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2005/03/29

秘蔵写真・・・

増やしました。。。
blog画面右上です。
ぜひご覧ください。

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2005/03/27

中原俊監督「コンセント」

田口ランディさん続きで
熊切監督「アンテナ」に引き続き
中原俊監督「コンセント」
見てみました。

深いところのテーマみたいなのは
「アンテナ」と一緒のはずなんですが
こうも映像的に違うのかと驚愕。

中原監督、那須さんの日活仲間ですが
その作品見たこと無かったです。
ちかぢか「櫻の園」ちゃんと見ます。

この作品
画面の明るさが特徴です。
演技もすべて記号化されている。
また人の感情にもドライです。
アンテナと対極的。
アンテナが人の死に引きづられる感じだとすると
コンセントは人の死にかかわらず生きていく強さを感じます。

原作を読んだことがあるので
「コンセント」意外な調理法でした。
深刻であるはずのシーンがコミカル。
いや、全般にわたってコミカルで
「所詮人間」なんてかんじのドライな思想が行き渡っています。

「アンテナ」の加瀬亮さんのウェットな熱演。
「コンセント」の市川実和子さんの記号としての演技。
非常に対照的です。
その向こうには演出家の哲学が見えます。

僕の偏見を述べますが
女性作家というのは自分を悲劇のヒロインにするところがある。
と僕は思っています。
書く小説の主人公が男でも同じです。
そこに女の自分としての弾をこめる。

そういった女の怨念である原作をどう料理するか?
熊切監督はこれを女性的にそのまま映画化し
中原監督はこれを男性的に俯瞰的に映画化した。

人が死んだとき
その人に親しくかかわった人の反応
男女で違いがある。
女は悲しみにくれ
男は悲しみにくれたいが狩りに出ねばならぬ。
女はウェットで自分を悲劇のヒロインにすえ
男はドライで自分を俯瞰的にみてしまう
俯瞰的な視線。
それは物事をコミカルにとらえてしまう視線。
女は人の死を悲劇ととららえ
男は喜劇と見てしまう。
そうなってしまうのだろうと思う。

そう思って考えると
映画「アンテナ」「コンセント」の
作風の違いは非常に示唆的。


コンセント@映画生活

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潰瘍は痛いよう。

数日前から腹が痛かった。
吐き気もしていた。
酒は好きで昼間から飲むが
どうも胃に入りづらい感じが数日前からあった。

おととい寝ている間に
腹が空き過ぎたようなきゅうっとした激痛。
波のように激痛がおしよせる。
寝ることが出来ない。冷や汗。
無理して何度かウトウトするが激痛に目覚ましを繰り返す。

我慢できずに急患で病院に。

このとき予想はついていた。
昔、胃潰瘍、十二指腸潰瘍をやったから。
神経が細いのである。

ずばり胃潰瘍。やられた。
なんかひどいものらしく
「即入院」と言われ、その言い方に
那須さんのときのことを思った。
しかし、まぁ命にはかかわらないとのこと。
それなら仕事があるので入院は勘弁と断った。
やはり師匠を失った痛みか・・・。
哀れ松枝青年。自嘲気味。食べ過ぎのうわさも。

しかし、薬をもらうと
かなり調子が良くなって
すぐに焼肉が食いたくなる。
食いたい。肉が食いたい。
テレビをつけると焼肉のシーンが。
来週はぜったい肉を食うぞの心意気。
明日は検査のため絶食ダイエット。
渡りに船と喜ぶ。

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2005/03/26

ナイナイがそれはナイと言ふ。

ナイナイが批判している。

「リスナーを大事にしている」のであれば、リスナーを無視して経営が変わったらパーソナリティを降りるという事を発表するのはよくないと思う。それでなくてもリスナーは不安やろうに・・・。(ナインティナインのオールナイトニッポンより
その通りだと思う。
姿勢としても素晴らしい。

しかし、だからといって
従業員よりリスナーが優先ということはありえない。
慈善事業じゃないんだから。
従業員がある程度儲かって満足して
その上でのリスナー。

「衣食足りて礼節を知る」

そういうことですね。

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企業は誰のもの?

