2010/03/22

大澤信亮「批評と殺生―北大路魯山人」

現在、沖縄を舞台にしたある原作小説を映画にする作業に取り組んでいる。

もちろん脚本家としてである。

で、ここ数日、脚本化の方向性を考えあぐねていた。

沖縄~素敵な楽園、みたいな映画は沢山あり、そんな映画なら僕はやる気はしない。

なにか、違うもの。

小説を読んだときに、僕が引っ掛かったのは、食べることは殺生である…というような描写だった。

殺生という言葉は小説のスパイスで、中心ではないのだが、僕は妙に引っ掛かっていた。

一方、ツイッターで、橋本治さんの小説「リア家の人々」が評判で、ぜひ読んでみたいと思い、掲載されている新潮の4月号を買っておいた。

ふとその表紙を見ると、大澤信亮「批評と殺生―北大路魯山人」とある。

殺生か…まさに、いま気になってること。

と思い、パラパラとページをめくった。

一気に読んでしまった。

そして、泣いた。

批評で泣いたことなど初めてではないか。

おかげで、脚本化の方向性に一条の光がさした。

いろいろ素晴らしいのだが、一番素晴らしい部分は手にとって読んでもらうとして

でもたとえば次のような文章は、美しく的確でそして深い。

きっと誰も命を殺して食べることの恐怖を一人で引き受けられない。自分が自然の一部であることを、今、この瞬間に死につつあることを、殺されていることを、食べられていることを、思い出してしまうから。この恐怖を分け合うところに社会が生まれた。(大澤信亮「批評と殺生―北大路魯山人」より)

この素晴らしい批評はみんなが手に取り読めばいいと思う。

しかし、この素晴らしさを受け取るには、いろいろなことをクリアしなければいけない。

最近思うのはやはり教養は必要だということだ。

教養がなければ、この批評の素晴らしさを受け取ることができないに違いない。

そして僕の周りには、残念なことに、教養のない人間が多すぎる。

僕自身も長らく教養を耕すことをおろそかにしてきた。

いま義務として、僕は、自分の教養を耕すこと、愛する人たちに教養を身に着けさせるよういろいろ教えることを、自分自身に課している。

他人に教えるなんておこがましいと思ってきたが、そのような下らない謙遜で失われているものの方が多いというのにようやく気がついた。

後輩たちには、強制し強要しなければいけない。

教養を身につけるのは時間のかかることなのだから。

やっとけばよかったと思った時には遅い。

個人の問題ならまだいいが、消費者個人のレベルの低下は、必要とされる生産物の知的要求水準を強制的に引き下げることになる。

人類が長い年月をかけて蓄えてきたものが急速に失われ始めている。

そんな焦りが最近僕にはある。

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2010/01/20

2010年ツイッターの旅

2009年11月末にアカウントを取得、twitterツイッターをはじめた。

ツイッターの松枝アカウント
https://twitter.com/matsugae

いまではツイッターなしの日々は考えられない。

しかし中毒というのとも違う。

ツイッターは僕にとって本当に有益な情報を教えてくれる重要なツールとなったからだ。

ツイッターによって僕は沢山の本やTV番組、映画、情報、考え方と出会い、結構な額を消費している。

はじめはツイッター?ミニブログ?なにそれ?そんなの意味あるの?なところから始めたわけだが、今では、なぜそうなのかの説明が難しいが、やってよかったし、このツイッターといったツールが「ミニブログ」などと言われるものではなく、もっと別の、なにか形容しがたい、やはりツイッターとしか呼ぶことのできない有用なものであることを確信を持って言うことができる。

しかしおそらくツイッターとはなんぞや、みたいな話をすると、だいぶ時間がかかろうから、このエントリーでは、いまさっきツイッターについて思ったことを、ブログなりの長所を生かしてつぶいてみようと思う。

週刊ダイヤモンドという雑誌の編集部がツイッターにアカウントを持っている。

https://twitter.com/diamondweekly

そのアカウント( @diamondweekly )をフォローしていたら、ツイッター特集号を作るという話をになり、その時誰かが、表紙をツイッターユーザのプロフィール写真で埋めたらどうだ的な提案をし、それいいねとなり、早速ダイヤモンド編集部@diamondweeklyは、表紙に載りたい人募集と呼びかけた。そのお祭りさわぎに載って僕もプロフィールのっけて!とつぶやいた。

そのツイッター特集号の表紙が次である。(右下のほうに僕がいる(笑))

Diamond

記事の内容については、ツイッターをやったことのない初心者向けの記事で、これを読んでツイッターはじめようかなという人が出てくれば、それはそれでいいんじゃないかという話である。何人かの有名人のアカウントがずらりと並べてあった。

