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2007/01/03

2006年舞台総括・・・(その2)

ザッピング」的「モンタージュ」を舞台に取り入れる。
これはポール・ハギス監督の映画「クラッシュ」を見たことが大きい。
それから、那須さんが亡くなる前日にたまたまみていたアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の「21g」とか。
この時間軸をめっちゃくちゃにする方法を演劇に取り入れたらどうなるだろうか。
そう考えてチャレンジしたのが「錆びた少女」そして「偽伝、樋口一葉」である。

時間軸を縦横無尽に飛ぶ手法は従来から演劇では良く使われ、たとえば僕が見て育った「夢の遊眠社」なんかの芝居では、だいたい、時間軸も舞台も異なるつながらない三つの物語の柱が順番に現れて、だんだんそれが終盤に向けて絡んでいくと言う、僕命名「三つ編み」モンタージュの手法が採られている。物語は関係ない三つの物語を行き来するが、それを演じる役者の肉体はひとつであることから生まれてくる不思議な認識の錯誤…これが第四の物語、しかもより一層深くなっているところで結ばれる物語(アウフヘーベンされた物語)を、観客が見出す仕掛けになっている。

この「三つ編み」モンタージュのおかげで、若き日の野田さんの芝居は、「わけくちゃわからん」と言われることになるのだが、しかし、僕のような「夢の遊眠社」の快感を覚えている人間にとって、「わけくちゃわからん」ことが一本の感動につながっていくことの面白さというか快感を皆に味わってもらいたいというか、なぜに他の人はやらないのだろうというような思いもあって、たしかに、NODAMAPは「夢の遊眠社」のような方法はもうとらないけれども、しかしあの時、時代が熱狂したように「夢の遊眠社」の方法はまだやれるんだよ、ということをちょっとやってみたかったというのもある。

しかし、思えば、あの「夢の遊眠社」の手法も「三つ編み」モンタージュである。三つの話が綺麗に順番に、1,2,3,1,2,3…とワルツ宜しく繰り返される。これ順番に刻まれるから良いのであって、これが不規則だと見ているものは本当に不安になるだろうし、わからねえということになるだろう。しかし、僕はそれをやることにした。はじめは「三つ編み」モンタージュをやろうという気もあったのだが、そんなのは20年前の野田さんがやっている。僕にとって、それは少しもチャレンジじゃない。

そこで現れるのがポール・ハギスである。
まるでテレビチャンネルを気ままに行き来するザッピングのようにして、物語がモンタージュされる手法……僕命名「ザッピング」モンタージュ
「三つ編み」モンタージュでさえ「わけくちゃわからん」と言われたのに、ここにきて、一本道のストレートな物語手法ばかりが流行っている日本演劇界で、「ゆとり教育」のおかげで知性にまでスカスカの「ゆとり」ができてしまった日本人の脳に、「三つ編み」モンタージュよりもさらにハードルの高い「ザッピング」モンタージュを押し付ける。
これを芝居でやってしまおう…これが僕の2006年の芝居で試みた、もうひとつのチャレンジである。

結果は賛否両論。
まあ、分かりにくいとか難しいと言われることが多かった。
多かったけれども、話がすうっと通ったときの快感を味わってくれた人も少なからずいたようであった。
もちろん、訳分からないと思って、もう物語の「も」の字も頭に入らず、あとの1時間を苦痛にしか思わなかった人もいたようで、ここは反省点。入り口をもうすこし食べやすいようにすること、それが今年の僕の課題である。

ちなみに、これを面白いと言ってくれた人には色々居るけれども、たとえば、「夢の遊眠社」のころから野田サンの右腕をずっとしている高都さんは、「最近みないタイプのチャレンジングでエキサイティングな芝居、非常に面白かった」と、やっぱり気に入ってくれた。「ラブレター 蒼恋歌」などでご一緒した丹野雅仁監督は、「舞台で背景も衣装もかわらへんから難しく感じるけど、映画にしたら分かりやすくなるし、これ映画に出来るで、映画にしいや」というように、脳内で場面を映画に変換してみて楽しんでくれた。日銀時代から交流のある学者連中も、パズルを解くような複雑な部分を面白いと言ってくれた。ただ、ポツドールの安藤玉恵さんみたいに、面白いか面白くないかは言わず遠慮がちに「これを書いた人は頭いい人なんだなって思った」と言う人も少なくなかった。もちろん「ぼくって頭いいんだぞ」そんなことをわかってもらうために芝居を書いているわけじゃない。おもしろかった。そう言われないと意味のない話。

この「ザッピング」モンタージュの手法は、引き続き「偽伝、樋口一葉」でもつかったが、やはり分かりにくさは否めない。もう少し分かり易くする必要を感じている。

とは言うものの、ポール・ハギス脚本の「父親たちの星条旗」をみたら、訳分からなさははるかに「錆びた少女」「偽伝、樋口一葉」を上回っており、やはり映像だからそれは許されるのか、それとも日本以外の世界はその訳分からなさを理解するほど頭がいいのか、そこは考えどころである。芝居で引き続きザッピング・モンタージュを試してみたいが、なにか改良を思いつかない限り、このままでの使用はないかなとも思っている。

( つづく )

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コメント

ミステリ好きの猫としては、、ばらばらに散らされた、いろんな断片がすっと一つにまとまる感じが快感なので、好きな手法なんですが...。

どれだけうまく、綺麗に片付けるか(「積み残し」みたいなものがあると、快感があんまりかんじられなかったり)ってとこが問題なのでしょうか?
それとも、俳優の個性、役名の個性...そんなものをすべて「初見」で処理していかなくてはいかないし、見返すことができないという舞台特有の問題でわかりにくくなっているのでしょうか?(きっとDVDでみたら、「あ、そういうことか。」ということに大半の人がなるような気がしますが...)
一定の処理スピードを観客すべてに強いるわけですから、どのくらいの負荷まで許容されるのかということを考えて情報量を制限する必要があるのかな??

投稿: 猫ぴ@もか組 | 2007/01/03 08:47

ポール・ハギスが非常にわかりづらいとは思わないのですが、やはり丹野監督のいうコトが近い気がします。 舞台のことはわからないのですが、脳がその状況を理解しようと作用してくるのに何かしらきっかけがあると(分かりやすすぎるとつまらなくも思いますが)・・  もちろん、そこが難しいだと思いますが。   『錆びた少女』は非常に興味深かったです。

投稿: 特メバンチョー☆カクセイ | 2007/01/04 15:02

お返事遅くなりました!!

>猫さん♪

 猫さんは大学の人だから
 たぶん面白がってくれたんじゃないかな。
 見る人によって許容範囲が違うから
 提出する側は結構難しいんですよね。

>特メバンチョー☆カクセイさん!!

 初の書き込みですね。
 ありがとうございます!
 そうですね。
 映像にするとかなり
 ザッピングモンタージュの問題は解決する・・・
 と思うんですよね。
 でも舞台でも何か出来そうな気が。
 ケラさんのお芝居はかなりそれを志向している気が。
 

投稿: まつがえ | 2007/01/14 02:54

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