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2006/03/11

ポツドール『夢の城』

最初に反省をしておきたい。
今回この
ポツドール「夢の城」
酷評が多く
しかもある信頼筋に
行ったら吐くと言われていて
当日になって見に行くのをやめた。

というのもぼく自身は行くつもりだったが
同伴予定の美女3人がたぶんドンビキするだろうし
僕も何かシタゴコロをもっていると
思われてはかなわないので
持っているのだが
やめようとそういうことになった。
というのはウソで
単に美女に囲まれて食事がしたくなったので
見に行くのをドタキャンしたのだが
いや、連れて行くべきだった。
それを思って反省なのである。

というのも
この芝居、世の酷評と異なり
非常にすぐれた芝居だったからだ。
議論伯仲、さらに美女との食事が楽しくなったに違いない。

思ったことは幾つもあるのだが
思いつつくままに述べる。

セックス、粗チン
これはまったく粗チンに過ぎない。
部屋に飾られた
たくさんの脈絡のないポスターやチラシ
そのひとつに過ぎない。
当然重要なファクターなのだが
これをして
「下品」とかあたらない。
いや下品なのだけども
ていうかいいじゃんこのぐらい。

下品と言うかね
むしろ、滑稽であり物悲しい。
「醜悪」という人も居るようだが
実のところ「醜悪」ではない。
これを醜悪と感じるならば
それは感じる人のポジション
・・・まだまだ何かを信じているという
それを表している。
これは信じるものが無くなった人たちの話だ。

たとえばセックス。
僕らは穴があれば性器を差込みコスル事しか知らない。

こんなにも性を馬鹿にした表現はない。
官能的なものはなにひとつない
「純粋行為」
である。

僕はいま
ほっとけば体が機械化する病気にかかった人間の話を
芝居として書いているんだが
ロボットたちから見ると
「ほんとうに人間て不自由な機械だね」
ということになるのだろうと思う。

差込みコスッタラ
感じたり濡れたり声をあげたり出したり
すぐには終わらなくて長々と動かなきゃいけなかったり。
そのブン機械たちのセックスはらくだ。
すぐに済む。
感じたり濡れたりしなくていい。
「ほんとうに人間て不自由な機械だね」

もう本人たちにセックスしたいという欲望が無いのに
やらなきゃいけない。
いれたら喘ぐし、入れたら動くし
セックスじゃなくてさ
21性器なんだからゼックスとか
濁音ついたぐらいのバージョンアップあってもいいじゃん。
でも相変わらずセックス。

「・・・・・・」

もうとりあえずセックス。
みんな神様を恨みながら腰を振り続けている。

話すことなんて無いじゃん。
だって話すってことは希望だもん。
僕の話を聞いて
「え?それ無しじゃん」
とか
「ああ、それありだね」
とか
ほんと希望そのもの。

つまり会話って
セックスに希望を持つってことと同じ。
だから詰まんない会話をすると「醜悪」ってなる。
醜悪じゃないんですよ。
もはや。
もう醜悪だろうがそうでなかろうが
会話?
そんなものを信じられないところに
おれたち居るんじゃないの?

そしてテレビ。
ゲームをしたり情報が垂れ流されていたり
何かをやっている人間がふと画面を目にして
いま途中までやっていたことを止めてしまう。

テレビ。
汎用化されたドラッグだ。
自分たちが今何をすべきか
どうして生きるべきか
おかれた現状
そこは
「神によって作られた牢獄」
それを思わぬために
みんなテレビを見ている。

何かを考えそうになる。
あぶないあぶない
あわててテレビを見る。
「もう何も考えなくていいのよ」
テレビだけが僕らを救ってくれる。

毎日毎日同じことが繰り返される。
退屈な日常ではない。
それなりに面白い。
だがその面白さは危うい。
思考を停止させるドラッグ・・・テレビ
がないと途切れてしまいそうなのである。

ふいにピアノを弾く女。
カノン・・・へたっぴな
繰り返される繰り返される日常
そしてエリーゼのために。
夢。
女は幼い日にピアノを習っていた。
「あたしピアニストになるんだ」
なんて明るく言ったかも知れない。
そんなこと大人は誰も信じていなかった。
そして今あたしはピアノの練習曲を弾く。
思い出し思い出し。
あきらめたと言うにはあまりに淡い夢。

誰も居ない部屋で
男が長枕でフルスイングをする。
意外に腰が入っている。
夢。
男は幼い日に野球少年だったのかもしれない。
「おやじ、俺、たぶんドラフト1位だぜ」
笑って頭をなぜてくれた親父。
でもそんなこと信じてやしなかった。
あきらめたと言うにはあまりに淡い夢。

相撲取りや最後のスケートは
もう滑稽にしか過ぎなかったけど
それでも
もしかして言ったのかも知れない。
テレビを見ながら
「ぼくスケートやりたいな」

見ながら
この風景は牢獄なんだとおもった。
夢以外のすべてを与えられた牢獄。

前回
ポツドールの「愛の渦」を
僕はblogで
「永久にセックスせざるを得ない不感症たちの物語」
といったが
「愛の渦」は
まだセックスに
興奮したりなんだり
希望を見出している人たちの話。

でも今回
「夢の城」は
セックスにさえ希望を見出せない人たちの話。
あるのはかろうじてテレビにすがりつき
自分たちの「喪失」に気付かないようにする人々の姿。

カノンとエリーゼのためには泣けた。

最後の安藤玉恵さんの泣きは押し過ぎな気がしたが。
でもそういうことだよね。

あと1つ思ったのは
これ世界にもってけるなと思ったこと。
というかむしろ持って行きたい。

更に言うと
「夢の城」の韓国バージョンやイスラムバージョンやアメリカバージョン
いろんな国のバージョンが見たい。
日本だけなんだろうか?こんなになんでもあるのに夢だけが無い国は。
たしか村上龍がそういうことを言っていたが。

「夢の城」には夢以外のものすべてがあった。
そしてふと思ったのは
夢って日本人にとって天皇制だったのかもなと思った。
「大政奉還」という思想はそうだろう。
世が乱れたとき天皇が治世になる。
天皇が正しき判断をしてくれる。
ていうか「正しき判断」はありえるのだ。
そう信じていた頃=夢を追い続けていた頃が懐かしい。
会話やセックスを信じていた頃が懐かしい。
ということじゃないかなとも思った。

いずれにせよ、
世の酷評とは離れて
僕的には
「夢の城」
大絶賛だった。
この先に三浦さんが何を描くか
そこが更に見てみたいと思う。
僕がこう言う類の芝居は絶対やらないだけに期待。

あと、
三浦さんの
安藤玉恵さん
米村亮太朗さん
ふたりの劇団員に対する
「愛」
を非常に感じた(笑)

12日までしかやっていないが
ぜひ見るべきだ。
いままでのポツドールと同じ
と言うような人もいるが
そんな人の言葉は聞かなくていい。
確実に超えた何かがある。

この作品をふいに見に行ったわけだが
つくづく東京に住んでいて良かった。
そう思えた。

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コメント

うー。つくづく東京にすんでいないことを後悔。
まにあわねー(泣)

投稿: 猫ぴ@もか組 | 2006/03/11 08:56

猫さんは別の意味で東京に居たいんじゃないですかw
でも今日は広島方面ですかねwww

投稿: まつがえ | 2006/03/11 11:56

ええ、今朝は上空を飛ぶ飛行機に手を振ってました(笑)

投稿: 猫ぴ@もか組 | 2006/03/11 13:11

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