« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008/02/29

サイモン・マクバーニー「春琴」

2月21日初日、プレビュー公演を見に行った。

会場に着いたら、なんと開演1時間押しとのアナウンス。

1時間押しと聞いても、「ふざけるな」って気持ちにならないのね。

ギリギリまで良いものをつくろうと頑張ってるんだなと、むしろうれしくなる。

開場押しといえば・・・僕も経験がある。

おととしの12月にやった「偽伝、樋口一葉」という芝居。

初日開場開演が30分遅れることになってしまった。

原因は演出家である僕の不注意。

演技の修正に夢中になったあまり、気付いたらやばい時間になっていた。

監修についていただいた金子修介監督が会場の外にならぶお客様に直々に頭を下げに行ってくださった。

だから「開場1時間押し」と聞くと、自分たちのあのときの「!!!まじ?」を思い出す。

ま、僕らが「押し」たのと、今回の「春琴」の「押し」たのとを一緒にしちゃよくないけど。

金子監督からも「深津なら許す人もいるんじゃないの?」というメール。

たしかに。

僕レベルで30分開演押しはやっぱないよね・・・と2年越しの反省。

と、まあ、「春琴」の話に戻る。

演出であるサイモン・マクバーニー氏については、とりあえず、僕にとっては、蜷川、野田、ケラ、松尾、白井とならんで、演劇人生の必須科目となっている人。

僕の演劇の原点にいる野田秀樹師匠とも浅からぬ仲にあり、劇団夢の遊眠社解散後の野田演劇に影響を与えている演出家でもあり、彼演出の「ルーシー・キャブロルの三つの人生」、「コーカサスの白墨の輪」という2つの作品において、野田さん自身が役者出演の可能性もあったという、まぁ、サイモン・マクバーニーとは、そういう演出家なんですわ。

だから必須科目。観るしかない。

「エレファント・バニッシュ」というサイモン・マクバーニー演出の作品を世田谷パブリックシアターで見たのは何年前か。

ストーリーというよりもあふれ出すイメージ。

そういう舞台だった。

とくに印象的だったのは「光」。

世田谷中の電気を使ってしまったんじゃないかと思うぐらいの光の洪水。

それが「エレファント・バニッシュ」が僕に伝えたイメージだった。

うろ覚えだが、サイモン・マクバーニー自身が東京に来たときのイメージだったと思う。

まばゆい光。

東京は昼も夜も光で溢れていた。

というのがサイモン・マクバーニーの「東京」への印象で、それが「エレファント・バニッシュ」に結実した・・・たぶんそんなことをパンフか何かに書いてあったように思う。うろ覚えだが。

ひるがえって、「春琴」。

観た人はお分かりだと思うが、今回、僕らが舞台で目にするのは、「陰(かげ)」である。「エレファント・バニッシュ」が「光」なら、その真逆である。

そういう意味では、今回の芝居の原作は、タイトル「春琴」の元にもなっている谷崎潤一郎の「春琴抄」よりも同じ谷崎の作品「陰翳礼讃」なのである。

ところで「陰翳礼讃」。

これを読めばわかるが、そのエセーは、日本人論、西洋対東洋の文明論、今昔の時代論、文化論であるとともに、優れて照明についての論説でもある。

「われらの祖先の天才は、虚無の空間を任意に遮蔽して自ずから生ずる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせたのである」(「陰翳礼讃」より)

「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳も作用を離れて美はないと思う」(「陰翳礼讃」より)

「われわれは見えないものを考えるに及ばぬ。見えないものは無いものであるとする。強いてその醜さを見ようとする者は、茶室の床の間へ百燭光の電燈を向けるのと同じく、そこにある美を自ら追い遣ってしまうのである」(「陰翳礼讃」より)

佐助が醜くなった春琴を見ないように(すなわち美しき日の春琴を永遠のものとするために)自らの目をつぶして盲になったのもそうであるし、なによりも、春琴は生まれながらにして闇の中にいるのだ。そして生まれながらに盲であったということが、美しい春琴の人生に影を落としていく。影は暗いことばかりではない。あたたかい影となったのは佐助という下男であった。

