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2008/01/30

リドリー・スコット監督「ブラックホークダウン」

眠れなくなったのでDVDをみる。

リドリー・スコット監督「ブラックホークダウン」

うーむ、すごいし、痛い。

麻酔無しで手術するシーンはひーって感じ。

なにかのストーリーを描いているということじゃない。

史実だ。事実だ。

ソマリア兵(というか民間人)がゾンビにしか見えない。

戦争映画に反戦思想を持ち込まないといけないというのは貧乏性のなせるわざなのかと自問してしまったぐらい、この映画には反戦思想というのはない。というか思想というよりも、事実を書こうとしている。この映画を戦争の痛みを描いていると言って「反戦映画」に分類するのも勝手だし、米兵によって語られる台詞によって「アメリカ帝国主義を支持する映画」だと分類するのも勝手だ。

いずれにせよ、ここには息もつかせぬ史実がある。

正しかろうが間違っていようが必死に生きようとする若い肉体がある。
 
 
※史実とか事実とか書いたがそれは映画だもの、本当のわけないよね。でも、「ああ本物だ」と思えるものがあれば、それは事実以上に真実だと思うし、それを描かないと映画である意味がないと思うわけです。芝居もそうだしね。なので語弊あるかもしれないが史実、事実と書いた。

ブラックホーク・ダウン@映画生活

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2008/01/27

那須暦でいうところの元旦

今日は誕生日です♪

誰のって・・・

それはオイラの師匠、那須博之監督の誕生日!

那須暦では今日が元旦。今日こそ元旦。

つうことで今日は誕生会をしてきます。

那須さんが祀られている那須神社で。

って那須家に遊びに行くってことなんですけどね。

那須真知子さん、金子監督、野木太郎、峯尾晶、僕。

5人で誕生会をしてきます。

イケメン峯尾との付き合いは去年からなんで、

当然那須さんのことはイケメン峯尾は知らないんだけど

僕とやっていくからには

那須さんのことを知らなきゃなんねぇべ

ってことで、連れて行きます、イケメン峯尾。

ついに那須教の洗礼を受けるわけです、イケメン峯尾(笑)。

しかし、那須さんはほんとうに稀有な人でした。

後にも先にも、あんな人はいないね。

男が必ず男惚れする男。

って那須さんのことを検索していたら

素敵な文章を発見。

僕と同じように那須監督を師匠にいただく1人。

押尾学さん。

ブログで「この世界に入り今に至るまでの話」ってのを書いていて

那須さんのことが愛ある言葉で書いてある。

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive20-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive14-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive9-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive6-200704.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive4-1-200705.html

http://ameblo.jp/oshio-manabu/archive8-1-200705.html

押尾さんが那須さんのことを書いていてくれて感動。

思えば

那須さんは飲むと、

よく押尾さんと俊藤くんのことを楽しそうに話してた。

俊藤くんはその後僕の芝居「偽伝、樋口一葉」に出てくれた。

押尾さんはその芝居を見に来てくれたんだけど

僕はどたばたしていて会えなかった。

いつか押尾さんと那須さんの話をしたいな。

押尾さんも那須さんと会わなかったら役者を続けてなかったと、さっきリンクを張った文章に書いてあるけど、僕も那須さんが居なかったら劇団も続けてなかったし、シナリオも書き続けてなかった。楳図さんにも会ってなかったし、木村俊樹プロデューサーや成田さん、平田さん、大木監督や金子監督とも会ってなかったし、飛鳥ちゃんとか、小笠原さんとかいぐっちとか、うちのナカヤマとか藤澤、新津とか皆みんなに会ってなかった。すげぇ、俺の今は那須監督で出来ている。

いまでもたまにだけど那須さんの声が聞こえる。

渡来ブーは那須さんの声が聞こえるなんて僕が嘘言っているというけど、ほんとうなんだからしかたあるめぇ。でも、ほんとうにたまになんだよ。

いつまでも那須さんの声が聞こえますように。

だから、今日は真知子さん、金子監督と話して、那須さんをたくさん補給してきます♪

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2008/01/23

なにはともあれ、雪。

わーい、雪だ!雪だ!(こどもか)

