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2008/06/04

山田太一脚本「早春スケッチブック」

那須さんの死に出会って、僕は自分がこんなにも悲しむことのできる人間なんだということを知った。

それまでは、誰の死に出会っても、表面上は悲しいというふりをしたが、本当に悲しいということがどういうことなのか僕にはわかっていなかった。

那須さんの死の前年には大好きなおじいちゃんが死んでいるが、そのときでさえも、死を悲しむことはできなかった。どこか他人事だった。

齢30を過ぎて、当然人間だから「悲しい」ということを知っているつもりでいたが、本当には知らなかったのだ。那須さんの死に出会うまでは。

 

昨日、山田太一さん脚本のドラマ「早春スケッチブック」全12話を一気見した。泣きながら一気見した。泣きつかれて…恥ずかしいことに本当に泣きつかれたのだが…今は虚脱状況だ。

泣いたのは・・・そこに…ドラマの中に…那須さんがいたからだ。

いや、正確には山崎努さん演じる沢田という男なのだが、彼をみて僕は那須さんを本当の意味で、久しぶりに思い出した。このドラマをみなければ僕はあの「悲しみ」でさえ忘れるところだった。

1983年にフジテレビで放送されたこのドラマは、大学受験を控える少年(若き日の鶴見辰吾が演じる)が、死んだはずの実の父親の沢田(山崎努が演じる)に出会うことによって起こる濃い3ヵ月を描いた作品なのだが、僕はその描かれる3カ月に、僕と那須さんが過ごした時間を重ねてしまった。

内容をとやかく言うつもりは無い。

ただこんなすばらしいドラマがフジテレビというところでかつて流れていたということがかなり衝撃でもある。80年代の前半は、まだテレビドラマが、娯楽ではなく、何かの対抗軸でありえたのだなと思った。このようなドラマにでも出会えなければ、現代において、人は「悲しみ」のことを本当には知りえないのだ。だから、このようなドラマを作る「義務」がテレビや映画にはある気がする。というか、10時間かかるドラマをつくれるのは連続ドラマという形式しかないのだから、テレビドラマがこのようなドラマを作る「義務」がある。

しかし、あらためて思う。山田太一さん、あんたはすごいよ。

那須さんを知らなくても、このドラマをみた人は、少しだけ那須さんを感じることができるだろう。

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