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2005/04/28

ウルトラマンマックス現場見学

那須さんとの思い出話も織り込みつつ
金子監督と脚本の打ち合わせ。
その後、
監督のご好意で
ウルトラマンマックスの現場を覗かせていただく。
向かう途中、円谷プロの門兵を撮影。
ultraman
 
 
 
東宝スタジオに入る。
2ケ所で撮影が同時進行中のようである。
1つはドラマ部分の撮影、
もう1つが特撮の撮影。
まずはドラマ部分の撮影を覗きに。

「お、神代ユウのともだちだ」
見ると主役はホーリーランドにも出演している青山草太くん。
カッコいいだけじゃない何か弱さみたいなものが
にじみ出ていて、とても味のある役者さんだなぁと思う。
僕の子供の頃見ていたウルトラマンは
子供向けではあるんだけど、ドラマとしても深かった気がする。
それは主人公の秘められた苦悩のようなものが
常にとげのようにささっていたからで、
そういう意味で言うと、青山草太くんみたいなのはイイナぁ。
だって1回怪獣に殺されてるんだから
笑顔だって普通の笑顔のわけがない。

(極秘情報)
  金子監督が
  出演者たちに「blogの更新が遅い笑」と責められていた・・・

ドラマ撮影見学を終えると次は特撮の現場に。
その移動途中、打ち合わせ中の三池監督に会う。
ウルトラマンマックスは金子監督が総監督だが
うち何話かは三池さんや実相寺監督も撮られるらしい。

特撮の撮影は第1話?で怪獣が初登場するシーンを撮っていた。
怪獣が山を崩しながら登場するがセットなんだけど
かなりの迫力。取り直しになっていたが
崩れた山を初期状態に戻すのが大変そう。
とんでもなく労力と時間をかけて、このワンシーンを撮っているんだなぁと。

見学を終え
再び金子監督と脚本についての意見交換+ビール。

そのうち、金子監督の奥さん、息子さん、娘さんと合流して夕食をご馳走になる。
金子夫妻と那須夫妻の交流話に興味津々。
那須さんの思い出話をすると
だいたいどんな会でも
那須さんってほんとうに人非人だったよねと大爆笑
めちゃくちゃ話が盛り上がる。
那須博之はほんとうに愛すべき人非人だったと思う。

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2005/04/27

ポツドール「愛の渦」

書こう書こう。思って時間が過ぎた作品が幾つもあり
いつもどこかしら強迫観念が。書かないと。
で仕事締め切りが明日あるにもかかわらず。
ポツドールの公演も明日までしかないし書きます。
みなさん見に行くべしです。
ポツドール「愛の渦」

とくに「演劇ってこんなもの」って
何か固定観念がある人は見に行ってください。

想定の範囲内か、想定外か。

とりあえず僕的にはポツドール初めてじゃないんで
想定内って言えば想定内なんだけど
彼らのチャレンジにはとても頭が下がります。

簡単に言うとポツドールの手法は
「平田オリザの方法論でエロをやる」
てことですね。

最近「良いエンターテイメントは哲学的である」ていう
キャンペーンをしているが、この作品も例外ではない。

自由であることの悲劇・・・なんていうと
かなり陳腐なのかもしれないけど
悲劇でもあり喜劇でもあり。
ブラウン運動を超顕微鏡で見ると・・・。

本谷さんの「乱暴と待機」と同じだなぁと思った。
本谷さんところで復讐する男と復讐されたがる女は
理由も忘れられた復讐、でもとびっきりの復讐という
「運命」につながれているわけだけれども
それは、もともと「運命」ではなく勘違いなんだ
ということがあって、
今の世の中なんでも自由になっちゃって
運命なんぞないんだけど
俺たちだけはとびっきりの復讐せねばならぬ
「運命」があるんだと思っていたけど
やっぱりそれはウソでした!みたいな男女の滑稽さというか
物悲しさがテーマ。

