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2011/01/27

善意の特攻…タイガーマスク運動の本質

「タイガーマスク」現象について、ふーん、そうなんだ、良いことではあるのだろうな…と思いつつ、ずうっと釈然としない気持ちを抱えていた。素直に素敵なことだねと言い切れない気分。その原因を考えてみたい。(と、書きだした時点では原因は分かっていない)

ちなみに、そのタイガーマスク伊達直人を名乗る人物からの寄付行為、またそこから派生した一連の運動を誰かまとめていないかなあとググったら、偉いことにもうWikipediaに「タイガーマスク運動」なる項目が立っていた。

wikipedia:タイガーマスク運動

非常にまとまっている。

最後の「主な寄付行為の一覧」なんてすごい。

なによりこれボランティアで作られているのだから、そこがすごい。

と考えて、ふと思う。

wikipediaを作成するボランティア精神には疑義をさしはさまずに、一方、タイガーマスク運動には釈然としない、この僕の気分の原因はなんだろう?

もちろん、単に僕が性格が悪いと言うこともあるかもしれないが、そこは置いておいて。

今思いついたのは「wikipediaの作成」はボランティアに頼ってもいいが、タイガーマスク運動は本来的にはボランティアであってはいけないものなんじゃないのかということ。

つまり、児童養護施設などにいる子供たちが、そうでない普通の子たちと同様の生活をおくれるようにするのは、国や自治体という「制度」によってなされるべきであり、タイガーマスク伊達直人なるものの頻出およびその歓迎は、喜ばしいことでは何一つなく、「制度」が機能していないことの表れじゃないかと思うのだ。

だから、菅直人は「本当に心温まる活動だ。共助の精神を大切にしたいと改めて思った」などと言わずに、強く反省をするべきだったのだ。本来ぼくらはタイガーマスクやスーパーマンなどがいなくても満足のいく世界をつくることにこそ目的があるはずだ。政治が足りていないことを反省し、じゃあどうすべきかを菅直人は話すべきだった。

と、ここまで書いて、僕がタイガーマスク運動に釈然としない気持ちが明らかになってきた。

タイガーマスク運動をほめそやすことは、本来、「制度」がせねばならぬことを「制度」が怠っていることを、隠してしまう。そこが、この運動をほめそやす言動に僕が釈然としない理由なのだ。

改めて言おう。

「タイガーマスクを必要とする世界は不幸な世界だ」

本来、評論家や哲学者は、世間の「タイガーマスク運動」をほめそやす動きにサオさし、現在の「制度」が機能不全を起こしているからこそ、タイガーマスクが頻出することを、ずばりと指摘すべきなのだ。そして、現在の「制度」の機能不全を無意識に察知した人々が、政府や自治体に頼ることをあきらめて、我慢ならずに、この寄付行為に走っていることを喝破すべきなのだ。

なのに、こうきた。

「新しい公共」考える契機に タイガーマスク現象:西田亮介

もう馬鹿かと。

タイガーマスク運動を新しい政治的な動きの胎動と言うこの学者は、80年代後半の好況を新しい経済と言ってほめそやしバブルの傷を深くした経済学者たち・経済アナリストたちと同じ間違いを犯している。

