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2007/05/16

サム・ライミ監督「スパイダーマン3」

「ダサくてベタだけど、美しく純粋で感動的な名画」

でした。

ただし、ある補助線に気がつかないと

「映像はすごいけど物語がいまいち・・・」

という感想になってしまうでしょう。

しかし、その感想は断固として間違いです(笑)

これはアメリカ映画史に残る名画だと言っていいと思います。

以下、ネタバレとなるので、ネタバレ平気な人だけ読んでください。

パート1、2と見てきて、サム・ライミ監督「スパイダーマン」シリーズに対する僕の印象は

「映像、映像技術はすごいけど、ストーリーは幼稚だなあ、さすがアメコミ原作だけあって」

というものでした。

だから、このパート3に関しても、現代最先端の映像技術博覧会に出向くようなキモチで、あるいはディズニーランドの新しいアトラクションを体験するようなキモチで、ストーリーとかには期待をせずに行きました。

実際、見ていて、しばらくはその先入観はただしかったなと思うような映画でした。恐怖も笑いもベタでゆるいが特殊映像の技術はあいかわらず凄いなあという。

しかし、途中で「あること」に気付いて、俄然、この映画の意味が変わってきました。最後、トビー・マグワイヤ扮するスパイダーマンが宿敵サンドマンに「I forgive you」と言う時には、背筋にぞぞっと電流が走り胸がつぶれるほどの感動、そして涙が止まりませんでした。

「あること」

なんて、もったいぶって言うことでもありません。

この映画は、「911をめぐる対立と許しの映画」だということです。

スパイダーマンが「アメリカ」を象徴する存在であることは、パート1から露骨に示されていて、それは端的にアメリカの旗の前にスパイダーマンが立つシーンで、子供にもわかるように描かれているわけで、そして、その制服の色合い(赤と青の比率)がもろアメリカの旗であり、アメリカ嫌いの日本人としては、「はいはい、アメリカさんはヒーローなのね」という気持ちにさせられるわけですが、本作パート3でも、ばばんとアメリカ国旗の前にスパイダーマンが立つシーンがあり、そのナリフリかまわぬ表現に、日本人は、合コンでギャグのすべりまくっている友人(=アメリカ)に差し向けるような優しい苦笑をもらさずにはいられないわけです。

それに加え、破壊されるビルのシーン。
ニューヨークという舞台もあり、911を暗示するやり方も露骨です。
ここで「暗示」という奥ゆかしいワーディングをすることさえ、はばかられるほど、露骨に911を暗示しているシーンが多い。

そういう「子供っぽい象徴の撒き散らし」は、パート1からあるわけですが、それがある具体的な思考や思想に高まらずに、撒き散らしっぱなしだなあ、というのがこれまでの「スパイダーマン」シリーズにたいする僕の感想で、たとえ、そんなアメリカや911という象徴をばら撒いても、「で、なんなの?結局、ゴブリンとかの敵意の描き方って幼稚だよね」という気がしていたわけです。大本のストーリーの幼稚さをカバーするために、アメリカや911をばら撒いている・・・でもカバーできていないぞ・・・そうとしか思っていませんでした。

今回も、そう思いながら見ていました。

で、今回は大きな敵が2つでてくるのですが、それが「砂男のサンドマン」と「ブラック・スパイダーマンのヴェノム」です。

これについても、時折、批判を言う人がいます。つまり、物語を詰め込みすぎ、とか。敵の焦点が絞れていない、とか。敵はどっちか一人でよかったんじゃないの?とくに砂男はいらなかったんじゃないの?とかいうような意見ですね。

僕自身は、先の読めないような複雑な話が好きなので、敵が二人いるということは、僕の情報処理スピードにはぴったりで、今回の話を退屈にしない大きな原因となっていて、それ自体はいいんじゃないの。と思っていました。

が、なんで砂男なんだろう?というのは映画を見ながらずうっと考えていました。そして気付いたのです。

(サンドマン・・・砂男・・・砂、すな・・・・・・さばく、砂漠?・・・砂漠といえば・・・あ、アラブ!そうだ、アラブだ!サンドマンはアラブの象徴なんだ!!)

そして、もう一人の敵、ヴェノムの実態は、宇宙から落ちてきた隕石にくっついていた黒い粘着性の液体生物なのですが…この黒い粘着性の液体生物がスパイダーマンに張り付いて、スパイダーマンと同等の能力と姿を持った怪物ブラックスパイダーマン、ヴェノムになるのですが……黒い粘着性の液体といえば…石油!つまり、「アメリカ」の象徴であるスパイダーマンがべったりかぶって、より強力になり、暴力的になり、そしてまたその暴力と権力を振るうことによってスパイダーマンは今までに無い快楽を得る・・・それは資本主義的なパワーとしての「石油」、その象徴こそが、あのヴェノムの元となる黒い粘着性の液体なんだ!!と気付いたのです。

そうすると、俄然、目の前で起こるベタな物語は、その様相を変えて行きます。

サンドマンは実はパート1でスパイダーマンであるピーター青年の一番大事にしている人、育ての親である伯父のベンを殺した犯人であることもわかるのですが、これはサンドマン=アラブが「911」によってアメリカ=スパイダーマンの大事な人々を殺したということの「言い換え」なのです。

つまり物語は、「911」(伯父殺し)を経て「アラブ」(サンドマン)に憎しみをたぎらせる「アメリカ」(スパイダーマン)が、「アラブ」の理由(サンドマンの家族のことや、伯父殺しの経緯)を知り、また「石油」(ブラックスパイダーマン)に酔って、自分が誰かにとって憎むべきものになっていたこと、「愛」(恋人)と「友情」(親友)をないがしろにしていたことを反省し、そのうえで、「アラブ」との関係をどうして行くか?そこに答えを出していく物語と読み替えることができるのです。

「ベタ」でしょ?

でもその「ベタ」なところがいいのです。

そして、対決の最後、登り来る朝日の前で、崩れ去るワールドトレードセンターに似た廃墟のなかで、スパイダーマンはサンドマンに言うのです。

「 I Forgive You 」

「俺はお前を赦す(ゆるす)」その言葉の前に、破壊の王であったサンドマンは泣き、美しい朝日の向こうに解けて消えていく。スパイダーマンもサンドマンも相手の罪と自分の罪を赦しそして未来へ歩いていく。

こんな感動的な、時代とリンクした、そして実際にはありえないだろう赦し、それは互いに傷つけあったものを赦そうよという「アラブ」と「アメリカ」の歴史を知ればありえないことを祈る、子供っぽい「ベタ」。美しく純粋な祈りを僕は見たことは無いです。

「スパイダーマン3」が単なる「映画」ではなく「名画」だというのはそういうことなのです。

グリフィスの人間同士の不寛容「intolerance」への深い悲しみからはじまったアメリカ映画史が、このサム・ライミ監督の「スパイダーマン3」のファンタジックな「赦し」をもって終焉する。アメリカ映画史は以上終わり、もうこっから先には映画はありません!なんて言ってもいいんじゃないかというほどの感動的ラストでした(少なくとも僕にとっては)。

この映画を見て感動したアメリカの子供たち、世界の子供たちがどんな大人になってゆくのか、とても楽しみな映画です。この映画をつまんない、あるいは物語がいまいち、三時間が長いと思った人は、もう一度、そういう観点から、この映画を見てみてください。沢山のことを見落としていることに気付くんじゃないでしょうか。

スパイダーマン3@映画生活

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