テーマっちゅうのもあれだけども。

一方、ポツドールは
運命なんてひとつも必要じゃないわ
と言い切って本能の赴くままに
突き進む性に奔放な男女の話で、
自由そのものの姿なんだけど
ちょっと気の利いた出会いや何かも
運命には昇華せずにいる
最後の別れ間際に
メール交換するぐらいの運命をも
与えてもらえない者たちの悲劇。
そして喜劇。
村上龍好きのカップル。
・・・運命がいまや陳腐でしかないことの象徴。
とは言うものの
朝日の中の物悲しさ。
自由であることのつらさ。

なによりストーリーにオチがないことがじれったい。

しかし、これはとってもおもしろい「じれったい」なのだ。

オチっていわばフィニッシュじゃん。
フィニッシュがないことで
だらだらと快楽は続いていく。
一番の快楽がハラキリ=「死」だとすると
フィニッシュでまじフィニッシュしちゃうからね。
人生がフィニッシュ。
だから微妙に頂点に達しない。
ああ、はがゆいって状態を続ける。
だから明日もやれる、みたいな。

この物語は、はがゆさに満ちている。

8人の男女は人を換えて
とっかえひっかえSEXしていくのだけど
例えば、こいつ最高!
って思ったら、まぁそれを「運命」と言ってもいいんだけど
そうおもったら、そこでランダムセックスの企みは終わるじゃん。
だから「運命」が芽生えそうな歯がゆい事態のまま
毎日別れが来る。

オチがこれかよ!・・・ていうはがゆさも戦略的。

それによって明日の欲望が担保される。
永久にセックスせざるを得ない不感症たちの物語。

つまり資本主義は
みんなを欲求不満にすることによってしか成立しないって事ですよ!

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2005/04/23

山口晃二監督「ホーリーランド」第4話

なんか深夜に生きてるね。
更新時間とかおかしいでしょ。

で、ホーリーランドっすよ。

連ドラ的に言うと
わかんないけど
つかみは1,2,3話でOK
これからはどう深めていくか
・・・つまり見始めた視聴層を離さないか
というのがひとつ作り手的なポイントになるんだろうなと。

ということでいうと、
いくつかの線が見えてくる。

神代ユウと路上のカリスマ・伊沢マサキの関係

同じくユウと伊沢の妹マイとの関係

同じくユウと友人金田シンイチとの関係

同じくユウと憎まれ役ヨシイとの関係

そして何より、
ユウが「ここにいていいんだ」と本当に思えるときは来るのかどうか。
あるいは違う結論があるのか。

ボケと突っ込みという役割で言うと
ユウはボケで突込みが金田シンイチ。
不良との闘いになるのは目に見えているのに
どうしてユウが町に繰り出すのか?
その疑問を・・・それは見ている人の疑問でもあり
それを代弁しているのが金田くん。
今日の回では答えは出ません。

この答えを出さないというのはずるいね。
この床上手!みたいな。
来週も見ざるを得ない。
うー。

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映画俳優になりたいか?

世の中に役者はごまんと居るけど
映画に出たくても出れない役者さん
デビューしてあっと言う間にビッグになった役者さん
いろいろあって
その差はなんだろうと思うに。
才能。
もちろん、それもあると思うんです。

だけど、そもそも「機会」が少ないんじゃないかと思うわけです。

監督やプロデューサーに出会う機会。
自分の実力を見せる機会。
それが少ないんじゃないかと思う。

やっぱ監督が使う役者って
偏ってるじゃないですか。
あれは、そういうもんだとも思うし
役者を供給需要する労働市場が不完全な証拠とも思う。

だから、役者のみんなのために
「機会」・・・チャンス
をつくろう、そう思いました。

で監督さんたち、集めたですよ。
いいっすか、これがすげーんですよ。

-----------------------------

「ホーリーランド」の金子修介監督。

「JamFilms」の望月六郎監督。

「岸和田少年愚連隊」の宮坂武士監督。

「アンテナ」の熊切和嘉監督。

-----------------------------

ね、すげーでしょ。
チョー忙しいヒットメーカーばかりで
4日間の短期間だからスケジューリングできたっていうか。

この監督さんたちにワークショップを開いてもらうことにしたわけです。
ワークショップって言っても
演技力をつけるための・・・なんていうのじゃないですよ。
よくあるじゃん、そういうのじゃない。