舞台に「陰(かげ)」を作り出すのは照明だけではない。

音にも、「陰(かげ)」がある。

音の出ているところと、音の無いところ。

で、気付いたことがある。

花粉症なので(笑)物音を立てやすい状況にあったから、なおさらそのことに気付いたのだと思う。

音が無いという状態(音の意味において陰な状態)が、この芝居でいかに重要であるか、ということである。

客席は、瞬時にそのことを察し、開演したその場から水を打ったように静かになるのである。この「春琴」ほど客席で物音を立てないように気を使った芝居も無い。

そういう意味では、サイモン・マクバーニーが開演前に客席前に現れて片言の日本語と、通訳を介しての英語で言ったことに呼応するが、客席もこの芝居に参加するのである。陰を作ること、それは見ることにおいて、そして聞くことにおいて、どちらもそうだけれども、僕らはたしかにこの芝居に足跡を残す、残さざるを得ないのである。

ところで、見えないこと(すなわち演技の陰)によって見せること。

聞こえないこと(すなわち音楽の陰)によって聞かせること。

語らないこと(すなわち台詞の陰)によって語ること。

演劇とはむしろその不自由さを逆手に取ったエンターテイメントなのである。

そう考えると、フィジカル・シアターというものを背負ったサイモン・マクバーニーが、谷崎潤一郎の言う陰翳に興味を持つのはもっともだということがいえる。

マイムは、見えないものを見せることであり、それは見えないこと・・・すなわち「演技における陰」を利用して、見えるはずも無いものを(見えては化けの皮がはがれてしまうものを)見せるという転倒を起こさせる技だからである。もともとサイモンは影使いだった。

僕らは、世田谷パブリックシアターの闇の中に、見てはいけないもの、本来あるはずの無い愛、永遠の白い肌をみることができる。それはすべてにおいて「陰」の影響だ。ぜひとも、「陰翳礼讃」を読んだ上で、この芝居を見て欲しい。「春琴抄」はむしろ読まないほうがいい。「陰翳礼讃」を読んで見ると、この芝居の良きガイドになる。読めばこの芝居の価値が100倍アップして見えるだろう。

「エレファント・バニッシュ」の光、「春琴」の陰。

その対比、そして日本人としての意味。いろいろなことを考えさせられる。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/02/27

きょうは何の日!?

昼にやってる日本テレビ「おもいッきりイイ!!テレビ」のコーナーに「きょうは何の日」ってのがある。

本日、わが最愛の師匠那須博之の命日にして、「映画監督那須博之の亡くなった日」というのをやるらしい。

番組表にはこうある。

「東大出てポルノで当てて・・・生き急いだ映画監督の生涯・・・」

金子監督も那須真知子さんも出演します。

ぜひ見てみてください!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/25

観劇Week!

最近、わたわたしていて更新がなかなか出来ていない。

先週は花粉症で外に出たくないし仕事も忙しかったのに、なぜか観劇Weekになってしまった。

21日木曜日は、世田谷パブリックシアターで「春琴」の初日プレビュー公演に行った。これはまた別記事に書くが、イギリスの演出家サイモン・マクバーニー氏が谷崎潤一郎「陰翳礼讃」「春琴抄」をもとに創作した溢れかえるイメージの宝庫。実に刺激的な作品だった。

22日金曜日は、王子小劇場で、ひょっとこ乱舞「愛にキテ」。昨日の「春琴」にこの劇団の看板役者チョウソンハが出演のため、看板不在の公演であったが、なかなか素敵。チョウソンハの代わりの男の子が、なかなか代わりをつとめていた。いいよ。がんばって。あと、ウチの劇団初期の看板女優根岸絵美が活躍していたのもうれしい。作品が進むごとに広田さんの演出がだんだん研ぎ澄まされているように思う。その反面、脚本が冗長な気がした。あと、いかにも「小劇場」って感じなのはなぜだろうか?

