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2010/01/29

殺人時効撤廃報道の馬鹿

「殺人時効の撤廃」これに反対する人がいるだろうか?
それは「減税」に反対する人がいないのと同じだ。
だが「減税」は往々にして、財政赤字の垂れ流しという問題を生み出す。

■「殺人の時効」撤廃を提示、法務省が見直し案
(読売新聞 - 01月28日 21:15)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100128-00001001-yom-pol

この記事の欠点は「変更」の事実しか伝えていないことだ。

多くの人はミクロの視点しか持っていないから、「減税」報道への反応と一緒で、「殺人時効の撤廃」という響き、それだけでこれを歓迎する。 僕だって、何も考えなければ、それっていいんじゃない的な気分になる。

だが殺人時効が定められたのにはそれなりの理由があるはずで、それに変更が加えられるのは、それ相応の理由があるからで、しかし、それについては、詳細な吟味が加えられるべきで、だから結構な時間と費用を使って法制審議会はそれを検討している。

その議論の過程の要約、すくなくとも、こういう理由から殺人時効の撤廃を提案するに至った…の「こういう理由」を明示しない報道に報道の意味があるだろうか?

「殺人時効の撤廃」はマクロ経済的には負担増だ。この負担増が、技術進歩や、社会的合意によってカバーできるのかどうかが議論になるだろうが、そのことにこそ報道は触れるべきだろう。

でないと表面的な記事に「殺人時効撤廃さんせーい!」と軽々しく反応する馬鹿ばかりが増えることになる。

もちろん、法制審議会の議事録の原典(http://www.moj.go.jp/SHINGI/kouso_index.html)にあたれば、この報道に書かれていない部分についても知ることができる。が、多くの市民はそれをやる能力も時間もない。それを仲介業務としてやるのが報道の役割だろう。

ちゃんとした報道をすれば、新しい知見を得ることによって市民はより思慮深い反応をすることができる。それをちゃんとしないから、誰も新聞を読まなくなるのだ。

かように報道はとても重要な機能を担っていることに自覚的であってほしい。

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2010/01/27

HAPPY BIRTHDAY!

言い忘れましたが、今日はわが師である映画監督那須博之の生きていれば58歳となる誕生日となります。めでたい!

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業務連絡

マツガエ家ネット環境再構築中のため、29日夜まで携帯しか使用できません。パソコンメールなどもチェックできません。お急ぎのかたは携帯まで連絡を。

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2010/01/20

2010年ツイッターの旅

2009年11月末にアカウントを取得、twitterツイッターをはじめた。

ツイッターの松枝アカウント
https://twitter.com/matsugae

いまではツイッターなしの日々は考えられない。

しかし中毒というのとも違う。

ツイッターは僕にとって本当に有益な情報を教えてくれる重要なツールとなったからだ。

ツイッターによって僕は沢山の本やTV番組、映画、情報、考え方と出会い、結構な額を消費している。

はじめはツイッター?ミニブログ?なにそれ?そんなの意味あるの?なところから始めたわけだが、今では、なぜそうなのかの説明が難しいが、やってよかったし、このツイッターといったツールが「ミニブログ」などと言われるものではなく、もっと別の、なにか形容しがたい、やはりツイッターとしか呼ぶことのできない有用なものであることを確信を持って言うことができる。

しかしおそらくツイッターとはなんぞや、みたいな話をすると、だいぶ時間がかかろうから、このエントリーでは、いまさっきツイッターについて思ったことを、ブログなりの長所を生かしてつぶいてみようと思う。

週刊ダイヤモンドという雑誌の編集部がツイッターにアカウントを持っている。

https://twitter.com/diamondweekly

そのアカウント( @diamondweekly )をフォローしていたら、ツイッター特集号を作るという話をになり、その時誰かが、表紙をツイッターユーザのプロフィール写真で埋めたらどうだ的な提案をし、それいいねとなり、早速ダイヤモンド編集部@diamondweeklyは、表紙に載りたい人募集と呼びかけた。そのお祭りさわぎに載って僕もプロフィールのっけて!とつぶやいた。