もう「明日映画に出るための」的なそんなやつです。

うわさによると・・・
筋のいい奴がいたら「ウルトラマン」に使ってくれるみたいな
そういう金子監督のお話もあったりなかったり・・・・
(ごめんなさい、金子さんリークしちゃいましたっ・・)

興味ある人はぜひ参加してみてください。
これまでの演技経験は不問です。

→ ワークショップ詳細

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2005/04/22

塩田明彦監督「月光の囁き」

いまはちょうど
及川中監督の「ラヴァーズ・キス」やってるけど
深夜映画ってけっこういいのやってます。

で、本谷さんの芝居を見る前日にやってました。
テレビ東京シネ・ラ・バンバ
塩田明彦監督「月光の囁き」。

塩田監督はいま「カナリア」をやっていて
これはオーム真理教の話らしく
ちょうど地下鉄サリン事件に遭遇した先輩が
被害者視点のない映画「カナリア」をつくる塩田の
映画は最低だ、観てはいけない。と言っていたので
まぁ、倫理性と娯楽性は別物だろうと
むしろ倫理的であるものはつまらない
などと思っていて夜中偶然やっていて
見てみることにした。

しかし徹夜仕事の後だったから
布団の中で、つまらなかったら、即睡眠の体制で臨んだ。
結果としては、最後まで見切ってしまった。
ついでに興奮して眠れなくなり
再び仕事を始めることにさえなった。
とてもよい映画だということだと思う。
「カナリア」もなんとか劇場で見てみたい。

さらに面白かったのは
ちょうどこれを見た次の日に
劇団、本谷有希子「乱暴と待機」
をみたということ。

なんと「乱暴と待機」は非常に
「月光の囁き」と似ている。
違う話なんだけど
僕からすれば一卵性双生児のように
似た話だと思った。

ただし「乱暴と待機」が女視点であり
「月光の囁き」が男視点であるという違いはある。
そしてこの違いはとても重要で
「乱暴と待機」の感想に書いたことだけれども
男視点の「月光と囁き」には「ぶっちゃけ」がない。

いやいや女主人公がどわーっと
思いのたけを述べ、
男がジャンプし死ぬはずが生き残るというところ、
さらにはラストシーンすら、
つまりもう皆同じなわけだけども
「乱暴と待機」と違い
それでも女のベシャリに感情移入し
泣けるという事はない。
それは塩田さんが男だと言うところから
来ているのかも。と思ったりする。

双生児ということで言うと
「月光の囁き」が
男=M、女=S
「乱暴と待機」が
男=S、女=M
という違いはある。
作家は同性に肩入れするから
肩入れした性がMになっているのかな。

結論から言うと
両方の作品とも面白い。
しかし僕は「月光の囁き」のほうに
ぎりぎり軍配を上げる。
しかたなしにというか。
作家と同性だからだろう。
女は逆に違いないと思ったりする。

「乱暴と待機」をみて
「月光の囁き」を見たことのない人が居たら
ぜひ見てみて欲しい。
「乱暴と待機」の印象が残っているうちに。

もちろん「乱暴と待機」を見ていない人も
ぜひ「月光の囁き」をみてほしい。
初々しい青春の物語が崩壊していくさまを
戦慄とともに味わって欲しい。
崩壊はしていくんだけど・・・そこには
パンドラの箱の底に残る希望。
それがある。

韓流韓流と思っていたが
よくみると最近の日本映画もまんざらじゃないな。

  ※ちなみに「乱暴と待機」と
   「月光の囁き」が似てるというのは
   僕の脳内残像の比較による話であって、
   なっちがどうとかそういうことじゃない。
   構造が似ていると言うことなのだ。
   誤解無いようにね。


月光の囁き@映画生活

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2005/04/20

納骨

那須家のお墓は京都にあります。
49日も終わり、とうとう那須さんのお骨が京都に行く日が来ました。
納骨に行くのは那須さんのご両親と真知子さん、そして甥っ子の太郎くん。
僕と菊地さんは東京駅ホームまでの見送りです。
しばらく忘れようと思っていた痛みを思い出してしまいました。

