文学的快楽としての表現規制
いろいろ物議をかもしているアレがああなった…らしい。
過激な性描写のある漫画の販売を規制する「都青少年健全育成条例」の改正案について、民主、自民、公明の3会派が「慎重な運用」を求める付帯決議付きで合意し、12月議会で成立する見通しになった。(産経ニュース)
この論争についてはあまり不勉強でよく分かっていない。
分かってはいないんだが、石原慎太郎が規制推進というので、引っかかっていた。
僕は石原慎太郎の小説の良い読者ではないが、彼は僕の敬愛する三島が見出した作家でもあるし、都知事になっても過激なエロ小説を発表するなど文学の位置からの政治を実現する人と言う認識があり、ぼんやりと応援をしていた。
頑固ジジイは嫌いじゃないし。
だからその慎太郎が表現を規制するということについては、普通の政治家が同じことをする以上に意味があると思うし、深い決断なんだろうと思っている。
で、僕が最近もっとも有用なブログと思っている池田信夫さんのブログにこういう記事があった。
「価値の紊乱者」を自称していた石原氏が、エロ漫画の撲滅に熱中する姿は哀れをもよおす。
とあるが、これはちょいと首肯し難い。
三島は晩年、バタイユに傾倒していた。(慎太郎がバタイユをどう思っていたのかは僕は知らない)
で、そのバタイユのアイディアのひとつに「禁忌を犯すことこそエロティシズムの源泉」という発想がある。
つまり、禁止された方が変態は楽しいよ、ということだ。
僕はかねがね、タバコやお酒やセックスが禁止される世の中の到来を切望するのだけれども、そうすると、そう禁止をするだけで、同じタバコを吸うだけでもドキドキが増す。大雑把に言うとそういう発想である。
それこそが、文学からの言葉であるとする。
だとすると、石原慎太郎の行動は、かつての価値紊乱者が変節した…、というようよりも、自らがよりおいしい果実を味わうための倒錯的行為とは考えられないだろうか。
出版社は騒ぐだろう。
出版社は法律内表現だけをしか扱えない。
だが、表現者はこの規制強化を喜ぶべきではないか。
投獄の恐怖におびえながら、作品を書くことができるのだ。
SM、同性愛、幼女性愛、いろいろなことが認められ過ぎだ。
全てを禁止し、ドキドキしながら変態になれたあの時代が戻ってくるのかもしれない。
金銭のためや、世俗的成功のためではない。
聖なるもののために表現をする。
禁止を強化しよう。
そこでこそ表現をすることの聖性がもっとも輝くのだから。
表現規制の強化、これこそが、もっとも倒錯した文学的快楽なのかもしれない。
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コメント
ブログ主は全体主義がお好きなようですね
表現の自由があるからわれわれの生活が守られているのです。
それにこの規制案は曖昧すぎてどうにでも拡大解釈がなされて冤罪が増えるという危険性をはらんでいることにあなた方賛成派は気づかないのですか?
まあ、民主警察嫌いのあなたは戦前の特高警察が理想なのでしょうが・・・・
投稿: だろ兵衛 | 2010/12/12 16:32
だろ兵衛の下品な表現をさらすためにコメント公開しました。こんな人が表現の自由なんて言葉使っちゃいけないよねw
投稿: まつがえ | 2010/12/13 09:44