23日土曜日は、本多劇場で、吹越満さんのソロ・アクトライブ。いや、すごいなあ。「春琴」のサイモン・マクバーニーよりも、フィジカル・シアターの名にふさわしいのではないか?笑えたし。面白がってやっているのがいいね。芸術じゃない。芸術なんてくそくらえだ。

24日日曜日、つまり昨日は、明治座で、渋谷飛鳥ちゃんが出演している「エドの舞踏会」を金子監督と見に行く。で、飛鳥ちゃんの成長ぶりに泣く。うそ。泣きはしなかった。しかし、舞台に映えるし美女だし芝居がナチュラルだし良い女優だなあ。楽屋でひとしきり褒めたが、まったく嘘は言わなかった。ほんとうに良かったんだもん。だけど、明治座じゃなくて、それこそ、サイモン・マクバーニーの舞台とかそういうところで彼女の芝居がみてみたい。あと、時間がたってから、ダメ出しというか、彼女の女優としての課題というかを思いついたが、まぁ、ここに書いても仕方ないので、今度会ったときに言うことにしよう。覚えていれば(笑)

というように、仕事もちゃんとしていたのだが、見ることが必須な芝居が多くてホント僕わたわたしてるんですわ。わたわた。今週は今週で打ち合わせWeekだしさ。余裕ないんじゃって言うの!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/02/20

花粉SHOW!

今年の花粉症はひどい。

もうぐったりです。

僕は花粉症の症状が始まるとすぐに

激しい頭痛とめまいが始まるのですが

この頭痛が尋常じゃない。

嘔吐は繰り返すし、物を考えるどころじゃなくなる。

しばらく家に引きこもっていたのですが

先日劇団員がうちに来たときに

花粉を室内に持ち込んだらしく

もう苦しいったらありゃしない。

他人は冗談と思うらしいが

ほんと頭痛とめまいは

死んだほうがましと思うぐらいにひどいのです。

先週は風邪で倒れてましたが

治ったとたんに花粉症でダウンです。

頭が割れそうです!!助けて!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/16

かしわ市民劇場CoTiK「ロミオとジュリエット」

昨年から少しだけ交流させてもらっている演劇ユニットDULL-COLORED POPの主宰谷賢一さんが、「柏で創り、柏で観る、市民参加型の演劇団体」の旗揚げ公演の潤色・演出をするというので、初日を見させてもらった。

演目は「ロミオとジュリエット」

僕もいつか手がけてみたいと思っているスタンダード演目。

そして、市民劇団という熱い試みの旗揚げの演目に「ロミオとジュリエット」というド直球のボールを投げてくるところにプロデュースセンスがあるし、なかなかチャレンジなことでもある。これが関心を抱かないわけには行かないだろう。

谷さんがどうアレンジしてくるか・・・

それを楽しみに席に着いた。

 

結果どうであったかというと・・・

時間の都合上カットせざるをえない部分があったにせよ、結果として、ド直球。

演目自体ばかりでなく、演出もそうだし、本も大きくは変えていない。

つまり、市民劇団の旗揚げにして、シェークスピアと真正面から戦う姿勢というわけだ。

天晴れと言うしかない。

役者、スタッフ、原作、自らの演出力に全幅の信頼を置いていないと、こうはできない。

そして、ド直球を投げる中、最小限にして最大効果を生むシャープなアレンジ。

ネタバレになるからあんまり言わないが、原作を知っている人は、うむむとうならせられるラストになっている。ラストのラストもそうだし、神父の扱いなどもそうだ。毒薬を渡すところのアレンジは原作を知らない人がわかるのかなと少し心配にはなったが、むしろわからないでもいいようにアレンジがなされていて(それは後でわかる)、それもナイスな感じであった。

また、出演者の方々も、全員柏市の市民というところが素敵なのだが、初々しく清潔なジュリエット、理知的で思慮深いロミオ、女マキューシオ、そしてコミカルな乳母、声が素敵で説得力のある大公・・・など、観るべき人、味のある人たちがたくさんいた。

蜷川さんが人気俳優女優を使ってシェークスピアを上演することによって、日本の若者の教養度が上がったと僕は信じて疑わないが、今回のかしわ市民劇場の試みは、その蜷川さんのチャレンジに匹敵する意義・・・演劇を地域に染み渡らせ、またシェークスピアを楽しむ、演劇を楽しむ人々を増やすという素敵な効果があることを僕は信じて疑わない。こういった試みが、柏市だけでなく日本国中に広がり、それぞれ地域に根ざした初々しくも愛すべきロミオとジュリエットが日本国中で演じられるようになれば、本当に素敵なことと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/12