そのツイッター特集号の表紙が次である。(右下のほうに僕がいる(笑))

Diamond

記事の内容については、ツイッターをやったことのない初心者向けの記事で、これを読んでツイッターはじめようかなという人が出てくれば、それはそれでいいんじゃないかという話である。何人かの有名人のアカウントがずらりと並べてあった。

有名人をフォローしよう的なこととはツイッターの意義は違うかなとは思いつつ、しかし僕も有名人を見つけるとフォローしてしまうし、まずはとっかかりはミーハー的な動機でもいいだろう。始めてみて、結果、それを自分の使い勝手のいいようにカスタマイズして、それぞれがそれぞれの方法で利用すればいいんじゃないかという感想を抱いた。

で、シナリオの作業などいろいろ一段落したので(次の作業はあるのだが)、週刊ダイヤモンド@diamondweeklyの発言をさかのぼって見てみた。今回の表紙の目論見などあたり、さぞやウハウハだろうと思ったからだ。

すると、予想に反して、その発言は明るいものではなかった。

というのも、日垣隆氏( @hga02104 )が、週刊ダイヤモンド編集部@diamondweeklyに噛みついていたからだ。日垣氏の承諾もなく勝手にアカウントを誌面に掲載したことを謝罪しろということだった。

日垣隆さんのツイート
@daiamondweekly 勝手にアカウントや名前載せるな、ダイヤモンド。くず雑誌。私が、ゼロから新人にかえって、一人ずつと交流しているのに。彼らは、いろんな人がいる、の原点がわかってない。編集長、謝りに来なさい。メールアドレスや住所を許可も得ず勝手に載せるのは卑劣だ

実は似たような場面に出くわしたことがある。

有名人A氏のツイッターアドレスを探していたA氏の知り合いのB氏がそれをTL(タイムライン…時間順に自分のフォローしている人の発言が並んだもの)上で呟いたところ、A氏のツイッターアドレスを知っているC氏がTL上で「これがA氏のツイッターアドレスですよ」とさらしてしまったのだ。A氏のツイッターアドレスを探していたB氏は単純に喜んだのだが、A氏、実は、ツイッターをやっているのを隠していたのだ。TL上でアドレスがさらされたことにより、多数の人が突如A氏をフォロー、何事かと思ったA氏、調べてみると自分のツイッターアドレスがTLにさらされているという状態を知る。そして、A氏は、TL上にさらしたC氏、TL上でつぶやいたB氏に激怒した・・・というようなことがあった。

このA氏の話はツイッター上だけで起こった話であり、今回の日垣氏の騒動は雑誌上の話であるから、にわかに同じ問題として論じるわけにはいかないが、共通する問題が含まれている。

それはツイッターが私と公をつなぐ今までにない位置にあるコミュニケーションツールと言うところからきている問題だ。

つまり「つぶやき」という言葉にイメージされるような私性と、インターネット上、垣根なくオープンであるという公性。

メールアドレスは私的なもので、これを掲示板などのネット上でやりとりするのが犯罪的な行為であるのは想像に難くない。一方、ホームページのURLは公的なもので、これを掲示板などのネット上でやりとりするのは構わないだろう。おそらくホームページのURLなんかを雑誌に掲載するときはいちいち掲載をホームページ作成者に確認をしないのじゃないかな(憶測)

なのでダイヤモンドの編集者は、ホームページの紹介と同じノリでツイッターの日垣さんのアドレスを無断で誌面に掲載した。一方、日垣さんはツイッターのアドレスはむしろメールアドレスに近いものと考えているんじゃないかと思うのだけど、だからこそ、ダイヤモンド編集部許すまじとなっている。

というのが、このダイヤモンド-日垣論争の僕なりの理解だ。

問題を理解したうえで、じゃあ、どっちの言い分が正しいのか、あるいは新しい別の解決方法があるのか、ということだが、日垣さんがこの文章を見る可能性があると考えると、非常に言いづらいのだけども、僕はこの問題、日垣さんが間違えているのだろうと思っている。

