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2011/08/28

中村暢明演出「明けない夜 完全版」

11月27日に中野ザ・ポケットで始まる国家的演劇プロジェクト「日本の問題」は常日頃からの僕の問題意識に端を発した企画ではあるが、直接的には、JACROWの「冬に舞う蚊」をみたことがきっかけだった。日本で、こんなにも骨太の演劇が行われている。そのことを多くの人々に知ってもらいたい。観に行ってもらいたい。そのことが、「日本の問題」という社会派演劇のオムニバス公演を企画することにつながっている。

JACROWと僕の付き合いは、かつて僕の劇団の芝居「1999.9年の夏休み」@吉祥寺シアターに看板女優の蒻崎今日子に出演してもらった時からである。

JACROWの主宰の中村暢明氏は某大手代理店に現在も勤務するバリバリの社会人であり、僕もまたかつては日本銀行に勤めたバリバリの社会人と言うことで、リアルな背景をもった異色の作家同士、親近感を持って眺めていた。

そののぶさん(中村暢明氏)の書く世界観はグロテスクにリアルでひりひりとした空気で舞台客席が息苦しい。

そんな凄みのある世界を構築できるのも、僕は密かに、のぶさんが実社会の経験豊富なリアル社会人であるからだと思っている。

なので、「日本の問題」という企画公演をやるにあたって是非ともJACROWの参加が必要と、一番初めに、経済とHの佐藤治彦さんと僕で、のぶさんを口説いたのであった。

・・・

とまあ「日本の問題」にとってなくてはならない存在のJACROWなのであるが、そのJACROWが現在公演をしている。しかも、今日まで。三軒茶屋のシアタートラムにおいて。

「明けない夜 完全版」

先ずもって驚かされるのは、作りこまれた美術である。

これまでの劇場でも当然リアルを志向する演劇を展開してきたJACROWであるが、ここまで贅沢にリアルを追求した美術はいままでにもなかった。

息苦しいほどのリアルで観客を追い詰めるJACROWとしては、今回、この美術がリアルであることが決定的に重要である。

また同じ意味において、雷鳴が、驟雨が、夕暮れが、闇がリアルであることが決定的に重要である。

そこで演じる役者たちの時間や視界がリアルであることが、おそらく役者たちの本気度を恐ろしいほどに高めている。

美術を舐めてはいけないわけで、僕の知り合いの美術をやっている人は、映画の美術なんだけれども、たとえば登場人物の部屋を飾るときに、映像には映らないところにも凝ると言っていた。というのも、例えば、登場人物の部屋で、本棚にどんな本があるか、また机の引き出しをそっと開けたときに何が入っているか、ふと明けてしまった机の引き出しに入っていたビー玉、それを見た役者の本気度が変わり演技が変わるから見えないところにも凝る。美術も役者の演技を引き出すことのできるものでないといけないと言っていた。

同じような意味において、リアルを志向するJACROWにとってシアタートラムという空間で、贅沢にリアルな美術、またその他の効果がいつも以上にリアルに機能することはとても重要で、たとえば、狭い劇場ならば、ここからここまでに歩く時間が短く、その思考も短縮せざるを得ないのに、シアタートラムと言う空間でならば、あっちからこっちまで歩くだけで、人はいろいろと物を思う。人を愛すること、憎むこと、嫉妬すること、イラつくこと、ふと考えてはいけないことを思う。そういう意味でも、シアタートラムと言う空間でJACROWが芝居を作るというのはとても画期的なことだったと言わざるを得ない。JACROWはある程度の規模をもった劇場で、予算も潤沢に使ったリアルな美術でやってこそ本領を発揮するのだと思う。

だから、これまでJACROWの芝居を見て何ほどか思ったことのある人ならば、今回のシアタートラムの公演を観に行かねばならない。

また、これまでJACROWのことを気にしながら足を運んでいなかった人は、無理をしてでも足を運ばねばならない。

リアルな美術、リアルな演出に触発された役者たちの恐るべきリアルが、本来見えないところに隠されているはずの真実をすべて暴きだす。その悪の腐臭は吐き気を催させる。しかし、それはワクチンだ。悪のパンデミックを防ぐための。演劇はその役目を果たしうる。JACROW「明けない夜 完全版」はその演劇の力を知らしめるに相応しい芝居である。ぜひとも足を運んでみて欲しい。本日まで。

「明けない夜 完全版」


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2011/08/27

谷賢一演出「Caesiumberry Jam」

今日明日と公演を残している。

これから書くことはネタバレ過ぎるので見てない人は、この記事をこれ以上読まずに、とりあえず、観に行って欲しい。

---

さて、

盟友谷賢一氏の劇団DULL-COLORED POPの再始動記念公演である。

http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=29092

再始動記念公演だから、気持ちを新たに新作をというのが普通人なら考えそうなことだが

谷くんは、再演を選んだ。

Caesiumberry Jam

2007年の作品の再演だ。

もちろん、福島原発の事故があってという現状を鑑みての判断だろう。

しかし、作品で描かれる「人間幸福の脆弱性とそれでもの希望」は、福島の原発事故とは切り離されてそこにあった。

当然、福島原発事故に遭遇してしまった現代日本の我々としては、この作品で描かれるチェルノブイリの事故に対して、作品内における書かれようとはまったく関係なく親近感というか臨場感を覚えずにはいられない。

