2012/06/29

荒戸源次郎監督のワークショップ初日

荒戸源次郎監督のワークショップ初日終了。

いつもの4人の映画監督によるワークショップの時と違い4日間を荒戸監督お1人に見てもらうためだけに使うので贅沢に時間が使える。

しかもいつもより役者の参加人数が半分ぐらいであり、またいつもは1クラス1日3時間なのだが、今回は1クラス1日4時間と時間も長い。役者ひとりひとりをかなりじっくりと見ることができる。

初日はなんと参加者の自己紹介だけに1日をついやした。

自己紹介だけ?そんなんで1日はうまるのか?と始まる前は正直不安だったのだけれども、ものすごく充実した1日になった。

「自己紹介」と言っても、真っ正直に自己を紹介する必要はなく何をしゃべっても何をやってもいい(しかも時間無制限)。なにをやっても、その時間の構成の仕方、何を表現するのか、その「選択」によって、その人がどんな人か分かるので、結局のところ「自己紹介」になるって寸法。

基本、真っ正直な「自己紹介」が多かったが、その語り口や態度や自己との恥じらいの距離なんかで、実に「人」がよくわかった。僕は全員について詳細なメモをとりながら聞いていた。

面白いのは各人の話す内容だけではなく、荒戸監督が話に間の手を入れる・・・というか話を横取りして脱線させるのだけれども、これがまた面白い。

脱線のさせ方は話し手への、また聞き手への監督からのシグナル、あるいは監督自身の「自己紹介」になっている。これに気付く人は自分の「自己紹介」をどんどん進化させていく。気付かないひともいる。気付かないは気付かないで、自己中心的な人は自己中心的な人で、それはそれで「自己紹介」になっている。どんなにいい話をしても自己中心的な人間だなというのは態度で判る。どんなに酷い話をしてもセンスのいいやつだというのは笑い方で判る。「自己紹介に意味はない」と不平不満を言う人もいる。それこそが「自己紹介」。

運営側としては8時間、「自己紹介」を聞き続けるわけだけれども、こんなにも人間を見せつけられ、そして自らも見せ続けねばならなかった時間はない。全員がこの時間を面白いと思う必要はないが、すくなくとも僕と荒戸監督は8時間をきちんと楽しんだ(役者たちに荒戸監督が興味を持ってくれたのが嬉しい)。

そして8時間、他人の話を興味を持って聞き続けるというのは、じつはそれ自体が大変疲労することであって、終了後、獺祭を六合ほどのんだら爆睡。気付いたらソファーの上で朝を迎えていた。

まもなく荒戸源次郎監督のワークショップ2日目昼クラス。

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2011/04/16

和服のすすめ~節電を楽しむ方法

今年の夏、および、今後の日本の夏の節電対策として、和装の導入推進、およびビジネス和装の開発を提唱します。

僕自身は去年夏のほとんどを「甚平さん」で過ごしました。

これメッチャ涼しいんですよ。

おかげで家ではクーラーをかけませんでした。

むしろ寒いんです。

映画館とか喫茶店とか、もう甚平さんだと寒すぎる。

だから、節電対策に、甚平さんと言うか和装はすごくいいはずです。

なにより、和服ってのは日本の気候にあってるはずですし。

もちろん、短パン、Tシャツでもいいんです。

いいんですが、やっぱりね、節電すりゃいいってもんじゃない。

衣服は機能だけのために着るにあらず、「かっこいい」とか「かわいい」とか大事なわけですよ。

羽田さんのクールビズが流行らなかったのは、あれ「着たくない感」がめっちゃ強くなかったですか?

