« 文学的快楽としての表現規制 | トップページ | 金子修介監督作品「ばかもの」 »

2010/12/13

表現者はまさに犯罪者を作るために表現している

昨日の記事にものすごく拒絶反応を起こす人が多いのには驚く。

表現の自由を標榜する人々が逆に多様な言論を許さないところに行っている。

昨日の記事を消せと何か所からアドバイスなり脅迫なりをいただいた。

そういう発想こそがむしろ表現の自由に反していることになぜ気付かないのだろうか(真摯にアドバイスをくれた方々には感謝をしますが、脅す馬鹿もいるのです)

日本人的な「空気を読め」とかそういうことだろう(ああ、軍国主義は怖い怖い)

だが、僕は空気が読めるからこそ、あえて読まない。

僕は、表現の自由は、お上が守るものではなくて、表現者の心持だと思っている。

規制のない所で自由なのはあたりまえで、大事なのは、規制され自由が許されないところにおいても、自由であれるかと言うところが、表現者の自立心の試されるところであって、規制?いや、面白いんじゃないの?と僕は思っている。規制されたら、いきなり表現が丸くなる日和見は誰だろうと予想を立てたいぐらいだ。日和見ほど規制をしないでくれと騒いでいる。規制されようがされまいが、欲求は決まっている。それを表現するだけではないのか?規制をされれば当然商売はやりづらくなる。やりづらくなるが、人間とは面白いもので、悪状況ほど燃えるものだったりするわけで、特高警察の眼を盗み、暗がりに蝋を灯し、ノートの切れ端に、本当に表現すべしと信ずる物を描く、レジスタンス、それはなんて楽しいことなんだろうと思う。

僕は禁酒法時代の、あの地下の狂乱にこそ憧れる。

ていうか、なんだかんだ言っても、燃えてるから、規制反対運動は盛り上がってるんでしょ?死んだ眼が生き生きしちゃってんじゃんwwwそれでいいんだよ。で、本当にガチガチに規制されたら、みんなでレジスタンスしようよ。学生運動の敗北以降、僕らにはその機会が無かった。ようやく、ぼくらの本質である暴力的欲求が正当化されようとしているわけだよ。ま、皮肉で言ってるんだけどね、半分はw

で、さらに、馬鹿じゃなかろうかと思うのは、「漫画表現や映像表現なりが犯罪を誘発しているという事実は認められない」とデータに基づき発言している表現者がいることだ。

よくわからんが、市民はいいんだよ、そういう間抜けなことを言っても。だけど表現者がそれを言うのは自殺行為じゃないかい?

表現者はまさに犯罪者を作るために表現しているのではないのか?

と、ちょっと過激な言い方をしてみたが、要は表現により人に影響を与え人生を変え、ひいては革命を引き起こすことにこそ、僕らの欲望はあるんじゃないか?と言いたいわけです。

それを、僕らの表現は世間に対してニュートラルです。なんの影響も与えません。なんて馬鹿かと。

与えるんだよ。影響を与えて、そいつの人生をぐっちゃぐちゃにして、でもあれ?これ生きてて楽しい!?ぐふっ(と血を吐いて死ぬ)、そこに行くために、行かせるために、表現者は表現しているのではないか。

僕自身の見解では、バブル崩壊以降大きな物語が無くなった。だからこそ、日常の些細な物語らしきものを、紡いで紡いで僕らは必死に生きている。物語は人生の物差しで、ああ、これでよかった。あるいは、もうちょっとだ、頑張ろう。などと現時点の位置を計測するためにとても必要なもので、現在自殺者が増えているのは、まさにその物差しを誰も与えてあげられていないからこその事態で、とくに子供たちが自殺をするニュースを聞き、表現者は心を痛めよ。なぜならば、お前らが、僕らが、物語を与えられていないからこそ、彼らは死ぬのだ。物語の、それを作るべき表現者たちの敗北だよ。子供たちの死のニュースは。

もしも、同性愛に目覚め、その自身の肉体的告白に苦しんでいる子供がいるとすれば、彼らに、このクソ日本で生きることの大変さを教え、でもそれでも、その存在を認めてやれる物語を提供すること、これは実に必要なことで、もしもお上が規制すると言うなら規制しろで、だけど表現せねばならぬことで、僕はそこにこそ表現の持つ聖性の明かりが灯ると思っている。

規制により、日和見の精液にまみれたぐっちょんぐっちょんの表現は消える。だが、本当に必要のぐっっちょんぐっちょんなら描き続けるだろう。実におもしろい事態になっている。皮肉も半分で、だから僕は石原慎太郎に、あんた面白いねと言いたい。

|

« 文学的快楽としての表現規制 | トップページ | 金子修介監督作品「ばかもの」 »

コメント

ボクシングの打撃が、素手で殴り合っていた時代より高度なものになったのは何故か。それはグローブの存在だと思います。

また日本のAVが、世界的にも“エロい”と高評価を得ている理由、やはりモザイクの存在ではないでしょうか。

「枠との闘争」。

これこそが人類を進化させる。

投稿: きこり | 2011/02/06 10:12

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/56674/50288905

この記事へのトラックバック一覧です: 表現者はまさに犯罪者を作るために表現している:

« 文学的快楽としての表現規制 | トップページ | 金子修介監督作品「ばかもの」 »