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2007/06/01

蜷川幸雄演出「藪原検校」

これまたネットで評判思わしくない。
しかし、その実、この芝居はかなり面白い。

最近、そんなことが多すぎる。
ネット上の評判が良くない芝居が面白かったりする。
あるいは「911」の映画としてみるべき映画が
ネット上ではたんなるアクション映画として扱われたりする。
どうしちゃったんだろうね、ネットは。
みんなメクラになっちゃったんじゃないの!?

ということで「メクラ」
今回見に行った「薮原検校」はその「メクラ」の話なのです。

簡単に言うと、
「メアキ」以上に賢く
世の中のことが見えている「メクラ」が、
「メクラ」というハンデを乗り越えて、
「メアキ」以上の力を得ようとするのだが、
あまりに目が見えすぎることがアダとなり、
死刑になってしまう
というようなお話です。

しかし、それは簡単に言いすぎ。
物語はさまざまなサブストーリーが縄をなうように絡み合って出来上がる。
この「藪原検校」は「メクラ」同士の「友情の話」でもあるし、いろんな悲劇を乗り越えてもあっけらかんと生きる…生きるしかない「大衆の話」でもあるし、さらに役者の細やかな演技、嘘のない本物の演技を堪能する芝居でもあり、あるいは音楽や歌やしゃべり芸(とくに古田新太さんの早物語)を堪能することもできて、本当に猥褻で猥雑で雑多な、いろんなポイントで楽しむことのできる、実に「お祭り」のような芝居なのである。

井上ひさしさんの戯曲で
なんと初演は昭和48年、1973年だそうだ。
地人会の木村光一さんの演出でその後なんども再演されている。

最近では2005年10月に再演されていて
こいつの評判がかなりいい。
で、今回の蜷川バージョンを見た人の多くが
2005年木村光一バージョンのほうが面白かった
とほめていたので、うーんと思いながら見に行った。

僕は前から二列目のど真ん中で観劇をしました。
前の記事の
ナイロン100℃「犬は鎖につなぐべからず」
じゃないですが、
僕が「藪原検校」を見た席が
舞台の中に入ってしまっているような席で
この場所で見たということが、
今回
蜷川版「藪原検校」を
僕が高評価することにもつながっているかもしれません。
というのは、
役者の表情息遣い芝居が繊細で、
これが前の席だったこともあって
かなり楽に、なんの鑑賞的な苦労もせずに
ダイレクトに受け取ることができたからです。
とは言うものの、
それは確実に表現されているので
たとえ遠くの席でも、
真剣に舞台を見ていれば受け取ることができるはずです。
受け取りやすさが違うだけです。
あきらめればなにも受け取れません。

ちなみに
この芝居、僕にとって、胸にぐっと来るポイントは「友情」でした。

古田新太さん演じるところの「杉の市」と段田安則さん演じるところの「塙保己市(はなわ-ほきいち)」との友情・・・それは性格年齢素性は違えども、「メアキ」に対抗し、がんばっちゃってる「メクラ」としてのツラサが互いに判るから結ばれる友情なのだが、そしてその友情ゆえに最後の行動に出る段田ホキイチ、この微妙で繊細で複雑な「友情」を息を潜めて、漏らさず見て聞いてみてください。遠くの席であってもあきらめずに凝視してください。本物がそこにあります。見る者、見ようとする者にしか見えません。どんなに木村光一バージョンがすごくとも、古田新太、段田安則の演じる「メクラ」の友情は、この蜷川バージョンでしか拝めない。

芝居が終わって、台本が読みたくなり古本屋で
新潮現代文学79「井上ひさし 新釈遠野物語 藪原検校」
を買いました。

すごいのは
「ここは脚本じゃなくて演出だろう」
と思ったほとんどのことが台本に指定して書いてあるんですね。
いままでも知っていたけど、
蜷川演出は一般に言われている以上に
台本をリスペクトして、
台本を書いた者の意志を
尊重して行われた演出だということがわかります。