昨日かなんかの朝の番組で
テリー伊藤さんがいいこと言っていた。

「企業は従業員のものです」

はい。
胸がすっとするね。

もちろんニッポン放送の関連での発言。
会社はリスナー、従業員、株主
誰のものか?ってことですよ。
企業は誰のものか?
これはもうミクロ経済学の教科書の話ですね。

古い経済学なら、株主!となる。

しかし、最近の経済学では
リスナーというか顧客、従業員、株主
三者はともにステークホルダー(利害関係者)ってことで
まぁ、等価というようなことになる。
簡単に言うとどれがかけても会社が成り立たないということだ。

テリー伊藤さんの横にいる学者風コメンテーターが
「三者等価ですよ」と言っていて
それに対して、テリーさんはちょいと不満そうだった。
僕も同じ。
等価なんてことは物事にはありえない。
ギリギリのギリでは絶対順位をつけざるを得ない。
そのときには、テリーさんの言うように
従業員が第一で、次に顧客、そして株主となると思う。

もう経済学者の道から外れた僕はそれを理屈で説明するのが億劫だが、このテリー伊藤さんの言葉はとても真実を射抜いているなぁとおもう。学者みたいなのは理屈ばっかりだからなぁ。事件は現場で起こってるんだよ。

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熊切和嘉監督「アンテナ」

北野武監督の映画とか
最近の日本映画は
テンポがとろいなぁと思うことが多い。
もちろん、好きは好きなんだけど。
もっとゲイジュツ風ではなく
テンポ良く話が進まないかなぁとおもう。

この「アンテナ」もかなりゲイジュツ風。
だけどたぶん取り扱うテーマを表現するに置いて
この絵はそれはそれで
とてもふさわしいのだろうと思う。

妹を喪失した家族の苦しみがものすごく伝わる。
加瀬 亮さんはじめ、役者の演技が素晴らしい。
映像も深みがある。
見ていると苦しくなるぐらいすべてが切迫している。

そして
最後に少しだけ光が見える。

素晴らしい作品。

余談だけど
これから上映されることになるだろう
熊切監督の最新作のオーディションを
仕切らせていただいたことがある。
その時に初めて熊切さんと初めて会い話した。

初めて会う熊切さんはほんと大人しく優しい人だった。
メイキングを見ていても優しい人なのだなと思う。
だからああいうラストが撮れるんだろう。
しかし鬼畜大宴会も優しいのだろうか?
実は優しくない人だということがわかるのだろうか?
(そういえば、メガネの奥の目は笑いながらじっと冷静にこっちを観察していた)
はやくみてみたい。

アンテナ@映画生活

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2005/03/24

真説タイガーマスク予告編

4月25日に
GPミュージアムから
那須博之監督作品

哀川翔さん主演「真説タイガーマスク」

がリリースされます。

予告編を見ることが出来ます。
 ↓
 ここ

結構、男の子的にはおもしろそうです(笑)

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キムチ

22日中に上げるはずの劇場用映画のプロットが
23日の朝10時にようやく上がった。
いつもながらぎりぎりで間に合わないのが僕である。
とりあえず送るべき先のプロデューサーに
プロットとイメージ画像をメールで送り電話で送った旨を伝える。
この打ち合わせは24日(って今日だね)。

23日は夕方から
木村俊樹プロデューサーに会うことになっていた
ので4時間ほど睡眠。
起きると雨。寒いし。

木村さんとは、2003年の6月に那須監督の紹介ではじめて会った。
那須さんはデビルマンの現場で僕がばらされないように
いろいろ工作頑張ってくれたが
結局は監督ではないところの判断で僕の首切りが決まった。
那須さんは
「すまんなぁ、がははは」
と笑って僕を木村さんに預けたのである。

那須さんが練習しとけよと僕に買わせたカチンコはとうとう
テスト撮影のときにしか使われなかった。
(その後、木村さんに貸したら返ってこなくなった・・・か、返してください(笑) )

今日の木村さんとの打ち合わせは
具体的に何か案件があるというよりも
人生相談?みたいなもの、というか
那須さんの死もあって心配してもらっている。

那須監督が父ならば
木村さんは兄貴だと思っている。
本人は思われるのが嫌だと思うし
「お前みたいな駄目人間は弟じゃねぇ」
とかなんとか憎まれ口をききそうだが
そういうところも「兄貴ぃ」な感じなのである。

とても優秀なプロデューサーで
その伝え聞くイメージはかなりの年を食った人のイメージだった。
しかし実際あった木村さんは若く一見優しそうに見えた。
いやいや一見じゃなくてとても優しい。

三池 崇史: 監督中毒
三池 崇史: 監督中毒

これとても面白い本なのだが
木村さんのことにも触れられている。
三池さんはその独自の映画スタイルをキッチリ作ってきていて
だからこそ巨匠になっていってるわけだけども
人生の途中で何かブレイクするきっかけというのが
やっぱりあり、それは「D.O.A」がひとつのきっかけになったのだろうと思っている。