というのは、ツイッターが持っている私性というのは疑似的なものでしかないと僕は思っているからだ。

特殊な設定をしない限り、ツイッターでの発言は、すべてネット上でさらされている。だからツイッターのアカウントはホームページのアドレス同様公的なものである。というのが僕の意見なのだが、公にさらされているにもかかわらず、ツイッターが私的なツールのように思えるのはなぜなのかをちょっと考えてみた。

ツイッターの画面では、フォローするユーザーのアカウント数にもよるが、膨大な発言が単純に時間順でずらずらとならんでいる。分類やソートをしないというのも、ツイッターの特徴で、それが面白いところである。またそれぞれのユーザーが重要な情報くだらない情報を分け隔てなく発言している。このことから、ほとんどの場合、かなりの情報が波のように押し寄せてくるのであって、観る者はこれをうまくさばいていかないといけない。とはいうものの見る側もずうっとそこをにらんでいるわけではない。したがって、ある情報が、ある人の目に止まるのは偶然性に支配されている。見落とす発言もおおい。

ところで「公」というのは皆に見られる場所のことである。他人の目を気にして自分を律する場所である。

しかし、システム的にオープンであるとしても、自分の発言を誰も見ていない可能性があるとなると、そこは私的な場所と錯覚される。ブログでは書けないような恥ずかしいことを呟いても、じきに情報の海に飲み込まれて掻き消される可能性が高い。ならばつぶやいてしまえ。つぶやいた。・・・やっぱり誰も反応しない。ここにいるのは自分だけだ。このような過程によって、多くのユーザーはツイッターを私性の強いツールと感じている。感じるからこそ、より非公式で私的な発言を皆がする。これによって更にツイッターの私性感は強まる。

このように取り扱う情報量の多さ、必要情報を拾うための情報検索労力の大きさ、見通しの悪さがツイッターの特徴である。またその特徴によって、ツイッターはすべての発言が公的にさらされているにも関わらず私的な場所と錯覚されることになっている。

が、やはり皆に見られる可能性があるという以上、そこは公の場所なのである。ある著名な方がツイッター上で暴言を吐いていて、僕は、こういう場でそういう発言はどうなのか?というような返信をした。ご本人は「どういう意味ですか?」みたいな反応であったが、あれもツイッターを私的な場所とご本人が錯覚しているから起こったことだろうと思っている。(もちろん、発言者が暴言を売りにしている暴言キャラなら別であるが)

以前よりツイッターのユーザーとなっている人にとっては、使っている人も少ないという印象があるのだろう。より小さな場所として日本語ツイッター空間をイメージしている。そこは小さなサークルで、公には程遠い。がしかし、今後ツイッターはより多くの人が使用するようになるだろうし、方向としてはより公の場所になっていくとということが考えられる。

話が遠くに行きすぎたが、ダイヤモンド-日垣論争に戻ると、ツイッターアカウントは、ツイッター空間が公的な場所ということから、ホームページのURLと同じで、おそらく本人の許可なく雑誌掲載をしてよいものだろうと思う。むしろオバマ大統領などのアカウントは本人に許可をとっていたらバカみたいなことになるんじゃないか?(もちろん、日垣さんが日垣さんの名前を隠して活動をしているのに、そのアカウントを掲載し、これこそ日垣氏だと公にさらすのであれば大問題(先ほどのA氏の例はこれ)、しかし日垣さんはツイッターアカウントにちゃんと日垣隆と名前を入れている)

さらに日垣さんは

私が、ゼロから新人にかえって、一人ずつと交流しているのに。

と言っているが、すでに日垣さんは著名人である。

ツイッタープロフィールにもちゃんと「日垣隆」とある。

もしも、個人的な交流を重要視したいというのであれば、従来からあるメールのやり取りをすればよいし、いや「ツイッター上で私人として他のユーザーと向き合いたいんだよ」ということであれば、(1)日垣さんの名前を維持したままでは無理であり(なぜなら日垣さんはもうすでに絶対的に公人であるから)、(2)日垣さんの名前を伏せて活動するなら可能ということなのだろうと思う。