あとノータイもダサい。

やっぱスーツはネクタイないとカッコ良くないわけで。

そしてやっぱり上着を着た方がカッコいい。

でも浴衣は違う。

涼しいうえに、かっこよかったりかわいかったりする。

昨年、向井理くんが太宰治「黄金風景」をやったときのエロさっていったらなかった。

僕、男だけど、向井君の風呂入ってない感じの胸の汗ばんでる感じに顔をうずめたかった(笑)。

で、女の子の浴衣も可愛いし美しいわけですよ。

そう言う意味で、和装は、涼しく節電にもなるし、あとかっこいい、かわいいというので需要もされやすい。

だから、僕はTシャツ、短パンなんていうのよりも、和装回帰を提唱します。(甚平さんも悪くないけどちょっとカッコ悪いからもっと浴衣的な方が良いな)

さらに、和装回帰はいろいろな効果を生むと思っています。

たとえば、丸の内のサラリーマン、OLたちのほとんどが浴衣でいたとします。

その街の風景を僕はぜひ観てみたい。

海外からみた東京の魅力も増すと思います。

もともと放射能が怖い外人はどうやっても日本には来ないけど、

そうでもない外人は、和装の人々が行きかう東京には行ってみたい、と思うかも。

そう言う意味で観光都市東京もアピールできる気がします。

また現在、日本経済で動いていないのが衣料らしいのですが(だって意外に簡単に買い控えできるでしょ)

でもこの和装に切り替えることで衣料が動く。

それにあった小物や履物が動く。

さらに、和装は、オンナ度オトコ度を上げるから、恋愛が増え、いろいろなことが動き出す気がします。

あの人の着こなしカッコイイよねなんて、オフィス街で言われるようになったら素敵だなと思います。

とは言うモノの、女性にとって「着つけ」が大変らしいので

和装の導入とともに、もう少し着るのが簡単なビジネス和装のようなものを開発しても良いと思います。

さらに、これはどこか一社がやってもさびしい。

東京の街が、おおっと唸るようなカッコいい和服の街になるためには、丸の内やなんかの企業がこぞって和装への転換が必要です。

というかビジネスマンやOLだけでなくみんなが普段から和装を着ないと、映画館のクーラーを切ることはできない。

難しいのはわかりますが、きっとやったら東京は素敵な街になります。

なのでやってみませんか?みんなで。

節電と言うと地味な印象ですが、節電を「楽しむ」という方向もあると思います。

むしろこれを良い機会に、日本の風土にあってないスーツをやめて、和服になりませんか。

東京がやばいほど魅力的な街になる気がしています。

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2011/03/27

津波からの逃走実況映像

この動画皆見ました?必見です。 いろいろ貴重です。
映像投降した人生きていて良かった。ほんとうに。
あとBGM素敵です。
「今」的です。

 ↓

宮城県のニコ生主の、津波からの逃走実況映像(BGMまどかマギカw)
http://bit.ly/fiBQ6l


避難成功直後の映像
http://bit.ly/fU8JWC


水が引いた後の自宅映像
http://bit.ly/eZ85Sc

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2011/03/20

好機到来

石原都知事が、震災を天罰だと思う的な発言をして叩かれ陳謝したが、この震災を、僕らの今までの無意識の生活への戒め(=天罰)と思うことに心情的に同意する人は少なくないはずだ。

もちろん、直接的な被害を受けていない、無傷の僕らが震災を天罰と言うことが非常にのんきな話だというのはわかる。

ましてや、直接的な被害を受けている被災者にとって、現状が天罰だなんて言うのはおかしい話で、「こんな罰を受けるのが正当化されるほどの酷い生き方を僕らはしてない」とか「「たとえ、この震災が放漫な現代人の生き方への天罰だとしても、どうして、都民や他府県の日本人への罪をまとめて僕らが引き受けなきゃいけないんだ」と被災者たちが言うのは実に正論だ。