で、この破天荒な映画を作ったのが木村俊樹プロデューサー。
また脚本も龍一朗の名前で書いている。

那須さんに紹介してもらってから
木村さん所では修行とも思えるほどの
大量のプロットを書いてきた。
基本的に没。
コテンパンにやられて
木村さんところに行くと思うと鬱な感じになるときさえあった。
木村さんところである打ち合わせを
僕は個人的にキムチと呼んでいるが
かなり激辛のキムチであることは間違いない。
しかし僕は激辛キムチ好きのマゾでもある。

そして辛いだけじゃなく、やめられなくなるほど美味いのがキムチ。

実際、木村さん所では
決して授業なんかじゃ教わらない映画製作の秘訣や
物語創作や脚本作りの実践的な考え方を学んだ。

遠藤憲一さんと小向美奈子さんが主演の「集団殺人クラブGROWING」
遠藤憲一さんと吉野紗香さんが主演の「集団殺人クラブ最後の殺戮」
では、木村さんの事務所に泊まりこみでシナリオを作成した。

木村さんが話の大筋を決め
「じゃ、シーン38からシーン42まで書いてみて」
みたいな感じで言われて僕がパソコンで打つ。
必死で考えながらシナリオを書いていく。
その横で木村さんは腹筋と腕立て伏せとシャドウボクシングを始める。
「できた?」
「ま、まだです」
しばらくカタカタ、そして腹筋・・・
「まだ?」
「もうちょっとです」
「早くしろよ」
と僕の頭の横で今にも当たりそうなシャドウボクシング。。。
「で、できました」
「どれどれ」
とパソコンの前の席を交代。
緊張の時間が流れる。。。
「だめ、ぜんぜん、だめ」
ていうかんじで、もう1回書く・・・

夕方6時をまわると
木村さんはビールを飲み始める。
それが焼酎に代わる。
「よし、飯食いに行くぞ」

居酒屋で、
これから書かれる物語の展開について再検討する。
最後に
「よし、これで書けるな。
 今日は寝て明日一気に書こう」

寝るのは事務所の床。

起きて、木村さんの第一声
「やっぱ、こうしよう」
「え?」
もう、昨日の展開で頭ができあがっていた僕は動揺。
しかし、僕は木村さんの物語創出力というか
映画をプロデュースする能力に憧れを覚える。
決してタレントにペコペコはしない。
良い映画を作ることにおいて
キャスト、スタッフ、監督を集め
必要な資金を集め
脚本を書き
隅から隅まで映画を作るということで充満している。
自分が主体として映画を作る、その意志がある。

海外ではブラッカイマー作品というように
プロデューサーが監督よりも先に立つことが多いような気がする。
というか日本でも脚本の並びではプロデューサーのほうが監督よりも先である。
先にかかれる人間は原作者は別として
出来上がりの映画に影響力をもてるし
また影響力を行使しなければならないし
当然出来上がりについては監督以上に責任を問われねばならないと思う。
そしてその見返りとして
当然、映画があたったときの功績もプロデューサーに多く依存することを認めなきゃいけない。
三池さんもそれを認めているし職業監督としての責任と自負がある。
それが三池さんを芸術家なんて鼻につく存在にはせずにいる。

僕の好きな映画に「ラリー・フリント」があるが
これなんか明らかに監督ミロシュ・フォアマンの映画というよりも
製作者オリバー・ストーンの映画だ。

まぁ、なにはともあれ
那須さんが木村さんを紹介してくれた。
映画製作者たる精神かくあるべし。
そういうことなのだろうと思っている。

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2005/03/19

三島由紀夫「絹と明察」

ほりえもんv.s.日枝会長みたいな戦いの構図を見ると
三島由紀夫の「絹と明察」をちょっと思い出す。

三島 由紀夫: 絹と明察

「絹と明察」は
昭和29年に実際に近江絹糸で起こった労働争議をもとにして書かれている。

欧米流の労働概念を日本に持ち込んで
古き企業概念しか持たない経営者に対して
労働者の権利を主張する若き主人公
v.s.
古い日本的企業概念しか持たないワンマン社長

というような話だった。

結局、労働争議は社長が負け、
社長はその争議の最中に
心臓発作か何かで死ぬわけだけれども
三島はその社長の衰えた姿に
滅び行く天皇の姿を重ねるのである。

現実で言うと
ホリエモンが欧米流の資本主義思想を持った若者で
日枝さんが古い日本型経営思考の持ち主というのは大方間違っていないだろう。

ただ、日枝さんの場合は、
組合出身でもあるし鹿内家への反乱という過去を考えれば、
かつては自分も挑戦者側であったわけで、
かつての挑戦者がいまは体制側に立っている。
そこがなんとも小説以上のひねくりで面白いところではある。

