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2011/03/07

ラース・フォン・トリアー監督「アンチクライスト」

英国王のスピーチを観ようと思ったら夜の回まで激混みで、次に観たかったラース・フォン・トリアー監督の「アンチクライスト」を観た。

で、寝た。

どんぐらい寝たかというと、同行者に「何%みた?」と聞かれるぐらい爆睡した。

爆睡したが見ていなかったわけじゃない。(というような言い訳をよく聞く気がするが…)

むしろ、僕は映画の中に入ってしまっていた。

この映画は、とても恐ろしい映画だ。

例えて言えば、ロールシャッハテストだ。

紙の上に落とした墨。二つ折りにし、開くと、奇妙な絵。その絵を患者に見させて、それが何に見えたかを聞き出すところから、患者の中に眠る強迫観念に迫る手掛かりとするという、あの精神医学の手法だ。

ロールシャッハテスト

ロールシャッハテストはその実効性が疑われているようだが、しかし、こんだけ一般に認識されるほどに広まったのは、そのテストのアイディアに、「さもありなん」という、なにほどかの納得性があったからだろう。

で、この映画「アンチクライスト」はまさにそのロールシャッハテストに使われる奇妙な絵のような作品だ。

見る人がどのように解釈してもかまわない。

だが、その解釈には確実に、その見るモノの心の奥に眠る強迫観念が反映する・・・。

僕がこの映画を恐ろしいと表現するのはそのためだ。(寝ていたくせに・・・)

次にどういうシーンが来るのだろうという予想がまったく意味をなさないほど、この作品は奔放に作られている。

監督自身はこれをLetting Go、「解き放つ」と表現している。

そもそもこの「アンチクライスト」の脚本は、ラース・フォン・トリアー監督がうつ病になり、そのうつ病を治療するために書いたものだという。

そして、その過程で、監督は、自分をLetting Go、「解き放つ」することに留意した。

映画はこうでなくてはならないとか、物語はこうでなくてはならないということから自由になろうとした。

結果、監督の無意識があふれ出した画が作られている。

そして、だからこそ、その画にどう反応するかが、こちら側のトラウマを浮き彫りにしてしまうという、意図せざるロールシャッハテストのようなことになっているのだろうと思う。

キリスト教に深い理解が必要とされる映画のような気もするが、逆にそのような理解が無いからこそ、この映画は僕らの前に純粋にロールシャッハテストとして現れる。

この映画を居眠りしながら見て、家に帰り、書くべきシナリオを描きながら深く居眠りをして目を覚ましたとたんに思い至った恐ろしい記憶。それは思いだすことを避けていた記憶であった。「アンチクライスト」と深く共鳴して僕の心の中の闇が表に出てきてしまった。

「アンチクライスト」がどんな映画かというと、そんな映画だと言える。

向き合いたくない人は見てはいけない。

僕自身は向き合いたくなかったのに見てしまったが故に向き合わなくてはならなくなった。

これは、まさに監督が自身のうつ病を治療するために格闘して作った作品ならではの効果だろう。

映画を観に行くというよりも、治療を受けに行く…逆治療の可能性もあるが…と考えて観に行くべき映画だ。

(そもそも映画を見るという行為はすべて治療行為なのかもしれないけれども)

さて、以下はこの映画を見て思ったことなど(僕が80%寝ていたことは忘れてください。いや寝ていたからこそ、僕は最も正しくこの映画を批評できる気もするw)

・性行為などにおけるボカシは不必要だと思った。むしろ、生々しく描くことに意味があったはずだ。それは食事や睡眠などと同じように汚く気持ち悪い行為であることを告発する行為のはずだ。だからこそ、ペニスがヴァギナに挿入されているシーンを直接的に撮ったと思うのだ。だとするとあれをボカスことで、本来監督が見せたかった秘密の真相がまたしてヴェールに包まれることになる。

・この作品を作るにあたり、ラース・フォン・トリアー監督がもっともインスパイアされたのはジャパニーズ・ホラーで中でも「リング」に影響を受けたらしい。僕はそれが具体的にどこかは判らないが、ジャパニーズ・ホラーに共通する心理性みたいなものは反映していたのだろう。むしろ心理性しかない。

・心理性は「家族」というモノの間で最も物理化し暴力となる。

・遠慮が無くなるということだ。

・動物や昆虫の営みを撮影するのによくつかわれるハイスピードカメラが使われている。このことで、生きることの美しさと気持ち悪さが丹念に描かれる。それはまさに動物や昆虫たちのそれと同等なのだ。

・ラース・フォン・トリアー監督、本名はラース・トリアーというらしい。フォンはフォン当の名前ではなかったのか。

・フォンなんて言う名前をつけたしたところに、トリアー監督の病がすこし見え隠れする。

 ドイツ語の名前の「フォン」てどういう意味なんでしょうか?

・ウィリアム・デフォーだと思ってたらウィレム・デフォーとなっていた。もとからそうなのか?

・そのデフォーがキリストを演じた「最後の誘惑」との連関はまったくない…こともないが

・この役をオファーされたウィレム・デフォーはオファーを受けるかどうか悩んだらしいが、悩んだ原因は、監督の奥さんが、ウィレム・デフォーに「この役を受けちゃダメよ」と忠告したかららしい。まぁ、普通、受けちゃダメだよというよなと思う。が受けるべきとも思う。スパイダーマンなどの映画への出演では得られない本当の格闘・表現を考えることができただろう。役者として生まれたなら、こういう映画への出演は1度は必ずしたいと思うに違いない。小手先で演じることのできる芝居なんてクソくらえだ。

・シャルロット・ゲンズブールはこの役を演じることに「奇妙な喜び」があったと言っている。監督も彼女を同志と認め、彼女も監督を同志と認め、次回作でも組むことになっている。

アンチクライスト@ぴあ映画生活

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「アンチ・クライスト」★★★ シャルロット・ゲンズブール、ウィレム・デフォー出演 ラース・フォン・トリアー監督、127分、2011年2月26日公開 2009,デンマーク、ドイツ、フランス、スウェーデン、 イタリア、ポーランド,キングレコード (原作:原題:ANTICHRIST )                     →  ★映画のブログ★                      どんなブログが人気なのか知りたい← 「息子を事故で失った夫婦。 そのことで二人の生活は大きく変化する... [続きを読む]

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