だから、石原都知事の「震災天罰説」はその言いたい心情は判るが、しかし、言い方として乱暴すぎたというのが正しいところだろう。

しかし、震災を、ぼくらのいままでの生活への戒め、あるいはいままでの生活への改めの機会とするというのは決して間違ってはいないと思う。

被災地の不幸を尻目に言うが、今回の震災は非常に「好機」であると思う。

なんの「好機」かというと、今までの生活を悔い改める好機である。

たとえば、就活というものがあるが、このダメさ加減は衆目の一致するところだろう。

まず、何がダメかと言うと、就活する学生がだめだ。

あらゆる業種、あらゆる会社をとりあえず受けてみる的な発想がダメだ。

行きたい会社がある、やりたい仕事がある、それならいいけれども、たいがいが、就職できないことを恐れるから、そこかしこに「無節操」にエントリーをする。

その若者らしくない、ヤル気のない、滑り止め発想がダメだ。

そんなダメな発想を受容する若者がろくでもない社会を作るのは目に見えている。

が、この震災を契機に、本当の生き方を選択する人が増えているのではないかと察する。

就活なんか馬鹿らしい。

明日死ぬかもしれないのだから、いまやりたいことやるべきことを悔いなくやろう。

そう考える学生が増えていることを望むし、僕の仲良くしている女子大学生はそういう生き方をこの震災を契機に選択した。

「本当にすべきことは何か」を考えるに今回の震災は大変な好機であったと思う。

就活以外にも改めるべきものは沢山ある。

たとえば、東京一極集中なんてのもそうだ。

計画停電などしているが、原発があんな状況では、夏場の東京を乗り切ることはほぼ不可能なのではないか?

だとすれば、東京一極集中を改善する好機だと思うのだ。

放射能の影響とその恐怖から逃れるために東京を離れ西に移動する人々もいるが、それも良いことだと思う。

行ってみたら行ってみたで、意外に東京で仕事をしないでもいいんだと判ったら、東京一極集中を改善するきっかけになる。

また、同じく電力需要の平準化から出てくる発想なのだけれども、生活パターンの複数化を図る好機でもあると思う。

9時出勤5時退社みたいなのを崩せていければ、それこそ電力消費も分散され、朝のラッシュも緩和される。

いままでだってその改善はした方がいいと思われていたのだろうが、なかなか踏み切れていなかった。

所詮、くすぐり程度のフレックスタイムの導入が関の山だった。

それを考えると、震災および原発の機能停止からの電力供給量の低下は、生活パターンの複数化を本格的に実行する好機到来と考えられる。

また、今回の震災では、多くの人が日本人でよかったなどと民族としての自尊心を取り戻している。また、被災地への支援などを積極的にしようという人々が増えている。

昨今、新しい公共などと言われ、またタイガーマスク運動に見られるような善意の発露などが、本格的に何かの形をなす好機も到来しているのではないかと思われる。

まだまだあるだろう。

だから、思うのだ。

今回の震災は天罰であるとともに天恵でもある。

震災がこなければぐずぐずとして進まなかった日本。

それを今こそ進める好機到来なのだと思うのだ。

これから日常が取り戻されていくだろうが、間違えてもクソみたいな日常を取り戻してはいけない。

被災と言う現実を受け止め、これを新しい日常を作り出すための好機としなければいけない。

そう僕は思う。

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2011/03/19

良い自粛、悪い自粛

自粛ムードには釈然としない。

自粛にはおそらく2通りある。

消費電力量ピーク時の節電のように、自粛が意味のあるもの。

もう1つが卒業式中止のように意味のないか、または害悪の方が大きいもの。

例えて言えば、

意味のある自粛は「普通のダイエット」である。

それは、無駄な贅肉をそぎ落とし成人病を防ぐという人体へ良い影響がある。

害悪のある自粛は「過剰なダイエット」である。

それは、拒食症を招き、ついには生命を危機に陥れる可能性がある。

自粛全般を否定するわけではないが、意味あるか、害悪があるかの見極めが大事だろう。

 

たとえば、あるクラスに右腕を失った友人がいるとする。

担任の先生が給食のときに言う。

友人の痛みを少しでも思うために、今日だけは右腕を使わないで食事をしてみようと。

みんなで、それをやってみる。

もちろん、腕を失ったことと、腕を使わないで見ることとの差はとても大きい。

使わないぐらいでは、腕を失った本当の意味が判らない。

判らないけれども、すこしだけ、「痛み」を想像することができた。

少し涙する。

こんなことがあるとすれば、その自粛には意味がある気がする。

 

だが、これが強制になってくると違う色が混ざる。

最初は痛みをすこしでも想像しようと始めた右腕を使わない運動。

それが行きすぎて、その日だけではなくて、毎日になったとする。

たとえば、右腕を使った生徒をみつけたら、不謹慎と責めるようになったとする。

右腕使用取り締まり委員会が作られる。

右腕を使った人は、委員につかまり、断罪され、罰を与えられる。

放課後の便所掃除を右腕を一切使わないでやることを命じられる・・・

というような極端なことになったらどうだろうか。

 

前者の自粛が「ありな自粛」で後者の自粛が「無しな自粛」なのは言うまでもない。

だが、前者の自粛から後者の自粛への移行は簡単に行われるだろう。

つまり良い自粛と悪い自粛の境は実はあいまいだ。

あいまいであるがゆえに、

気を抜くと、良い自粛が悪い自粛になってるなんてこともあるだろう。

だから、いま関わっている自粛が「本当に」必要なものか、あるいは「行きすぎた」自粛ではないのか?