タイガーマスク運動が示すことは次のこと、それだけである。

(1)必要以上にお金を余らせている人が沢山いる。

(2)その人たちは、良きことのためならば、その金を見返りなく使ってもよいと考えている。

(3)本来的には、その金は税金によって徴収され良きことのために使って欲しいと思っている。

(4)しかし、今の税金の使われ方には不満がある。

  (4-不満その1)自分のお金が何に使われているか見えない。

  (4-不満その2)悪い奴らが私腹を肥やすことに使っている。

  (4-不満その3)税金という形での徴収だと、自分のお金が、自分の望ましいと思う政策にも使われるが、自分がやってほしくないと思っている政策にも使われてしまう。

(5)だから、税金と言う形で、政府にお金を流すよりも、もっと具体的に自分が使うべきと思うことにお金を使おうと一念発起をした。

(6)しかし、何に使えば良いのかわからない。どうせ使うなら一番有効なことにつかいたい。

(7)何に使えばよいかは本来、評論家や哲学者などが教えてくれるはずである。しかし、それを示唆してくれる学者も政治家もおらず、小説や映画もドラマもアニメもない。

(8)仕方が無いので、古い物語に従う。わかりやすい、親のいない子供を救うというようなことに金を使う。

(9)誰かが伊達直人を名乗り寄付をする行為をTVなどで知る。

(10)そういう手段があったかと同じような状況にあった人が気付き、連鎖が起こる。

以上が、タイガーマスク運動のすべてである。

「資金の再分配システムとしての政治の機能不全」が根幹にあり、それを「制度内で修正しようと言うことへの諦め」が民衆にあり、「その問題を正しく指摘し政治を糺す専門家が不在」であり、また児童養護施設にランドセルを送るようなことはB29と竹やりで戦うようなものだと分かっていても、「それ以外の方法を示唆する新しい物語の作成をあらゆる創作家が怠って」おり、もはや古臭くても、それをするしかないという哀しい状況。それがタイガーマスク運動のすべてである。

さきのwikipediaの記事から、呉智英さんが「善意の愉快犯」と言っているが、「主な寄付行為の一覧」を具体的に観たらわかるが、決して愉快犯がやっていることではない。億万長者の行動ではなく、そこそこだが多くは無い資産を持っている人が、無い知恵を振り絞ってやったことばかりだろう。それぞれの額は、国家予算に比べればあまりに小さい。小さいが、個人個人にとっては小さくない額であろう。送るなどに関わるめんどくささも想像に難くない。つまり愉快犯であるわけがない。伊達直人たちそれぞれは、金持ちではないが自分のお金を誰かのために役立てたいと純粋に思っている。だが、本当はこういうことじゃないんだと言う思いもある。でも、どうしていいかわからない。坐して死ぬよりはとりあえず隔靴掻痒であるとしても、何も変わらないとしても思いついたことをしよう。考えて何もしないよりは、何かをしよう。そう思ってこの一連の寄付行動を行っている。

これはもはや特攻行為である。

あの神風特攻と同じことが起こっている。

善意たちは国を立て直し戦争を止めさせると言う方向には向かわず、がむしゃらに、意味ないこととは分かっていても、ただ無意味であることを証明するだけのために戦場に飛び立つ。

僕個人としては特攻した人々には敬意を持っている。調べれば分かるが、大学を出た多くの優秀な、生きてその後の日本を担うべきだった人々が死んでいる。

同じことだ。

よりよく使うべき資金、よりよく使うべき善意が、評論家に「愉快犯」と言われてしまうようなお粗末な方法でしか発露しない。それがタイガーマスク運動の本質である。タイガーマスク運動は善意の特攻なのだ。

なのにである。

これを「新しい公共」の萌芽であるなどという評論家や政治家は馬鹿だ。

そして、今のところ、このことを指摘しているのが世界中で僕一人なことに愕然とする。

だいたい「新しい」などと言う言葉は、それが形容するものが実はなんなのか見抜けていないからこそ使われる言葉だ。新しさの内容を分析しきれていないから「新しい」などと言うのだ。

過去のことを眺めればわかる。

新しいことなど何もない。

古いことが形を変えて現れるだけなのだ。

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と、ここまでを27日の早朝に書きました。

その後ツイッターで、西田亮介氏に次のようなツイートをしました。

はじめまして、西田亮介様@Ryosuke_Nishida、先日の朝日の御論考はタイガーマスク運動の分析として間違えており、かつ本質的議論を妨げるものであると危惧しています。私見をブログに記しましたので御一読いただけると幸いです。

で、就寝したのですが、朝起きると、西田さんから丁寧な返信が返って来ていたのです。

僕も制度には多いに問題があると思っております。ただ、制度の変革にはとても時間がかかります。また、政局によっては実現しないことも少なくない。そのとき、「豊かな社会」があるのは重要かと。そのためには政治と社会が一体化せず、別の原理で動いている必要があります。

また、ニーズのミスマッチもあるでしょう。ただ、重要なことはそのような「善意の源泉」が今もこの社会に根強く残っているということで、そこから出発して、いかにしてよりよい議論に接続するか、が課題かと思う次第です。けなしてもしょうがないのではないか、と。

一応、「新しい公共」の政策的課題についてごく簡単ですが、まとめてたりもするので、よければどうぞ。西田亮介「「新しい公共」の歴史と課題」『政策空間』http://www.policyspace.com/2010/06/post_723.php

ごく簡単にまとめると、タイガーマスク運動 → 善意の源泉が存在を示唆 → 他方ニーズのミスマッチなどの課題も → ニーズのマッチング等、日本的な寄付の源泉を活かす方法論の修正が必要という認識でいます。