優先順位

風邪で本格的にダウン中。

スケジュール無理して詰め込んでいるから

こうなっちゃうとアレもダメこれもダメで大変。

どうでもいいやってちょっと虚無的な気分になってしまう。

が、いろいろケツを考えるとウツになってるわけにもいかない。

無理やり打ち合わせを入れる。

やりたいこと、やらなければいけないことが沢山あってとっちらかってる。

冷静に。ちゃんと優先順位をつけてこなしていかないと。

仕事。

プロット書かなければいけない映画が3本。

そのうち1本は原作をまだ読み終えていない。

そのう1本は人物関係を整理しないと。

そのうち1本はすぐにプロットに取り掛かれる。

仕事。

深夜帯の連ドラ。

タイトルだけが決まっている。

仲間のライターとも協力してプロットを作成しなくては。

これも結構すぐにとりかかれるはず。

仕事。

新国立劇場の舞台。

プロットを今日中に書き上げる。

明日プロデューサーと打ち合わせ。

そもそもの企画についてとキャストやスケジュール、予算のことなどを話してこようと思う。

仕事。

4月の末に番外公演をやる。

タイトル、キャスト、プロットを作らねば。

キャストの魅力を引き出す台本作り、これが目標だ。

仕事。

年末、来年の舞台の仕込み。

たぶん来年の4月あたりにやる芝居は

一年かけて準備をする必要がある。

仕事?

小説を書くといって、先延ばしにしすぎている。

これも果敢にはじめなきゃいけない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/11

ワークショップ終わりました~~

具合悪いっス。

だれか看病に来てください。

風邪引いてしまいました。

というかWS参加者にうつした可能性大。

うつしてたらごめんね。

 

ということで

昨日はワークショップ最終日。

スタートは講師である僕の

「昨日まで偉そうに言ってたことは全部嘘でしたごめんなさい。

なので、今日は僕の言ったことも忘れて好きに演技してください」

というイイカゲンかつ素敵な(自分で言うな)挨拶でスタート。

 

おとといは(つまり最終日の一日前)

みんなの芝居が悩みきっていたので

ああ、これは一日二日じゃ闇から抜けきらんな

なので最終日にも悩んだ演技のオンパレードで終わるな

やっぱ5日間のワークショップじゃ時間が足りんのよね・・・

・・・というように思ってましたが

あにはからんや

衝撃的に素敵な芝居からスタート。

全7組みごとに

前日の演技がウソのように払拭されていました(まあ全員じゃないけど)

 

正直、つまらない演技は見ていてしんどいです。

なので、前日はしんどかった。

けど最終日は見ているほうも面白かった。

みんなの発表する演技を見ながら自分が前傾姿勢になるのがわかった。

 

でも一日で芝居が変わるなんて奇跡だよね。

すごいなあ。

ちょっと感動しちゃったもの。

 

そのあとは打ち上げ。

僕は風邪を引いていたので1次会で退散するはずだったが

気付けば朝までいた。

おかげで今寝込んでいるが。

 

なにはともあれ

しんどくてつらくて、でも素敵な5日間だった。

またどこかで会いましょう。

ではおやすみなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/10

今日で世界は終わる。

いや、疲労困憊である。

困憊と書いて「こんぱい」と読む。

「困って疲れ果てること」をコンパイと言う。

疲労して、そのうえに、疲労したことにさえ困ってさらに疲れ果てる・・・

ま、とんでもなく疲れてるってことですよ、疲労困憊ってことは。

以上、安川向け日本語講座でした・・・。

 

そんなわけで、疲労困憊。

疲れ果ててるわけですけども

ワークショップも今日で最終日。

さてみんな今日はどんな芝居を疲労してくれるでしょうか?

