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2005/10/01

那須映画再考の契機

8月の終わり、金子監督と成田プロデューサーとで那須監督の家に行った。正式に「神の左手悪魔の右手」がインすることを那須監督に報告するためである。

ぼくらは真知子さんの手料理でもてなされながら那須さんが生前に大事にしまっていたテキーラを開けて飲んだりした。

懐かしみながら那須さんの残した品々をいじっていると、その中にあった小さなDVD再生機が突然動き出し、その画面に、パッと鮮やかな映像が映し出された。

それはなんと那須監督自身の姿だった。

突如画面に大写しになった那須さんが僕らに語りかける。

「この映像を見る頃には、すでに私はこの世にはいない。
 だがキミたちに伝えなければいけないことがある・・・」

そのまるで飛鳥教授のような言葉に続いて那須監督がぼくらに語り始めた真実は僕たちを震えるほど驚かすことになった。。。

なぁんていうことは無かったわけですが
小さなDVD再生機にある映像が鮮やかに映し出された・・というのは本当。

その映像は映画「デビルマン」の映像で、けれどもそれは一切表に出されることの無かった映像。思わず金子さんとその那須さんの撮った美しい映像に見とれてしまった。そして「どうしてこの映像が本編で使われていないんだろう?」と首をかしげることしきり。あの一連の編集をめぐる騒動の中で、那須さんが大切に思っていながらも切られてしまったシーンの数々である。那須さんはそういうシーンばかりを大切にDVDに保存していた。

飛鳥ちゃんに「デビルマン撮影で一番大変だった思い出はなに?」聞くと、彼女は雪山の撮影を挙げる。

しかしちょっと待ってくれ
雪山の撮影って・・・?

ていうか本編で雪山のシーンなんて無いですから!
そのシーンも公開バージョンではカットされていますです。僕も見たことが無い。しかし、那須さんのDVDを全部調べたら、あるのかな雪山のシーン。実際那須さんは雪山のシーン、いい物が撮れたと僕に自慢していた。これはぜひとも見たい!のである。

百合族、百合族2、美少女プロレスとか日活時代の作品もなんど見返しても面白い。ビーバップシリーズも面白い。代打教師も面白い。湘南爆走族も見逃せない。下世話かもしれないし、その映像は芸術からは離れていたかもしれないけど、確実に時代に楔を打つ映像を撮ってきたのが那須さんだった。というか芸術なんてナマッチョロイことを良しとしなかった那須さんだが、しかしその映像は道化に徹しながら裏返って確実に芸術的ですらあったのだけど。ピンチランナーの最初のシーンも会社からは要らないシーンと言われたらしいけど
あの廃墟船となっちのシーンがなくてピンチランナーが始まるワケが無いのだ。

デビルマンがこけたことで那須さんが語られることが多い。とりあえず那須を悪人にしとけばいい的な風潮もあったりする(そんなのは分析の放棄だ)。ひどい言い方かもしれないが、「うまい具合に」那須さんが罪を背負ってあの世にいっちゃったもんだからなおさらである。

そういう風潮にもかかわらず、金子さんとか飛鳥ちゃんとか僕とかが「那須さん、那須さん」と言うから、一部の人は、「那須監督という人は映画はアレだったけど、後輩に慕われる良い先輩だったのだろう」というようなことを言う。たしかに那須博之という人間はこれほど魅力的な人は居ないというほど魅力的な人だった。だが、僕は言いたい。那須映画も魅力的だったと。でなくては、あんなにもスタッフやキャストに慕われるわけが無いのであって、実際、彼の作品はほれぼれとするような魅力的な作品、まさに那須さんの人格が透けて見えるような作品ばかりであった。もちろん、会社のうんぬんや集団でやることだから政治的な何とかで傷もあったかもしれないが、そういう中でも、那須さんの作品はその人間同様に僕らをひきつけていた。だから「映画はあれだったけど・・・」つうことはありえない。ちゃんと彼の過去の作品もたくさんの人たちに見てもらいたい。つーわけで、デビルマン1作で那須さんを評価するのは止めにしてもらいたい。デビルマンのディレクターズエディションを見てから判断してもらいたい。もちろん、那須さんは天国の歌舞伎町に行っているから、デビルマンのディレクターズエディションを作るなんて、もうそれはかなわぬことだし、大体、生きていても、後ろ向きなことはしなかった人なので、そんなことはしなかったかもしれないけど。

ただ那須さんの知ったことではないかもしれないが、金子さん、飛鳥ちゃん、奈津子さん、ぼく・・・那須さんの薫陶を受けたぼくらが良い作品を作っていくことでしか、那須さんへの恩返しというか、那須さんの目指した映画、撮ってきた映画を再評価させるような、そういう道は無いのだろうなと思っている。

そういう意味でも今回の「神の左手悪魔の右手」は大きな役割を担っている。

もちろん、那須監督なんか関係なくひとつの作品として評価されなければならない。
それが那須さんの再評価にもつながっていくのだろうと思っている。多くのスタッフやキャストは那須監督追悼なんていうのとは関係なく良い作品を作るために尽力しているのであって、ぼくらが、那須さん、那須さんと酔っていても仕方が無い。ひとつの作品として良くして行くしかない。とは言うものの、確実に、この作品は、金子さんや飛鳥ちゃんや僕が関わることによって、那須映画を再考してもらうためのひとつの契機になるのだろうとは思っている。

ところで、つい昨日奈津子さんと飲んだときに教えてもらったのだけど、今回のメイクの永江さん。じつは百合族のメイクさんだったのだそうだ。だから何だということではないが、そういうことすらなんとなくうれしい僕なのであった。

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