2009/06/23

僕の京都大学

ちょっとタイミングを逃したが

やっぱ違うねと思わせた京大

というココログニュースがあった。

日本中を混乱の渦に巻き込み、局地的には未だ猛威を振るっている新型インフルエンザ。

一部では「過敏に反応しすぎ」という評価もあったが、それでもやはり不安であった人も多いのではないだろうか。

新型インフルエンザ感染が認められた自治体は、学校を休校させるのが通例だ。しかしながら、それに抗った学校がある。京都大学だ。京都市内において新型インフルエンザ感染者が認められ、自治体から休校要請を受けた京都大。しかし、それを無視。「現時点においては、通常どおり授業を行う。」という方針を示した。

また、京都大学保健管理センターにおいても、「むしろ弱毒性の今のうちにかかっておくことで、似たタイプのウイルスに対する免疫をつけることができる。」といった冷静な視点からの情報が提示されている。 この京都大の対応は、TVなど不安を煽るようなメディアを一刀両断した、とネット上で高い評価を得た。

もちろん、何にでも反抗することが正しいわけではない。だが、今回の冷静かつ男気な対応に、「やっぱ違うね、京大は」と思った人は多いかもしれない。

ことの是非はともかく、京大出身としては、ふふふんと思う。

僕は京都大学が大好きで、京都大学出身ということが自慢で、もし人生をやり直すとしてもやはり京都大学を選ぶであろう。というぐらい、愛校心?というのが強い。

その京都大学好きの原点に

京都大学の人間はなんでも本音勝負と言うところがある。

つまり

裸の王様に会っても、空気を読まずに、「なんでおっさん、服着ぃへんの?」

と言ってしまうところが京都大学の人間にはある。

これは多分に関西人の性質と言ってもいいのだろうと思うけど、本音勝負なのである。

だからノーベル賞受賞者が多いというのも、僕にとってはうなづける。

科学の世界では建前なんてどうでもいいからだ。

そして逆に、本音勝負となると、社会的には生きづらい面がある。

面白くない上司の話にも笑わなければいけないし、薄っぺらい人情話にも涙するふりをしなければいけない。

しかし、京大出身者は変人なので、そういう空気が漂っているときにも、空気を読まずに、ぶち壊しの発言をする。

僕もたぶんに例に漏れない。

日本銀行に入行したときの新人スピーチみたいなのでも、「やることやって、さっさとこの銀行を辞めるのが僕の目的です」みたいな意味のわからないことをやった思いがあるし、ハーバード出身の上司の空気を読んだ判断が馬鹿に思えたときに、みんなの前で「あんた馬鹿?」と言ってしまったりして、周りと話が合わないのに随分と苦しんだ。

苦しんだが、本音勝負であるがゆえに、その本音に共鳴してくれる上司や仲間も少なからずでき、孤独ではなかった。それが銀行内で生きる時の支えだった。しかし少なからず共鳴してくれた人たちは僕と同じ本音勝負の人たちだったので、多くが辞めてしまったが、いまだに銀行内に残っている人たちもいて、たとえば今の秋田支店長の甲斐さんなんて、将来日銀総裁になるかもしれない人なんだけど、すごく正しい人で、僕は大好きだ。彼みたいな人が日本銀行に残っていることは日本の未来に光をさすことになっていると思う。ちなみに甲斐さんは頭も薄いので、別の意味でも、光がさすことになっているが、そういう意味で言っているのではない。

話が脱線した。

京大である。

で、日銀にも京大出身者がいるわけだが、中途で辞めた人で石井某という変人がいる。この人が、やめて日銀のあることないことの悪口を書きまくった本を出している。

当時、僕は銀行内にいて、あああ、と思った。

空気を読まない本音勝負というのは素敵な面もあるが、石井某みたいなのは良くない。受け入れられなかったことへの反発だけであることないこと話している。

僕は京大好きだけれども、京大出身の人たちが必ずしも優れた人たちでないのを知っている。空気を読まない。独善的である。自尊心ばかりが膨らんでいる。そういうところばかりが目立ち生産性がない人をたくさん知っている。

自分がああはならないように、と常に気をつけているのは、ああいう人たちが本当に京大出身者に多いからだ。会社にいる京大出身者の奇矯なふるまいに困っている人は本当に多いと思う。

変人ぶりと天才ぶりは紙一重だが、9、1ぐらいの割合で、めんどくさい人間と天才が分かれているんじゃないかな。ま、ほとんどがめんどくさい奴で終わってると思う。

とはいうものの、京大の本音重視教育は必要なものだと思う。

教育というか姿勢?雰囲気?