それを個々人が「常に」注意深く考えている必要がある。

と思う。

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2011/03/17

希望という名の光

問題はいろいろありますが、昨日より今日、今日より明日、そんな感じで日に日に希望の持てる状況になっている気がします。

もちろん、不幸は続いており、現地にはまだ救うべき人々が沢山おり、原発は予断を許さない状況ではありますが、僕らが生きて、笑い、歌い、踊り、飲み、食い、騒ぎ、愛し、祈り、絶望しかかっている人々に希望をあたえないでどうしようというのでしょうか。

てな具合で、前向きです。

いろんな意味で、本来考えておくべきことを忘れていたことに気付かされた事件でしたし、本来考えるべきことを、今になってかもしれませんが、みんなで頭を抱えて考える良い機会である気もします。

苦しみの声に耳を澄まし、やるべきことをやりましょう。

ボランティアも大事だし、でも日々の生活を守ることも重要です。

なんにせよ、みんながんばろうぜ( ´ ▽ ` )ノ

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2011/03/15

東日本大震災~善意のありがたみと危険性

最初はちょっと大きいぐらいの地震だろうと、はしゃいでツイッターをしていたが、次第に全貌が判るにつれて、どうしようもない鬱に襲われ沈んでしまった。

いまもそれは続いているが、昨日、災害ボランティアに登録したことと、災害義援金に今の僕では頑張った額だなと思えるほどの寄付をしたことと、現代演劇ウォッチャーのしのぶさんのブログを読んだこと、プライベートにおいてサポートしてくれる人がいたことが多少僕の気持を楽にさせた。

ちなみに、「素人がボランティアで現地に行ってもしかたがない」という話しがあるが、それを含めて素人が判断しても仕方が無いと思う。なので、僕はボランティア登録をし、あとは専門家の指示を待つことにした。

おそらくこの未曽有の大災害からの復興には金だけではなく人力も必要となるはずで、こんな運動不足の僕でも何ほどか貢献できる可能性があると思っている。

原発については最大の憂慮事項だが、事ここに至っては無闇に恐怖を感じても良くないのだろうから、枝野さんや原子力安全保安院の人々、東京電力の人々、自衛隊の人々が死ぬ気で頑張っていることは疑いなく、僕は彼らに同胞としての誇りを感じながら、朗報を待とうと思う。ちょっと韻を踏んだ感じになったのは偶然だ。

ちなみに、今回の災害が起きて、ツイッターやUSTなどのインフラとしての素晴らしさを多くが感じたに違いない。僕もそうだ。昨年のクリスマスからしばらく伊達直人を名乗る善的行為が流行ったが、今回の地震にあたってのツイートをみると、誰かのためになりたいという善意は日本人全般が持っているものであり、逆に悪意を持っている人を探すことの方が難しい。

だが時折、ツイッターでも、善意からの発露だろうが、なにか醜い発言をする人々がいる。人を傷つけることを目的としているのではないかと疑いたくなるような病的な発言をしている人がいる。善意の暴走とでも名付けようか。

記者会見などでも善意の暴走を感じる。原発事故の記者会見の質疑応答などを見るに、記者としては報道マンとしての強力な善意があるのだろうが、それが行きすぎというか、見続けることが苦しくなるような詰問を、東京電力の人々にしていたりする。これを見ていたことが、僕が息苦しくなった直接原因である。東電の人たちが手抜きをしているだろうか。鼻歌まじりで対応しているだろうか。死ぬほど頑張っているのが誰の目にも明らかだ。それを少々の対応のミスをついて得意顔に質問する報道陣には嫌悪感を感じずにはいられない。僕の心は東電の人々に共鳴して苦しくなってしまった。報道の正義と信じて得意げに質問する記者の態度には、善意にこそが凶暴であることを再度思い出させてくれるものがある。