最後に那須さんの骨壷を少しだけ持たせてもらいました。
その重量。

ほんとうに悲しいです。

那須さんがほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、いないってこと。
そして
小さな体で一生懸命那須さんの骨を抱えている真知子さんの気持ち。

いろいろ考えたら泣けてきてしまいました。

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2005/04/17

山口晃二監督「ホーリーランド」第3話

これまでの1,2話は金子修介監督が自ら演出されていましたが、今回は、初監督の山口晃二さんが演出されています。

ホーリーランド」総監督の金子さんのブログ

スタッフでは、カメラマンが1.2話の高間賢治さんから、大沢佳子さんに替わっている。 大沢さんは、ステディカムの名手で、夜のシモキタを疾走するカメラワークが見事。

とありますが、まさに!!という感じの回でした。

金子さんの回との違いはカメラワークのほかに
じらす戦法がすごいなと。
ドンドンと追い詰められていくユウのシーンなんか
手に汗握るというか、さっさとやっちまえよ!と言いたくなるというか。
で、ガツンとやって、やったぁ!と思ったところ・・・
いやなんかめっちゃくちゃ引っ張られます。
金子さんのブログにも中継ぎはベテランがみたいなことが書かれていますが
初監督とは思えないこのジラシ戦法。
簡単にはえさくれません。

テレビドラマをそんなに見ない僕的にはめづらしいことですが
来週が楽しみです。待てないって感じ。
やっぱ30分て短い。
短いだけにイイ!
神代ユウが何をつかみ
そして僕が何をつかめるのか?
今後に期待がめっちゃ高まります。

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2005/04/15

ミシェル・ゴンドリー監督「エターナル・サンシャイン」

アカデミー賞ですか。
最優秀脚本賞。
昨年は僕も出演している(!)ロスト・イン・トランスレーションが受賞。
ロスト・イン・トランスレーションはとてもびっくりな脚本で
これに最優秀脚本賞を授与するアカデミー賞ってのが
すごいなとぼくに思わせた。
映画はとても面白かった。
しかし、脚本はとてもああなるとは思えなかった。
日本的に言えば、だめ脚本であったと言ってもいい。
それに脚本賞を与える。すごいなぁと思ったわけです。
アカデミー賞脚本賞はなんだかすごい。。。

だから、そういう思考ルートで
ぼくはぜひともこの映画が見たかった。

ケイト・ウィンスレットも興味あった。
ジェーン・カンピオン「ホーリー・スモーク」での
おもらし熱演をみて変なやっちゃなぁと。

で、映画。
なかなか面白い。

映像効果的には、21gとかみたいに
混乱を招く風なかんじにもなっている。
もちろん、21gと違って
構成をわざとシャッフルしているわけじゃない。

主人公であるジム・キャリーにとっては
ある意味、時間順である。

記憶消し会社というのがある。
実際あってもおかしくない現代である。
SFって言えば、SFなんだろうけど
手を伸ばせば届く範囲のSF。
オープン・ユア・アイズみたいな。
あれもいい映画だった。
記憶操作という意味でも似ている。

とりあえず見てください。
おもしろい。

僕が興味深く思ったのは
「記憶の等価性」

昔の記憶も新しい記憶も
それを実時間で経験したときには
順序というものがあったけど
記憶の中にいったん収納されれば
その順序が無視されるというか
記憶並列等価なのである。
子供のときの記憶も大人のときの記憶も。

夢の中で、
これは夢だと気付けるように
記憶の中で、これは記憶の中だと気付ける。
記憶の中で気付いた人間は記憶を操作できる。

こう考えると、マトリックスにもつながるよな。
この映画。

もちろん監督も言っているように
監督が脚本家のチャーリー・カウフマンと意気投合したのは
これが記憶をめぐる話ではなくて
男女の話だかららしく、
つまりこの映画は恋愛についての映画なんだが。