というのも、社会の多くは現状維持のために費やされるべきだが、誰かが王様にあんた裸だよ?馬鹿?と言わなければいけない。そう言える100万人中の1人を作るための教育機関がなければいけない。その役割を担うのは後にも先にも京都大学しかない。

今回の新型インフルエンザへの対応を見るにつけ、やっぱ京都大学だなぁと思ったので、こんなエントリーを記してみた次第。

ちなみに日銀に入ってからは、東大やっぱすげぇと思うことが多かった。その話はまた明日にでも。

ここの記事も面白い→てっく煮ブログ

京都大学のそもそもの成り立ちについては

↓これを読んでみてください。とても面白いです。

潮木 守一: 京都帝国大学の挑戦 (講談社学術文庫)

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ぼく松枝佳紀インタビュー

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2005/02/12

図説デーモン白書

ぼくが東映東京撮影所の
那須組スタッフルームに入って最初の仕事は
「図説デーモン白書」
なるものを完成させることでした。

そもそもこれがどんな目的でなされた仕事なのか。

まず那須監督が決めたデビルマン映画化の方向性は「実録」。

つまり、デビルマンには
神や悪魔やデーモンやなんかの言葉が出てきますが、
これを子供だましの絵空事としては描きたくない。
実際に存在するものとしてデーモンを描き
実際にあったこととして不動明の、牧村美樹の、人類の悲劇を描く。
それが那須監督の意思でした。

そういうアイディアを聞いたとき
なぜ僕が、10人のライター候補の中で監督助手に選ばれたのか
その理由が少しだけわかったような気がします。

それは僕が他の人たちよりも
デビルマンの映画化の方向性として
「リアル」
を打ち出していたからです。

漫画で悪魔を書くのはいいけど
実写化の場合はやっぱりそのウソが
リアルかどうかがすごく大事になる。
だからスパイダーマンでもハルクでも何でも
蜘蛛のDNAとか放射線による異常とか、
そういうところでリアルな世界観をつくろうとする。
マイノリティ・リポートでも
近未来を描くのに、スピルバーグ監督は
実際の学術関係者にレポートを書かせたらしい。
どんな未来がありうるかの。

たぶん映画を作るときに
如何にウソっぽくないかというのを考えるのは
思っている以上に重要な気がする。

映画は何でもリアルに映す。
作り物は作り物として映ってしまう。
舞台に関しては、非リアルに寛容な観客も、
映画に関しては不寛容。
想像力でリアルを足してくれない。
ちょっとしたことで、所詮作り話じゃんってそっぽ向かれる。

だから「実録」

デーモンという生命体を架空ではなく
実際にいるものとして考える。
科学的に実在しえる存在として考える。
人類とは別種族の知的生命体として考える。
単に別種族というだけではなく人類に先立って
地球に住んでいた先住知的生命体と考える。
そのような知的生命体が居たとき
どのような行動を取り、
どのような歴史を描いてきたのか、それを考える。
そっから実写デビルマンは始まる。

そう那須監督は考えたのであった。

で、生物学の本やら免疫学の本、進化論の本
悪魔関連の書籍から地球物理学の本
などなど読みました。100冊以上。

そして書いたのが
ぼく著「図説デーモン白書」です。

ハード編ソフト編がある。
ハード編は
デーモンの生物学的な側面についての解説
ソフト編は
デーモンの歴史的な側面についての解説
となっています。

ハード編難しいけど、頑張ったので読んでやってくださいっ。

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