あ、変換で、「披露」が「疲労」になるぐらい疲労している。。。。

 

昨日は・・・

ただひたすら見ました。

座ってるだけ、3時間半。

大して疲れないはず・・・

蜷川さんの芝居だって

そんぐらいの時間は集中して芝居を見ているし・・・

でも・・・

この疲労は観劇したときのものじゃない。

やっぱり、なんか違うんでしょうね。

違う筋肉とか視線とか神経を使っている・・・

まあ、疲れてる、疲れてる言ってても仕方ないんで。

 

しかし、演技って難しいね。

考えると死んじゃうんだよね。

初日、二日目で生き生きしていたのが

今週、僕の演出が入って

みんなが悩み始めている。

それが演技に出ちゃってる。

みんなが真面目に僕の言うことを聞こうと思っている。

肉体に言うことを聞かせようと思っている。

だから肉体の反乱が起こっている。

頭脳と肉体の乖離が起こっている。

今、

「もっと肉体に素直になるんだよ!」と言っても

それを実行すること

つまり言葉による命令「もっと肉体に素直になるんだよ!」を実行することが既に「頭脳的」なわけで、「肉体的」にしようと思うことが、よけいに「頭脳的」な作業で、さらに肉体と対立する姿勢を強めてしまう。

だから、よけいにギクシャクした演技をしはじめる。

表情をコントロールしようと思うから

頬がピクピク痙攣なんかしてしまう。

あごがあがったり

信じられないぐらい手を振ったり

怒ろうと思ってどなったり

心も動いていないのにキスしたり殴ったり

普段、生きているときには決してしない行動をしはじめてしまう。

すべては「演技しよう」

「正しく演技しよう」という意識から来る。

考えすぎない・・・

考えて考えて考えすぎない。

徹底的に考えて

あとは忘れる。

脚本のことも演出のことも忘れる。

稽古場であることも忘れる。

皆が見ていることも忘れる。

雪が降る。

稽古場なのに雪が降る。

いつのまにか日本アルプスの雪深い山奥。

孤独な別荘。

暖かい暖炉。

紛いも無く、そこは現実だ。

本当は裏切っているのにつくろってしまったり。

つくろった自分に傷つけられたり。

相手に見透かされている。

自分のおろかさを隠すように逆切れしてみせる。

自分が自分のおろかさに気付かないように激しく。

愛して欲しい人が自分のほうを向いてくれない。

こんなに尽くしているのに向いてくれない。

どうして?じれる。

みっともない。

みっともないは隠したい。

隠したいけど隠し切れなくなってくる。

恥ずかしいことを口走ってしまう。

その自分に恥じ入る。

いるはずの無い人が目の前に現れる。

立てるはずの無い人が立ち上がる。

動揺する。言葉が出ない。声が裏返る。

観客が笑ったとしてもそれは聞こえない。

ひとつの「衝動」になる。

もやもやを吹っ切って「衝動」になる。

今日はそれがみたい。

だって今日で世界は終わるんだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/09

ワークショップ後半戦はこれから大詰め!

爆睡した。

色々仕事したかったが何も出来なかった。

スピンオフ松田も見逃してしまった(草太くんごめんなさい)