有名人をフォローしよう的なこととはツイッターの意義は違うかなとは思いつつ、しかし僕も有名人を見つけるとフォローしてしまうし、まずはとっかかりはミーハー的な動機でもいいだろう。始めてみて、結果、それを自分の使い勝手のいいようにカスタマイズして、それぞれがそれぞれの方法で利用すればいいんじゃないかという感想を抱いた。

で、シナリオの作業などいろいろ一段落したので(次の作業はあるのだが)、週刊ダイヤモンド@diamondweeklyの発言をさかのぼって見てみた。今回の表紙の目論見などあたり、さぞやウハウハだろうと思ったからだ。

すると、予想に反して、その発言は明るいものではなかった。

というのも、日垣隆氏( @hga02104 )が、週刊ダイヤモンド編集部@diamondweeklyに噛みついていたからだ。日垣氏の承諾もなく勝手にアカウントを誌面に掲載したことを謝罪しろということだった。

日垣隆さんのツイート
@daiamondweekly 勝手にアカウントや名前載せるな、ダイヤモンド。くず雑誌。私が、ゼロから新人にかえって、一人ずつと交流しているのに。彼らは、いろんな人がいる、の原点がわかってない。編集長、謝りに来なさい。メールアドレスや住所を許可も得ず勝手に載せるのは卑劣だ

実は似たような場面に出くわしたことがある。

有名人A氏のツイッターアドレスを探していたA氏の知り合いのB氏がそれをTL(タイムライン…時間順に自分のフォローしている人の発言が並んだもの)上で呟いたところ、A氏のツイッターアドレスを知っているC氏がTL上で「これがA氏のツイッターアドレスですよ」とさらしてしまったのだ。A氏のツイッターアドレスを探していたB氏は単純に喜んだのだが、A氏、実は、ツイッターをやっているのを隠していたのだ。TL上でアドレスがさらされたことにより、多数の人が突如A氏をフォロー、何事かと思ったA氏、調べてみると自分のツイッターアドレスがTLにさらされているという状態を知る。そして、A氏は、TL上にさらしたC氏、TL上でつぶやいたB氏に激怒した・・・というようなことがあった。

このA氏の話はツイッター上だけで起こった話であり、今回の日垣氏の騒動は雑誌上の話であるから、にわかに同じ問題として論じるわけにはいかないが、共通する問題が含まれている。

それはツイッターが私と公をつなぐ今までにない位置にあるコミュニケーションツールと言うところからきている問題だ。

つまり「つぶやき」という言葉にイメージされるような私性と、インターネット上、垣根なくオープンであるという公性。

メールアドレスは私的なもので、これを掲示板などのネット上でやりとりするのが犯罪的な行為であるのは想像に難くない。一方、ホームページのURLは公的なもので、これを掲示板などのネット上でやりとりするのは構わないだろう。おそらくホームページのURLなんかを雑誌に掲載するときはいちいち掲載をホームページ作成者に確認をしないのじゃないかな(憶測)

なのでダイヤモンドの編集者は、ホームページの紹介と同じノリでツイッターの日垣さんのアドレスを無断で誌面に掲載した。一方、日垣さんはツイッターのアドレスはむしろメールアドレスに近いものと考えているんじゃないかと思うのだけど、だからこそ、ダイヤモンド編集部許すまじとなっている。

というのが、このダイヤモンド-日垣論争の僕なりの理解だ。

問題を理解したうえで、じゃあ、どっちの言い分が正しいのか、あるいは新しい別の解決方法があるのか、ということだが、日垣さんがこの文章を見る可能性があると考えると、非常に言いづらいのだけども、僕はこの問題、日垣さんが間違えているのだろうと思っている。

というのは、ツイッターが持っている私性というのは疑似的なものでしかないと僕は思っているからだ。

特殊な設定をしない限り、ツイッターでの発言は、すべてネット上でさらされている。だからツイッターのアカウントはホームページのアドレス同様公的なものである。というのが僕の意見なのだが、公にさらされているにもかかわらず、ツイッターが私的なツールのように思えるのはなぜなのかをちょっと考えてみた。

ツイッターの画面では、フォローするユーザーのアカウント数にもよるが、膨大な発言が単純に時間順でずらずらとならんでいる。分類やソートをしないというのも、ツイッターの特徴で、それが面白いところである。またそれぞれのユーザーが重要な情報くだらない情報を分け隔てなく発言している。このことから、ほとんどの場合、かなりの情報が波のように押し寄せてくるのであって、観る者はこれをうまくさばいていかないといけない。とはいうものの見る側もずうっとそこをにらんでいるわけではない。したがって、ある情報が、ある人の目に止まるのは偶然性に支配されている。見落とす発言もおおい。

