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2005/02/20

長塚圭史作演出「悪魔の唄」

はっきり言っておもしろくなかったです。
たぶん僕だけの感想じゃない。
こんぐらいの規模の芝居で
拍手が1回で終わったのは初めてだったし。
ふつうファンが多いから
つまんなくても何度も拍手のアンコールがあるものだが
みんな拍手も早々に帰って言った。
「おもしろかったね!」
聞かれるはずの熱い言葉はどこにも無かった。

とはいうものの
長塚圭史さんの才能は垣間見ることのできた舞台でした。

内容うんちゃらに触れる前に総括すると
僕が勝手に想像するに、
こんな芝居になっちゃったのは
こんなことなんじゃないかと思うわけです。

長塚圭史さんの優れた発想と着想とタイトル
 ↓
プロデューサー?たちがイイね!
と言ってキャスティングとかをバンバン進める。
 ↓
けっこう忙しい長塚圭史さん。
 ↓
時期が迫る。
 ↓
やばい、やっちゃえ、ってヤル。
 ↓
こんな芝居になる。
つまりですね。
勝手な想像なんですが

ほんと長塚圭史氏の
イイ着眼点とイイ発想を
うまく「熟成」させるための
期間とサポートが無かった。

それが今回の駄目な感じの原因かなと。

芝居3時間近くあるんですが
これだってけずりゃいいのに
削る暇が無かったのがありありです。
で、割を食うのは客なんですから。

さらに言うと
「こんなんか」
思われてしまう長塚圭史さん可哀想です。
プロデューサーサイド
育てるっちゅうことを考えるべきでしょう。
食べるもの無くなって
あわてて新芽を摘み取って
一時しのぎにはなるけど
結局1年後
森が全滅しちゃった・・・
みたいなことになりかねない。

森林を育てましょう!

なんて偉そうですが。ごめんなさい。
単なる個人的な感想と憶測です。

沢山のいいぶぶんと沢山の悪い部分とあったんですが
具体的にとっても気になるのが

設定やセリフが安易なこと、いいかげんなとこ。

今回、長塚圭史さんがインタビューとかでも発言しているように
日本人にとって国家とは何か。
みたいなことの問いかけが、
この物語創作の最初にあったんだと思います。

しかし、その割りに
旧軍のひとたちの芝居中での扱い、発言が
非常にステレオタイプ。
ちょっと勉強すりゃ、
あんな日本人、戦前にいなかったと言うのがわかります。
そんな薄っぺらい人間を持ってこられてきても
こっちは感動もホラーもないです。

長塚圭史さんとか僕らの世代、若い世代が
戦前の日本について知らないのは当然です。
学校では教わらないですから
ウソしか教わらないですから。
右でも左でもいい。
勉強するんです。
した上で、ぜったい発見がある。
ドラマがある。
しかし、今回の「悪魔の唄」には一切それが無い。

右とも左ともいえない複雑な
苦虫を噛み潰したような状態。
それが現実でしょう。
そんなの空想じゃ書けないよ。
勉強して取材して悩んで苦しんで時間をかけて
そして紐解いていくんです。
それがない。

オリンピックやワールドカップのとき、日本人が国旗を掲げて応援するじゃないですか、ひたすら日本、日本って。そのへんが、僕にとってはちょっと違和感があるんですね。なにをもって、日の丸をどうとらえているのか、とか。別にそれがいいとか悪いとかじゃなくてね。なんか、そこに妙な違和感があるのはなぜだろうと思って。その違和感の、とっかかりでも見えればいいなと思ったんです。(e+長塚圭史インタビュー)
長塚圭史さん、
いや、あえて呼び捨てにするが、
長塚圭史、
「違和感の、とっかかりでも見えればいいなと思ったんです」
っていうじゃない?
でも
あんたの芝居じゃ、それ少しも見えてませんから~~残念っ。
「悪魔の唄」みてげらげら笑っていたネェちゃんたちは
次の日平気でサッカー見てニッポン!ニッポン!言いよるよ。
何の疑問もなくね。

もちろん
旧日本軍の人たちが出てくるのは
別に国家うんぬんを言いたいわけじゃなく
まぁお笑いコントに医者と患者が出てくるみたいな
そんなレベルでしかないよ、素材だよ
って言う逃げ方は当然ある。

