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2008/02/05

ワークショップ前半終了

今回のワークショップはいつもと違って、事前にちゃんと台本を配って、台本に沿って、ある一つの芝居を作る・・・という類の作業をやっている。

 

で、1日目は、自己紹介。

自己紹介と言っても、40人ちかく参加者がいるので、一人当たり持ち時間3分としても2時間まるまるかかってしまう。

そんなの意味無いよね。

やるべきは「役者」の自己紹介だ。

芝居を見せてもらうのが一番。

ということで、配った台本「スノーグレーズ」から何シーンかを演じてもらった。

 

面白いのは「芝居の立ち上がり」が見えること。

台本を渡して時間がたってないから、みんな役や台詞の考察もきっちりしきれてないし、体に覚えさせる練習時間も無い。

それだけに、その役者がどうやって台本と格闘するか、芝居を立ち上げるのかの「姿勢」をみることができた。

これはプロフィールやなんかを見るよりも強烈な自己紹介となった。

 

で、2日目。

2日目は、「組み分け」をして発表会をすることにした。

「スノーグレーズ」は5人芝居なので、5人ずつに組み分けした。

泉役の希望者が多数いたので、2組のみ泉役を2人で演じてもらった。

それで全7組。

てことは37人参加者がいたってことか。

稽古時間を1時間ほどあたえ、そのあとの時間を発表会にするという方式。

発表時間は均等に10分。

演じるシーンは、ぼくが台本から選んだあるシーンからあるシーンまで。

通してやるのもいいし、その中から何シーンか抜き出してやるのも良し。

ただし、全員均等に演技をする機会をもてるようにすること。

そういうルールでやってみた。

しかし、適当に、「こっからここまで」ってやったのに、うまくやるとちょうど10分なんだね。偶然。

 

そしてこれがめちゃくちゃ面白い発表会になった。

何が面白いって、まず無茶。

数日前に台本渡したのに、もう覚えて発表しろっていうのが無茶。

参加者の誰かとも終わった後に、「面白かったです。こんな体験は初めてでした」「初めて?」「はい、こんなに早くに台本を放して芝居をするなんて」というような話をした。

 

でも台本を早めに置くっていうのには意味がある。

役者は自分の発言や行動の動機を自分の中に持たないといけない。

だって人間てそういうものでしょ。

しゃべりたいからしゃべるし、やりたいからやる。

台本に書いてあるからじゃなくて、演出に言われたからじゃなくて、自分の中に動機がある。

実際の行動はそう。

だから、「実際の行動」を再現した「芝居」というやつも、限りなく、というか完全にというか、行動や発言の動機が、外からじゃなくて中から沸き起こってないとおかしい。

そして、そのおかしさには、観客がすぐに気付く。

芝居くせえ、とか、言われる演技は、この動機が「外」から来ちゃってる演技。

そして「芝居」というものが難しいのは、この「内部であるはずの動機」が「外部であるところの台本」に書かれているということなのだ。

「内部」の説明が「外部」にある。

このメビウスの環のねじれ状態こそが、「人間が芝居をする」ということをおそろしく難しくしている原因にほかならない。たぶん。

逆説的だが、「台本や演出家」(=ひっくるめて外部)に従っている限り役者の行動や発言はウソになるということだ。

だから、「台本に頼りたい」、「演出に頼りたい」っていう気持ちを断ってもらう。そのためにも、台本を早めに置いて芝居をしてもらうことには意味がある。

 

だが、面白いことに、台本を置いたからって、役者がほんとうに台本を置くとは限らない。

 

と禅問答のようなことを書いたが、つまりこういうことだ。

記憶力の良いやつは、台本を短期間で暗記する。 物質としての台本は置くが、脳内にコピーされた台本を持っている。 だから「本を置いても本を置いてない状態」が起こる。

これは記憶力が必ずしも良くない場合でもそう。

記憶力が良くない場合は、台本を脳内にいい加減なコピーとしてしか移植できないが、それでもないよりはましと、その脳内のいい加減な台本(=外部)を頼りに芝居をする。

脳内だろうが、脳外だろうが、台本(=外部)を頼りにした芝居は観客に「芝居くせぇ」と見抜かれてしまう。

 

台本を頼りにしない・・・

とすると何を頼りにするか?

それはたぶん自分の中にある「衝動」である。

なるほど、「衝動」か。「衝動」に従えばいいんですね!万歳!

・・・

残念ながら、そうはならない。

「衝動」に従えばなんでもいいってことではないからだ。

あたりまえだね。

間違った「衝動」に基づいた芝居をすれば、「衝動」に従っていても、頓珍漢な芝居になるからね。

とくに、衝動的な芝居をするひとに多いのが、悪感情一本、勢いで芝居をやるひと。

一見、台本の自己動機化をうまくやれたかのように見えるが、台本の意図した動機と違うので、起こった行動、起こった台詞が一緒でも、まったく違うものになってしまう。台本によっては、あるいは役によっては、A、B、C、Dどれでも成立してしまう場合もあるが、微妙なラインを綱渡りして書かれている台本は、A、B、C、Dどれでもいいわけではない。ちゃんとBと見抜いて、台本の自己動機化をしなければいけない。ここに必要なのはたぶん読解力と、普段の人間観察の積み重ね、人生経験、そして人間として如何に振幅ある生活をしているかということだろうと思う。これはプロフィールを見てもわからない。が芝居を見ているとわかってしまう。

 

今回使用している自分の脚本「スノーグレーズ」は様々なシーンで登場人物の行動が2つの間逆のベクトルをもつ「衝動」によって引き裂かれている。その微妙なバランスの綱引きの上に、ある一つの行動、非行動、発言、非発言が成立する。

だから怒りの表現が単色じゃない。ここが難しい。悲しみの表現が単色じゃない。そこが難しい。

だが難しいから、それがクリアに表現できれば、見るものはウナル。うならせたい。そのために僕は芝居をやっているのであって、その芝居をつくるに足りうる肉体を探してワークショップをやっている。

 

そしてそれは2日目にしてぼんやり浮かびあがり始めてきた。
2日目にして、無理やり台本を放して芝居をさせた・・・マラソンに例えると、心臓破りの坂を走らせたために、集団は、先頭集団と第2先頭集団、そして脱落組に分かれてきた。

その群れをよく観察するとこうだ。

・台本を手に持ったまま芝居をする者。

・台本は持たないが、なにかを思い出すように、あるいは機械のように芝居をする者。

・衝動にしたがって芝居をするが、その衝動が間違った解釈に基づいている者。

・衝動に従って芝居をし、かつ正しい解釈にかなり近い衝動を感覚的に把握して芝居をする者。

・本人の得意技を振り回すことによって、自己アピールしようという者。

いずれにせよ、面白くなってきた。
第二先頭集団の人間の何人がこれから追い込んで先頭集団を抜き去るのか?先頭集団の誰が足を伸ばして他を引き離すのか?

 

前半戦では、演出は極力しないようにしてきた(がまんできなくてちょっとしちゃったけど)。

役者が自力でどうやって芝居を立ち上げるのか、どう芝居と向き合っているのかを知るのにこれは有意義だった。

後半戦では、役者たちが僕の演出とどうコラボするのかを見ていきたい。また時間が経っているので、どれだけ参加者たちが、台本を理解したのかも興味ある。まぁ、理解というと語弊があって、理解をぐわわと話されたりするが、そんなんじゃなくて、動いてみてってこと。それでわかるじゃん。それのこと。いずれにせよ、楽しみじゃ!

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