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2008/01/04

フランシス・ローレンス監督「アイ・アム・レジェンド」

映画を見に行った。

「I Am Legend」

タイトルが馬鹿っぽくて期待はしていなかった。

もっぱらこういう映画を見に行くのは
いわゆる世界標準の技術がどういうものなのかを見に行く。
それが主たる目的なのである。

この映画、1954年発表の小説
Richard Burton Matheson,"I Am Legend"
が原作。

この馬鹿っぽいタイトルは原題なんだね。

これまでに2度映画化、今回で3度目の映画化なんだそうだ。

地球最後の男(1964年、アメリカ/イタリア)
   監督:シドニー・サルコウ/ウバルド・ラゴーナ

地球最後の男オメガマン(1971年、アメリカ)
   監督:ボリス・セイガル

両方ともDVDを購入。

要はウィルスが蔓延し地球人の98%が死に絶え、
生き残った人々もほとんどがウィルスに罹患し
吸血ゾンビ化してしまった世界で、
独り生き残っている男
ロバート・ネビルがどうやってサヴァイヴしていくか
というような話である。

吸血ゾンビ化した人々は、
日が暮れると動き出し、生きてる人を襲う。

予告編では
あんまりゾンビ映画ということを
前面に出していなかったが、
要はゾンビ映画である。
バイオハザードとかと同じ。
なにか新しいことがあるわけじゃない。

しかし、
ロメロ監督の
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」
が1968年だから
それに先んじること4年。
なんとロメロ監督は、
この「地球最後の男」に影響を受けて
「ナイト・オブ・・・」を作成したらしい。
ということは、
あまたあるゾンビ映画をこの作品が真似をしたのではなく
そもそもゾンビ映画の元祖がこれ、この作品なのだ。

そして
ストーリー的になにが新しいわけでもないが、
結論から言うと非常に興味深い映画だった。

(1)映画におけるリアリティについて。

   <リアリティについて①>
   やはり本作品で特筆すべきなのは
   廃墟のNYである。
   トラやシカが住んでいることについて
   リアリティがあるのかどうかは知らないけど
   細部の描写が徹底的で
   なるほどなあ
   とうならせられるものがある。

   <リアリティについて②>
   一方、
   ゾンビたちはCGなわけだが
   これはデスノートのリュークなんかよりも
   大分優れたCGなのだ。
   しかし、それが逆にリアリティを失わせている。
   リュークはそもそも人間と形状が違うわけで行動も違う。
   だがゾンビたちは元人間なわけで、
   そう違いがあるわけではない。
   とすると、なんで人間でやらなかったの?という疑問がわく。
   特殊な動きがあるわけでもない。
   「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムと似た動きをする。
   あるいはゲームのバイオハザードのゾンビに似た動き・・・
   つまりCGなんだなということが観客に伝わってしまう。
   CGを見慣れた観客は
   「なかなかうまいCGじゃん」
   と観るのである。
   CGだって観られるのはダメジャン。
   意識が映画の外部に行っちゃってる。
   映画は観客を巻き込まないとダメなのだ。
   「なかなかうまいCGじゃん」
   そんなことを考えさせちゃだめなのだ。
   だから
   これは特殊造形でやるべきだったと思うのだ。
   どんなにCGがなめらかになっても
   人間の動きは人間にやらせるべきだろう。
   もちろん、もっと技術がアップすれば別だが。
   とりあえず、なめらかなCGをつかってしまったことが
   そこがたどり着けない部分を逆にあからさまにしてしまっている。

   <リアリティについて③>
   ウィルスが蔓延し・・・
   というのもよくある説明で
   「あー、はいはい」的な感じなのだが
   本作品にはちょっとだけリアリティをもたせる工夫があった。
   それはDNAがどうのという科学的な説明じゃない。
   映画冒頭にあるニュース映像である。
   癌を完全克服する特効薬を
   開発したという医者のインタビューである。
   エネルギー不変の法則ではないが
   マイナスにはマイナスの意味がある。
   だからマイナスを我武者羅に消そうとすると
   それとは異なるどこかでマイナスを消した影響・・・ヒズミが出る。
   というようなことをぼんやり人間は本能的に知っている。
   だから冒頭の癌の完全克服のニュースがあり
   つぎにウィルスによる人類絶滅の映像がくれば
   そこをつなぐ理屈がなくても
   観客は「なるほど・・・」
   と思うわけで、これは下手に理屈を映画の中でこねくり回すよりも
   ウィルスによる人類滅亡にリアリティを与えることに貢献している。
   残念なのは、結局、途中で
   癌克服の医療技術とウィルスによる人類滅亡の関連性が
   台詞として語られていることである。