しかし、やっぱり「記憶」

この映画の中で何回か出てくる警句だけど
ニーチェの言葉
「忘却はよりよき前進を生む」
これね、とても考えるんですよ。
最近ね。
インターネットが普及して
忘却ってしにくくなってるんじゃないかって思う。

「○×代議士が**した」

永久に残るからね、なかなか忘れてもらえない。
古い情報でも新しい情報でも
インターネット上ではほぼ並列等価。
昔だったら「人のうわさも75日」とかだったけど
現代ではそういうわけにもいかない。
これがいいことか悪いことかと考えていたわけです。
けっこう悪いことなんじゃないかと。

だって6年前に「**した」奴が
今は改心してぜんぜん**しない奴になってたとしても
ググったら出てくるわけですよ。破廉恥な過去が。

ぜんぜん関係ない話になってしまいました。

僕にとっては恋愛というよりも
「記憶」について
深く考えさせられる映画だったということで。

一生懸命、愛する人のことを忘れないように
記憶の中を逃げ惑う姿は健気で泣けましたけど。

エターナル・サンシャイン@映画生活

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美女祭り!

とうとう売り出されました。
新宿三丁目、夏の夜の夢。
肉のカーニバル。
PR00100325562

昨年夏、わが劇団の第3回公演が
新宿のパンプルムスっていう劇場で行われました。
連日ちょー満員。

原因は美女祭り。

ほんと美女だらけだったもんね。

レースクィーンふたり
ダンサーひとり
恋の空騒ぎ出身ひとり
自前美女ひとり
自称美女ひとり
怪女ひとり

そのDVDが販売開始されました。
よかったら買って見てください。

 → アロッタホームページ

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2005/04/14

劇団、本谷有希子「乱暴と待機」

がーん。すごい。
おもしろい。
本谷さんの芝居はじめてみるが
これ面白い。かなり。しかも戯曲ウマイ。
とりあえず良かったので見に行ってください。
新宿駅からほんと近いし
ぶらっと見に行って欲しい。
(空席も在ったから)
 ↓
乱暴と待機。

最初はやっぱり松尾スズキ臭がしました。
最初の男と女の会話。
笑いに関するもので
シュールとベタはどう違うのか・・みたいなところは
松尾さんの「悪霊」だなぁと。
でもそれはそれとして、このシーンとても笑える。

寡黙で笑わない男と
その男に献身的に接する女。
この女が馬渕英里何さんね。
スウェット着てます。

このスウェット、妙に着古してあってぺらぺらで
スウェットのエロスというものを感じることが出来ます。
最近の男が演出する芝居は
ぼくんところもそうだけど
裸のエロスというか直接的で
素足を組み替えるときにパンツが・・・みたいな
そういう奴だけども
露出はないけどエロイというか
スウェットのエロさって・・・なるほど
うーん、本谷有希子やるなぁというかんじ。
女のクセにと言うべきか
女だからと言うべきか。。。

さらにこの男と女の関係。
これがとっても興味深い。
男は女に復讐しようとしているらしい。
しかもかなり最高レベルの復讐を企てようとしている。
ただ思いつかないので日々考えている。

思いつかないのはそれだけじゃない。

なんで復讐をしなければいけないのか
それさえも男は忘れているのである。
でも復讐しなきゃいけない。
もっともひどいやり方で。
でもなんで復讐しなきゃいけないかは忘れちゃった。
・・・・・。
こんなキュートな設定。もうズルイ、くやしい。
そんな感じであった。

「理由なき復讐」
「自動化された復讐」
そんな文字が僕の頭の中を勝手に飛び回る。
もちろん、そんな哲学的なことではなかったのだけど
最近の僕の見るところでは
ホーリーランドじゃないけど
ほんとうのエンタメは哲学的にも興味深いものだから。