「絹と明察」を読んだのは
日銀金沢支店に居た新人時代の話。

僕はいくつかの企業を担当として持っていた。
守秘義務なんちゃらがあるだろうから
具体的には書けないが
ほんと日本の企業ってすげぇ
というのが感想だった。
まぁ、主に製造業が担当だったわけだが
結構、家族主義的というか
昔の豪族がそのまま企業経営者になったような企業とかがある。
しかも、そういう企業は弱いんじゃなくて
むしろ果敢にどんどん先進的な工法や新製品を発明し
世界に冠たる企業になっている。
そんな例が北陸にはたくさんあった。

「三島甘いな」

というのがそん時の僕の感想。
だって、資本主義化されていない日本的な経営は
絹と明察に描かれるような哀れなものではなかったんだから。
たぶん、三島が日本の伝統や天皇制を
哀れなもの、滅び行くものと思いたかったんじゃないだろうか。
実際のところは、もっとタフなものであったのに。

ただし、これは製造業の場合。
フジテレビをはじめとする非製造業は別だね。

ともあれ「絹と明察」は面白い。
タイトルにも抜群のセンスを感じる。
しかし、どうしても東大生的な
頭でっかちの、理論先行的な物語
というかんじを拭うことは出来なかった。

そして、もちろん「東大生」というと
僕は那須さんを思い出す。
那須さんと三島というのは僕の中では
かなり近い存在だと思っている。
誤解を恐れずに言えば
那須さんは、
三島が三島自身こうありたいと願ったであろう三島だ
と僕は何度も思ったことがある。
そのことについても
いずれ書いていきたいと思っている。

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2005/03/18

脚本直しの過程(2)

その美人女流漫画家の脚本を直す過程でしたっけ。

問題は明確じゃないけど
いくつかあることを総括せずにつらつらと。

まずライターの彼女は
当然漫画家としては大家なわけだから
自分の作品に自信があるので
「直し」っていうのに耐えられない。

「直し」
シナリオライターは
プロデューサーや監督からの駄目出しを受けて
何度も書き直すことがある。

しかし自分の作品に駄目出しされて気持ちいいわけがない。

「直し」=自分の作家性に対する否定

というように思うと大変なわけです。
だから多くのシナリオライターは
自分のことを芸術家とは思わずに
職人と思うようにしていたりするわけで。

そういう意味で言うと
本来芸術家でありシナリオを始めて書く彼女は
職人に徹することがたぶん辛かったのだと思う。

加えて那須語。

タダでさえ理解するのが難しい上に
芸術家の彼女は職人ではないので
監督の意向を理解して書くというよりも
自分の書きたいように書きたいタイプ。
よりコミュニケーションが難しかった。

さらに自分の反省を込めて言うと
デーモン白書が難しい。
那須語が難しいのに
那須さんのイメージする映画の背景を説明する
その案内書である白書自体が難しい。
もう何を理解せよと言うのかと言いたくなるぐらい
わけ判らなかったのだと思う。

だから僕は那須さんに
もっと判りやすく書けと言われていた。
これをサボタージュしたのが
僕の許されない罪のひとつだ。

彼女は何稿まで書いただろうか?
台本になっていないものも数えると
7稿ぐらい書いたのではないかと思う。

ある日など深夜の1時ぐらいにあがった。
車で彼女の家まで行きピックアップ
(僕と彼女の家はすごい近かった)
夜食をコンビニで買って
東撮のスタッフルームまで行き
そこで彼女の書いたものを
僕がシナリオの体裁に直す。
上がったのは3時ぐらいだったか。
シナリオの体裁に直すのは
彼女がシナリオの文法を知らないから。
柱とかないし。

彼女は僕に「すげぇ面白いでしょ?」と聞く。
もちろん最初はすげぇ面白かった。
しかし短くする過程で
かならずしも同意が出来なくなっていった。

彼女も監督がどう直せと指示しているのか
わからなくなっていたのだと思う。
説明できる位置にありながら
おこがましいのではないかと
自分が前に出て説明しようとしなかったのは
僕の大きな罪だと思う。
(本来的に説明すべき人でさえ
 監督が何を考えているのか理解しようとしなかったので
 彼女にちゃんと説明できるのは
 いまさらだけど現実的に言って僕だけだったのだと思う)

