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2007/06/03

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督「バベル」

古いことで忘れてしまったのだが、「バベル」の撮影が東京であったときに、エキストラを集める仕事を誰かから引き受けた。誰からだったのかもちょっとわすれたが、2005年11月9日にmixi内で募集をかけている。僕自身も出演したいとの思いだったがいけずに残念だった。映画を見たら集めたエキストラの一人がドアップで映っておりうらやましい、ってどんだけオレ素人なんだよ(笑)そうですとも、だって僕の自慢はロスト・イン・トランスレーションにもエキストラ出演している、ってこと。でも映画館で見てもほとんどわからなかった自分。後頭部のみ出演(T T)

で、「バベル」の話である。
「アモーレス・ペロス」、「21g」と追いかけてきたアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督。
僕自身の作品史においても「21g」は、時間軸を破壊的にゴチャマゼにするというザッピング・モンタージュを考える契機になっている。このあと、ポール・ハギス監督の「クラッシュ」などの影響を経て、僕は舞台でサッピング・モンタージュを実験的に多用し「錆びた少女」「偽伝、樋口一葉」とワケワカラナイとの賛辞(惨事)をうける作品を発表した。ザッピング・モンタージュは卒業するはずだったのだが、4月の「1999.9年の夏休み」でもその影響が出てしまった。ただし、ワケ判らなさは減少し、評判はかなり良かったので安心した。映像のシナリオではまだ試したことがないので、いつか試してみたい。現在、関わっている映画のプロット段階で、かなり高度なザッピング・モンタージュをやったら、思いっきり不評だった。僕自身は良くかけてるなあと自画自賛なのだが、やはり判り難さは映画の間口を狭くする。実験的な小作品でしかザッピング・モンタージュは行えないのだろう。日本では。

あれ、↑これって「バベル」の話じゃないよね、自分の話ばっかり・・・・ということなので自分の話は置いておいて「バベル」の話である。

まず、那須博之監督が亡くなる寸前の記事でも言ってるように、ザッピング・モンタージュの手法を使用すると、観客が受け取るのは、個別のストーリーと言うよりも、より抽象化されたテーマ・・・たとえば、「アレックス」では「時間というものの切なさ」であったり、「21g」では「それでも人生は続いていくという現実」であったり、「クラッシュ」では「差別は誰の心にもありどこにでもあり、そして無くなる可能性は無いんだけれども、でも希望がないわけじゃない」というようなことであったり、そういう抽象的なテーマである。

で、「バベル」では、このザッピング・モンタージュの新たな展開を見て取ることができる。つまり、時間順(垂直軸)をゴチャマゼにするのではなく、地理的な関係(水平軸)をゴチャマゼにするという方向への展開である。

ある意味、これは新規な手法ではない。
地理的に離れているところにいる犯人と、犯人を追いかける側を交互に描くとか、ふつうにある手法である。

しかし、時間順ザッピング・モンタージュを経て、地理的ザッピングにたどり着いた「バベル」を見るときに、その使い古された手法は一回転して別次元にジャンプをし、あらたな効果を生む。

同時多発的に、しかも連関がありそうでなさそうな緩い関係の地域、いや確実に関係があるのだけど、それは「決定的」と呼ぶには足りない本当に偶然に支えられた危うい関係でつながる世界に散らばるいくつかの地域を並べるときに、僕らは驚くべきものを直視することになる。それはこれまでの映画では見たことの無いもの・・・・「地球」だ。いやもっと言うと、「今現在のいつわりなき地球」というものを、僕らは「バベル」を見ることによって、比喩ではなく、それそのものとして直視することになる。

人々は利己的でしかし互いを思いあいもし、過ちを犯し、それを一生懸命立ち直そうとし、それでも無理だったり何とかなったり、相手を思うことが必ずしも良い結果を生むとは限らず、かといってそのままで言い訳でもなく、言葉は通じながらも心は通じず・・・ってわけでもなく、しかし、みんながみんなの安寧と平安と幸せを願ってないわけでもないのに、しかし何故か生きてるだけでも悲しくて、希望が無いわけでもなくでもはっきり未来が見えるわけではなく、メキシコ国境を越えて戻ってきた叔母さんと子供たちのように、見渡す限りの砂漠で立ちすくむ。道は無いようにもみえ、また道はあらゆる方向に伸びているようにもみえ、ジリジリと照りつける太陽の下、ここからどこに行っていいのかわからずに途方にくれている。

僕は映画を見ながらつぶやいた。「僕らだ」、これは僕らだ、って。

そう「バベル」はなにを描いている映画ですか?と問われたら、即座に「僕ら」を描いている映画です、と言えば間違いないと思う。あそこに描かれているのは「今現在のいつわりなき地球」。

いま、宇宙人がやってきて、「YOYO、最近さ、お前らの星どうYO?」と聞かれたときに、「これ見といてーな」と「バベル」のDVDを渡せばOK。そんな映画ですYO「バベル」は。すごいよね人間の映画史はそこまで来たんだ。

「いま現在のいつわりなき地球」を真正面から描いている映画
そういう観点から「バベル」を見てみたらちょっと面白いんじゃないかと思うYO。
わざとらしかったり嘘っぽかったりするシーンだって、それを成立させるための手段なんだよね。僕はいいと思う。

バベル@映画生活

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コメント

なるなるなーる。
深い評論ですね。
地球人
バベっているよ
イニャリトゥ

投稿: ゴンザレス | 2007/06/03 17:12

これはどうもゴンザレスさん・・って(^-^;
どこのゴンザレスさんですか(笑)

「深い評論」ですかね・・・ていうか深いんですよ(笑)。でもこんなつたない文章でよく伝わりましたね!受け取っていただきありがとうございましたー♪

投稿: まつがえ | 2007/06/04 02:11

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