ところで「公」というのは皆に見られる場所のことである。他人の目を気にして自分を律する場所である。

しかし、システム的にオープンであるとしても、自分の発言を誰も見ていない可能性があるとなると、そこは私的な場所と錯覚される。ブログでは書けないような恥ずかしいことを呟いても、じきに情報の海に飲み込まれて掻き消される可能性が高い。ならばつぶやいてしまえ。つぶやいた。・・・やっぱり誰も反応しない。ここにいるのは自分だけだ。このような過程によって、多くのユーザーはツイッターを私性の強いツールと感じている。感じるからこそ、より非公式で私的な発言を皆がする。これによって更にツイッターの私性感は強まる。

このように取り扱う情報量の多さ、必要情報を拾うための情報検索労力の大きさ、見通しの悪さがツイッターの特徴である。またその特徴によって、ツイッターはすべての発言が公的にさらされているにも関わらず私的な場所と錯覚されることになっている。

が、やはり皆に見られる可能性があるという以上、そこは公の場所なのである。ある著名な方がツイッター上で暴言を吐いていて、僕は、こういう場でそういう発言はどうなのか?というような返信をした。ご本人は「どういう意味ですか?」みたいな反応であったが、あれもツイッターを私的な場所とご本人が錯覚しているから起こったことだろうと思っている。(もちろん、発言者が暴言を売りにしている暴言キャラなら別であるが)

以前よりツイッターのユーザーとなっている人にとっては、使っている人も少ないという印象があるのだろう。より小さな場所として日本語ツイッター空間をイメージしている。そこは小さなサークルで、公には程遠い。がしかし、今後ツイッターはより多くの人が使用するようになるだろうし、方向としてはより公の場所になっていくとということが考えられる。

話が遠くに行きすぎたが、ダイヤモンド-日垣論争に戻ると、ツイッターアカウントは、ツイッター空間が公的な場所ということから、ホームページのURLと同じで、おそらく本人の許可なく雑誌掲載をしてよいものだろうと思う。むしろオバマ大統領などのアカウントは本人に許可をとっていたらバカみたいなことになるんじゃないか?(もちろん、日垣さんが日垣さんの名前を隠して活動をしているのに、そのアカウントを掲載し、これこそ日垣氏だと公にさらすのであれば大問題(先ほどのA氏の例はこれ)、しかし日垣さんはツイッターアカウントにちゃんと日垣隆と名前を入れている)

さらに日垣さんは

私が、ゼロから新人にかえって、一人ずつと交流しているのに。

と言っているが、すでに日垣さんは著名人である。

ツイッタープロフィールにもちゃんと「日垣隆」とある。

もしも、個人的な交流を重要視したいというのであれば、従来からあるメールのやり取りをすればよいし、いや「ツイッター上で私人として他のユーザーと向き合いたいんだよ」ということであれば、(1)日垣さんの名前を維持したままでは無理であり(なぜなら日垣さんはもうすでに絶対的に公人であるから)、(2)日垣さんの名前を伏せて活動するなら可能ということなのだろうと思う。

いままで、日垣さんの名前を出しても静かでいられたのは、雑誌がツイッター特集を組まないような時代であったからで、いままさに静かでいられなくなったのは雑誌がツイッター特集をするほど大衆がツイッターに乗り込んできたからだと思う。

「日垣隆」の名前を掲載する時点で、それは著名人としてのアカウント機能を持つ。私的なアカウントではいられない。沢山の注目を浴びフォローされ、それがゆえに彼のフィルターを通して語られた言葉は一市民が語る言葉よりもより大衆に浸透してゆく力を持つ。そういう力と機能が「日垣隆」さんのツイッターアカウントにはすでにあるのである。

これは日垣さんにかぎらない。

政治家、スポーツ選手、映画監督、漫画家、歌手、実業家などなど

実際に、リアルの世界で活躍している人にはすでに公人としてのフラグが立っている。

つまり彼らはリアルでなんらかのフィルタリングをされている人たちである。

情報過多のツイッター空間では、いかに情報をフィルタリングするかが重要であるが、そのフィルタリングの方法の一つに、このリアルフィルタリングされた人たち(=著名人)をフォローするという方法があるのである(話がこのエントリーの最初のほうに戻った)。