いままで、日垣さんの名前を出しても静かでいられたのは、雑誌がツイッター特集を組まないような時代であったからで、いままさに静かでいられなくなったのは雑誌がツイッター特集をするほど大衆がツイッターに乗り込んできたからだと思う。

「日垣隆」の名前を掲載する時点で、それは著名人としてのアカウント機能を持つ。私的なアカウントではいられない。沢山の注目を浴びフォローされ、それがゆえに彼のフィルターを通して語られた言葉は一市民が語る言葉よりもより大衆に浸透してゆく力を持つ。そういう力と機能が「日垣隆」さんのツイッターアカウントにはすでにあるのである。

これは日垣さんにかぎらない。

政治家、スポーツ選手、映画監督、漫画家、歌手、実業家などなど

実際に、リアルの世界で活躍している人にはすでに公人としてのフラグが立っている。

つまり彼らはリアルでなんらかのフィルタリングをされている人たちである。

情報過多のツイッター空間では、いかに情報をフィルタリングするかが重要であるが、そのフィルタリングの方法の一つに、このリアルフィルタリングされた人たち(=著名人)をフォローするという方法があるのである(話がこのエントリーの最初のほうに戻った)。

で、だからこそ大事なのことは、むしろ次のことである。

成りすましの効用の高い著名人アカウントはちゃんと公的な機関(あるいはそれに準ずる機関)によって、公式アカウントであることを証明されなければならない。

実際、ツイッターがより普及しているアメリカ合衆国では「認証済みアカウント」が多い。

たとえばデビッド・リンチ監督がフォローしている人たち。

https://twitter.com/DAVID_LYNCH/following

ほとんどに「認証済みアカウント」のしるしが付いている。

一方、我が国の映画監督本広監督がフォローしている人たち。

https://twitter.com/kmotohiro/following

ちなみに日本人で「認証済みアカウント」を持っているのは鳩山首相だけではないか?ほかにいるんだろうか?

https://twitter.com/hatoyamayukio

とにかく、朝になってしまったので、そろそろこのエントリーを終えるけれども、ツイッターの特徴を考えると、週刊ダイヤモンドが批判されるべきなのは、無断で日垣さんのアカウントを載せたことではなく、日垣さんのアカウントが本物かどうかを確かめないで掲載し、多くの一般人が偽物をフォローするかもしれない可能性を考慮しなかったことにある。本物の日垣さんでよかったね。ということなんだと思うのだけど、どうだろうか?

ツイッターは匿名性の時代に終わりを告げることになると思う。

(論理的間違いなどありましたらご指摘ください。そこまで自信があって書いているわけではないので、ご指摘は謙虚に受け止めます)

参考:ダイヤモンド-日垣論争のまとめ→http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/01/post-b888.html

: 週刊 ダイヤモンド 2010年 1/23号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2010年 1/23号 [雑誌]
「使えない」では済まされない! 140字、1億人の「つぶやき」革命。表紙アイコンに僕います(笑) (★★★)

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2010/01/19

ずばり残念賞

いかに宮沢りえが偉業を成したかがわかる。

黒川智花、ヌードとは言うが乳首のチの字も見せず

しかも全編、悪い意味で恥ずかしげ。

せっかくヌードになっても

これじゃ女としての株下げちゃうぜ。

脱ぐなら、宮沢りえを超えないと。

宮沢りえはヌード後、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、モスクワ国際映画祭主演女優賞、2度の読売演劇大賞最優秀女優賞など、もはやアイドル女優とはだれも言わない、堂々たる大女優になった。

その大女優になる片鱗は、あの写真集サンタフェの脱ぎっぷりに表れていたとは言えないだろうか?