いや、年甲斐も無く雪を見るとはしゃぎたくなりますね。

忠臣蔵や、226も、はしゃいでああなっちゃったのかもしれませんね(そんなこたぁない)。

で、締め切りですよ。

僕の脚本の・・・ではなく、うちの劇団のワークショップ参加の応募締め切り。

1月25日締め切りです。

しかし、今回、すでに40名を上回る応募者があり・・・

これは非常にありがたいことなのですが

落ち着いてワークショップをするのは無理な人数・・・・

回をわけるか

残念ながら書類選考をするか・・・

・・・そんな事態になっとりやす。

しかも、書類選考するにも、結構みなさんキャリアがありまして

書類選考も難しいという状態。

とりあえず28日に参加者発表です。

あ、発表と言っても公表はしませんが・・・。

とりあえず我こそはという人、今からでもいいので応募してください。

既に応募人数が多いのに応募してくれとは横暴な話ですが・・・

・・・応募が横暴(で?)

なにはともあれ、今日は東京、初雪です。

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2008/01/20

蜷川幸雄演出「リア王」

蜷川幸雄演出「リア王」初日見てまいりました。

彩の国さいたま芸術劇場 大ホール。

にしても

平幹二郎さんはほんっっとうに国宝ですね。

というか

彼の存在は、「富士山」とか「摩周湖」とか「グランドキャニオン」とか、そういう自然の美的造形に匹敵する。

74年の歳月をかけて刻み付けられた、そして彼でしかなしえない演劇的時間、その積み重ね、その皺、その声、その空間支配力、美しき涙・・・。もうそれ自体が息を呑むような「美」である。

そしてその「美」を表現するにふさわしいお題目、それが「リア王」だ。

「リア王とは彼のことだ」

もう、そう言わずにいられない。

「リア王」という物語のパンクでロック、アバンギャルドなプロットは、平幹二郎の肉体を得てはじめて胸を突く痛みとなる。

かつて演じられたサー・ナイジェル・ホーソン最期のリア王もそうだったのだろう。最後に演じた芝居がリア王だなんて、そんな素晴らしいこと、役者冥利に尽きることも無いだろうし、それにふさわしい人間もナイジェル・ホーソンしかいなかったのだろう(サーの称号を持つイギリスの名優ナイジェル・ホーソンは1999年、70歳のとき、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーでリア王を演じたのが最後の舞台となった。その時の演出が蜷川さん、道化役は真田広之さん。ちなみにこのとき、役者として1人、シェイクスピアの本場に乗り込んでいく真田さんの姿を追跡取材するドキュメンタリーがあるのだけど、うちの劇団ではよく役者にそれをみせる。地位を確立してもなおチャレンジをし続ける真田さんをみるとほんとうに頭が下がる)

それが平幹二郎のリア王を見ていると本当のこととして分かる。

そして、平幹二郎のリア王も、サー・ナイジェル・ホーソンのリア王に劣らないリア王なのであって(きっと)、だから、この舞台に上げられた威厳も、愛も、老いも、狂気も、死も、すべてが本物なのだ。

もちろん、平さんだけではない。

グロスター伯爵を演じる吉田鋼太郎さん。

ケント伯爵を演じる瑳川哲朗さん。

道化を演じる山崎一さん。

もう、あっちゃこっちゃで繰り広げられる、おっさん素敵祭(笑)

素敵です。

素敵過ぎです。

涙します。

いたるところですすり泣きが聞こえました。

2008年のリア王

これこそ見なくてはなりません。

今まで見たどんな蜷川作品よりも胸を打ちます(きっと)。

3時間半、息もつかせぬジェットコースター演劇「リア王」

ハラハラしながら(話を知っていてもぜんぜんハラハラできます)、人間のおろかさに笑い、そして美しさに涙してください。

 