で、だからこそ大事なのことは、むしろ次のことである。

成りすましの効用の高い著名人アカウントはちゃんと公的な機関(あるいはそれに準ずる機関)によって、公式アカウントであることを証明されなければならない。

実際、ツイッターがより普及しているアメリカ合衆国では「認証済みアカウント」が多い。

たとえばデビッド・リンチ監督がフォローしている人たち。

https://twitter.com/DAVID_LYNCH/following

ほとんどに「認証済みアカウント」のしるしが付いている。

一方、我が国の映画監督本広監督がフォローしている人たち。

https://twitter.com/kmotohiro/following

ちなみに日本人で「認証済みアカウント」を持っているのは鳩山首相だけではないか?ほかにいるんだろうか?

https://twitter.com/hatoyamayukio

とにかく、朝になってしまったので、そろそろこのエントリーを終えるけれども、ツイッターの特徴を考えると、週刊ダイヤモンドが批判されるべきなのは、無断で日垣さんのアカウントを載せたことではなく、日垣さんのアカウントが本物かどうかを確かめないで掲載し、多くの一般人が偽物をフォローするかもしれない可能性を考慮しなかったことにある。本物の日垣さんでよかったね。ということなんだと思うのだけど、どうだろうか?

ツイッターは匿名性の時代に終わりを告げることになると思う。

(論理的間違いなどありましたらご指摘ください。そこまで自信があって書いているわけではないので、ご指摘は謙虚に受け止めます)

参考:ダイヤモンド-日垣論争のまとめ→http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/01/post-b888.html

: 週刊 ダイヤモンド 2010年 1/23号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2010年 1/23号 [雑誌]
「使えない」では済まされない! 140字、1億人の「つぶやき」革命。表紙アイコンに僕います(笑) (★★★)

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2010/01/01

2010年と私

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

こちらのブログかなりおろそかにしていましたが

アロッタファジャイナ公式ブログのほうでがんばっておりました(笑)

よろしければ、そちらのほうもご覧ください。

http://ameblo.jp/alotf/

さて、ついに2010年です。

はるか未来・・・に来てしまいました。

相変わらず人間は人間であるとともに

やはり僕らは確実に進化しているのを感じます。

現在上映中の映画「アバター」

年末に発売された小説、東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」

そしてツイッター

2010年を目前に、時代の転換を感じてしまったマツガエです。

フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を言いましたが、資本主義の勝利の後も歴史は終わらないというか、むしろ複雑化複線化し、決して収斂しない混迷の中にあり、むしろ混迷を楽しむことが求められる時代になりました。

この「楽しい混迷」を「元禄」と名づけるならば、実はフランシス・フクヤマの予言は当たっているということになります。

考えれば、文学や演劇、映画において批評が成立しづらくなっているのは、そういうことがあるのかもしれません。比べるということはおのずと弁証法的進化を生み出すものであるからです。

何が言いたいかというと、「歴史の終わり」はマニュアル化のスピード以上に複雑性が増加するため、世界は統一的にとらえがたく、科学に代わって宗教や魔術が跋扈し、人間の生死はまたしても運・不運にゆだねられ、やりようによってはなんでもできると・・・とにかく楽しい時代になったということです。

そいうことがスッとわかった2009年末でした。

なので2010年、僕のすべきことは、着実に何かを残すことです。

僕が残せるのは、言葉、脚本、写真、舞台、映画、役者。

昨年親父が死にました。

次は僕の番です。

自分の生の有限性を本気で意識しなきゃいけない事態になりました。

健康に留意し、ちゃんと寝て、ちゃんと作り、ちゃんと関係し、ちゃんと伝える。

僕がすべきことはそれです。

今年の僕はそれをやります。

ということでご期待下さい。

2010年元旦、アロッタファジャイナ主宰 松枝佳紀

100101_090522_2 (2010年元旦の朝日)

100101_090559_01 (2010年元旦の抜けるような青空)

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2009/07/02

「せりふの時代」8月号

僕の書き下ろし短編戯曲が載っている雑誌「せりふの時代」8月号(小学館)が発売になりました。

ほかにも別役実先生、岩松了さんなどそうそうたるメンバーが短編戯曲を書きおろしています。

僕の戯曲掲載あるなしは別にして手元に置いておきたい一冊です。

是非!