今回の非常事態にあたって、多くの人が良かれと思って真剣に発言や活動している。その根本にある日本人の善意は疑わない。疑わないが、善意であれば、なんでも許されるというわけではない。僕が再確認をしたいのはそのことだ。

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起こった。

それから2ヶ月後の同年3月20日、何が起こったか。

オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。

地下鉄サリン事件こそは「善意」が引き起こした大惨事である。

震災で危機意識を煽られた「善意」が引き起こした事件である。

復興のためには確実に善意が必要だ。

だが一方で、行きすぎた善意には気をつける。

そういう心持でありたいと思う。

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2011/02/17

日銀法改正をめぐる日銀内部での闘争の思い出ほか

茂木健一郎さんのツイートに刺激されて日銀時代の思い出を語ったら、がすがすRTされて一挙にフォロワーが120人も増えた。

「日銀法改正をめぐる日銀内部での闘争の思い出(当事者によるw)」
http://togetter.com/li/101918

※これについてはブログでもうちょっと補足したことを近いうちに書きます。

あと、僕の渾身の論考への御意見も募集しております。
一緒に日本を変えましょう。

よろしくね!!


「それでも無縁社会は大問題な気がする」
http://alotf.cocolog-nifty.com/nikki/2011/02/post-d8a7.html


「善意の特攻…タイガーマスク運動の本質」
http://alotf.cocolog-nifty.com/nikki/2011/01/post-10fa.html


「twitterの速報性をもてはやすな。~米国議員射撃事件~」
http://alotf.cocolog-nifty.com/nikki/2011/01/twitter-75c5.html

あとなんかこういう映画があるのですが

青空の下、三元くんたちがジャンプしている宣伝写真は僕が撮りました。

「魂を握りつぶした男」
http://jgmp.co.jp/tamashii/

まもなく公開のようです。

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2011/02/03

勝手に映画予告編

今時いろんなことができるんですねえ。

facebookの友達リストから映画予告編を自動生成するサイト。

谷くん、金子監督、樋口監督、節丸さんとか出ている・・・。

キャスティングは選べないようだ。

なのでこれは偶然ですのでアシカラズw

映画「LOST IN VAL SINESTRA」予告編

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2011/01/02

謹賀新年2011

あけましておめでとうございます。

松枝佳紀です。

2010年中に書かねばならなかったブログ記事なども沢山あるのですが、今はまず2010年総括および2011年の抱負などを書いておこうと思います。

2010年は大転換の年でした。

●演劇と劇団について

新国立劇場公演を終えた後から、劇団を中心としたやり方に苛立ちを持っていました。

その苛立ちがピークに達したのは2009年11月の番外公演においてです。「僕のやりたいこと」と「劇団のやれること」に、どんどん違いができてしまっていることに気付いたのです。

たとえば、2008年の8月の新国立劇場でやった「ルドンの黙示」を、僕は、僕の作品の最高峰と思っているのですが、あれを実現するためには、あの規模の予算、美術、スタッフ、劇場規模が必要で、それを実行するには劇団というのはなんとも心もとないものにすぎなく、実際、外部の魅力もあり集客力もある役者の参加に頼らざるをえませんでした。

なので「ルドンの黙示」以降の公演では、劇団員だけで、しかもアイドル劇団化しない方向で、「ルドンの黙示」的な大きなテーマを持った芝居をやることを目標として、がんばって活動してきました。しかし結論から言うと、これがなかなか難しかったというのが正直なところです。

劇団の主宰としては、所属する役者たちの集客力を伸ばすための努力もしてきたつもりです。

やり方が正しいかどうか分からないけど、僕としては映像に片足を突っ込んでいるので、そういう映像分野での露出を増やすことが、集客力のある役者を育てるためには急務と考えました。私費でマネージャーを雇い、劇団員の映画やテレビに対する営業を数か月しました。最初は難しくても、じきに効果は出てくるはず。そう思ったのですが、実際は金が出て行くばかりで、なかなか仕事の獲得に結び付かなかった。