とうとう彼女は監督の意図する直しの本質がわからず
ページ数を削ったりキャラをいじくったりするだけの
二次創作的な改変だけを行うようになっていった。
そんな本が面白くなっていくわけがなかった。

はじめてシナリオを書くことを経験する彼女に対する不親切。
那須さんの意図する世界を彼女に対して説明し切れなかったこと。
彼女の作家としてのプライドと那須さんへの不信。

これが最終的に彼女のシナリオ作家デビューを幻のものとしてしまった。

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2005/03/17

那須語

企画開発段階における映画デビルマンの監督助手として
東映東京撮影所のスタッフルームに入って
デーモン白書を書いた・・・というようなことを以前書いている。

今から見ると
当然那須さんと最初ッから意気投合しているような書きぶりだが
実はそうではない。

誰もがそうであるように
最初の頃は那須さんの話す内容を理解するのが苦手だった。
独特の発声をするし、独特のバイアスをかけてしゃべる。
その後、一部のスタッフなんかとの意思の疎通が難しい局面があったのも
ひとつには那須さんの話を理解するのが難しかったから
というのもあるのだと思う。

ある日、監督助手の仕事を請けて
東映本社の近所の喫茶店でメインスタッフが集まり打ち合わせをした。
何の話をしたのか覚えていない。
しかし、この打ち合わせが終わったあと
那須さんと僕の2人で「デーモン白書」をどういう方向で作るかという
打ち合わせがあったのは覚えている。

前段階の打ち合わせが終わり
プロデューサーとかが帰ると
僕と那須さん二人が残された。

(うわぁ、この人の話、僕一人で解読できるかな?)

それが正直そのときの僕の気持ちだった。

このとき具体的に何を話したのかは忘れてしまった。
しかし、最初の不安をよそに
那須さんの言葉がすごく理解でき
これから作られるだろう映画デビルマンの世界観に
すごく興奮したのを覚えている。

ピンチランナー?
見たことないけどアイドル映画だろ?
デビルマンを撮るなら三池さんのほうが良いに決まっている。
そう思う原作デビルマンファンのひとりに過ぎなかった僕が
那須監督に傾倒するまず第一歩がこの日にあった。

このときにデーモン白書を書くに必要な書籍100冊のうち
70冊ぐらいが那須さんから示された。
そのラインナップからだけでも
那須さんの考えているデビルマンの方向性、
原作を超えるかもしれない実写版デビルマンの方向性
を読み取ることが出来た。

僕が興奮してきて那須さんのアイディアに
自分のアイディアを付け加えていく
那須さんの目指す映画が判らないとできない提案。
それが那須さんにもわかったのだと思う。
那須さんもたくさんしゃべり僕もたくさんしゃべった。

他人としゃべっていても
心が通じ合うって言う感じを抱くことはそうないが
那須さんの言葉を理解するということは
那須さんの言葉が判りにくいだけに
那須さんの「心」を理解することだったのだと思う。
だから、この日の僕は、そしてたぶん那須さんも
心が通じ合う相手がいたことを発見し喜んだんだと思う。
打ち合わせ前の不安がウソのようだった。

この日を機会に
僕は皆が難解と言う那須語がすらすらと判るようになった。

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2005/03/16

松尾スズキ×大竹しのぶ「蛇よ!」

本公演とは違う
実験的な何かをやらかす場所というかんじだろうか。

表参道のスパイラルホール。
これまで野田秀樹の「2001人芝居」と
同じく野田秀樹演出での大竹しのぶ独り芝居「売り言葉」を見た場所。

「売り言葉」を見たときには
となりに美輪明宏さまがすわり、
「ああ、なまで美輪あきひろ・・・」と思ったわけですが。

そんな実験的な(いや美輪さんが来たからって別に実験的でもないですが)
スパイラルホールで
松尾さんと大竹しのぶさんの2人芝居といえば
まぁ、とりあえず参加は義務のようなものなわけです。
かなり良い席でした。かぶりつきの。

周りはどっかんどっかん笑っていましたね。
ぼくも芝居ではあんまり笑わないほうなんだけど
けっこうくすくすという感じでむずっと。

映像とコントのオムニバスのような。
波状攻撃というか。
しかし、配列や提示に
あからさまに解釈すべき意味が含まれているようなものではないけど
ていうか解釈や意味から逃れようとしているけれど
そしてそれは成功しているけれど
しかし、確実に臓腑にヒットするようなもの。
意味。
言葉ではない。
映像。
トラウマ。
笑いに包まれた劇薬。
いや笑い自体が悲しみに転化するような。
また逆もありで。