: せりふの時代 2009年 08月号 [雑誌]

せりふの時代 2009年 08月号 [雑誌]
僕の書き下ろし短編戯曲「奇蹟」が、別役実さんや岩松了さんら大先達の書き下ろし短編戯曲とともに掲載されています。演劇関係者、物書き必携の一冊です。

[特集]「短編戯曲の饗宴」収録作品

1.別役実『或る昼下り』(書き下ろし)

2.岩松了『お仕置きの壺』(書き下ろし)

3.樋口ミユ『パレード』(書き下ろし)

4.北村想『葬儀委員長もまた死す』(書き下ろし)

5.小松幹生『思い起こせば』(書き下ろし)

6.小川未玲『キニサクハナノナ』(書き下ろし)

7.土田英生『強がる画家たち』(書き下ろし)

8.川村毅『ハイ・ヌーン』(書き下ろし)

9.加藤一浩『雷鳴』(書き下ろし)

10.わかぎゑふ『フルートの行方』(書き下ろし)

11.佃典彦『ランディおじさん』(書き下ろし)

12.生田萬『パンデミック』(書き下ろし)

13.棚瀬美幸『そして、一人は自殺することをやめた。』(書き下ろし)

14.松枝佳紀『奇蹟』(書き下ろし)←ぼくっス

15.アヤ・オガワ『泥を食らえ』(書き下ろし)

16.鄭義信『空き地にて』

17.青木豪『僕の好きな先生』

18.鹿目由紀『信号の虫』

19.はせひろいち『空の匂い』

20.内藤裕敬『千切れ雲』

21.坂手洋二『雪を知らない』

22.平田オリザ『働く私』

23.斎藤憐『ヒーロー』

-------------
7月23日から27日まで新宿タイニイアリスで芝居をします。
「溺れる家族」

Photo

詳細は次をクリック。
「観たい」に書き込みよろしくお願いします。

PC
http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_main_id=10478

携帯
http://www.corich.jp/m/s/stage_detail.php?stage_id=14165

ぼく松枝佳紀インタビュー
http://www.tinyalice.net/interview/0907matsugae.html

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2009/03/03

「東京最高のお店342選」

お元気ですか。

松枝です。

仕事しました。

サイゾー3月号増刊「東京最高のお店342選」

Tokyo342

このおしゃれグルメ系の雑誌の巻頭記事

POLICY of this Magazine「食を愉しむ喜努愛楽」

これ僕書いています。

ギャー、そんなもの書けるのか!?

と疑問にお思いの諸氏

悪いけど、そんなの書けるわけないぜ!との思いは本人も同じです(汗

だので、

僕が書けるものと言えば・・・

シナリオ?台本?

というわけで

喜、努、愛、楽

4つのシナリオを書いてみました。

写真を見てもらえばわかりますが

川島なお美さんとV6の長野博くんを(紙面上)キャスティングしたテーブルドラマとしての脚本を4つ載せています。

こういうグルメ本の巻頭記事としては画期的なんじゃないでしょうか?

編集部に拒否られるかと思ってましたよ。

OKでよかった。ほんとおしゃれ文章なんて僕書けないしね。

ちなみにキドアイラクと言えば喜怒哀楽なんですがここでは食に関する喜努愛楽。ちょっと字が違う。怒りじゃなくて努力、哀しみじゃなくて愛。で、喜努愛楽。

よかったら手にとって読んでみてください。

3月2日発売なのですがすでに売り切れ続出らしいです。

都心のセブインイレブンとかで手に入るんじゃないですかね?

あと大型書店にはあるのかな?

ちなみに川島なお美さんには昨年12月にやった舞台「今日も、ふつう。」を見ていただきました。すんげぇ美人なのね。びっくりした。テレビよりも実物がすごい。

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2007/04/16

小説を書く

ぽつぽつとまたやらなければいけないことが増えてきた。
その中でも一番いまやらなければいけないのは小説を書くことだ。

そもそも僕は小説家になりたかった。
小さい頃の思い出である。

実際、小学生の頃書いていたのは小説で
伝奇小説と政治小説の合体したようなものを書いていた。
どんなものを書いていたかというとちょっと大人びていて「中国での反共産革命を支援しているのが日本の政府で、その政府が第二次関東大震災で瓦解して逆に中国のあやしい呪術師たちの攻撃にあう」というような小説を小学校、中学校と書いていたwww。
あと実は漫画アニメ部で、漫画も描いていた。
いま駒沢大学で教鞭をとっている吉村誠と2人で競作をしていた。
僕がキャラクターとキャラクター設定を作り、吉村がメカのデザインとかをしていたwww。
装甲騎兵ボトムズとか漫画版風の谷のナウシカとか聖戦士ダンバインとかの影響をもろに受けていた。
高校のときは西行法師の話を小説風に書いて授業で発表した思い出がある。
家にあったキャノワードかなんかで書いた。
断片的な思い出で、いまやそれがどんな文脈で生じた事態なのかは忘れてしまったけど。