というのも

昨日のワークショップは激疲れた。

もちろん

僕が演技するわけではないが・・・

昨日は普通に全チームに演出をつけたので・・・

というかダメ出しをしたので

しかも、真面目にダメ出しをしたので

実にジツに、まじメェにダメ出しをしたので・・・疲れた。

多勢に無勢っちゅうかさ

演出はオイラひとりだからさ

7組×4人の芝居を見ないといけないからさ

1人vs28人の乱捕り稽古っていうかさ

3時間半・・・

なんか疲れたわけですよ。

でも・・・

わかってくれたんじゃないかと思います。

本にどう取り組めばいいか。

自分たちに足りないのは何か。

演技しないってことがいかに難しく、そして重要か。

もちろん

演技教室じゃないので

あれですけど

僕が演出をつけた数人は

明らかに改善した芝居をできていたから

・・・・何人かの芝居には心打たれた・・・ウソが無かった。

・・・・つまり演出によってウソを無くすことが出来るってことの証明。

その「ウソを無くす」っていうのが「演出」ってことなんかもしれないけど

でもあれぐらいの「演出」っていうか「読解」は

つまり「ウソを無くす」ってことぐらいは

本当は役者自身でもできるはずだから

というか役者自身がしないとオーディションに落ちるぜ。

だってタイテイのオーディションは演出つかないよ。

今回のオーディション、演出ついてるから

というか演技力も君たち向上しているはずだから

なんか役者君にとってお得だよね、今回のワークショップ。

もう講師料が欲しいよwww

いや、もうつまり、

今日僕がやったぐらいの演出は自分でするのです。

しなきゃいけないのです。

それをしてみて欲しい。

あと明日とあさって、二日あるし。

なので

明日は・・・見ようと思います。

ダメ出しは後回しにして。

まず全7チームの芝居を見ようと思います。

今日、一連のダメ出しを聞いて(ちゃんと聞いてたかな?)

自分の役をドンダケ深めて

どんだけシーンを深いものと出来ているのか

見せてもらおうと思います。

明日の・・・というか、もう今日だけど

今日のワークショップの前半の時間はただひたすら僕は見ます、役者の演技を。

そして、その後半、追加のダメ出しと何箇所か修正をしよう。

で、それら全てを踏まえて最終日。

「完成形」・・・自分たちの精一杯を披露してもらおうと・・・そう思っておりヤス。

参加者みんなにとって素敵な時間になりますように。

ちなみに僕にとってはかなり有意義な時間です。

疲れるけど(笑)

ちなみに僕の演出力は向上中。

一年前は今みたいな演出はしてなかった。

だから実はこのワークショップで試しているのです。

演出方法を。

どこを押せば、役者がキモチを入れてくれるか

どう言えば、そのシーンを理解してくれるか

どう追い込めば、素敵な一発を繰り出してくれるか

わかってきました。

そういう意味では

僕もまたとない演出の練習をさせてもらってるわけで

つまり、講師料をもらってる場合じゃないとwww

ま、なんでもいいですが

あと二日、楽しんでいきましょう。

まだ、外は暗いですが仕事します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/07

ワークショップのワナwww

いや、何がワナかって言うと

ワークショップやっていると仲良くなっちゃうじゃない。参加者と。

もちろんただ仲良くなるってだけじゃなくて

頑張ってる姿も見えてくる。

頑張ってるだけじゃなく才能もあったりする。

すると、もう、一緒に芝居をやりたくなってしまうわけですよ。

いや、

もちろん、そのためにやってるんですよ。

一緒に芝居を作れる人と出会うために。

それは判ってるんですけどね

人数ってものがある。

1人とか2人との出会いなら問題は無いけど

20人とか30人になると

「お前ら一緒に芝居をやろうぜ」って人数じゃなくなる。

ぶっちゃけ

僕は演出家であるとともに脚本家であり

そして興行主でもあるわけだ。

するとどうしても集客を考えなきゃいけない。

新国立で芝居をするには・・・

1人200人ぐらいは最低でも集客できる知名度なりなんなりが無いと

なかなか困ることになるわけですよね(かなりブッチャけたね)

役者によっては上手いけどあんた知名度無いねぇって人がいる。

もちろん、そういうのが1人2人はいいんだよ。

だけど全員になると、どうやって客席を埋めるんじゃって話になる。

もちろん、企画や作演でも人は来るけど

やっぱり演劇は生

つまり生の役者を見にくるんだからねえ。

で、問題は

僕が今ワークショップのガムシャラに芝居をやっている知名度のない子達とすごく芝居がしたくなっているってこと。

お前らみんな新国立に行きたいか!?

おー!!!

ごめん、全員は無理・・・。

情・・・なのかな?

でも情で芝居はつくれんのです。

それは判ってる。でも・・・

ワークショップは楽しいけど終わりは来る。

終わりが来るってことは人を選ばなきゃいけないってこと。

悩ましい。

ま、悩むぶんだけ、才能ある人が沢山いるってことなんだけど。

明日から、ワークショップ後半戦。

あと3日で選べるのかな?