休憩時間、ロビーに出ようと移動中、偶然藤原竜也君に会い、簡単に挨拶をしました。

藤原君も初日に来ていたようです。

というか外人の年配の婦人を英語で案内していた。

もしかしたら彼女がロイヤルシェイクスピアカンパニーのプロデューサーのセルマ・ホストさんだったのかも。

そうだとしたら、それも素敵だなあ。

日本のリア王が世界のリア王ということだし、そのセルマさんの案内役をきっと蜷川さんが藤原君にお願いしたのだろうし(僕の勝手な想像)、そして蜷川さんは藤原君にそれをお願いしながら、この劇場のど真ん中で藤原君に、リア王を見せたかったのだろうし・・・。藤原君が50年後に演じるであろうリア王のために。そして、そのリア王を蜷川さんはみることができない(見ることができたら蜷川さんは120歳を越える!)受け継いでくれ、蜷川さんはそう思ったのか・・・。いや、50年後にお前はこれを超えることが出来るかな?という未来への挑発。ああ、麗しき連環。

僕は良き芝居を観て感傷的になりすぎているのかもしれません。勝手な想像がとまりません。

落ち着け俺。

しかし、そういった芝居外のサブストリーがもっともらしく思えるほど、今回の蜷川さん平幹さんのリア王はすごい。みなきゃ損です。断言。

 

ところで

おっさん素敵祭といいましたが

もちろん女優陣、若手も頑張っています。

銀粉蝶さんのおかげで、リア王がここまで笑えるんだというのが分かります。シェークスピアってすげえなあ。

とよた真帆さん、美しい。40歳!?信じられん。

内山理名さん、清楚なコーディリア。ふさわしい。

池内博之さん、悪役を気持ちよく演じてくれている。そして殺陣がかっこよすぎ。

高橋洋さん、いつもおいしいところ持ってくなあ。がらりとした演じわけは、観客さえだまされる。

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2008/01/17

メル・ギブソン監督「アポカリプト」

アポカリプトってタイトル、アポカリプスと関係あるのかな?

コッポラ監督の「地獄の黙示録」の原題がApocalypse Nowじゃん。

しかも、森の中の原住民の話ってことで

今回のこのメル・ギブソンのアポカリプトとも関係ないわけじゃない。

なにか関係ありそうに思うのだけど

その真実誰か知りませんか?

 

それはさておき

メル・ギブソンは俳優としては「マッドマックス」から

監督としては「顔のない天使」から僕の好きな俳優・監督の1人。

「パッション」を見たときには

こりゃすげえ、と心さえ震えたさ。

 

ハリウッドなんて関係ねぇ、とやってるのも潔い。

でも、アポカリプトの製作を聞いたとき

・無名俳優の起用

・英語を使わずマヤ語を使用

とか

さすがに、チャレンジしすぎなんじゃないかと思ったけど

実際に興行成績もそんなに振るわなかったらしい。

 

だけど、映画としては申し分の無い出来です。

途中、これはパロディーか?と思うシーンもあったけど

・・・例えば木の上から血が垂れるところ・・・こういうのスパイもの・・・たとえばミッションインポッシブルとかでよくあるよね(笑)

父子の友情あり、夫婦愛あり、家族愛あり、憎たらしい悪役あり、敵には敵の事情もあり、徹底した美術は目を見張るものがあり、マッドマックスの第一作を髣髴とさせる心臓をえぐられるようなエピソードもあり・・・エンターテイメントのつぼを押さえまくった作品になっていました。

特に最後の走って逃げるところはもう一緒に走って逃げる醍醐味というか、やっぱおいかけっこは楽しい!

やっぱりメル・ギブソンからは目が離せません。

今は何を作ってるのかな?

 

アポカリプト@映画生活

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2008/01/14

新年会2008!!

昨日はアロッタファジャイナの新年会だった。

とある新宿の中華料理屋のワンフロアを貸切。

最初に会場に入ったとき、

広い・・・

ここが埋まるんだろうか?