松尾スズキここにありって感じでした。
やっぱこういう大人の出し物に金出したいよね。
僕的評価=★★★★★
満点です。
でも人によると思います。
別にこれが嫌いでもいいと思う。
思わせぶりすぎるから。
意味を汲み取るのが面倒になるよね。
実際意味汲み取らないでもいいようなつくりになっているし。

しかし「出しっぱなしの女」
蛇口をひねりっぱなしって
すげーテロだよね。

万民の無意識に巣食う蛇。
じぃっと遠くからニラミツケテルおっかさん。
「水出しっぱなしでごめんなさいっ」
と平謝りしたくなる僕の無意識。
笑いながらもザワザワとするのは。
でもそのオッカサンと結婚しなきゃいけないループ。
蛇が蛇の尻尾を食べるがごとく。
それが世界になる。

あと卵子にたどり着けない精子の話はぐっと来た。
松尾スズキってすばらしい才能だなぁ。
もちろん表現した大竹しのぶさんもすばらしい。

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2005/03/15

明るくすること

しばらくまだ那須さんのことを。
だって仕方ないじゃん。

正直、鬱でござった。

もう、かなり、どよーんとしていた。
ついでになぜかかなり食べた。すげー太った。
明るくなれねーって感じだった。
むしろ、明るくしてる奴が憎くすらあった。
てめぇらなんで冗談言ってんだこのやろうって気持ちだった。

ブログも何度も書こうとするけど無理だった。
でも今書いている。
立ち直ったのかというとそういうわけでもないが
ちょっと書いておきたいことがあるので。

かなり浮上が不可能な落ち込みようだったので
締め切りだったが何も書けない状態で。
仕方がないので、なんか映画観ようと
まぁ夜中だったからDVDを見ようと。

「ビーパップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」

ほんの気晴らしに10分かそこいらだけ見ようと思ったんだけど
結局最後まで見ちゃいました。

笑った。感動した。泣いた。
まぁ、泣いたっつうのは、那須さんのことがあるから
割り引くとしても、良い映画です。
ちょっと明るくなった。

そういえば
那須さんはよく言っていた。
「明るくするってのがエンターテイメントなんだな」
って言ってた。
で、うちの劇団員の高橋正倫のことをほめていた。
「あいつの演技は明るい。暗い話を明るく出来る」
って。

今までは判った気になって
「うんうんそうですね」なんて言ってたけど、
昨日「ビーパップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌」を
改めてみてなんだか心から判った。

明るくすること。

校内暴力とかたぶん暗く表現することは幾らでも出来る。
でもあんなおちゃめに表現できるって。
暗い時代が少しだけ明るくなる。
こんなに大事なんですね。
明るくすること。

師匠。ちょっとだけ明るくなりました。ぼくも。

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2005/03/07

わたしは真悟の舞台化と那須さん

「わたしは真悟」の舞台化の許諾を楳図先生からいただいたのは去年の八月だった。

那須さんに監修をお願いしたのは、もちろんデビルマンの公開もあったし那須さんの名前があること自体がマスコミ受けしそうだし・・・という広報上の計算もあったし、那須さんと僕はデビルマン以降一緒に絡んだ仕事がなかったから、ここで無理やり、芝居でもいいから一緒に仕事をやったという事実を作ってやろうという気持ちがあったからだ。

ただ、せいぜい300人程度しか集客のない我が劇団である(結果として「わたしは真悟」では600人に迫る観客を動員できたわけだが)。那須さんが監修を引き受けてくれると言っても、名前だけ貸して、あとは自由にやらせてくれるのだろう。そうおもっていた。

が、それは甘かった(笑)

そもそも「わたしは真悟」を読めと僕に教えてくれたのは那須さんである。「わたしは真悟」に対する思い入れもかなりあった。那須さんはまるで自分が監督する映画であるかのように、脚本に駄目出しをし、キャスティングにも意見を言ってくれた。「言ってくれた」と今日の今なら言うけれど、当時は、言ってきやがった、とかそんな荒ぶる魂的な感情だったわけだけれども。

那須さんのキーポイントは上野未来と楳図先生をもっと使えということに付きました。

僕としてはやっぱ原作があるし、原作はサトル中心だから、そういう話にしようと思っていたし、那須さんが書き直しを命じたときにはすでに練習も始まっており本番前一ヶ月を切っていたから、正直このまま直さずにいきたいなと思っていたし、なにより楳図先生もサトル中心は譲らないだろうと思っていた。