それが夢の遊眠社・・・野田秀樹さんに会って演劇の方向に変わった。

はじめての戯曲を書いたのは高校一年のときだった。
手書きで書いており、内容といえば、二つの話がオーバーラップして進むと言うもので、その一方の世界が修学旅行の少年たちの世界(遊眠社お得意の)で、彼らはいたずらっ子で、夜に宿舎を抜け出すと、置かれた仏像たちの間であそぶのだが、もう一方の世界は、その仏像たちが生きて動き出す世界で、逆に少年たちは置物として固まるのだけど(これは野田さんのキルみたいだが、ちなみに僕のほうが野田サンよりも先に考えていた(笑))、この仏像たちが演じるのは、義経と頼朝の骨肉の争いの話し、そして義経と静御前の愛の話なのである。それが少年たちの話とシンクロして・・・みたいな話を書いて、「なんだ野田秀樹の芝居って俺でもかけるじゃん」なんて思っていたのが高校一年のときだ。

しかし、話はまた二転三転し、僕は大学に入ると経済学と言う学問が大好きになってしまった。ほんとうは、京都大学に入って、西の野田秀樹になる・・・なんて思っていたわけだが、演劇はどこ吹く風で、まるっきり経済学に打ち込んでしまった。

で、日銀に入る。

理由は、経済学の解くべき問題の中心が、いかにしてモラル=信用を維持するかという問題に集約されると考えたからで、それは端的に、貨幣価値、信用秩序を維持する場所=日本銀行に他ならなかったからだ。そのことには僕の天皇制に関する問題意識も強く絡んでおり、日本銀行以外の就職場所は考えられなかった。ふつう色々と就職活動を行うものであるが、僕はどう考えても日銀以外を受ける理由が見つからなかったので、日銀に採用されるあても無いが受けることにしたのであった。今となってみれば、あれが不採用だったら僕はどうしていたのだろう・・・。とは思うけど、結局やめたので関係はないけどね。

で、日銀に入って、仕事のストレスもあり(楽しくはあったのだけど)、小説を書くことに逃避を始めた。これは小説たるもの「かくあらねばならぬ」的なモノで、あまりにも肩肘を張って書いたものであって、世に出すことにはならなかった。しかし、最初に書いた半分私小説の「貨幣」という、まあ、タイトルも肩肘張っていて笑えるのだが、これはたまに読むけど、僕は好き。だけど、どうも言葉遣いが難しい。それが肩肘張ってる感をかもしだしているのだけど、これをやわらかくすれば何とかなる代物かもしれない。ただし「純文学」を目指したのでめんどくさいと言えばめんどくさい。

その後、日銀をやめ、劇団をはじめるが食えず、流れでNHKハイビジョンサスペンスのプロットを書き、三枝建起さんに褒められ、その気になり、東映デビルマンに参加して那須博之監督と死ぬほど懇意になり、そしてアロッタファジャイナの創設、木村さんとの出会い、楳図さんとの出会い、成田さんや平田さんとの出会い、TBSの大木さんとの出会い、那須監督の死、金子修介監督との出会い、映画「神の左手悪魔の右手」、TBSの短編ドラマ、総務省のネットシネマ、映画「デスノート」・・・・・という流れでいままで歩いてきている。

そんな流れの果てに
「小説を書きませんか?」みたいな話があったのである。

「偽伝、樋口一葉」が終わったあとだったけど。
これは願ってもいないお話。
楽しんで書きたい。
僕のもっとも書きたいと思っていた類の小説がかけそうだ。
それは小学校の頃に書いていたような小説。
小説家とか純文学とか肩肘を張らずに、本人が面白いから書いていた、それだけの小説。

・・・・なんてブログを書かずに、はやく小説書けよ。
そういう声が聞こえてきそうなので、書きます。

ひとまず現在、東浩紀「ゲーム的リアリズムの誕生」を読んでいます。
これすごいよ。
前作「動物化するポストモダン」は那須監督と僕の共通の知識となっていたけど、いま那須さんがこれを読んだらなんていうだろうか。なんて考えながら読んでいる。

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2006/07/17

楳図かずお「俺の右手」発売決定!!

ついに映画『神の左手悪魔の右手』が公開になります。
渋谷アミューズCQN千葉京成ローザ大阪天六ユウラク座名古屋109シネマズで7月22日からです。
その他、北海道、福岡、京都、青森でも順次上映となります。
見たら感想BLOGに書いてトラックバック宜しく!!!