   <リアリティについて④>
   演技的なリアリティと物語的なリアリティということについても考えた。
   ウィル・スミス演じる主人公がゾンビ・ウィルスに罹患した
   愛犬のサムを殺すシーンがある。
   これは誠に悲しく残酷なシーンなのであるが、
   非常な違和感を覚えた。
   まず、ウィル・スミスの演技は素晴らしい。
   犬を殺すシーンは動物愛護のためか
   ウィル・スミスの表情しか映さない。
   映さないが、彼が何を思い何をしたのか
   映ってはいない部分がすべて分かるほどの名演技を見せている。
   心打たれないわけにはいかない。
   だが一方、果たして犬を殺す必要があったのか?という疑問が残る。
   つまりそのシーンの演技的なリアリティはあるのだが
   ストーリーの運びにリアリティがないのだ。
   研究室にはゾンビを捕獲して生かしている。
   そんなわけだから、愛犬サムにしても、たとえゾンビ化しても
   生かしておくほうがリアリティがあると思える。
   人間ならば、「俺がもしゾンビ化したら迷わず殺してくれ」とか
   事前に言わせて殺すことも出来たが犬である。
   僕なら殺さない。
   無理と分かってても鎖につないでいつか特効薬ができるのを待つ。
   ウィル・スミスに殺す理由が足りないのだ。
   だから、違和感を残してしまう。
   これは脚本上の、あるいは演出上のミスだと思う。
   演技的なリアリティは、
   物語的なリアリティを得て初めて完全なリアルになる。
   これはラストの、ウィル・スミスの自爆にも言える。
   手榴弾を使うのはいいとして、
   あそこでウィルも一緒に死ぬ必要があったのか?
   あったかもしれないが、あったと確信させるにはあまりに情報が少ない。

(2)いまそこにある危機について。

   原作では、舞台はロサンゼルスである。
   本作では、舞台はNYになっている。
   そこには意味がある。

   映画化第一作は、1964年に公開されている。
   ベトナム戦争の真っ只中である。
   つまり、冷戦ということばがあり
   共産主義の脅威がリアルに感ぜられていた時代である。

   ロメロは
   「ゾンビ=共産主義への恐怖」
   と明言したらしい。

   だが、現在、共産主義はゾンビ足り得ない。

   ゾンビはもっと抽象化された得体の知れない誰か
   ・・・テロリストなのである。
   だから舞台はNYでなければならない。

   ちなみに映画化第二作は、
   どうやら、その敵を黒人にしているらしい。
   マルコムXが殺されたのが1965年
   キング牧師が殺されたのが1968年
   ゾンビが公民権を求める黒人たちで
   保守派白人主義のチャールトン・ヘストンが陽気に
   黒人ゾンビたちを撃ちまくる・・・。

   このようにこの映画は
   その時々の
   「今そこにある危機」
   を取り入れることで
   同時代的なリアリティを得ることに成功している。

   では、この映画化第三作はどうか。

   NY、その廃墟、
   当然、911のテロを髣髴とさせずに入られない。
   この映画の主人公が、血清をついに開発するのは
   9月9日である。
   911の2日前だ。
   この「2日前」ということに
   何の意味があるかは分からない。
   わからないが、観るものに、
   とくにアメリカ国民には、
   あの同時多発テロを想起させるシグナルが満載だ。

   すべからく表現は政治的な意味を持たざるを得ない。

   これは僕の見解だ。

   しかし、この映画はあまりにも暗示的過ぎて
   というかそこまで徹底して考えてないのか
   この映画から、テロリズムに対して
   なにか深い洞察を引き出すことは出来ない。
   ここまでテロリズムを重ねるなら
   そこにより深い意味を付け足せたような気がする。
   そのときに、主人公のラストはああなっていないんじゃないか
   という気がしてならない。

(3)ground zeroという言葉

   ウィルス発祥の地という意味で
   「ground zero」という
   用語が多発する。

   ground zeroといえば
   あのworld trade centerのあった「あの地」を思い出す。

   だから、NY、ground zero・・・テロリズム
   もしかしてあの911がウィルス発祥の原因?
   などと考えてみたがそうではなく
   単に、あの同時多発テロになぞらえた記号を
   多数配置した・・・ということ以上のことはないようだ。
   そういう意味で言えば、
   「スパイダーマン3」のほうがよっぽど
   政治的なメッセージが含まれている。
   この「アイアムレジェンド」は思わせぶりなだけだ。

   しかし、気になったのは
   ground zero
   というtermが必ずしも
   world trade center
   を指すのではないかもしれないということ。

   家に帰ってwikipedhiaをみてみた。
   http://en.wikipedia.org/wiki/Ground_zero

   広島/長崎がいっちゃん最初なんだね。
   でも、NY、ground zeroといえば
   world trade center
   を想起するというのは間違いではなさそうだ。
   ひとつ勉強になった。

(4)ウィル・スミス・・・。

   ちなみにこの映画は
   主人公のウィル・スミスは
   ウィルスに免疫を持っている男なわけだが
   名前も偶然にも
   ウィルス・ミス
   (ウィルスが捕まえ損ねる男)
   というようにも読める。
   このことは誰も言ってないけど
   名前からしてレジェンドな主演ということなんじゃないのだろうか(笑)。

   

アイ・アム・レジェンド@映画生活

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