それを考えると・・・

黒川智花、ヌードになったのに残念賞だ。お前は。

最後にもう一度言う。

言わずにいられない。



どうせ脱ぐならチクビ出せ!!! (笑)




以上



黒川智花“ヌード”初挑戦!生涯女優の決意
http://www.sanspo.com/geino/news/091222/gnj0912220506010-n1.htm
 
 
丸谷 嘉長: 黒川智花写真集「風花」
丸谷 嘉長: 黒川智花写真集「風花」
“清純”と謳われる彼女が体当たりで挑んだ今作はスタジオとロケの二部構成で、とことん“ハダカ”にこだわりました。・・・とは嘘八百。残念な写真集。(★★)
  
 
篠山 紀信: Santa Fe 宮沢りえ
篠山 紀信: Santa Fe 宮沢りえ
事件となり、もはや歴史となった写真集。10年後の女優宮沢りえ誕生を思わせる18歳の神写真集。 (★★★★★)

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2010/01/18

政治的対立を超えて

朝、オバマ大統領のツイートがあった。

"Presidents Clinton and Bush have issued a call to action—Join the relief efforts of the Clinton Bush Haiti Fund: http://bit.ly/5-x "

え、と思い、覗いてみると、驚きのツーショット。

前大統領と前々大統領のツーショット。

それを現大統領が宣伝すると言う。

日本では考えられない。

人道支援に政治的対立など関係ないと言うことだろう。

素晴らしい。

たとえパフォーマンスだとしてもここまでやればあっぱれではないか。

ちなみに僕はコンビニでやってるハイチ支援募金に小銭を入れた。

あれはいつ届くのだろうか。

すぐに届いてほしい。

Help for Haiti: Learn What You Can Do

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2010/01/17

僕はそこにいた。

15年前の今日、ぼくは京都の下宿にいた。

本棚には本があふれ、

地震の一つでもあれば

分厚い資本論が僕の頭に鉄槌を下すだろう。

そんな状況にあった。

しかし

「関西は地震がないから平気だ」

ということを関西人のだれもが言う。

東京では当たり前の

本棚や家具につける地震用のストッパー。

東京から来た僕も関西には地震がないということを信じて

地震対策など何もしていなかった。



AM5時45分、僕はふいに目が覚めた。

本棚を見上げた。

カタ、何かが揺れた。

「?」

カタカタカタ・・・

「地震!?」

僕は跳ね起きた。

ドーン!

爆撃のような揺れが下宿を襲った。

寝ていたら僕の顔を直撃していただろう場所に

分厚い本がドサドサと落ちてきた。

下宿のコンクリートの壁にひびが入った。

部屋の中がめちゃくちゃになった。

死者6,434人

負傷者43,792人

避難者30万人

のちに阪神淡路大震災と呼ばれる大地震。

僕はそこにいた。

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2010/01/16

アメリカのつぶやき

ハイチで地震があったのが日本時間にして13日のAM6:53であった。

翌14日のAM2:58(ワシントン13日昼12:58)にバラクオバマは次のようにツイートした。

”Today, our thoughts and prayers are with the people of Haiti. Learn about relief efforts and how you can help”

このツイートからおおよそ6時間後、14日のAM8:48、我が国の首相、鳩山由紀夫は次のようにツイートした。

「元日にツイッターを始めて、はやくも二週間。みなさんの声が以前よりも身近に聞こえるようになりました。多くの方々から多様なご意見をいただいております。本当にありがとうございます。」

米国の大統領と日本の首相の格の違い、何をかいわんやである。

ハイチで大量の犠牲者が出ているのに、全くのんきな日本国の首相の情けないツイートに、憤慨した僕を始め多くの日本人が、首相に抗議というか懇願というか、どうか一国の主としてまっとうなツイートをしてくださいとのツイートを大量に送った。なにより日本は地震大国である。ハイチへの思いをどの国よりも先に、そして強く述べていいはずの国である。