結果、僕の資金が底をつき、マネージャーを雇うのは辞めました。

いわゆる役者を育てる方向としては、メソッド的なことを教えて演技力を増強する…と言うような方向もあるのでしょうが、演技力増強と、演者としての魅力を増すことは違うことだと思っています。いかに演技力がアップしたとしても、売れる役者、人を呼べる役者になれるわけじゃありません。

満島ひかりちゃんをみても分かりますが、役者の魅力とは、演技とかそういう技巧や技術の問題ではなく、その人の人間の奥底から湧き出でてくる三千年の汚水みたいなもので、それはいわゆる演技レッスン的な、明るく健全なことで鍛えられるものではないと考えています。

「4人の現役映画監督による実践的ワークショップ」を運営しているとわかるのですが、役者は自分の演技がどうかを知りたがるが、監督は一様にして役者には演技力ではなく魅力をもとめます。魅力ある役者と組むことは、芸術と経済を両立させる可能性があるからです。しかし、常に困るのは演技力を育てるやり方は多々あり指導することが可能なのですが、魅力を育てるやり方については定まった方法論が無いと言うことです。「よりよく生きよノタウチマワレ血反吐を吐け」と言うことしかできません。

そういう役者指導、劇団員管理、劇団運営に長いこと腐心し、そして限界と苛立ちを感じていました。 

脚本家・演出家としてはしたいことがあり、そして、それは満島ひかりクラスの役者と組むことですぐにも実現可能なことであり、しかし役者の成長を優先にする劇団の主宰としては、自分勝手なことをすることは許されず、自分のしたいこととは別のことをしなければならない。役者の成長を第一義においた公演を打たなければならない。その矛盾が僕をだいぶ苦しめました。

結果、僕の気持ちは、劇団公演ではなくて、プロジェクト文学を立ち上げる方向に向きました。

広田淳一、吉田小夏、谷賢一という才能と公演を打つことに非常な魅力を感じたのです。

人間、欲望がなければ報酬無き行動は続きません。僕は自分の欲望に素直になり、プロジェクト文学を自分の主に置き、2010年の劇団本公演は打たないことを決定しました。

プロジェクト文学は予想以上の好評を得、無事終了しました。主宰の4名は戦友と呼べる信頼の絆を得ました。4名それぞれに忙しいので、時間を調整するのは難しいですが、2011年、2012年とプロジェクト文学は続けていけたらなと思っています。

プロジェクト文学を実行している時の僕の欲望と快感が何であったかと言うと、それは脚本や演出の欲望や快楽とは別の、自分の仕掛けが人を驚かせ喜ばせることの喜びというか、おそらくそれはプロデューサーとしての欲望や快楽であったのだと思います。

一方で、劇団運営については答えが出たわけではありません。悩んでいました。正直にそのことを劇団員に話しました。僕は自分のしたいことだけをしたい。昨年父が死に、次は僕の番で、だから急がないといけない。僕のしたいことをしたい。しなければいけないことをしたい。そしてそのしたいことをする時に、劇団は、申し訳ないけどオモシになる可能性がある。そんな自分勝手なことを話しました。皆は話をよく聞いてくれて、その場でどうするかは答えは出さずに、皆がそれぞれどうするべきか、各自持って帰り、じっくり考えることになりました。

2010年のクリスマスを過ぎたあたりにどうするかそれぞれの答えが出ました。

劇団アロッタファジャイナは、松枝佳紀、ナカヤマミチコ、青木ナナの三人で続けて行くことになりました。峯尾晶についてはフリーになりました。安川については、すでに劇団を離れ、別の事務所で活躍をしています。

それぞれ立場は変われど、「やりたいことをやりたいようにやる」というクリエイティブの原点に戻りたいと思っています。まだ具体的に何をするかは決まっていませんが、余命がわずかであると想定したときに、回り道をしている暇はありません。やりたいことをやらないといけない。長い目でみていただき、応援していただけると嬉しいです。