選ばないといけないんだよなあ。

うーん、悩ましい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/05

ワークショップ前半終了

今回のワークショップはいつもと違って、事前にちゃんと台本を配って、台本に沿って、ある一つの芝居を作る・・・という類の作業をやっている。

 

で、1日目は、自己紹介。

自己紹介と言っても、40人ちかく参加者がいるので、一人当たり持ち時間3分としても2時間まるまるかかってしまう。

そんなの意味無いよね。

やるべきは「役者」の自己紹介だ。

芝居を見せてもらうのが一番。

ということで、配った台本「スノーグレーズ」から何シーンかを演じてもらった。

 

面白いのは「芝居の立ち上がり」が見えること。

台本を渡して時間がたってないから、みんな役や台詞の考察もきっちりしきれてないし、体に覚えさせる練習時間も無い。

それだけに、その役者がどうやって台本と格闘するか、芝居を立ち上げるのかの「姿勢」をみることができた。

これはプロフィールやなんかを見るよりも強烈な自己紹介となった。

 

で、2日目。

2日目は、「組み分け」をして発表会をすることにした。

「スノーグレーズ」は5人芝居なので、5人ずつに組み分けした。

泉役の希望者が多数いたので、2組のみ泉役を2人で演じてもらった。

それで全7組。

てことは37人参加者がいたってことか。

稽古時間を1時間ほどあたえ、そのあとの時間を発表会にするという方式。

発表時間は均等に10分。

演じるシーンは、ぼくが台本から選んだあるシーンからあるシーンまで。

通してやるのもいいし、その中から何シーンか抜き出してやるのも良し。

ただし、全員均等に演技をする機会をもてるようにすること。

そういうルールでやってみた。

しかし、適当に、「こっからここまで」ってやったのに、うまくやるとちょうど10分なんだね。偶然。

 

そしてこれがめちゃくちゃ面白い発表会になった。

何が面白いって、まず無茶。

数日前に台本渡したのに、もう覚えて発表しろっていうのが無茶。

参加者の誰かとも終わった後に、「面白かったです。こんな体験は初めてでした」「初めて?」「はい、こんなに早くに台本を放して芝居をするなんて」というような話をした。

 

でも台本を早めに置くっていうのには意味がある。

役者は自分の発言や行動の動機を自分の中に持たないといけない。

だって人間てそういうものでしょ。

しゃべりたいからしゃべるし、やりたいからやる。

台本に書いてあるからじゃなくて、演出に言われたからじゃなくて、自分の中に動機がある。

実際の行動はそう。

だから、「実際の行動」を再現した「芝居」というやつも、限りなく、というか完全にというか、行動や発言の動機が、外からじゃなくて中から沸き起こってないとおかしい。

そして、そのおかしさには、観客がすぐに気付く。

芝居くせえ、とか、言われる演技は、この動機が「外」から来ちゃってる演技。

そして「芝居」というものが難しいのは、この「内部であるはずの動機」が「外部であるところの台本」に書かれているということなのだ。

「内部」の説明が「外部」にある。

このメビウスの環のねじれ状態こそが、「人間が芝居をする」ということをおそろしく難しくしている原因にほかならない。たぶん。

逆説的だが、「台本や演出家」(=ひっくるめて外部)に従っている限り役者の行動や発言はウソになるということだ。

だから、「台本に頼りたい」、「演出に頼りたい」っていう気持ちを断ってもらう。そのためにも、台本を早めに置いて芝居をしてもらうことには意味がある。

 

だが、面白いことに、台本を置いたからって、役者がほんとうに台本を置くとは限らない。

 

と禅問答のようなことを書いたが、つまりこういうことだ。

記憶力の良いやつは、台本を短期間で暗記する。 物質としての台本は置くが、脳内にコピーされた台本を持っている。 だから「本を置いても本を置いてない状態」が起こる。

これは記憶力が必ずしも良くない場合でもそう。

記憶力が良くない場合は、台本を脳内にいい加減なコピーとしてしか移植できないが、それでもないよりはましと、その脳内のいい加減な台本(=外部)を頼りに芝居をする。

脳内だろうが、脳外だろうが、台本(=外部)を頼りにした芝居は観客に「芝居くせぇ」と見抜かれてしまう。

 

台本を頼りにしない・・・

とすると何を頼りにするか?

それはたぶん自分の中にある「衝動」である。

なるほど、「衝動」か。「衝動」に従えばいいんですね!万歳!