で、馬渕さん演ずるスウェット女だけども
復讐される本人でありながら
男のことを「おにいちゃん」と呼び
すごく愛しているようであり
健気に、毎晩寝るときに男に対して
「おにいちゃん、明日は思いつきそう?」
と聞くのである。
自分への復讐の方法が思いつきそうかと。
で、おにいちゃんは必ず
「ああ、きっと明日はおもいつくさ」
と言うのである。
そしてまた必ず、スウェット女は
健気に
「よかった」
とのたまい、カレンダーに丸印をして
そして電気を消して寝るのである。
これは毎晩繰り返されている。

・・・・・。
引き伸ばされた復讐者と被復讐者の関係。
これは幸せな風景にとても似ていた。

なんだろう。
この知的喜びは。
スウェット女が「よかった」という。
お兄ちゃんが自分への復讐を思いつけることを「よかった」と言う。
なにが「よかった」のか。
スウェット女にとって他人の喜びが自分の喜びなのである。
マゾともちと違うのかも知れないが
そういう方向の女なのである。

しかし、それは物語の最後で汚くもひっくり返される。
(ここについてだけはこのシーンが
 逆に全体の知的な雰囲気をぶち壊している気がするが
 しかし、女の観客たちはそのシーンでみな泣いていた。
 ・・・・これも非常に興味深い現象)

もちろん奴隷がほんとうは主人であるというような
ある種のサドマゾの「転倒」
これについてはぼくも理解しているし
最後にスウェット女が自己主張するのは
まぁ、そういうことなのかなと・・・納得しようと思いはする。
だが・・・

見終わったあと
すぐには僕の中の違和感を言葉に出来なかったけど
今思うに、僕の中の違和感は
ヒロインに「あたしだってウンコするのよ」とぶっちゃけ言わせることの違和感というか。

スウェット女の自己主張
こればっかりは(男にとっての)エロスに反するのだ。

一方、女たちが泣いていたのは
ヒロインが「あたしだってウンコするのよ」とぶっちゃけることに対する
絶大な共感というかそういうもんなんだろうと今になって思う。
あ、ちなみに、「ウンコ・・・」は別に舞台の中で言われている言葉じゃない。
スウェット女の自己主張を手短に僕が超意訳しただけ。

「めんどクサイこと込みであたしを受け入れてよ」

とは言うものの、これは、この違和感は少しも傷じゃない。
むしろ深く考えさせる。
女は非ユークリッド幾何学の世界に住んでいる。
むしろ僕の日々の戦いは(女とのというわけではなく)
めんどくさいこと込みで世界を受け入れようとする戦いだったりもするからだ。

とりあえず僕の考えを言わせてもらえば・・・

スウェット女は最後までぶっちゃけて欲しくなかった。
というのも、彼女の自己献身
・・・他人も自分も傷つけてしまう徹底した献身
は観客がちゃんと見届けているのだから。

スウェット女は男に覗かれているのを承知で間男との情事に臨む。
それは二段ベッドの下の階でセックスしようと誘う間男の欲望を言葉巧みにいなし、
おにいちゃんから見えるところにポジションを作るシーンで見事に表現されている。
つまり、もう観客は知っているのだ。
だからこれをあえて言葉でぶっちゃけるのは美しくない・・・
そう思ってしまうのである。
ぶっちゃけなければ女は観客=神だけが知る徳をつむ聖女となる。

ぶっちゃけることでスウェット女は男たちと同列の生き物になる。
自分が聖女であることを理解して欲しい欲望。

ぶっちゃけなければ
女はバタイユが言うところの聖女になっていた。
男にとって女は神聖なものなのである。。。

いや、そうするべきだったと言っているのじゃない。
バタイユが古く、本谷有希子が新しいということに驚いているのであって
男が古く、女が新しいということに驚いているのである。

まぁ、そんな小難しいことじゃないんだろうと思う。
たんに楽しい芝居なんですよ。
でも沢山のことを考えさせてくれる芝居でもある。

ぜひぜひ見に行ってください。
そして時間があったら考えてみてください。
面白いこと気付いたらこっそり教えてください。

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2005/04/10

金子修介監督「ホーリーランド」第2話

またしても深夜オンエア見ました。
ホーリーランド第2話「優しい夜」
第1話ほど激しくはないけど
ありました。ぞぞっとする場面。

「おまえがヤンキー狩りか」
チンピラに右肩をつかまれる神代ユウ。
左ジャブ「1」、
右ストレート「2」
の「1、2パンチ」が繰り出せない。
「1」はあたるけど「2」が出せない。