●映画、シナリオライターについて

2010年の映画、僕のベスト1は「ノルウェイの森」です。そして次に来るのが「悪人」。僕は、2008年の春から夏にかけて、「悪人」の企画開発に関わり、その映画化の方向性を探り、プロットを書くと言う仕事をしていました。しかし、その年は、新国立劇場でやる「ルドンの黙示」に賭けたいと言う気持ちが強く、貴様何様という感じですが、途中で、降りさせてもらったという経緯があります。その代わり、「ルドンの黙示」には死ぬ気で関わり、僕自身の作演出作品としてベストの物にしあげることができたという気持ちがあります。とは言うモノの、大きな魚を逃したなと言う気持ちもあります。特に、「ルドンの黙示」で主役を張ってくれた満島ひかりが、映画「悪人」にも重要な役で出演しているのを見ると、ずるい、という気持ちになります(笑)。

演劇は好きですが、僕の中には、映画と言う浸透力の大きなメディアを使って作品を発表していきたいと言う気持ちが強くあり、また収入的にも映像は非常に魅力的です。

「悪人」を降りて以降、角川映画で西竹一陸軍大佐の生涯を描いた「硫黄島に死す」の映画化に関わり、これは第三稿まで書いたのですが、角川の政変で企画がぽしゃり消えました(気にいっている脚本なのでどこかで映画化できないものかと考えています)。その後、いまヒットしている「武士の家計簿」にも関わったのですが、脚本まではいかず、脚本協力というところで僕の仕事は終わりました。父の死という僕の個人的体験を元に書いたオリジナル脚本「夏休みなんかいらない」を金子監督と共に書き上げたのですが、これも映画化のめどが現状はまだついていません。他にも企画開発段階でつぶれた魅力的な多くの企画に関わってきました。

そんな中、何か自分の一人の手になる作品を早く世に問いたい。そのことを金子監督に相談したときに、金子監督に言われたのは、劇団活動を縮小し、シナリオライターとして本当にやりたいことに集中しろと言うことでした。そのアドバイスもあり、2010年は劇団活動を控えたと言うのもあります。

現在、金子監督と開発している某作品については、アドバイスをくれた金子監督の指導もあり、うまくいく公算が高いです。もちろん一筋縄ではいかないこの業界のことですからどうなるかわかりませんけれども、いま第一稿を書いておりなかなか面白いものができるのではないかと、僕次第なんですが(^^;、頑張っているところです。

そのほかにも、幸運な出会いがいくつかあり、仕掛かり品が何本かあります。

プロジェクト文学「太宰治」をきっかけに知り合いになった映画「人間失格」の監督でもある荒戸源次郎監督には大変お世話になっています。時代劇の脚本を書かせてもらいました。いわゆる剣豪物なのですが、かなり史実を調査し、そのうえで作り上げた脚本です。最近の時代劇にはないハードボイルドな毒のある内容の映画になりそうです。

また、他に知り合った監督方とたくらんでいる作品がゾロリとあります。

さらに、2010年は、シナリオライターとしても、もうすこしプロっぽくやろうと言うことで、事務所にも所属しました。DIPREXという事務所です。僕の大好きな海外TVドラマ「SUPERNATURAL」のジャパニメーション作品のなかの途中の1話を書かせてもらいました。また、DIPREXのキム社長は営業力も企画力もある人で信頼をしています。僕がなかなか近付けない仕事を持ってきてくれそうで、非常に期待をしています。

そういうことで、2011年は、2010年よりも、かなり忙し楽しい年になりそうです。

●それから…

勉強をしています。沢山の本を読み、沢山の映画や芝居を観、沢山の音楽を聞こうと思っています。インプットした分は必ずアウトプットをしようと思います。できるだけ、読書の感想、観劇の感想などはブログなどで文字にしておこうと思います。「ああ、面白かった」では、経験は血肉になりません。言葉にし、意識にし、体系化し、間違えて、指摘され、非難され、喧嘩して、そして何かを掴まなければ、経験は自分の使える道具にはなりません。

そう言う意味では2010年は沢山の悔いが残っています。読みたかった本を全部読めなかった。観たい映画、見たい芝居を全部観ることができなかった。書きたい作品を全部書くことができなかった。

2011年の目標は、より悔いのない1年に近づけるということです。欲望が大きければ悔いが大きいのも分かってます。分かってますが、それでもできるだけ、欲望をさらに大きくもちながら、やるべきことを、より効率的に、2010年よりも多く、果たしていきたいと思っています。

そんなわけで、2011年も、松枝佳紀、アロッタファジャイナをよろしくお願いしますm(_ _)m


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