しかし、結果は、楳図先生と那須さんの言うことはかなり似通っていた。

で、那須さんの指摘する方向で直したのが最終的には完成稿になったわけだけれども、とくに「佐渡島」のシーンは原作と違う趣になっている。しかし、その変わり方には、多くの原作ファンも納得してくれたし、かつ新解釈を生むことが可能なストーリーになったとも思う。

僕自身、那須監督の「デビルマン」については正直感動したとは言いづらい。
もちろん、あの映画が良かったと言ってくれる人もいて、実際、那須さんから貸してもらって家で見たビデオは3時間近くあったしCG部分がなかったが、かなり味わいのある人間ドラマになっていた。

とは言うものの、なにはともあれ結果である。

やっぱり那須さんが「デビルマン」でデビルな烙印を押されるのはいたしかたないような気もする。那須さん本人もそのことはわかっているから、しかもいろいろな利権がある映画であって、その操作が難しいのは承知の上で請けた仕事でもあるから、もはや他人のせいにするつもりはなかったのだと思う。ただ早く次の良い作品をとって、デビルマンはあれだったけど、那須の作品そんなにわるくないね、とか言われたかったのだと思う。早く言われたいがために、無理をして真説タイガーマスクの撮影をし、映画の企画をたて続けに立ち上げて・・・・・病院に行くのが遅れた。遅れたっつうか、判ってていかなかったというようなフシもあり・・・。

まぁ、いつまでも繰言を言っていても仕方ない。

とりあえず、僕らの芝居「わたしは真悟」のDVDを見てください。
那須さんが直したからこそ(+僕の才能があればこそ+すばらしき原作があればこそ)のラスト30分です。
DVDはHPで売っています(って宣伝かよ!)

   →ここでうってます

いまんところ、これが那須さんと僕の最新共同作品です。
真説タイガーマスクも近いうち出るみたいですが・・・。

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2005/03/06

未来のことを

那須さんは過去のことを振り返るのが好きではありませんでした。
だから病室でも最後の最後まで未来のことを話していました。
だから僕も未来のことについて考えていこうと思います。

那須さんと最後の最後まで病室で話していたのは
那須さんが復帰後の映画製作についてでした。

そういう意味では僕はとても恵まれた環境にありました。
デビルマンで映画作りの企画開発がどういうものなのかを教えてもらい、タイガーマスクで現場を教えてもらい、立ち消えた那須さんのいくつかの映画の企画において映画の企画の作り方や原作映像化権の取得の仕方を教えてもらい、神の左手悪魔の右手で企画の立ち上げから脚本書きを教えてもらいました。

那須さんは3月中旬に退院し
3月後半に体力を回復し
4月にロケハンなど撮影準備に入り
5月に撮影に入る予定でした。

那須さんはそれを励みに病気と闘っていたのだと思います。
悲痛な感じは一切なかったし
たしかにかなり痩せてはいたけれど気力は十分あったし
声もしっかりしていて、
だから那須さんの入院を知っていた少数の人間も
寸前まで那須さんの復活を信じて疑わなかった。

もちろん結果としては
53歳の誕生日を病院で向かえ
その誕生日のきっかり一ヶ月後に亡くなってしまった。

禅林寺での通夜、告別式にはほんとうに沢山の人に来ていただいた。

那須さんが沢山の人に愛されていたのがわかった。
告別式で流れた那須さんの映像。
映画を撮るのに夢中になっている姿がとてもかわいい。
哀しい気持ちにもなるけどちょっと笑いたくなる映像。

そして告別式には楳図先生も来られていた。
もちろんシマシマじゃないけど。

楳図さんと那須さんは
僕の芝居「わたしは真悟」で2回ほど顔をあわせている。
芝居の打ち上げのときと、映画企画始動のとき。
那須さんのしゃべくりは判る人にしか判らないものだが
楳図さんには良くわかるらしい。

告別式に来られた楳図さんは那須さんの柩に花を入れると
しずかに冷たくなった那須さんの額に手を当て瞑想されていた。
それを見てぼくは、楳図さんが那須さんと何か会話をしているんだなと思った。
2回しかあっていないけど、楳図さんと那須さんは同じような何かを持っていたのかもしれない。

告別式の最後、
「那須さんのためにも『神の左手悪魔の右手』映画化は松枝さんが果たしてください」
と楳図さんは僕に言ってくれた。

僕の前向きな戦いは『神の左手悪魔の右手』の映画化を実現させるところから始まる。
それこそが師匠那須博之のもっとも望んでいることだろうから。

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2005/03/05

那須さんとの闘病生活

僕と那須さんの時間は短く濃いものだった。
いつしか仕事上の付き合いをはみ出し僕らは親子になった。
1月20日。
那須さんが入院するときに付き添ったのは真知子さんと僕。
入院記録の親族欄に真知子さんはもちろん妻。
僕も「息子」と名前を書いてもらった。
「苗字は違うけど、わけありの息子ということだ」
と那須さんは笑った。