実に丁寧で真摯的な対応をしていただきました。でも僕の中には不満が残り、次のようなツイートをさせてもらいました。

西田亮介さま@Ryosuke_Nishida、突然の不躾なツイートにも関わらず丁寧なご返答をありがとうございます。西田様の影響力を考えると、今後とも示唆的なご発言を続けて行かれること、大変期待し応援もしていきたいと思います。ただ、やはり、疑問が残ります。朝日の記事には…続

朝日の記事には「日本的」善意と書いてあったのですが、安易に「日本的」と言うべきじゃないと思います。特にこの場合なぜこの寄付行動が日本的かが分からない。僕のブログにも書きましたように、タイガーマスク運動は民族の固有性から出てきている運動ではなく…続

合理的個人が、現在の日本の政治的な状況において反応した場合に生じる普遍的な行為として見出すことができると思います。これを安易に「日本的」と呼び、現在の微温的な愛国精神に媚びる表現は非常に危険だと思います。その辺の子供たちならば許されますが…続

西田さんの影響力、朝日新聞の影響力を考えると、看過することができません。タイガーマスク運動は絶対的に「日本的」善意の発露ではありません。これを「日本的」善意と称揚することで、多くは民族的自尊心をくすぐられ喜ぶのでしょうが…続

まさに、その民族的自尊心をくすぐることにおいて、「タイガーマスク運動=日本的善意」論が、大衆の支持率を高めることは、合理的な批判をしづらい状況を産み、合理的批判に耳を貸す人々を減らし、間違えた戦争に人々を向かわせることになります。…続

それはいつか来た道です。そうならないためにも、西田様には安易に「日本的」という言葉を使っていただきたくない。もし本当に心の底から「日本的」善意であると思うならばそれを明示的合理的に説明してください。空気だけで議論しては日本は再び過った道に進みます。

現段階はここまでです。

今後西田さんから返事があるかどうかはわかりません。それは「日本的」善意にかかっています(笑)

2011.01.27.10:25am

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その後、西田さんから真摯なリプライをいただきました。

ご憂慮いただいている点分からなくはありません。ただ、記事をよく読んでいただければすぐわかると思いますが、保守的な「日本的」と言う言葉の使い方をしているわけではありません。欧米的寄付=顕示的寄付/日本的寄付=匿名的寄付という対比で使っているだけです

また、僕は心情的問題には、研究や言説においてほとんど関心がありません。ベタに保守と組むことも、他方、左派的なものと組むこともないと思いますので、ご安心のほどを

で、僕的には僕が心配しているのは西田さんの意見ではなくて、西田さんの意見を誤読する人たちのこと(その可能性)を心配しているのだなあと思い始め

西田様、丁寧なご返答本当にありがとうございます。僕も卒論が「日本的人事システムのゲーム分析」というタイトルでして「日本的」という言葉に物凄い郷愁がありますが、警戒の必要な言葉と考えています。

とお返ししました。

これに対して、西田さん、また真摯にリプライしてくれました。

わかります。なので、繰り返しですが、日本的寄付≒匿名的/欧米的寄付(ドネーション)≒顕示的寄付というあえての図式をかなり明示したつもりです

僕はもうこれ以上議論しても仕方が無く、今後さらなる研究を西田さんが深化していただくことを待つというのがいいのかなと思い、次のように返しました。

政策空間の論考を読んだのですが絶妙なバランス感覚でそこは信頼しています。あえての図式が西田氏の意図と違う捉えられ方をするのを危惧します

それに対する西田氏のリプライ。

そういっていただけるとありがたいです。ただ、新聞は分量もタイトです。近々、補足というか大きな原稿書きたい&関連連載は始まるはずですので、あわせてよろしくお願いします

と言うような感じで、最後はエールの交換的な感じでおわりました。

世間のほとんどの人にとっては、「タイガーマスク運動」なんていうのは一過性の、もう忘れ去られた事件でしょう。

しかし、僕は、あれは忘れ去って良いことではなく、というかそこに表出せざるを得なかった問題を、皆が真摯に考えてくれることを望みます。

タイガーマスク運動を新しい公共の萌芽と賞賛する動きは、先般のアリゾナ銃撃事件とも根っこでつながっていると僕は思っています。銃撃と言うよりもTea Party運動のほうですね。ボトムアップによる政治、新しい公共という言葉は聞こえは麗しいですが、これは慎重に扱わないといけません。完全に否定すべきものではないですが、ともすると民間発の政治という美名のもとに感情的なことが平気でまかり通りかねない。これは右とか左とかの政治信条に関係なく警戒すべきことと考えます。

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