その結果かどうかはわからないが、同日PM5:29に日本国の首相は次のようにツイートする。

「ハイチの地震の甚大な被害を伝える映像に胸が痛みました。ハイチの皆さまに心からお見舞いを申し上げます。できるだけ早く立ち直って頂きたい。少しでもお役に立ちたい。その思いから、日本政府は緊急支援を決定しました。」

オバマに遅れること14時間。

こんだけの水をあけられたのだから、ツイートの中になにか「実際の対策」がもりこまれてないことにはメンツが立たん…ということなのだろう。緊急支援の決定ぶくみのツイートとなったのだろう。

しかし、オバマがすごいのは、とりあえず、即座に悲しみを発言したことだ。

実際に何かを決めるのは時間がかかる。それはアメリカでも日本でも同じこと。しかし、世界のリーダーとして、まず、「思い」を発信することがいかに重要かということである。

「つぶやく」という表現にとらわれて、ツイッターを軽視していると痛い目に会う。ツイッターはお気軽お手軽に見えるが(また事実そうだけども)、お気軽お手軽な分、不用意な発言を誘発しやすく、それは時に発言者の価値を大いに棄損することになる。ブログだって同じことだが、長文なぶん、自己チェックを入れやすい。

ツイッターは、たかが140文字なわけで、思った本音をピロリと投稿してしまいがちだ。今後政治家の軽々しいツイートによって、内閣総辞職・・・などあるかもしれない。十分考えられることだ。

本音を含め、ノーチェックでツイートする。個人はそれで大いにかまわないだろう。時に失言などするほうが人間的魅力があるというものだ。だが、一国のリーダーはどうだろうか。

オバマのつぶやきはオバマのつぶやきではない。アメリカのつぶやきである。慎重に戦略的につぶやかれている。そのつぶやきの一つ一つは確実にオバマの、そしてアメリカの価値を上げることのみに細心の注意が払われている。

オバマの140文字のツイートの裏で無数の官僚たちの、そしてブレーンたちのシステマティックなチェックがあることが想像に難くない。

可愛そうな大臣中川さんのG7での酔っぱらい会見の時にもそう思われたことだが、不容易な政治家の個人的発言が、国家の威信をぶち壊すことは大いにある。だから、そういうことが無いように個人を律する…のではなく、そういうことが起こらないように、システムを構築する、ということが大事なのだろうと思う。

あの酔っぱらい会見のような事故をいかに防ぐかを日本は考えたのだろうか。今回の鳩山さんのツイッターを見ても、日本は何も学んでないという思いを強くする。

たとえ自民党でも同じだろう。谷垣さんが首相でも同じようなヘボヘボツイートをするだろう。そして国家元首のツイートは国家の威信をかけたツイートであること、時によっては人を生かし殺すツイートであることを覚えていたほうがいいだろう。

日本は官僚が優秀だとか、官僚支配を脱却せよなどと言うが、起こっていることは全く逆だ。だめな国家元首がだめなツイートをするのを防げないで優秀な官僚などというのはちゃんちゃらおかしい。

国家を個人(政治家)の資質によらずに安定的に運営するシステムを日々運営するのが官僚であるが、これが機能していない。いま日本に必要なのは、「官僚支配からの脱却」などではなく、むしろ「優秀な官僚を作りだすこと」であり、「政治家をきちんとサポートする官僚システムをいち早く構築すること」だと思うが、いかがだろうか。

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2010/01/06

苦しき恋

いまよその人のプロフを見て
25年前僕が愛した曲を思い出した。

この曲を聞きながら
自分がこの歌と同じ苦しい恋をしてる・・・
と思った。当時。
ませてる(笑)

しかし改めて名曲。

映画は蜷川さんが出てるんだよね。
たしか灰皿投げてる(笑)
「Wの悲劇」大好きな映画だった。

同じ薬師丸の「紳士同盟」
当時の僕はその映画の監督がだれかなんて知りもしなかった。
映画監督で映画を見るということをしてなかったんだね。

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2010/01/05

僕の星

志が高く
大衆におもねらず
けれども大衆を馬鹿にせず
誰よりも真摯で
誰よりも挑戦的で
力強く
愛に満ち
犠牲を払い
クリエイティブであり続ける。
クリント・イーストウッドは僕の星です。