弱っちく見えるはずの神代ユウ。
しかしその肩をつかんだチンピラは察知する。
自分の身の危険を察知する。
とっさにつかんだこの手を離せば
「1、2」とやられる・・・。
「この手を離したらヤバイんだ」

しかし、
「2」は当たらないが
「1」左ジャブはしっかりとヒットする。
それを知るユウ。
「1、1、1、1・・・・」
リズミカルに顔面にヒットするジャブ。
次第に顔が変形し血だらけとなるチンピラ。
手を離した瞬間・・・右ストレートが・・・・
ぞぞっとしました。

しかし、その後は何も起こらぬ穏やかな世界。
やさしい同級生と出会い、
なかよく女の子たちとデート。
下北沢の夜に受け入れられていくような気がする神代ユウ。
はじめて見せる笑顔。
だが・・・
視聴者はびくびくする。
この平穏がいっときのものでしかないことを知っている。
 ・・・・・・柔道家の前では
     ボクサーは苦しい戦いをせざるを得ないという情報もあり
目の前で繰り広げられる楽しげなデートに笑いながらも
どこかビクビクしている。何かが起こる・・・
この街に受け入れられたいのに
受け入れられないことを知っている神代ユウ。
同じだ。
気付けば、ぼくらも同じだ。
神代ユウと同じだ。
同じ不安を持ちながら
楽しげな時間をすごしている。
でも不安。
「優しい夜」のなんと不安なことか。

そして僕らはつなぐ。
この不安を。
次週オンエアまで。
ずるい。ひっぱりすぎ。

くそぉ!次週も絶対見るぞ!

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2005/04/04

李相日監督「69」

原作は村上龍の作品の中で一番好きです。
が、かなり前に読んだので内容はうろおぼえ。
映画のほう、かなり話変わっている気がした。
気がしたが、それはそれで、おもしろかった。
「かなり」をつけましょう。かなりおもしろかった。

青春を表現するばかさかげんと
スピーディーな映像がうまくカクテル。
妻夫木くんがまた健康的なわけですよ。
宮藤官九郎の脚本。東映の作品。

デビルマンのスタッフルームに入る初日
東映の東京撮影所で朝
東映のNo.1プロデューサー遠藤茂行さんと待ち合わせをしました。

というのもバトルロワイヤルⅡクランクインのためのお祓いがあったからです。
そこに僕も参列させてくれると言うわけです。
はじめて見ました。深作欣二監督。生です。立体です。おお。
北野武さんは居なかった。藤原竜也くんが居ます。
藤原くんは他のキャストの誰よりもスタッフとコミュニケーションをとろうとする。
お祓いが終わったあと、スタッフひとりひとりに
「よろしくお願いします」と挨拶。
さすが主役を張るだけの事はあるなぁと。

で、その時に、プロデューサーの遠藤さんから69の話を聞かされた。
宮藤官九郎さんの脚本がすごく面白いよってことだった。

映画って監督のものみたいに言われるけど
やっぱ脚本なんだと思うんだよね。
脚本が面白くないといかん。

どこが良いって、全部良いんですよ。
映像もセリフもすべってない。
同じく遠藤プロデューサー企画の「凶気の桜」はすべってた。
原因は脚本(だと思う)。

丸山昇一さん。
「野獣死すべし」とかすっげぇ面白いのいっぱい書いている。
那須さんとも「紳士同盟」一緒にやってる。
でも、「狂気の桜」はだめなんだよね。
クドカンとか流行ってるから真似したんだろうね。
その柔軟性は認めるけど
やっぱオヤジが若ぶってる感じの脚本だった。
仮面ライダーV3が出てきた日には恥ずかしくて見てイランなかった。
老人は老人らしく。
自分の築いてきたものを信頼すれば良いのにね。
変に時代におもねるのはよくない。
あ、大先輩の悪口書いちゃった。

まぁ、そういうことですよ。
何はともあれ脚本。これ大事。
69本編のことあんまり書いてないけど
かなり全編面白いんで見てください。
青春とはこれだ!みたいな。
九州弁きつくて最初入りづらかったけど。

69 sixty nine@映画生活

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2005/04/02

金子修介監督「ホーリーランド」第1話

見ましたか?昨夜?
みてない?だとしたらもったいない!