(ゆったり50人ぐらい入る広さ)

十数人しか来なかったら恥ずかしいなあ・・・

司会・幹事は、藤澤よしはる。

いろいろ考えてくれていて、マイクも手配しているらしい・・

が、十数人だったらマイクも何もないでしょ・・・という。

が、蓋をあけると、満杯だった。

結局、二次会に合流した人も考えると50人以上いたのではないか。

 

一応、2007年に芝居や映画でご一緒した人ということで

役者と、あと金子監督などお世話になった人に集まっていただいた新年会だった。

 

昔、

「ベジタリアン・サマー」という芝居をやったときも、

打ち上げではなかったけど、

芝居の中日の終演後に、

那須監督や新津プロデューサーたちと、

この中華料理屋の同じフロアに来たことがある。

劇団旗揚げをした2004年。

あの時は10人ぐらいだった。

それがいつの間に膨れ上がって

50人を越える感じに。

なんか他人事のようにすげぇなあと思った。

 

金子監督が挨拶で言ってたけど、

非力な僕のことを

みんなが支えようとしてくれている。

それがいつの間にか、

こんな規模になったんだと思う。

感謝。

みんなに、皆さんに。

さて、そして2008年、

今年も皆々様方に頼りまっせ!

よろしくお願いいたします。

 

新年会の宴は、人数も大して減らずに2次会に、これまた別の中華料理屋に移って行われ、終電を過ぎても続き、居酒屋に移って3次会は朝まで行われた。

その後、明け方のマックで、ごくごく身内の数人でコーヒー。

うつらうつら眠る者にいたずらをしながら、

いわゆる朝のハイテンションで

腹がよじれるほど笑った。

 

僕的には、

今回の新年会は、

結構、これから携わるだろう作品の話などを突っ込んで出来たので、

まことに非常に有意義なものになった。

揺れていた僕の中の不安も消えた。

進む道が見えてきた。

意欲がわいてきた。

なんだかかなり素敵な夜だった。

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2008/01/10

大募集♪

アロッタファジャイナのHPなどでは募集が始まってますが

あらためて。

アロッタファジャイナ
新国立劇場作品・出演者募集

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アロッタファジャイナ<http://www.alotf.com>
では、2008年度公演(8月・新国立劇場、12月・新宿モリエール)
に向けて出演者ワークショップを開催いたします。
ワークショップは出演者オーディションを兼ねております。
ご興味のある方、ふるってご応募ください。
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■出演者募集公演
 ①第9回本公演 2008年8月20日~24日 新国立劇場 小劇場
 ②第10回本公演 2008年12月9日~14日 新宿シアターモリエール
 ③番外公演(期日未定)

■ワークショップ期日
 2008年2月1日(金)~2月2日(土)
 2008年2月8日(金)~2月10日(日)
 時間・18時~22時頃まで
 (全日程参加できない場合は一部日程の参加でも可)

■ワークショップ内容
 台本にもとづき、ある芝居のワンシーンを作ってもらいます

■開催場所
 東京都杉並区

■ワークショップ参加費
 テキスト、稽古場代として1000円

■稽古期間
 ①2008/7/1~8/19まで(予定)
 ②、③については未定

■応募資格
 心身共に健康な男女
 身元を明らかに出来るかた

■ワークショップ応募締め切り
 2008/1/25
 但し応募者多数の場合には書類選考のうえ、1/28までに
 ワークショップ参加の可否をお返事いたします

■応募方法
 劇団アドレスalotf%enmel.com(%を@マークに変えてください)まで
 メールタイトルを「ワークショップ参加希望」として
 以下の情報をお送りください。
 ①氏名(芸名、本名とも)
 ②性別
 ③生年月日
 ④身長・体重・スリーサイズ・靴のサイズ
 ⑤写真2枚(バストアップ1枚、全身1枚(最近3ヶ月以内に撮影した明瞭なもの)
 ⑥芸歴(詳細に)
 ⑦応募理由
 ⑧携帯番号(非通知で電話させていただく可能性がありますのでご了承ください)
 ⑨参加を希望する公演(8月公演、12月公演、それ以外※複数選択可)

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2008/01/09

人格形成に関わる願い事

おみくじを引いて一番気になる項目は

「願事(ねがいごと)」

というところ。

今年は

「あせらずさわがずゆっくり進むとかないましょう」

とあった。

素敵である。

しかし、願事って、皆はどういうふうにお願いします?