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2010/01/01

リーフェンシュタール監督「意志の勝利」

新年初日の本日、ふさわしい映画を見てきました。

レニ・リーフェンシュタール監督作品「意志の勝利」です。

1934年9月4日から1週間にわたり、ドイツ・バイエルン州の都市ニュルンベルクにおいて”意志の勝利”と題されたナチス・ドイツの大規模な党大会が行われた。その模様を記録したフィルムが、1935年公開の長編映画「意志の勝利」である。この作品は、前年に政権を獲得したナチ党の偉大なる力を全国民に示し、新首相アドルフ・ヒトラーのカリスマ性を広く知らしめ、国威発揚を促すためのプロパガンダ映画として製作された。監督を務めたのは、レニ・リーフェンシュタール。女優として人気を博し、のちに映画作家としても類い稀な力量を発揮した才媛である。(映画のパンフレットから)

この上映の宣伝には「この歴史を二度と繰り返してはならない」などとあり、ナチ=悪という観点からの宣伝がなされていますが、とんでもありません。むしろ、逆でこの映画を見ると、ナチに共鳴してしまいます(笑)

禁酒のために試飲した薬がもっとも酒のうまみを伝える美酒であったというような感じでしょうか。

ちゃんと歴史を勉強していない、印象による洗脳(とくに勝利者である連合国<United Nationsすなわち今の国連>の意向)で、僕らはナチスやヒトラーは恐ろしい悪魔のように思っていますが、ほんとうにそうなのかということです。僕は小学生のころからナチスとヒトラーに異常な興味を持っていて、小学校でも授業でナチスがなぜドイツを掌握したかについて、夏休みの研究発表で報告したりしていましたが、第一次世界大戦後の、賠償金により困窮したドイツは、言ってみれば、後進国のくせに、ちょっと頭が抜けたために、先進諸国からよってたかっていじめられた国で、言ってみれば、ヒトラーとナチスは、その不当にいじめられていたドイツ国民を救った救世主という位置づけになり、実際アウトバーンの建設など数々の先進的な経済政策により、不況にあえぐドイツを復興し、むしろ経済的に豊かにしたという実績もあり、これは国民から支持されて当然な勢力であったわけです。

宣伝相ゲッペルスの存在などにより、メディアを利用して政権を維持した先駆のように言われますが、もちろん、そのような側面があるにしろ、実質的に、国民を豊かにしなければ、いかに巧みに宣伝をしても国民の支持があるわけもなく、実際、この映画「意志の勝利」を見て思うのは、宣伝の勝利や戦略の勝利という小手先の勝利ではなく、それこそ、本当の意味において、ナチスの勝利は「意志の勝利」であったということです。

なんて書いていると、お前はナチスを支持するのかと言われそうなので、言っておけば、もちろん、ガス室のことなどを考えると支持はしません。が、当時ドイツにおいて、ナチスが救国の党として熱狂的に支持されたことをちゃんと正当に評価しないで、頭ごなしに否定するばかりでは、それこそ今後、ナチス的なるものが再登場したときに対応ができないと思うわけで、つまりナチスの善をちゃんと評価してこそ、ナチスの悪をふせぐことができるというのが僕の立場です。

実際、この映画「意志の勝利」をみると、ヒトラーを見つめる当時のドイツ国民の目の輝いていること輝いていること。

この映画を見て、女性監督リーフェンシュタールが只者じゃないと、はじまってすぐわかるわけですが、というのも、ヒトラーを正面から撮らない、後頭部から撮る。つまり、ヒトラーなめで、熱狂する国民を撮っているわけです。国民目線でヒトラーを撮っているわけではなく、ヒトラー目線で国民を撮っている。これすごい。ヒトラーの言葉や仕草を撮るよりも、ヒトラーの偉大さを100倍捉えている。つまり、演技するわけない何万という国民がみんな熱いまなざしでヒトラーを見ている。ヒトラーのカリスマ性を伝えるのにはヒトラーを撮るよりも国民を撮ったほうがいいというわけです。たとえて言うと、AV男優の指さばきを撮るよりも、AV女優の反応を見ているほうが、AV男優のテクニックの素晴らしさがわかるという・・・そんな感じ?