・・・

残念ながら、そうはならない。

「衝動」に従えばなんでもいいってことではないからだ。

あたりまえだね。

間違った「衝動」に基づいた芝居をすれば、「衝動」に従っていても、頓珍漢な芝居になるからね。

とくに、衝動的な芝居をするひとに多いのが、悪感情一本、勢いで芝居をやるひと。

一見、台本の自己動機化をうまくやれたかのように見えるが、台本の意図した動機と違うので、起こった行動、起こった台詞が一緒でも、まったく違うものになってしまう。台本によっては、あるいは役によっては、A、B、C、Dどれでも成立してしまう場合もあるが、微妙なラインを綱渡りして書かれている台本は、A、B、C、Dどれでもいいわけではない。ちゃんとBと見抜いて、台本の自己動機化をしなければいけない。ここに必要なのはたぶん読解力と、普段の人間観察の積み重ね、人生経験、そして人間として如何に振幅ある生活をしているかということだろうと思う。これはプロフィールを見てもわからない。が芝居を見ているとわかってしまう。

 

今回使用している自分の脚本「スノーグレーズ」は様々なシーンで登場人物の行動が2つの間逆のベクトルをもつ「衝動」によって引き裂かれている。その微妙なバランスの綱引きの上に、ある一つの行動、非行動、発言、非発言が成立する。

だから怒りの表現が単色じゃない。ここが難しい。悲しみの表現が単色じゃない。そこが難しい。

だが難しいから、それがクリアに表現できれば、見るものはウナル。うならせたい。そのために僕は芝居をやっているのであって、その芝居をつくるに足りうる肉体を探してワークショップをやっている。

 

そしてそれは2日目にしてぼんやり浮かびあがり始めてきた。
2日目にして、無理やり台本を放して芝居をさせた・・・マラソンに例えると、心臓破りの坂を走らせたために、集団は、先頭集団と第2先頭集団、そして脱落組に分かれてきた。

その群れをよく観察するとこうだ。

・台本を手に持ったまま芝居をする者。

・台本は持たないが、なにかを思い出すように、あるいは機械のように芝居をする者。

・衝動にしたがって芝居をするが、その衝動が間違った解釈に基づいている者。

・衝動に従って芝居をし、かつ正しい解釈にかなり近い衝動を感覚的に把握して芝居をする者。

・本人の得意技を振り回すことによって、自己アピールしようという者。

いずれにせよ、面白くなってきた。
第二先頭集団の人間の何人がこれから追い込んで先頭集団を抜き去るのか?先頭集団の誰が足を伸ばして他を引き離すのか?

 

前半戦では、演出は極力しないようにしてきた(がまんできなくてちょっとしちゃったけど)。

役者が自力でどうやって芝居を立ち上げるのか、どう芝居と向き合っているのかを知るのにこれは有意義だった。

後半戦では、役者たちが僕の演出とどうコラボするのかを見ていきたい。また時間が経っているので、どれだけ参加者たちが、台本を理解したのかも興味ある。まぁ、理解というと語弊があって、理解をぐわわと話されたりするが、そんなんじゃなくて、動いてみてってこと。それでわかるじゃん。それのこと。いずれにせよ、楽しみじゃ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/01

デスノートREDUX

本日、ついに、新国立劇場公演に向けたワークショップ初日です。

「新国立劇場公演にむけて」

というのがあるからなんだと思うんですが

応募者が60名を上回り、

こんな大人数でワークショップできねぇよ

とうれしい悲鳴を上げながらも、

書類選考しようにも

みんなキャリアあるんじゃん、

と選考しようも無く

しかたなく参加日数とかいろいろなことで線引きをして

それでも半分の30名でワークショップをはじめます。

今回、事前に台本渡してるんで、

どこまで皆が作ってるのか楽しみです。

 

ところで、今日、あります。

金曜ロードショーで

デスノート前編の放映が。

みてください。

懐かしいなあ、もう二年前なんだ。

あのシナリオ改訂の怒涛の日々が思い出されます。

金子監督がちょっと手を入れたみたいだし

どこにいれたのか発見するのも楽しみ!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »