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2005/03/05

那須さんとの闘病生活

僕と那須さんの時間は短く濃いものだった。
いつしか仕事上の付き合いをはみ出し僕らは親子になった。
1月20日。
那須さんが入院するときに付き添ったのは真知子さんと僕。
入院記録の親族欄に真知子さんはもちろん妻。
僕も「息子」と名前を書いてもらった。
「苗字は違うけど、わけありの息子ということだ」
と那須さんは笑った。

那須さんの闘病生活は普通のがん患者と比べて苦痛は少なかったと思いたい。
急逝するぎりぎりまで苦しいと口には出さなかったから。
那須さんのことだから周囲に気兼ねして、あるいは格好付けるために
苦しいとか痛いとか言わなかっただけかもしれないが
僕も真知子さんもあまり那須さんの口から苦痛を訴える言葉を聞かなかった。

病室での那須さんと僕の関係はふつうじゃなかった。
ちょうど年末から実現しつつあった映画の企画があり
この脚本を僕が手がけることになっていたからだ。

僕としてはもっと息子として病室に足しげく行きたかったのだが
行くたびに「本はどうしてる?」と訊かれるものだから
脚本関係で進展があるときにしかお見舞いにいけない状態になっていた。

入院してすぐに那須さんは脳に血がたまって
視力が衰えてしまった。
だから脚本の第2稿があがったときには
すでに脚本を独自に読むのは難しいことになっていた。

「じゃ、作者本読みします」

と冗談ぽく言うと、「うん、うん」とうなづく。
それから僕は少々の恥ずかしさもあったけれども
自分の書いてきた台本を下手な演技交じりで読むことにした。
途中で看護婦さんが何度かやってきたが何事かと思っただろう。
けれども那須さんは耳を済ませて
僕の本読みをじっと聞いてくれていた。

2時間。

那須さんの感想は
「面白い。だが後半ながい」
そして那須さんは修正の方針を僕に説明しはじめた。

那須さんと僕の最後の時間は病室の時間じゃなかった。
会ったときと同じスタッフルームだった。
那須さんは15キロもやせまるで僧侶のようだったが
その痩せてなお映画を撮り続けようと言う目は
らんらんと輝いていた。

見舞いに来た誰もが那須博之の余命が1ヶ月であることを信じなかった。
医者からの言葉を聞いている僕や真知子さんでさえ信じなかった。
那須博之は人間じゃない。
それを僕らは信じてた。信じていたかった。
最後の最後まで映画を撮ろうとする姿勢は
僕らを勇気付け、そして那須さんの復活を皆が信じた。

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