だが、僕がハッとさせられたのは、堀奈津美さん演じるリューダを取り囲む物語と、その物語を背負うにふさわしい堀さんの青白く孤独に屹立した佇まいだ。

誰もが享受すべきささやかな幸せであったはずのモノが、1つの事故をきっかけに召し上げられる。

享受すべき幸せを召し上げられたリューダの切なる思いは、空間をゆがませるほどの磁力を持った…本来享受するはずであった幸福の到来を待つ思い…狂気に変わる。

その空間をゆがませるほどの狂気は不幸であるはずの現実を侵食し、ついには奇跡的な反転をもたらし…ハッピーエンドとなれば、「班女」に代表されるような能にいうところの狂女物の変奏となったところだが、この話では、そうはならない。

リューダの思念をもってしても、現実は反転しえない。

いや反転しえたのかもしれないが、それを許さない客観性…ゴゴの視点、あるいは作家自身の、あるいは観客の視線が、「本当はあんたは不幸なんだよ」とリューダの夢を覚まそうとおせっかいをやく。

最後は、そのお節介を拒否したリューダの世界が観客とゴゴを拒絶して幕は下りる。

リューダの思いに接続しかかった観客は拍手もない世界に押し出されて、客席=現実という本当の絶望の中に帰還する。

Caesiumberry Jam」は原発事故の悲惨さを描いた話ではない…こともないのだろうが、僕はこの作品から、絶望すべき世界(原発事故があろうがなかろうが絶望的な現代)を前にしてリューダのように思念によって(あるいは演劇によって)これを反転させようとする谷賢一自身の企みを読みとり、しかしそれでもその企みは敗れるだろうという諦めにも似た凍える現実認識を読みとった。

そして、これは原発問題やら何やらが起こるよりも前からの僕らの現状認識に他ならない。

なにをやろうが僕らは敗北するしかない。

再出発にあたって、なによりもまず深い現代の絶望を描いた谷賢一が今後どのように希望を描いて行くのか、とても興味がある。(谷賢一が希望を失っていないのは結婚したことからも明らかである。いや、あるいは希望を失わないためにこそ結婚したのかもしれない)

ますます目の離せない人物である。

それはそうと、堀奈津美さんが体現する静かで動くことのない狂気、「待つ」ことの狂気は刮目すべきであるが、それは何よりも彼女が本当に、自劇団の再開を「待ち」望んでいたこととも無縁ではないように思う。放射能の中で思念の子供(別の男の子供)として生を受けた新生DULL-COLORED POPの今後が非常に楽しみである。

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2011/08/26

「日本の問題」は大忙し

「日本の問題」は本年11月27日初日なのですが、実はすでに大忙しです。

まず僕はアフタートークゲスト依頼のために奔走しています。

が、菅直人首相が辞任ということで、その影響をドンかぶっています(><)

まあ、昨年のプロジェクト文学を上回るイベントにしたいので頑張ります。

それと、参加団体の本公演がラッシュ状態です。

8/20~8/28
DULL-COLORED POP 「Caesiumberry Jam(セシウムベリー・ジャム)」

8/25~8/28
JACROW「明けない夜 完全版」

8/25~8/29
Mrs.fictions「サヨナラ サイキック オーケストラ」

9/7~9/13
劇団けったマシーン「青い夏、エピローグ」@学生版「日本の問題」に参加

9/9~9/11
四次元ボックス「blindworld」@学生版「日本の問題」に参加

9/21~9/27
ミナモザ「ホットパーティクル」

9/30~10/10
ろりえ「三鷹の化け物」

10/6~10/9
思い出横丁「未定」@学生版「日本の問題」に参加

10/19~10/24
風琴工房「Archives of Leviathan」

やばいよ、気付いたら11月だからね。

「日本の問題」の芝居を観る前に、それぞれの劇団が普段はどんなことをやってるのか観に行くのも一興ですね。

まずは28日までしかやっていないDULL-COLORED POPとJACROWは必見です。

ぜひぜひ足をお運びください~~!!

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2011/08/18

真に創造性ある人物ほど自分がいかに創造的でないかを知っている。

毎日ためになるのは朝の茂木健一郎さんの連続ツイート。

今日は「創造の秘密について」

http://togetter.com/li/175963

おそらく、この内容は、アインシュタインの次の言葉に出会ったことによって生まれている。

The secret to creativity is knowing how to hide your sources.

そして、いつも思うのは、茂木さんの曲解力の凄さである。

皮肉ではなくて、ある一つの言葉を、別の意図で読み変える力がすごい。

まさにそこにこそ創造性はある。

ちなみに、茂木ツイートに関する僕の反応は次。

茂木さんの曲解力こそ創造の源泉であるということも分かってもらえるだろうと思う。

---

茂木ツイートにあるアインシュタインの言葉、正確には

The secret to creativity is knowing how to hide your sources.

だと思う。

アインシュタインの真意は分からないが、僕的には、この言葉は「皮肉」なんじゃないかと思ってる。

つまり、独創性なんていうのは情報元を隠してるだけじゃねえの?っていうこと。

だから、「創造性の秘密は、いかに情報源を隠すか…つまり、いかに自分がオリジナルであるかを装うかである」っていうこと。そしてまたこの皮肉はアインシュタインという真に創造性のある人物が言うからこそ面白い。というのが僕の解釈。

逆に言うと、情報源を全部披歴してなおかつ真に付加的であると認められるものこそ真に創造的である。と言うこともできる。科学的論文のほとんどが末尾に膨大なソースを掲載するのはこの思想からであると思う。

姑息なことをして自らを創造的であると見せても仕方がない。また。

手元に本が無いのでうろ覚えだが、三島由紀夫「文化防衛論」にもそのような記述がある。とくに日本文化は本歌取りなのでオリジナリティは無いし、それでいい。オリジナリティなんて、自分がいかに膨大な先人の業績のうえに居るかを知らない者が口にする戯言にすぎない。

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