那須さんの闘病生活は普通のがん患者と比べて苦痛は少なかったと思いたい。
急逝するぎりぎりまで苦しいと口には出さなかったから。
那須さんのことだから周囲に気兼ねして、あるいは格好付けるために
苦しいとか痛いとか言わなかっただけかもしれないが
僕も真知子さんもあまり那須さんの口から苦痛を訴える言葉を聞かなかった。

病室での那須さんと僕の関係はふつうじゃなかった。
ちょうど年末から実現しつつあった映画の企画があり
この脚本を僕が手がけることになっていたからだ。

僕としてはもっと息子として病室に足しげく行きたかったのだが
行くたびに「本はどうしてる?」と訊かれるものだから
脚本関係で進展があるときにしかお見舞いにいけない状態になっていた。

入院してすぐに那須さんは脳に血がたまって
視力が衰えてしまった。
だから脚本の第2稿があがったときには
すでに脚本を独自に読むのは難しいことになっていた。

「じゃ、作者本読みします」

と冗談ぽく言うと、「うん、うん」とうなづく。
それから僕は少々の恥ずかしさもあったけれども
自分の書いてきた台本を下手な演技交じりで読むことにした。
途中で看護婦さんが何度かやってきたが何事かと思っただろう。
けれども那須さんは耳を済ませて
僕の本読みをじっと聞いてくれていた。

2時間。

那須さんの感想は
「面白い。だが後半ながい」
そして那須さんは修正の方針を僕に説明しはじめた。

那須さんと僕の最後の時間は病室の時間じゃなかった。
会ったときと同じスタッフルームだった。
那須さんは15キロもやせまるで僧侶のようだったが
その痩せてなお映画を撮り続けようと言う目は
らんらんと輝いていた。

見舞いに来た誰もが那須博之の余命が1ヶ月であることを信じなかった。
医者からの言葉を聞いている僕や真知子さんでさえ信じなかった。
那須博之は人間じゃない。
それを僕らは信じてた。信じていたかった。
最後の最後まで映画を撮ろうとする姿勢は
僕らを勇気付け、そして那須さんの復活を皆が信じた。

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2005/03/01

遺作

那須博之監督の遺作
劇場用公開映画は「デビルマン」になっています。

しかし「真説タイガーマスク」は完成しており
また「デビルマン」の汚名をすすいで余りある傑作です。

聞くところによると、
主演の哀川翔さんも「おもしろいじゃん!」と言ったらしいです。

ぜひ、みんなで劇場公開にもっていこうじゃありませんか。

ちなみに、デビルマンとうって変わって低予算のこの映画。
けれども那須さんは現場がほんと楽しいと言っていました。
始まりから終わりまで全てそばに居た僕が保証します。
彼はこの作品に魂を込めました。
これを8日間で撮ることのすごさが判るでしょうか?

那須監督はデビルマンで
彼の体内に巣食った悪魔を退治することよりも
この映画を撮ることを選んだのです。

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那須監督の死

僕の師匠である那須博之監督が
27日の夜肝臓がんで帰らぬ人となった。

実は
僕は那須さんの具合がかなり悪いことを
かなり前から知っていた。
知っていたくせに、
これまでの軽々しい自分のblogの内容は何事かと
われながら思う。自責の念に耐えない。
しばらく前より那須さんと音信不通になっていた方々。
ぼくに「もしかして那須さん具合悪いの?」と訊ねられても
「いえ、那須さんはめちゃくちゃ元気です」と答えるしかありませんでした。
ウソでした。ごめんなさい。本当のこと言えませんでした。

「それでも人生は続いていく・・・」

今はただ那須さんの安らかな眠りをいのるだけです。

デビルマンはたくさんの酷評を受けたが
確かに那須博之は僕らを楽しませた。
僕らはあなたの撮った映画が大好きです。
成功も失敗もすべて。

2日が通夜、3日が告別式となります。

那須監督の映画に
笑った人泣いた人満足だった人不満だった人
衝撃を覚えた人唖然とした人えぐられた人
ひっくるめて那須さんの映画を楽しんだ人だと思うのです。
だから皆で那須さんの冥福を祈りましょう。

稀代の名監督那須博之に敬礼。

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