じゃ、なにが蜷川さんのオリジナルかというと、もちろんキャスティング、それにともなう演技指導、全体の見せ方、それと音楽。台本には詩は書いてあるけど、音符は無い。だから、今回宇崎竜童さんへの作曲の依頼、作るべき音楽の内容の指示、ここには強く蜷川色が現れているのだと思います。

はじまって二曲目とエンディングに流れる「薮原検校のテーマ」は聞けばすぐわかるんですが、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を髣髴とさせるメロディです。実際、宇崎さんはボブ・ディランの歌をイメージして作られたようですが、ここに、とても蜷川っぽさを感じます。なにがって、つまり「学生運動」なんですよね。とくにエンディング。台本にはこう書いてある。「大勢の声が『藪原検校のテーマ』を歌っている。わくわくと陽気に弾んだ歌い方だ。」ネタバレになってしまうけど、このシーン、主人公の杉の市が三段斬りで公開処刑されるときの歌なんですが、ぼくはボブ・ディラン風の歌が明るく歌われるこのシーンを見たときに、大学に立てこもり明るいキャンプファイヤーの元で楽しく歌いながら、仲間を処刑する学生たちの姿が、杉の市の死刑を見ながら歌う民衆の姿に重なって見えました。僕自身は学生運動を経験したことは無いけど、蜷川さん、井上ひさしさんはその世代。台本には「学生運動のあの光景のように」とは書いていないけど、蜷川さんは思ったのだと思う、井上ひさしさんが思い描いていたもの、その原風景が。ああ、あれだなと。井上ひさしが描こうとしたのは、あの僕らの見た記憶なのだなと。そしてそれを見事に蜷川は表現した。僕はあのシーンをみたときに、それがわかったのです。この芝居は、蜷川さんの返歌なのだと。同世代人、井上ひさしの台本に対する熱い返歌なのだと。塙保己市の杉の市への友情、それに酷似した蜷川さんの井上さんに対する同世代人としての友情。それが美しく結晶した瞬間こそがこの明るく残酷なラストシーンなのだなと。9000円も払うのだから、見に行った人はあそこに含まれてるすべてを受け取ってきてください。その義務が見る人にあると思うのです。

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コメント

薮原検校、私も見ました。非常に繊細に作られた大胆な舞台でしたね・・。

薮原検校の台本は昔、文庫で読みました。今は文庫も絶版になってしまいましたけれど・・・。そのころはまだ演劇のなんて全然知らないころで、私にとって井上ひさしというのは小説家でした。薮原検校を読んだとき、正直いうと意味が良くわかりませんでした。

でも、舞台をを見ると、文庫に書いてあることが全部浮き上がるように目の前にある・・。さらに私が見たのは1Fのサイドの席でしたが、電光掲示板にある歌詞が見やすくて、それゆえ舞台上の歌をしっかりと感じることができました。

早物語も見ごたえがありましたが
段田・古田のシーンは圧巻でしたね。また柳沢吉保に進言をする段田の演技も凛とした力があったし、そのきっかけとなる古田が田中裕子を殺める部分にも迫力がありました。

それと、シーンが積み重なっていくにしたがってしっかりと舞台には厚みが増すのに、重さやもたれがないのも不思議な感覚でした。ある種の統一感が舞台上にあってぶれがない。だから舞台上の登場人物の感情がノイズを持たずに伝わってくる。それは役者の力によるところも大きいのでしょうが、トーンをぶれさせないところが蜷川演出のすごいところなのでしょうね。地人会の薮原検校は見ていないので違いはわからないのですが、少なくとも舞台を見ていて完全に取り込まれてしまっていたことに間違いはありません。

ほんと、あとからゆっくりとため息がでるような力のあるお芝居でした。芝居貧乏になってもあの9000円は安かったと思います。

投稿: りいちろ | 2007/06/03 00:16

りいちろうさん、どうも。
ほんとですね。
9000円でも安かった。
や、安くはなかったけど、
でも安かった(笑)
そう思えるほど内容が深く
満足感も深い舞台でしたね。
地人会の奴もみたいなあ。
僕も将来「藪原検校」やりたいです。

投稿: まつがえ | 2007/06/03 03:07

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