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2006/10/15

長塚圭史「アジアの女」

ぼくが
偽伝、樋口一葉」という自分の舞台を控えているからだと思うが
僕は長塚圭史「アジアの女」
樋口一葉の人生の「読み替え/組み換え」としてみた。

樋口一葉という近代日本文学史の始まりに君臨する花は
決して古びることの無い名作を山のように残しているのだが
もっとも興味深い著作は
誰に見せるつもりも無かったであろう彼女自身の「日記」である。

この樋口一葉自身の「日記」に注目して戯曲化したもの
これが現在上演中の永井愛さんの「書く女」であった。

あまり踏み込むと「アジアの女」のネタバレになるだけでなく
僕自身の「偽伝、樋口一葉」のネタバレになるかもしれないので
端的に何がどう「樋口一葉」であったのかを記録的に羅列する。

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■小説の書けない作家■アジア民族の対立
■地震(日記には地震の記述が多く見られる)
■貧困(飢え)■生活のために身体を売る女
■世間に反対されながらも愛を選ぶ
■先生■アジアの子供たち
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何がどう直接に対応しているわけではないが
樋口一葉のキーワードを並べ替えたものが
長塚圭史「アジアの女」なのかもしれないと
それはたまたまなんだろうが
ぼんやりと観ながら、そう考え、そして興奮した。

長塚圭史さんの作品は
「桜飛沫」「ウィー・トーマス」につづき
僕の中でズドンと中心を占めてしまった。
悪魔の唄」が最悪の最初だったので、
あれをみて以降長塚作品を見に行くのを止めていたら
出会うことも無かった作品たちである。

ちなみに、
長塚圭史「アジアの女」には見る側が紐解くべき
いくつかの批評的課題がある。
(1)地下に閉じ込められた父親が象徴するもの
(2)地下深くに埋められた植物の種と父親の関係
(3)兄が「線」を越えて行かぬ理由(最後に越えてゆく理由)
(4)あの作家はほんとうに盗作したのか?
(5)作家とは何か?何の暗喩か?それとも・・・
これらについての僕の見解はまた後ほどすることにしよう。
とりあえず現在は「偽伝、樋口一葉」の戯曲を早く仕上げねばならない。

最後に告白するけれども
長塚圭史「アジアの女」はすばらしく
僕は最後に涙を止めることができなかった。
岩松了さんはじめ役者もすばらしい。

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