で、その『神の左手悪魔の右手』の原型となる
楳図かずお先生の漫画『俺の右手』が小学館から完全復刻されます。

映画に先立つ7月20日発売予定です。
チョーレア本なので絶対手に入れてみてください。

とくに、巻末の解説が最高デス♪
読まないと損するよ。

感想よろしくトラックバック。

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2005/12/26

角川春樹

角川春樹氏のことは変に好きなわけです。
それは中学校のころからのことです。

もちろん薬師丸ひろ子とか角川3人娘がスキだと言うのもあるけれど、なんか発言がね、でかくて日本的じゃない感じが好きだなぁと。いや、大言壮言する輩は、ちまたに多くいるけど、春樹さんは本物な感じがするんだよね。

で、春樹さんビイキから、
一時期、買う文庫本はぜったい
「 角川文庫 」
というような時期もありました。

春樹さんが宗教的なことにはまりはじめて・・・同時期に、彼は薬をやりはじめるわけだけど・・・大峰山とかに行ったり、原始密教的なことをやり始めたときに、僕も密教的なことや仏教的なことに関心をもった。頭そって京都の禅寺に修行しに行ったり吉野山に山篭りに行ったのが高校一年のとき。

中学校から平井和正氏の『ウルフガイ』シリーズや『幻魔大戦』シリーズが愛読書で、三峰山に山篭りしにいったのが高校二年生のとき。

『帝都物語』では救世主として角川春樹が登場人物として出てきたり、笑えるけど、でもなんだか少し信憑性があったり。

日本銀行に就職した後も角川には変な思い入れがあって、従来、日銀は角川書店になぞヒアリングにあんまり行かないのに、僕は無理やり局長を連れて角川歴彦社長に会いに行ったりした。

日銀内で角川書店に関するレポートが残っているのは僕の書いたレポートなのである。『対外厳秘』で外部のものは見ることが出来ないが。出版、IT、メディアミックス・・・時代の先端を行く企業として注目すべきというのが公式的な意図であったけど、僕的には、角川書店にどうしても行ってみたかったと言うのが動機として実は大きい。

もちろん、そのときには、春樹さんは刑務所でいなかったわけだが。

で、その僕が変に慕っている角川春樹氏が映画を作った。ひさしぶりに。

『男たちの大和/YAMATO』

いや、もう最高です。
やっぱり角川春樹は本物だった。
そう思わざるを得ません。
誰がこんな感動と本気を伝える映画を作ったか。
いろんなところ、過剰なほどに徹底している。
ぼくが待ち望んでいたものです。

『天と地』
なんかのカナダロケもそうだけど
圧倒的な絵を作るよね。
せせこましさがない。

『男たちの大和/YAMATO』

ぜひ見てください。
これが『映画』です。
日本映画界に角川春樹氏が帰ってきたことを心から喜びたいと思います。

男たちの大和/YAMATO@映画生活

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2005/10/20

映画秘宝に載る。

明日発売の映画秘宝2005年12月号。

6ページ目。

==================

ウエダハジメの地獄の映画観光」vol.54

那須魂を継承する現場に行ってきた!
 『 神の左手 悪魔の右手

==================

楳図かずお先生原作、渋谷飛鳥ちゃん主演、金子修介監督作品!

おいら脚本、劇場用映画初!!

載っちょりまス。

ウエダハジメさんの漫画が楳図タッチです。

いや、しかし取材があると思って行ってなかったから、俺の写真デブなんだよなぁ。

まぁ、取材があると知っていてもデブなんだけどさ( ̄□ ̄;)!!

取材の日には偶然、那須真知子さんも来ていたから、

ちょっとだけ載っているw・・・そうそうこんなかんじで可愛らしかった!

お、隣のページには吉井怜ちん!!

偶然にも木村俊樹兄ぃの映画じゃないですか。

望月六郎監督『 濡れた赫い糸 』

セクシー石川こと石川均監督が脚本なんだよー。

これが衝撃的に面白い脚本でさ。

読んでひじょーに勉強になりましたさ!

