015年。後天性奇形病を発症するウィルスDが世界を席巻している。ウィルスDに罹患した人間は、肉体を気味悪く変形させ(まるで悪魔のように)、その性格を凶暴凶悪化させる。そして各地でウィルスD罹患者への排撃、隔離が行われた結果、結束したウィルスD感染者たちはテロ組織ガイアを結成し人間たちに戦いを挑むみ、世界はたちまち人間v.s.ガイアの戦いの場と化してしまう。そんな時代の高校生不動明は、文化人類学者を父に持つ内気な少年である。卒業後の進路を考え、自分が何者であり、何者であるべきかを悩む、普遍的な悩める少年である。ただ明の父・不動永(ながき)教授が、研究赴任地のアフリカで、ウィルスDの秘密を解き明かしたことから、明の生活は大きく変化する。アフリカ・デドサンガ共和国のアカルア族とともに暮らす不動永教授は、アカルア族が太古よりウィルスDを意識的に利用していたことを知る。すなわち、ウィルスDにより変体した人間は環境と和合することを可能にすることを突き止める。人間は環境を自らに合わせて変化改造するが、それには限界がある。ウィルスDに罹患した人間は、環境に合わせて自らを変化させることができる。ただし、ウィルスDはうまくしないと、悪活性化し人間を凶暴化原始化させてしまう。不動永教授は、人間対ガイアの戦いを終わらすべく、ウィルスDのコントロール方法(良活性化の方法)について世に公表しようとするが、何者かによって殺害されてしまう。明は、父の持って帰ってきたウィルスDに感染することによって、デビルマンとなる。

永井豪先生の書く悪魔と西洋的な悪魔の違い。
それは西洋的な悪魔がアプリオリに悪魔であるのと違い。
永井先生の悪魔は、ある主体から見ての悪魔なのである。
つまり物が見る角度によって、
いろいろな様相を見せるように
かならずしもAにとっての悪魔がBにとっての悪魔ではない。
西洋的な悪魔がアプリオリに悪魔であるのは
疑いようも無い第一歩。聖書があるからだろう。
永井先生の悪魔=デーモンであってこそ
僕らはデーモンに感情移入しさえできる。
そして物語を語りうる重いテーマ=葛藤が生まれる。
だから僕はどうしても、実際に可能性のある存在として
言ってみれば、
進化の別ルートとして存在する知的生命体として
デーモンを考えてみたかった。

僕は学部は経済学部だったけれども
本当は理系志望で、
とくに進化論なんてものが興味の中心にあった。
だから、デーモン族を悪霊や妖怪という非科学的な存在ではなく
実際いてもおかしくないものとして、
現代の科学レベルに照らし合わせて
定義しなおしたいという気持ちがあった。

そこがおかしい、つまりいきなり悪魔と合体したとかやると
漫画、悪い意味での漫画になっちゃうと思うのだ。
悪魔という言葉に気持ちがひいてしまう人もいると思うのだ。
ああ、非現実的な話ね・・と。
だから、そこは注意深くありそうな感じでスタートしたい。
(これは那須監督の意向でもあった)
そう考えると、
ウィルスとかDNAとか、
まぁありきたりと言えばそうだが
そういうところで
デーモンと言う存在を考えるしかないだろうと言うのが
そのときの僕の考えだった。

そこで、
人間=自分の都合のいいように環境をいじくる存在
デーモン=環境に適応できるように自分をいじくる存在
としたのである。

そして、非適応的進化をしてきた存在が自分をいじくるにはウィルスDというものの作用を利用する必要がある。
しかし、このウィルスDは、まともに作用すると人間をデーモンにできるが、変な風に作用すると、人間を凶暴凶悪な存在に変えてしまう。そして見かけ的には、まともに作用した人間も、変な風に作用した人間も、区別できない。
だから人間は、両者をともに殺そうとする。魔女狩りを始める。というような話を考えてみた。

