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2008/10/16

DULL-COLORED POP「JANIS -LOVE IS LIKE A BALL AND CHAIN-」

DULL-COLORED POPという劇団の演目

「JANIS -LOVE IS LIKE A BALL AND CHAIN-」

という芝居を見に行った。

これがなんと25時開演、飲食自由、酒タバコOKの舞台。

そしてロックバンドの生演奏。

この野蛮なたくらみに加担しないわけには行かないだろう。

意気揚々と新宿2丁目につき

陽気なゲイカップルたちが酔いさわぐバーで一杯やって

そしてなつかしのタイニィアリスに向かった。

(実は僕の台本がはじめて舞台にかかったのがこのタイニィアリスだった・・・そのころの僕はまだ日本銀行員だった(!))

現在、僕は体調を壊し禁煙中だが

せっかくのことだから

この時ばかりは禁煙解除。

「タバコすいながら観劇」という暴挙を楽しむ。

というか

芝居が始まる前をこんなに楽しめる芝居ってなかなかない。

わくわくした。

昔の寺山さんの芝居とかはそうだったんじゃないかな。

何が始まるか期待に胸膨らませる。

今でも唐組とかみにいくと、

夜闇の中につくる行列の中で似たわくわくを味わえる。

映画とかでは味わえない高揚感。

ライブの、見世物小屋の高揚感。

これですよ。これ。

新宿二丁目

25時過ぎ

酒、タバコ、ドラッグ、非常識

ロック、セックス、そして死

まず、見る前にこんなにどきどきするカードを用意してくれたことがうれしい。

ついで、芝居。

タイトルがJANISってからには、あのジャニス・ジョプリンの物語だ。

27歳で薬物の過剰摂取により夭折する女性ロックシンガーの話だ。

実際のバンドによる生演奏と芝居が5:5の時間的な配合で進む。

ストーリーは、「27歳で薬物の過剰摂取により夭折する女性ロックシンガー」というフレーズから大抵の人々が予想することを裏切らない展開。だから、このJANISという芝居は、端からストーリーによる意外な展開なんてことで観客からお金を取ることを放棄しているわけで、じゃあ何で金を取るのよ、と言えば、それは、先ほど言った高揚感ってやつと、そしてそれを高めるためには過剰すぎるロックの生演奏だ。

過剰すぎる・・・というのは、ここでは欠点をあげつらう言葉ではなくて賞賛の言葉だ。

ネット上に落ちているこの芝居「JANIS」の感想を読むと、音楽と芝居の配合における音楽の過剰さについて言及しているものが多く散見され(たとえば、音楽はよかったけど…みたいな論調)、その多くは、欠点をあげつらう言葉として音楽の「過剰」ということを言うのだが、もしである。もしも、音楽と芝居の配合までもが、みんなの予想するような配合であったらどうだろうか?そんなおさまりの良い芝居は、きっと誰かがやってるだろうし、そんなものを今、この新宿二丁目でやる意味があるだろうか?すくなくともそんなことに欲望は覚えないだろう。

昨今、収まりが良いものを良しとするつまらないプロデューサー観点で他人の芝居を評論する人が多いが、その収まりが良いものを良いと言う批評をするあんたじゃなくて彼が彼こそが芝居を作るのは収まりが良くないものを野蛮に、行儀のいいあんたの綺麗なお顔の前に、その雄雄しく屹立するものを突きつけ汚してやるためなのだから、おまえらはだまってしゃぶってろと言いたくなるが、ここはブログ、公共の場なのでひかえるけれども、この2008年の10月という時に、谷賢一という才能が、彼の才能をしてさえも制御することが出来ないほどの本物の音楽という化け物を、芝居の中に取り込んだその過剰さ無謀さは賞賛されたとしても、決して欠点として貶められるべきではないことがらで、舞台の始まる前に漏れ出てくるわくわくとした気配を含め、今回の芝居は並大抵のものではない凶暴なものであるということができるだろう。

三谷幸喜さんの収まりがよく且つ素敵な芝居、それは素敵だよ。素敵な芝居なんだから素敵に決まっている。映画にもなるだろうしTVドラマにだってなるだろう。なによりもね金が集まるだろう。金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金。

だけど、今必要なのは、そんな素敵さをおいてけぼりにしても、狂おしく凶暴なエネルギーを捕まえようとチャレンジすることで、そのチャレンジが消えてしまったら、なんと日本文化の配給力の脆弱となることだろうか。収まりのいい芝居なんてすぐ書けんだよ馬鹿やろう。その安易さと戦ってやってるんだ。あんたたちに成り代わってね。日本文化を防衛してやってんだよ。そういう意味でも、僕はむしろ、このJANISという芝居の音楽と芝居のバランスがとれていないことを認めながらも、いや認めるからこそ、感動せずにはいられない。そしてネットの評論家たちに言いたいのは、お前らが、この凶暴さを守ってやらなくてどうするのかということだ。もちろん、苦言を呈するのもいい。だがみんなが同じような収まりのいいところを志向するプロデューサーのような発言をしたらどうだろうか?確実に日本の小劇場演劇は滅び、確実に日本の文化は滅び、確実に世界はつまらなくなるだろう。世にネット評論家として存在する人たちは、むしろ物語の破綻をこそ賞賛すべきだ。いや、賞賛すべき破綻と賞賛するべきこともない本当の破綻とを見分けるべきで、そういう指針になる必要がある。イチ観客の意見などと言うそれこそ安易なところに逃げずに、自らの発言の重みを自覚しながらネット評論とやらを続けるべきだろう。日本の文化が去勢されるかされないかはあんたたち数人の言葉にかかっている。というネット評論に対する評論はどうでもいいが、つまり、そんなことをグルグルと考えさせるほど、この芝居JANISは凶暴なエネルギーにあふれていたということだ。

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コメント

こんにちは

「Janis・・・」、私も観ました。
楽日のマチネでしたから、多分深夜の雰囲気とは違っていたのだと思いますが、それでも、サザンコンフォートを飲みながら、ジャニスの音楽に身をゆだねることができるなんて、夢のような時間でした。

これをストレートプレイとして観るのならば、確かに演奏時間の比率は高すぎたかもしれませんが、貴ご指摘のようにそのような見方はあまりにも視野が狭い気がします。このお芝居はむしろミュージカルの範疇かと・・・。
ジャニスは歌によって主に表現され、素の芝居の部分は従・・・。ミュージカル的な表現ではあたりまえのこと。オフブロードウェイなどではそんなに珍しい手法ではないと思うのですが、これまでは、あまり日本で行なわれていなかった。
ジャニス役の武井翔子さんの稀有な才能が日本でもそれを可能にしたということなのでしょうね・・・。

ストレートプレイでは決して伝わることが無かったであろうジャニスの心の色を、彼女の歌からしっかりと感じ取ることができましたから・・・。これは作家・演出家・役者それぞれの勝利なのでは・・・。

自分のブログにも書きましたが、私が観た回には私よりもっと年齢が上であろうと思われる方がけっこう多くて・・・。考えてみると、ジャニスが全盛期のころ20歳前後の方たちなのですよね・・・。タイニィアリスでそういう方たちをも強く惹きつけるような魅力を持った舞台、これはとても素敵なことだと思います。

音楽が過剰?とんでもない・・・。マチネのお芝居でなければ「More!More!」って叫びたいくらいでございました。


投稿: りいちろ | 2008/10/16 11:29

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