ちなみに吉井怜ちんのことは前々からいいなと思っていて

木村さんの制作会社ステアウェイでキャスティングのとき

吉井怜ちん、いいと思いますよ」

と関係ないのに売り込んでいた。(ひそかに優香派ではなく怜派)

そしたら、ヒロインだもの!『濡れた赫い糸

怜ちんの芝居がすげー評判いい。

メイキングも見ごたえのあるメイキング。

今度ぼくの脚本でインする映画、

たぶん11月にインするんですが・・・

その映画を撮ることになる谷洋平監督

この『濡れた赫い糸』のメイキングを撮っているのです。

谷監督は若いのにキッチリ仕事師タイプの監督なのかな。僕はそうにらんでいますw

僕も脚本に関わっている

集団殺人クラブ GROWING

の監督は谷さんなんだけど、

なんかそのキッチリとした作りには本当に感動した。

良い本を撮らせたら本当に素晴らしいと思うんですよね。

若手監督としてチョー有望、間違いない。谷洋平監督、万歳。
( ちょっとチャリチョコの小人に似ている・・・・)

あ、話が脱線した・・・映画秘宝です。なにより。

よかったら見てみてください。

恐怖の真実がそこに・・・・・。

あの優しい金子さんがあんなことに・・・・

ギョエーッ~~!!

hiho0512 明日発売の映画秘宝
ぜひ一家に一冊。
ちなみに2005年の12月号だから
hiho512
ちなみに僕の誕生日は5月12日で512。
こんなんで運命感じる乙女チックジャパン。
以上。

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2005/05/23

良書とは何か。

北田暁大著『嗤う日本の「ナショナリズム」
これについては、もっと早くに沢山言うつもりだった。
けれども、仕事の都合等あって延び延びになっている。

正直、内容については、まだ完全な理解に至っていない。
というか、この本は非常に不完全である。

だからアマゾンのレビューもそんなに高い評価ではない。

この混沌とした書物から
何か一定の見解を同じ土俵でひねり出すには
相当時間がかかりそうだ。

ただ、僕はこのこと・・・混沌としていること・・・・をもって、
本書の評価を下げようとは思わない。
むしろ逆である。

だから本の内容についていろいろ言う前に
ブログ的にメモっておきたいのは、
「良書とは何か」ということ
それについての僕の意見である。

HowTo本や何かのように
読者がある鋭い目標を持って読む本もあるだろう。
そういう本が良書であるためには
もちろんのこと、その目標を達成させるに足る内容かどうかということが問われる。

しかし、小説などは
明確な目標や目的があるわけではない。
もちろんホラー小説は怖がらせることに目標があるわけだが
しかし、そのホラー小説といえども
宣伝上のカテゴリーとして「ホラー」なのであって
作者的には、もっと違う何かであるはずで
そうなってくると、ホラー小説にとっても
怖がらせることは唯一無二の目標ではなくなってくる。
愛とは何かを伝えたかったり
愛の不可能性を説いてみたかったり
拝金主義を薦めてみたかったり
薦める自分を笑ってみたかったり
・・・そういう風に書いてみたけど
宣伝的には「ホラー」です。みたいな。

だから小説みたいな・・・目的関数のはっきりしないものにとって
「良書」というレッテルを貼ることは非常に難しい。

北田暁大著『嗤う日本の「ナショナリズム」
のような評論にとっても問題は同じだ。

だが、この本が僕にとって非常に良書であったのは事実。

そもそも僕は何かの明確な目的意識があってこの本を手にしたわけじゃない。
いや、少しはあって、それは窪塚洋介的な右翼精神
右翼精神というよりも、それは本書で触れられているように
もっとそれは、幼いカンカクなのだろうが、
そういうものが日本で堂々と語られ始めていることについて
なんでなんだろう?という疑問があったから
これについては、なんらかの回答の糸口があればな
とは思っていた。

で、結果、たぶん回答の糸口の糸口ぐらいはあるのだろうと思う。

しかし、この書物の中には、
思考というよりもプレ思考というか
半生の素材が沢山浮遊しており
なにか偉大な書物が出来上がる前の煮込み状態
まだ素材の型崩れが進む前の状態というか
煮はじめたばかりのシチューというか
まぁ、そんな状態なワケです。

腹を壊す人も居るだろう。

でも、同じような美味いシチューを作ることを
目指している人間にとっては
ああ、この素材を入れてみたんだなとか
この素材を入れるとあれなんだなとか
舞台裏が良くわかる料理というか
てっとりばやい関連書籍のレビューのようでもあり
受取側の目的のありようによっては
すごく有意義な書物だと思う。
無駄に情報が詰め込まれているというか。

だから僕のように
思っていることと違う何かに出会うこと
作者の意図に関係なく
情報やへたくそな解法も含め楽しめる人には
とても本書は良書だなと思うわけです。

あれ、これ、くさしてんのかな?

そういうわけじゃないです、
ほんと、読み返したくなる本です。

とくに本の結論が結論にふさわしくないので
ここを自分なりに書いてみる楽しみがある。
そいういう意味で不完全さを楽しめる思索創作系の人には
ぜひともお勧めの本です。

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