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2005/01/11

デビルマンのライター候補として

デビルマン。
漫画を読んだのはたぶん小学校。
とんでもない衝撃を受けた。
エキセリントリックな子供で、自分で自分の胸をナイフで切って、
1人サバト。悪魔に合体してくれぇぇと祈ったりしていた。
自分の事ながらとても怖い奴だった。
2003年、東映のプロデューサーが
デビルマンの実写化を企画しているのを知る。
そしてライターを募集していた。
もちろん即座に応募。
そして、そんなこんなで、
東映の応接室に呼ばれたライターは10名。
他のみんなはそれなりに実績があるような人たちばかりであった。
何よりプロデューサーとみんな面識があった。
僕だけが初めて。
どきどきしながら待っていると
現れたのは那須博之監督。
ビーバップハイスクールの監督として名前だけは知っていた。
僕ら10名のライターは監督とプロデューサーたちの前で
ディスカッションを繰り広げることに。
まず、1人づつ、自分の企画についてプレゼン。
どういうコンセプトでデビルマンを実写化するのかのアイディアを披露。
僕以外のみんなはプロだから落としどころを探りつつの企画だった。
永井豪作品という切り口で企画を立てる者。
たとえば、バイオレンスジャックやキューティーハニーなどが総出演する物とか。
東映という切り口で企画を立てる者。
仮面ライダー555のように、複数のデビルマンが登場し覇権を争うというようなものとか。
僕は芝居は何本も書いていたけど
映画なんてあれだから、落としどころを考えなきゃいけないなんて分からない。
ただデビルマンがとんでもなく好きで
そのデビルマンが今うそっぽくなく実写化できるとしたらどんなだろうという観点からだけ考え企画した。

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2005/01/08

肩書き

映画デビルマンへの参加。
僕のポジションは、名刺的には「監督助手」、
東映からいただく給与明細的には「プロデューサー補」、
映画ラストのキャストスタッフロールや
映画のパンフレット的には「出演者」・・・
なんてことになっている。
名前はどうあれ、参加できることがうれしかった。

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2005/01/07

映画監督那須博之のこと

僕の師匠は那須博之である。
いまや悪名高き、あの東映デビルマンの監督と言えば、たくさんの人が分かるだろう。
デビルマンという映画は、僕と師匠の出会いのきっかけでもあるし、
メンバーが数人しかいない企画開発段階からかかわった映画でもあるし
また、原作の永井豪デビルマンと言う作品が、
僕の肉体の中心で真実を叫ぶと言うとてつもない思い入れのある作品であったこともあるし、
さらに、映画としては僕がはじめて製作にかかわった映画でもあるし・・・
とても何かを割り切って冷静に口に出せるような映画ではない。
しかし、今もっても思い出せるのは、
デビルマンの実写化にかかわることができると決まった時の興奮と喜び、
初めて映画の作り手側にたったときの戸惑いと
寝る時間を削っても、またヘトヘトに疲れても楽しくて仕方の無かった毎日、
那須さんと誰より深く接する機会を持った僕は
那須さんの言葉とイメージ、人柄に魅了され、
映画デビルマンがどんなにすばらしい映画になるかを夢想し・・・
しかし、考えられないほど毎日のように起こるゴタゴタ
脚本や製作体制をめぐる・・・そのなかで結局自分もバラされてしまい・・・・・・
できあがりについては、正直、原作の熱烈なファンとして、とても不満がある。
そしてその責任は、まず師匠の那須さんにある、形式として、それは紛れも無い。
だが、僕は、天皇の戦争責任について思いを致す。
元首であるからには、責任はあろう。形式として。
しかし、間近で見ており、もっとも元首に近い位置に居た人間として
すべてを形式論だけで語るのは逃げだろうし、なにか真実でない、そういう感じがぬぐえないのだ。
だから、保身の気持ちの許す枠内で、ぼくの見たことを話そうと思う。
師匠の那須とこれからも仕事を続けていく人間として
そして映画や芝居というエンターテイメントを生業として生きていこうとする人間として
このことにまともに向き合わなくてはならない、とそう思うからだ。

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