僕は小さい頃から決まってる願い方というか、願い事があります。

もう決まって、その願い事しか願いません。

あまりにも、これは徹底しているのできっと人格形成にも影響を与えてるんじゃないかな?

それは

「すべてがよくありますように」

というお願いの仕方。

なんだか抽象的ですかね。

つまり僕は具体的な願い事を願いません。

ただ、良い結果であるようにとだけ祈るのです。

なにが良い結果なのか僕にはわからないから。

それはきっと神のみぞ知る。

だから、よくないことが起こっても、それは世間的によくないだけで、自分にとっては良き試練なんだといつも思う。で、実際その試練から学ぶことがたくさんある。で、いつの間にか、世間的にはよくないことが、結果として「良い」ことになる。何が良いかは、ちっぽけな人間には知りうることが出来ない。結果プラスにつなげれば、一見、不幸な出来事も、大きな視点からは「すべてがよくある」ための前進になる。

そう考えると、結果として、成功や失敗は、表面的にはどうあれ、「すべてがよくあるための」一歩なのであり、何がよいことなのか判断できない僕は一つの歯車として、一生懸命、嘘無く、がむしゃらに頑張るだけ、ってことになる。

なにが良い結果を生むか分からない。だけど、僕は僕で精一杯頑張る。結果として起こったことは、すべて善なるものとして受容する。

きっと僕が能天気で、限りなく前向きな原因は、小さい頃から、「すべてがよくありますように」なんて祈ってたからなんじゃないかな。こう祈ると、何があっても、解釈しだいで良い結果になるから、願いが叶わなかったことはないからね。

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2008/01/08

はつもうで

正月も、もう8日も過ぎているのに初詣の話題でもないだろうが

先日、アロッタ面子と花園神社にお参りに行った。

イツモはプライベートで行くんだけど、芸能の神がまつられてるんで今年は皆で行ってみた。

本殿ももちろんそうなんだけど、正門入って右に行ったところにある芸能浅間神社がお目当て。

芸能浅間神社には芸能の神である木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)が祭られている。

おみくじをひいた。

小吉。

だが内容が非常に的確。

満足。

と思って、皆はどうだった?と見たら、安川結花と僕のおみくじが全く一緒だった。

しかも、「天のみこえ」は

「 さしのぼる朝日のごとくさはやかに

 もたまほしきは心なりけり 」

これは明治天皇の御製で、あの大倉山記念館の所内しるべにも引用されている。

大倉山記念館といえば「1999年の夏休み」。

だからなんだという話だが、「1999.9年の夏休み」という舞台を一緒に作った安川と僕が同じ御籤を引き、そこにそんな縁のある言葉が書いてあることに、なんとなく、年初めらしい運命を感じる。

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2008/01/05

直し屋

やばいよやばいよ。

さっそく締め切りの朝だよ。

年賀状も書いてないよ。

ごめん、みなさま!

年賀状くれた人々よ。

つか、「ブログ読んでます」って書くな!

緊張してブログ書けなくなるだろうが!!!

うそ、ありがとう。

こんな子供っぽいブログでごめん。

つか、君のブログも読んでるよ。

文才あるよね。

いつも感心してる。

僕も君と仕事したい。

でもいろいろスケジュール的なことで阻まれるわけですよ。

今年こそ、なんかできればな・・・。

などと和んでる間にも締め切り。

締め切り締め切り。

ああ、締め切り。

うおお、締め切り。

なんとコメディ映画だよ。

第4稿目まで監督自身が書いているんだけど

これがめっちゃ面白いわけ。

面白いんだけど、物語が破綻している。

それを僕が直している。

デスノートのときと同じだ・・・。

俺は直し屋か!