ストーリーがあるわけではないので112分という長さは正直長いけど、30台のカメラを使って撮影された本作品は、ドキュメンタリーと思えないほど、隅々まで演出がいきわたっている。偶然撮れちゃったものなんて何もない・・・そんな感じである。という意味において、映像の技術的にも、この作品が「教科書」と言われているのがよくわかる。

いろんな意味においてすごい映画であった。

DVDもあるようだが、もしよかったら、逃げようもない映画館で、この映画「意志の勝利」を見てほしい。時空を超えて、ヒトラーが観る者のこころをわしづかみにする。この映画はナチスドイツやヒトラーに対する考えを改めさせる契機になるだろう。

渋谷シアターNにて、1/15日まで。
http://www.theater-n.com/movie_isi.html

レニ・リーフェンシュタール: 意志の勝利 [DVD]
レニ・リーフェンシュタール: 意志の勝利 [DVD]
全てのクリエイターが、映像の教科書と認める禁断の映画。その整然たる映像美、卓越した演出法は海外でも高く評価され、1935年のヴェネツィア・ビエンナーレでは金メダル、1937年のパリ万博でもグランプリを獲得。観る者に善や悪を考える隙も与えない映像の圧倒的な力は、単なるプロパガンダ映画にはない高いクオリティを備えています。しかし、ナチズムによる第二次大戦勃発とその後の人類の危機に瀕するほどの世界的大戦禍により、本作は世界から封印されてしまいます。

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2010年と私

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

こちらのブログかなりおろそかにしていましたが

アロッタファジャイナ公式ブログのほうでがんばっておりました(笑)

よろしければ、そちらのほうもご覧ください。

http://ameblo.jp/alotf/

さて、ついに2010年です。

はるか未来・・・に来てしまいました。

相変わらず人間は人間であるとともに

やはり僕らは確実に進化しているのを感じます。

現在上映中の映画「アバター」

年末に発売された小説、東浩紀「クォンタム・ファミリーズ」

そしてツイッター

2010年を目前に、時代の転換を感じてしまったマツガエです。

フランシス・フクヤマは「歴史の終わり」を言いましたが、資本主義の勝利の後も歴史は終わらないというか、むしろ複雑化複線化し、決して収斂しない混迷の中にあり、むしろ混迷を楽しむことが求められる時代になりました。

この「楽しい混迷」を「元禄」と名づけるならば、実はフランシス・フクヤマの予言は当たっているということになります。

考えれば、文学や演劇、映画において批評が成立しづらくなっているのは、そういうことがあるのかもしれません。比べるということはおのずと弁証法的進化を生み出すものであるからです。

何が言いたいかというと、「歴史の終わり」はマニュアル化のスピード以上に複雑性が増加するため、世界は統一的にとらえがたく、科学に代わって宗教や魔術が跋扈し、人間の生死はまたしても運・不運にゆだねられ、やりようによってはなんでもできると・・・とにかく楽しい時代になったということです。

そいうことがスッとわかった2009年末でした。

なので2010年、僕のすべきことは、着実に何かを残すことです。

僕が残せるのは、言葉、脚本、写真、舞台、映画、役者。

昨年親父が死にました。

次は僕の番です。

自分の生の有限性を本気で意識しなきゃいけない事態になりました。

健康に留意し、ちゃんと寝て、ちゃんと作り、ちゃんと関係し、ちゃんと伝える。

僕がすべきことはそれです。

今年の僕はそれをやります。

ということでご期待下さい。

2010年元旦、アロッタファジャイナ主宰 松枝佳紀

100101_090522_2 (2010年元旦の朝日)

100101_090559_01 (2010年元旦の抜けるような青空)

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