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2009/01/26

アロッタファジャイナ・ゼロ宣言

4月に舞台をやる。今度は超小さいところだ。客収容が1ステージ最大80名だ。たぶん80名も入らない。しかし公演回数は久々におおくて14ステージを予定している。4月7日(火)から14日(火)まで。昨年の「GoldenWeeeek!!!」@ル・デコ、「ルドンの黙示」@新国立劇場、「今日も、ふつう。」@シアターモリエールを見逃した人。見て気に入ってくれた人。ぜひとも見に来てほしい。正式発表は2月1日に行う。

2009年、今年のアロッタはシンプル。名付けてアロッタファジャイナ・ゼロ。ゼロはカロリーゼロのゼロだ。てことは、昨年のあの36人はカロリーだったのかい?…というような邪推は置いておいて、とりあえずシンプルだ。脂肪を落とせだ。これぞ松枝。これぞアロッタ。なものをリーズナブルでシンプルな形で見せる予定だ。アロッタゼロと言うからにはある意味振り出しに戻ることだ。ふつうは悪い意味で振り出しに戻ると使うが、今回は良い意味で使いたい。僕らが芝居をはじめた原初にもどる。それがアロッタゼロだ。いつでも新国立劇場で芝居を打つことはできる。僕らはそのノウハウを手に入れた。だから今あえてゼロなのだ。

ゼロというからにはむき出しになる。役者が、言葉が、思想が、政治性が、僕らの変態性が、むき出しになる。まぁ今まででもむき出しにしてきたが、今更ながらにもっともっとむき出しになる。むき出しになった僕らを見てみんなが引くか、気に入ってくれるかはわからない。ただ、僕らは僕ら自身をむき出しにする。むき出しにするしかない。それに気付くべきだし、それをするしかない。そこに立ちそれをする。それがアロッタファジャイナ・ゼロだ。

演劇の原初というと、デュオニソスだの宗教的儀式だの祝祭だの、いろいろ言われるが、学術的なことはしらない。ただ僕にとっては母の聞かせてくれた寝物語だ。絵本を手に読んでくれたかもしれない。あるいは曖昧な記憶で捏造したおとぎ話を聞かせてくれたのかもしれない。ただ、これは言える。役者ではない母の言葉で紡がれた世界、僕だけのための。その言葉で構築された世界で、僕は本当におびえ、喜び、そして体験した。思うに僕はそこが原初、ゼロだと思うのだ。演劇の。だから僕らは僕らの語りたいことを語るのだ。伝えたい人に向って伝えるのだ。語るべきと思うことを。伝えなければいけないことを。ただただ伝えるのだ。伝えたいという思いとともに、とつとつと。ぼくらにはもうそれしかできない。たとえ伝わらなくても。世界に明日がなくても。そういう所から声を放つ。それがアロッタファジャイナ・ゼロなのだ。

4月7日~14日公演。
アロッタファジャイナ・ゼロ。
2月1日詳細発表を待っていてください。
なにか決まってたら発表します(決まってたらかよw)。

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