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2005/03/06

未来のことを

那須さんは過去のことを振り返るのが好きではありませんでした。
だから病室でも最後の最後まで未来のことを話していました。
だから僕も未来のことについて考えていこうと思います。

那須さんと最後の最後まで病室で話していたのは
那須さんが復帰後の映画製作についてでした。

そういう意味では僕はとても恵まれた環境にありました。
デビルマンで映画作りの企画開発がどういうものなのかを教えてもらい、タイガーマスクで現場を教えてもらい、立ち消えた那須さんのいくつかの映画の企画において映画の企画の作り方や原作映像化権の取得の仕方を教えてもらい、神の左手悪魔の右手で企画の立ち上げから脚本書きを教えてもらいました。

那須さんは3月中旬に退院し
3月後半に体力を回復し
4月にロケハンなど撮影準備に入り
5月に撮影に入る予定でした。

那須さんはそれを励みに病気と闘っていたのだと思います。
悲痛な感じは一切なかったし
たしかにかなり痩せてはいたけれど気力は十分あったし
声もしっかりしていて、
だから那須さんの入院を知っていた少数の人間も
寸前まで那須さんの復活を信じて疑わなかった。

もちろん結果としては
53歳の誕生日を病院で向かえ
その誕生日のきっかり一ヶ月後に亡くなってしまった。

禅林寺での通夜、告別式にはほんとうに沢山の人に来ていただいた。

那須さんが沢山の人に愛されていたのがわかった。
告別式で流れた那須さんの映像。
映画を撮るのに夢中になっている姿がとてもかわいい。
哀しい気持ちにもなるけどちょっと笑いたくなる映像。

そして告別式には楳図先生も来られていた。
もちろんシマシマじゃないけど。

楳図さんと那須さんは
僕の芝居「わたしは真悟」で2回ほど顔をあわせている。
芝居の打ち上げのときと、映画企画始動のとき。
那須さんのしゃべくりは判る人にしか判らないものだが
楳図さんには良くわかるらしい。

告別式に来られた楳図さんは那須さんの柩に花を入れると
しずかに冷たくなった那須さんの額に手を当て瞑想されていた。
それを見てぼくは、楳図さんが那須さんと何か会話をしているんだなと思った。
2回しかあっていないけど、楳図さんと那須さんは同じような何かを持っていたのかもしれない。

告別式の最後、
「那須さんのためにも『神の左手悪魔の右手』映画化は松枝さんが果たしてください」
と楳図さんは僕に言ってくれた。

僕の前向きな戦いは『神の左手悪魔の右手』の映画化を実現させるところから始まる。
それこそが師匠那須博之のもっとも望んでいることだろうから。

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