まぁ、そんなことはさすがに言わないだろう。

しかし光る着想沢山ある芝居だった。
こっからはバリバリネタバレだから。

ある山荘に引っ越してきた夫婦。
妻は実は精神を病んでいる。
夫婦中は険悪。
山荘に勝手に上がりこんでいる若い夫婦がいる。
妻は美しく、そして古い唄を歌う。
誰かを待つ思い。その唄に託して。
唄をやめさせようとする夫。
夫は妻を愛していた。
その唄は戦争に行って
結局、帰らなかった男=妻が結婚する前に愛した男
その男が好きな唄だった。
妻は男を愛した。
男が帰るのを待った。
だが男は戦場で死んでしまった。
帰らない男に痺れを切らし
他の男との結婚を選んでしまった女。
そのことに対する後悔。
だから死してなお愛する人が戦場から帰ってくるのを待つ。
幽霊になって男が帰るのを待つ。
それを阻止しようという夫もまた幽霊。
幽霊の女は山荘に引っ越してきた男を騙し穴を掘る。
なぜか?
それは男が死んだ戦場。
それがこの山荘の真下だったから。
愛する男たちは特攻の夢をたずさえたまま
飛行場を飛び立つこともなく爆撃で死んだのだった。
その男たちがよみがえる。
掘り出された穴から出てきた男たちは
幽霊ではなくゾンビとしてよみがえる。
そしてなんと「ゾンビとしてよみがえった死人」には
「幽霊としてよみがえった死人」が見えない。
幽霊にはゾンビが見えるが。ゾンビには幽霊が見えない。
愛する男を蘇らせた幽霊の女。
しかし愛する男はゾンビとして蘇った。
だから幽霊である女が見えない。
幽霊とゾンビのもどかしい愛。
再会。
それを阻止したい女の夫は
ゾンビが太陽の光を浴びれば死んでしまうことを利用する。
全ての窓を暗幕で隠し
昼を夜と思わせる。
騙されて出て行く男たち。
憎き敵に体当たりのできる爆撃機があると喜び涙する。
遠い昔。
アジアの民族を解放する聖なる戦い。
その言葉、国家に裏切られて死んだ兵士たちが
今度こそはと信じた言葉にまた裏切られる。
裏切りの暗幕が落ちると
真っ白い太陽の光が
じりじりとゾンビたちを焼きつくした。
太陽に裏切られた男たちは
またしても太陽に裏切られた・・・。

ちうような話ですよ。
これがなんであんな芝居になっちゃうのかね。
最初は笑いなしで行こうと思ったらしいけど
笑いを足したのは、いまいちストーリー部分だけで
金取れる方向に行かなかったから
なんだと思うけど、いけるっすよ。この着想なら。
あとルールを大事にしたい。
どうなったら幽霊になりどうなったらゾンビなのか。
ゾンビから幽霊が見えないなら、それは見えないで徹底。
なんでもありっていうのは観客はそれで良いって言うかもしれないが
作り手は自分を律しないと。何でもありはやっぱ駄目。

つーことで
実に残念。

なので
僕的評価=★☆☆☆☆
5点満点で1点。

一個の★は
着想の良さと小島聖さんたち役者の頑張りに。

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コメント

同感です。悪魔の唄ってまさか君が代のことじゃないですよね?まあ、街宣車で乗り付けるには、下北沢の道はちょっと狭すぎるけど、愚弄していますよ、軍人さんを。俳優は、上手かったと思います。長塚圭史は小僧だなって思いました。

投稿: 蓮 | 2005/02/24 16:38

蓮さん、コメントありがとうございます。
「小僧だな」っておもしろいコメントです。
僕的にはもうちょっとがんばれってかんじです。それが小僧ってことかな

投稿: 松枝 | 2005/02/26 01:19

はじめまして。こんばんは。

>そしてなんと「ゾンビとしてよみがえった死人」には
「幽霊としてよみがえった死人」が見えない。
幽霊にはゾンビが見えるが。ゾンビには幽霊が見えない。

>あとルールを大事にしたい。
どうなったら幽霊になりどうなったらゾンビなのか。
ゾンビから幽霊が見えないなら、それは見えないで徹底。

とありますが、幽霊である牧田(長塚)の力(執念)でゾンビにはサヤが見えないようになってます。芝居の中で明確に示されてましたが気付きませんでしたか?

投稿: 通りすがり | 2005/03/10 21:07

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