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2010/03/13

再び敗戦の音が聞こえる。

映画や芝居の感想を聞いたり眼にすると、答え合わせをしている気になる。あの人と僕はやっぱり同じ感性だとホッとしたり、やっぱあいつとは意見合わないなと思ったり。何が正しいかわからないけど、人間の傾向はわかる。コリッチやブログなんか見ていると、全然面識のない人で意見のずいぶん合う人がいる。その人が観ろと勧める作品はたいがい僕も面白いと思う。実際会ってその人と人間としての相性がいいとは限らない。だけど、感想を読むぶんにはだいぶ参考になる。あと嘘をつく人。世間の流れ的に「こう言ったほうがオレ馬鹿に観られないで済むんじゃね」と迎合的な意見を書く人がいる。ああ、そういう奴なんだと思う。それはたいていバレる。もっとも僕なんかも弱虫で、他人の意見や作品に対するマイナス評価はなかなか書けない。敵を作るし、めんどくさい。でも今年はなるべく喧嘩しようと思っている。歳をとるとケンカを避ける方法を覚える。でもそこで僕はあえてケンカしたり角が立つようなことを言ってみる。案の定ケンカになったりする。疲れる。もう辞めようと思う。でも頑張ってケンカをする。その先に何かが見えるはずと思うから。ちゃんとケンカをして、ちゃんと仲直りをして、ちゃんと生産的な次を生み出す。生み出さないといけない。そう思っている。でもやっぱり皆が面白いと言っているものに、それつまんないよ、とは言いづらい。とくに熱狂的なファンがいる場合にはかなり攻撃される。先日の阿佐ヶ谷スパイダースの公演は、本当に面白かったからべた褒めしたけど、かつて「悪魔の歌」という阿佐スパの作品をぼろくそ書いたら、ものすごい書き込みと匿名のメールがきた。ぜんぶ「おまえみたいなチンケなシロウト劇作家に言われたくねぇ」みたいな意見だった。映画「踊る大捜査線2」を批判したときもだいぶ反発があった。それから、こんなこともある。僕が見てつまんなくて死にそうになった作品を、すごい気の合う友人がブログでほめていたりする。え?まじかよと焦って電話をする。するとこういう答え。「いや、**さん、敵に回すと面倒だからさ、一応褒めといた。でもよく読むと内容のことほめてないよw衣装とか美術のことしかほめてないよ、よく読んで!」なんてことを言う。まだ日本は空気に支配されている。なんとなぁぁく世間的に**と言っといたほうがよさそうだと思うと軽い人は空気を読んでそう発言する。思慮深い人は黙る。大衆は黙ってる人の意見を聞くことができない。だから軽い人の意見に教育される。全体の流れが悪いほうに行く。たまに反対意見を声高に言う人がいる。でもそういう人はエキセントリックだ、と看做される。みなされると、その人の発言は発言内容によってではなく発言姿勢によって支持されない。はみ出し者になる。結局、空気だけが日本を支配する。政治も芸術も劣悪になるのはそのせいだと思う。もしも戦前の日本が何かを間違えて戦争に突入した、そういう部分が少しでもあるとするならば、それはきっとこの空気が関係している。そしてそれは今も変わらない。空気を読むというのは相変わらず日本人の行動原理なのだ。だが空気を読んでいる限り、日本は再びとんでもない失敗をすることになるだろう。だから。だから思慮深い人は黙ってはいけない。臆病な人も黙ってはいけない。あえて発言し、あえてたたかれ、あえて醜態をさらし、あえて野垂れ死にすべし。僕らが黙れば黙るほど、日本はまたいつか来た道をたどる。耳を澄ませば聞こえないだろうか。カチカチと旧式の時限爆弾の刻む敗戦の針の音が。日本の政治的文化的民族的な敗戦はふたたび始まっている。

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