はい、直し屋です。

がんばろう。

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2008/01/04

フランシス・ローレンス監督「アイ・アム・レジェンド」

映画を見に行った。

「I Am Legend」

タイトルが馬鹿っぽくて期待はしていなかった。

もっぱらこういう映画を見に行くのは
いわゆる世界標準の技術がどういうものなのかを見に行く。
それが主たる目的なのである。

この映画、1954年発表の小説
Richard Burton Matheson,"I Am Legend"
が原作。

この馬鹿っぽいタイトルは原題なんだね。

これまでに2度映画化、今回で3度目の映画化なんだそうだ。

地球最後の男(1964年、アメリカ/イタリア)
   監督:シドニー・サルコウ/ウバルド・ラゴーナ

地球最後の男オメガマン(1971年、アメリカ)
   監督:ボリス・セイガル

両方ともDVDを購入。

要はウィルスが蔓延し地球人の98%が死に絶え、
生き残った人々もほとんどがウィルスに罹患し
吸血ゾンビ化してしまった世界で、
独り生き残っている男
ロバート・ネビルがどうやってサヴァイヴしていくか
というような話である。

吸血ゾンビ化した人々は、
日が暮れると動き出し、生きてる人を襲う。

予告編では
あんまりゾンビ映画ということを
前面に出していなかったが、
要はゾンビ映画である。
バイオハザードとかと同じ。
なにか新しいことがあるわけじゃない。

しかし、
ロメロ監督の
「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」
が1968年だから
それに先んじること4年。
なんとロメロ監督は、
この「地球最後の男」に影響を受けて
「ナイト・オブ・・・」を作成したらしい。
ということは、
あまたあるゾンビ映画をこの作品が真似をしたのではなく
そもそもゾンビ映画の元祖がこれ、この作品なのだ。

そして
ストーリー的になにが新しいわけでもないが、
結論から言うと非常に興味深い映画だった。

(1)映画におけるリアリティについて。

   <リアリティについて①>
   やはり本作品で特筆すべきなのは
   廃墟のNYである。
   トラやシカが住んでいることについて
   リアリティがあるのかどうかは知らないけど
   細部の描写が徹底的で
   なるほどなあ
   とうならせられるものがある。

   <リアリティについて②>
   一方、
   ゾンビたちはCGなわけだが
   これはデスノートのリュークなんかよりも
   大分優れたCGなのだ。
   しかし、それが逆にリアリティを失わせている。
   リュークはそもそも人間と形状が違うわけで行動も違う。
   だがゾンビたちは元人間なわけで、
   そう違いがあるわけではない。
   とすると、なんで人間でやらなかったの?という疑問がわく。
   特殊な動きがあるわけでもない。
   「ロード・オブ・ザ・リング」のゴラムと似た動きをする。
   あるいはゲームのバイオハザードのゾンビに似た動き・・・
   つまりCGなんだなということが観客に伝わってしまう。
   CGを見慣れた観客は
   「なかなかうまいCGじゃん」
   と観るのである。
   CGだって観られるのはダメジャン。
   意識が映画の外部に行っちゃってる。
   映画は観客を巻き込まないとダメなのだ。
   「なかなかうまいCGじゃん」
   そんなことを考えさせちゃだめなのだ。
   だから
   これは特殊造形でやるべきだったと思うのだ。
   どんなにCGがなめらかになっても
   人間の動きは人間にやらせるべきだろう。
   もちろん、もっと技術がアップすれば別だが。
   とりあえず、なめらかなCGをつかってしまったことが
   そこがたどり着けない部分を逆にあからさまにしてしまっている。