ちょっと鳥肌立つほど面白かった。

TV東京「ホーリーランド

まず僕は原作読んでいないんだけど
原作が面白いんだと思う。
いじめられっ子がボクシングで居場所を見つけてくっていうのは
「リングにかけろ」とか、よくある漫画の常套だけど
違うんです。そういう話じゃない。似てるけど大いに違う。
もっと切実。実存であることの闘い。

リングに賭けろとかだと貧乏な家庭とか
そういうことを克服するために・・・というようなエネルギー。

しかし、本作の石垣佑磨くん扮する主人公は
もっと戦う相手は曖昧で、曖昧であるが故に切実。
自分が今ここに居ていいんだろうか?という問題。
そんなものと戦う現代。

ちょうど今、「嗤う日本の「ナショナリズム」」を読んでいたから
この曖昧で切実な闘争の問題を考えていて
だからこそ昨晩「ホーリーランド」を見たときに
なんと現代的な物語なんだろうという衝撃を受けた。

本当に面白いエンターテイメントは
娯楽であるとともに、
深く時代を考えさせるものなのだなぁと思った。

たぶん原作者が若い世代で
2ちゃんねるとかエヴァンゲリオンとかほしのこえとか
そういうものの誕生する時代から生まれてきた無意識
それこそ「時代」そのものなんだと思うが、
それを僕らとともに共有しているのだと思う。
だから僕らがロッキーなんか見てられないことを知っている。

もちろん、原作がすごいってわかるってことは
それを的をはずすことなく映像化した人たちもすごいってことだ。
ただひたすらに石垣佑磨くん扮する主人公の問題に寄り添うように
映像が展開する。

一点、気になるところというか不思議なところがある。

お母さんの描写である。
顔が一切映らない。そして特に意味なくアップされる手。
単に思わせぶりなのかもしれないし
なにかの複線なのかもしれないし
複線というよりも、もっとなにか別のことの表現かもしれない。

第1話タイトルが「無青年」という。
無青年は無から生まれたというか。
もちろんお母さんはそれなりの背景を持った人間で
無ではないのだろうが、
しかし、「無青年」ということから意味が逆流して
その源流たる母親は無でなければならない。

主人公は「自分だって街に居たっていいじゃないか」と言う。
自分探しのスタイルだ。
そして30分後、「街に居ていいんだ」と確信に至る。
それは「古い物語」のように
彼が自分自身が誰かに必要とされる存在であると気付いた
なんていう判りやすいことではない。
自分が人を殴れる存在である
ただそれだけが
そう気付いたことが、彼を支えることになる。

スピーディーかつリズミカルな映像とあいまって
今後の展開が非常にたのしみである。

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まもなく

テレビ東京で
金子修介監督が総監督をつとめるドラマ
ホーリーランド」が始まります!

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2005/04/01

教えて

今日は世界中のブロガーは緊張してるでしょうね。
エイプリルフールをどう乗り越えるか。
つーか面白いブログ書かなきゃいかんだろみたいな。
ウソをつくってのはほんと難しい。センスがいる。
眞鍋かをりさんとかすげー期待されてる。
更新しないのが一番。てことはないか。
とりあえず、僕は高橋がなりさんが一番。
  ↓
カリフラワーの会

この用意周到なウソは深い。
ウソはここまで深くなるって見本だと思う。
「がなりさんは浮気をしたことがありますか?」の答えね。
これをエイプリルフールに出すというのが深い。
すばらしい。

 あとカリフラワーの会ね。これはカワイイ。
 でも本当にやめちゃうのかな?

 面白いエイプリルフールブログがあったら教えてください。

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