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2010/10/12

Project BUNGAKU 太宰治

企画公演「Project BUNGAKU 太宰治」全17公演、無事終了いたしました。

本当に予想を超えるたくさんのお客様に観に来ていただけて、ほんとうにありがたいやらうれしいやらで、感動しています。

僕の主宰する劇団アロッタファジャイナとしては2010年はこれが唯一の公演です。

毎年、3本から4本の公演をうってきた僕らとしてはそれぐらいの大イベントで、正直、全身全霊をささげて作り上げたと言う感じがしています。

そもそも、本企画を思いついたのは昨年の12月で、ひょっとこ乱舞「モンキー・チョップ・ブルックナー」を見た後に、広田くんに直接連絡を取らさせていただいて、そんな企画を考えていると話したのが最初でした。

そして年明けた1月の20日に、広田くんと谷くんに、企画書をメールしています。

■ライトノベル、携帯小説、ツイッターなどなど、時代の進展速度は速く、参照すべき過去は無くなった。 現代という時代は自由な時代で、文学を知らなくても小説を書いてもよく、また三島由紀夫を知らなくても演劇をやってもかまわない。だが、そんな現代だからこそ、あえて古典的な文学作品に立ち返る。今回はそういう企画である。もちろん、古典を古典としてありがたがるのではなく、いまある携帯小説と並ぶ物語の1つとして古典文学を取り上げたい。(ここでいう古典は、いわゆる「古典」ではなく、KOTENとでも言うべきものである。過去において評価の定まったものという意味である。現代に生き残っているにもかかわらず、その制作年代が半世紀以上前の作品というイメージである)

■文学作品を取りあげる理由はいくつかある。
(1)物語の再発掘 半世紀以上の歴史を生き延びて読み継がれる作品にはそれなりのわけがあると考える。「あらゆる強度テストを潜り抜けた良質のダイヤモンド」として古典文学を再発掘したい。これは現代の作家である我々にとっても刺激的な出会いになると考える。だれが埋めたか分からないタイムカプセルをあける緊張とともに、僕らは謙虚に、過去の亡霊たちと対話する。現代という何でもありの時代に、なんでもよくなかった時代の本物と出会うことは、僕ら創作家にとっても刺激的であるとともに、観客にっても刺激的な出会いをもたらすだろう。
(2)演劇を生み出す 「戯曲」の古典ではなく、あえて「文学」の古典に立ち返るのは、2つの理由からである。1つは、それが「演じられるように書かれていない」からである。時代が進むと初めは冒険の地であったものが安心できる箱庭となり、心ざわめかせた風景は色あせる。我々は演劇に馴れてしまったのではないか。そういう思いから、あえて「文学」と相撲を取る。あえて演じられるように書かれていない文学と対決することで僕らはもう一度演劇を生み出すことができるのではないか。
(3)演劇をひらく あえて「文学」に立ち返るもう1つの理由は、それが「演劇」ではないからである。演劇の現状に対しては、縮小均衡が起こっているという印象を持っている。つまり、演じる者も演ぜられる物語も作る者も見る者も、すべて演劇村の中での出来事だという印象を強く持つ。ここであえて非「演劇」をもってきたのは、「演劇」に興味をあまり持っていない人にも、「演劇」の面白さを届けたいからである。「文学」の古典を、今回1回だけでなく継続的に、「演劇化」することによって、演劇を外に「開く」こと、そして演劇のことを知らない人々の意識を「啓く」こと、演劇と文学の異種格闘技戦により新しい演劇の場所を「拓く」こと、これらが今回「文学」を取り上げることの大きな理由になるだろう。また「啓く」ということで言うと、海外人の日本文化に対する意識を「啓く」という意味でも、日本文化のエッセンスとして、今回の企画を海外に持っていくこと、海外に日本の意志を発信していくことも併せて考えていきたい。

ここに書いたことは、基本最後まで一貫して僕の中にはありました。

今回企画の目玉の一つである豪華ゲストをお招きしてのアフタートークというのも、この流れの中で思いついたものです。

永井愛さん、徳永京子さん、高野しのぶさんのお3方は演劇の人ですが、それ以外のゲスト13名は「演劇外」の人です。「演劇外」からの「冷たい」視点を持ち込むことによって、僕らの武器を鍛え上げること、そして、演劇に興味のなかった人に多く劇場まで足を運んでもらうことが目的でした。

そういったなか、千秋楽公演は、4人の演出家だけでアフタートークを行いました。当初は、ゲストがいない回なので集客を危ぶんだのですが、ふたを開けると、全公演中、一番の混雑となった回になりました。そして、見に来てくれたあふれんばかりのお客様の3分の1が、4劇団のうちどの劇団の芝居も観たことのない人たち(しかもゲスト目当てでもない人たち)であったと言うのは、かなりの驚きです。つまり、本来、僕らが個々でやっていれば会うことのなかった人たちとこんなにも多数お会いできたということ。このことが、なによりも今回企画の成功を物語っていると思います。

複数の劇団によるコラボ企画は、僕らの企画以外にも、多数あります。

が、確実に言えるのはどの企画も、「演劇外」へのリーチが甘いということです。その点僕らの企画は、破壊的に「演劇外」にリーチを伸ばしています。

本当の「芸術」は、その芸術を必要とするマーケットを拡大する意志と戦略を持つべきと考えています。それは「芸術」の世界的使命を自覚することであり、実際に世界を変えることにつながるはずです。政治以上に世界を変えられないならば、「芸術」をする意味なんてないと考えます。そして、僕らの企画は「4劇団集まれば集客が1劇団集客の4倍になるね」というような小さい発想以上の集客を生み出し、演劇のマーケットを確実に広げたという認識があります。

さらにアンケートを読むと、「太宰嫌いであったが、こんなにも太宰が面白い作品を書いているとは思わなかった。あらためて太宰を読みなおしたいと思った」というような意見が毎公演多数ありました。このことも、大変うれしい反応です。僕らは僕らの演劇をお見せするとともに、観に来ていただいたお客様がたに、太宰治の書いた作品、あるいは日本文学、への興味を持ってもらうことを大きなテーマとしていました。これは、公演プログラムに書いたことですが、「特権的であるべき知識の存在」を認識してもらうことにもつながります。僕らの企画は、マーケットを拡大しただけでなく、観客の意識も変容させたのです。

長いこと芝居をやってますが、今回の企画で、はじめて僕は世界を動かすヒントを得ました。これについて得られた経験や情報は、今後、多くの協力者・同志と共有し、より効率的で、よりクレバーで、よりスキャンダラスな企画を立ち上げることにつなげていきたいと思っています。とくに、尊敬すべき先行企画を立ち上げているMrs.fictionsとはもっと協力し合っていければなと思っています。

以上、良いことばかり書いていますが、もちろんのこと反省点も沢山あります。しかし、それは全て財産です。やってみなければ手に入れられなかった経験です。なので第二弾のProjectBUNGAKUがあるかないかに関わらず、僕らは、捨てる部位無く魚を調理する名コックとなり、臓物のように苦々しい反省点も、きちんと作品づくりに活かして次に進みます。期待して次回の企画をお待ち下さい。

最後になりますが、本公演がこんなにも好評の中で終わることができたのは、ひとえに、八幡山まで足をお運びいただいた観客の皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

 
ProjectBUNGAKU製作総指揮
松枝佳紀

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