   <リアリティについて③>
   ウィルスが蔓延し・・・
   というのもよくある説明で
   「あー、はいはい」的な感じなのだが
   本作品にはちょっとだけリアリティをもたせる工夫があった。
   それはDNAがどうのという科学的な説明じゃない。
   映画冒頭にあるニュース映像である。
   癌を完全克服する特効薬を
   開発したという医者のインタビューである。
   エネルギー不変の法則ではないが
   マイナスにはマイナスの意味がある。
   だからマイナスを我武者羅に消そうとすると
   それとは異なるどこかでマイナスを消した影響・・・ヒズミが出る。
   というようなことをぼんやり人間は本能的に知っている。
   だから冒頭の癌の完全克服のニュースがあり
   つぎにウィルスによる人類絶滅の映像がくれば
   そこをつなぐ理屈がなくても
   観客は「なるほど・・・」
   と思うわけで、これは下手に理屈を映画の中でこねくり回すよりも
   ウィルスによる人類滅亡にリアリティを与えることに貢献している。
   残念なのは、結局、途中で
   癌克服の医療技術とウィルスによる人類滅亡の関連性が
   台詞として語られていることである。

   <リアリティについて④>
   演技的なリアリティと物語的なリアリティということについても考えた。
   ウィル・スミス演じる主人公がゾンビ・ウィルスに罹患した
   愛犬のサムを殺すシーンがある。
   これは誠に悲しく残酷なシーンなのであるが、
   非常な違和感を覚えた。
   まず、ウィル・スミスの演技は素晴らしい。
   犬を殺すシーンは動物愛護のためか
   ウィル・スミスの表情しか映さない。
   映さないが、彼が何を思い何をしたのか
   映ってはいない部分がすべて分かるほどの名演技を見せている。
   心打たれないわけにはいかない。
   だが一方、果たして犬を殺す必要があったのか?という疑問が残る。
   つまりそのシーンの演技的なリアリティはあるのだが
   ストーリーの運びにリアリティがないのだ。
   研究室にはゾンビを捕獲して生かしている。
   そんなわけだから、愛犬サムにしても、たとえゾンビ化しても
   生かしておくほうがリアリティがあると思える。
   人間ならば、「俺がもしゾンビ化したら迷わず殺してくれ」とか
   事前に言わせて殺すことも出来たが犬である。
   僕なら殺さない。
   無理と分かってても鎖につないでいつか特効薬ができるのを待つ。
   ウィル・スミスに殺す理由が足りないのだ。
   だから、違和感を残してしまう。
   これは脚本上の、あるいは演出上のミスだと思う。
   演技的なリアリティは、
   物語的なリアリティを得て初めて完全なリアルになる。
   これはラストの、ウィル・スミスの自爆にも言える。
   手榴弾を使うのはいいとして、
   あそこでウィルも一緒に死ぬ必要があったのか?
   あったかもしれないが、あったと確信させるにはあまりに情報が少ない。

(2)いまそこにある危機について。

   原作では、舞台はロサンゼルスである。
   本作では、舞台はNYになっている。
   そこには意味がある。

   映画化第一作は、1964年に公開されている。
   ベトナム戦争の真っ只中である。
   つまり、冷戦ということばがあり
   共産主義の脅威がリアルに感ぜられていた時代である。

   ロメロは
   「ゾンビ=共産主義への恐怖」
   と明言したらしい。

   だが、現在、共産主義はゾンビ足り得ない。

   ゾンビはもっと抽象化された得体の知れない誰か
   ・・・テロリストなのである。
   だから舞台はNYでなければならない。

   ちなみに映画化第二作は、
   どうやら、その敵を黒人にしているらしい。
   マルコムXが殺されたのが1965年
   キング牧師が殺されたのが1968年
   ゾンビが公民権を求める黒人たちで
   保守派白人主義のチャールトン・ヘストンが陽気に
   黒人ゾンビたちを撃ちまくる・・・。

   このようにこの映画は
   その時々の
   「今そこにある危機」
   を取り入れることで
   同時代的なリアリティを得ることに成功している。

   では、この映画化第三作はどうか。

   NY、その廃墟、
   当然、911のテロを髣髴とさせずに入られない。
   この映画の主人公が、血清をついに開発するのは
   9月9日である。
   911の2日前だ。
   この「2日前」ということに
   何の意味があるかは分からない。
   わからないが、観るものに、
   とくにアメリカ国民には、
   あの同時多発テロを想起させるシグナルが満載だ。

   すべからく表現は政治的な意味を持たざるを得ない。

   これは僕の見解だ。

   しかし、この映画はあまりにも暗示的過ぎて
   というかそこまで徹底して考えてないのか
   この映画から、テロリズムに対して
   なにか深い洞察を引き出すことは出来ない。
   ここまでテロリズムを重ねるなら
   そこにより深い意味を付け足せたような気がする。
   そのときに、主人公のラストはああなっていないんじゃないか
   という気がしてならない。

(3)ground zeroという言葉

   ウィルス発祥の地という意味で
   「ground zero」という
   用語が多発する。

   ground zeroといえば
   あのworld trade centerのあった「あの地」を思い出す。

   だから、NY、ground zero・・・テロリズム
   もしかしてあの911がウィルス発祥の原因?
   などと考えてみたがそうではなく
   単に、あの同時多発テロになぞらえた記号を
   多数配置した・・・ということ以上のことはないようだ。
   そういう意味で言えば、
   「スパイダーマン3」のほうがよっぽど
   政治的なメッセージが含まれている。
   この「アイアムレジェンド」は思わせぶりなだけだ。

   しかし、気になったのは
   ground zero
   というtermが必ずしも
   world trade center
   を指すのではないかもしれないということ。

   家に帰ってwikipedhiaをみてみた。
   http://en.wikipedia.org/wiki/Ground_zero

   広島/長崎がいっちゃん最初なんだね。
   でも、NY、ground zeroといえば
   world trade center
   を想起するというのは間違いではなさそうだ。
   ひとつ勉強になった。

(4)ウィル・スミス・・・。

   ちなみにこの映画は
   主人公のウィル・スミスは
   ウィルスに免疫を持っている男なわけだが
   名前も偶然にも
   ウィルス・ミス
   (ウィルスが捕まえ損ねる男)
   というようにも読める。
   このことは誰も言ってないけど
   名前からしてレジェンドな主演ということなんじゃないのだろうか(笑)。

   

アイ・アム・レジェンド@映画生活

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2008/01/01

愛すべき愚行2008

年明けそうそうに
映画「トランスフォーマー」をみた。
これは大画面で見たかった。
しかし138分のメイキングは魅力で
どっちにしろ買ってよかった。

しかし、いつものことだが、映画を見ていると泣けてくる。
ストーリーがどうのということじゃない。

なんて素敵なんだろう。
こんな子供じみたことに僕ら人間は一生懸命なのだ。
いや、映画だけじゃない、演劇も政治も経済も日々生きることも。
巨大な宇宙から見れば僕ら人間のどんな高尚な行動も愚行でしかない。
全部ぜんぶ愚行だ。
人間のやることなんてすべて愚行だ。

でも、その愚行を
一生懸命
なめることなく
命を注いで
がむしゃらにやっている人間を僕は愛す。

そして僕もがむしゃらに参加したいと思うのだ。
決して理性的になることなく。
決して馬鹿にすることなく。
決して達観することなく。
決して悟ることなく。
決して客観視することなく。

僕は参加したい。
人類の愛すべき愚行たちに。
がむしゃらに。
わき目もふらず。
我を忘れて。

僕は参加したい。
人類の愛すべき愚行たちに。

今年も
どうでもいい細かなことにムキになる僕でいたい。

そういうわけですので
皆様、今年も松枝は大人になりませんので
ひきつづきフォローと援護射撃をよろしくお願いいたします(汗)

m(_ _)m 松枝佳紀2008

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